日本ところどころ⑱ 四国の真んなか白髪神社の夜神楽

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高知県いの町長沢白髪神社の境内181115

f:id:sakaesukemura:20190616053101j:plain山の秋は神楽の季節です。多くは昼過ぎから夕方にかけて奉納されますが、ここは標高600mほどの街灯もまばらな山の中、闇に包まれた吹きさらしの本堂で鉦と太鼓が鳴り響き、邪を払い、神々を悦ばせる舞いが深夜まで続きます。

f:id:sakaesukemura:20190616053116j:plain地元の女子中学生による緩やかな相対舞。いかにシンクロさせるかが見せ場、、

f:id:sakaesukemura:20190616053134j:plain掌に折敷を乗せて舞うのは簡単じゃない。むかし梼原でボクもやってみましたが、丸いお盆が転がって練習にもなりませんでした。

f:id:sakaesukemura:20190616053155j:plain赤い布の中に隠れているのは憤怒、嫉妬、苦悩を顔に集めた恐ろしい般若です。能で言うところの般若→鬼女は二本の角を持つはずですが、ここの鬼さんには角がなく、子どもに蜜柑を配ったりします。

f:id:sakaesukemura:20190616053213j:plainこの刀本物ヨ! 榊の枝をスパッと切って床に散らし、両手に握った真剣をブン回す。桟敷のかぶりつきで見るのは怖いほどです。これをビデオでアップしたかったのですが、、

f:id:sakaesukemura:20190616053231j:plain恐ろしい般若の舞台に子どもが集まって来るのはお菓子と蜜柑を投げてくれるから^^

181119記


追記
実は今回ビデオをアップしようとしたのですが100M以内の容量制限がありました。編集するワザは持ってないので70Mの折敷舞をひとつ上げてみます。動いたらお慰み、、

 

Thai Laos ひとり旅③ メコン川をファイサイHua XaiからバクベンPak Bengへ

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ラオス ファイサイHua Xaiの税関180916

タイ北部の町チェーンコーンChiang Khongの税関を抜けると途中で道がクロスし、バスは左側通行から右側通行に変わる。メコン川を渡ってラオス側の税関ファイサイに着いたら夜だった。予約したホテルまで10㎞ほどあるがバスは営業を終えタクシーもない。ラオス人の女性客が闇のベンチにぽつんと坐っている。チェンライに住む友人がここから始まる3泊4日のメコン川下りに同行してくれ、タイ語で女性と交渉し、迎えの車に便乗させてもらって事なきを得たが、一人旅なら途方に暮れたことだろう。

f:id:sakaesukemura:20190616050539j:plain仕事を終えて卓球に興じる税関職員。見ていたら手招きするので30数年ぶりにラケットを握った。日ラ対抗とは言うも愚かまるで体が動かない。

f:id:sakaesukemura:20190616050552j:plain立看には「タイ国はあなた方を歓迎します。Child sex offender以外は」とある。「児童性犯罪者」とでも訳せばよいのだろうか、それが具体的に何を意味するかはわからないが、ここは麻薬の「金三角」地帯であり、マフィアに性は付き物だから多分ぼくの想像が大きく外れることはない。

f:id:sakaesukemura:20190616050606j:plain観光船の埠頭。9月の今は雨期だから客は少ないが、乾季に入ると観光客が増える。

f:id:sakaesukemura:20190616050619j:plainこちらはSlow Boat向こうはSpeed Boat。スローといっても川下へ向けて走るのだからけっこう速いが、スピードボートは競艇なみだ。船頭と希望客はヘルメットを被って突っ走る。動力部は剥き出しのエンジンにスクリューを直結し舵の機能まで持たせたスグレモノである。日本車から取りだしたエンジンが好ましいという。写真は川下に向け平行して走ったから何とか捉えられたが、スピードボートと対向して行き違うときは瞬く間に現れて消える。音が聞こえてカメラを構えたのでは反応が鈍いキャノンM2では追いつかない。

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40席ほどある舟に客は7人。本を読んだり景色を見たり。スロバキアの若者は寝っころがって朝からビール^^ 人生の幸せなひとコマ。

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焼き畑の煙か?

f:id:sakaesukemura:20190616050720j:plain川沿いのジャングル

f:id:sakaesukemura:20190616050741j:plain焼き畑にはトウモロコシや陸稲が植えられる。

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途中で下船し少数民族の村へ入る。

f:id:sakaesukemura:20190616050823j:plain鳥の親子が行列を作る村。昭和30年代の農村の記憶を持つぼくには何の違和感もない光景だが、白人の若者にはどのように映るのだろう。

f:id:sakaesukemura:20190616050839j:plain共有地の水道で沐浴する少女

f:id:sakaesukemura:20190616050905j:plain子どもは何でもオモチャにして遊ぶ

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典型的な高床式の倉庫。茸のような鼠返しの柱を見ていると定住が始まった弥生時代の日本もこのようではなかったろうかと思う。

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充分な広さと高さを持つ床下は熱帯の風土が作った合理的な空間だ。それは子どもの遊び場であり仕事場であり客人を迎える気さくな情報交換の場でもある。ル・コルビユジェは国立西洋美術館世界遺産)にピロティーを置いた。丹下健三は長方形の箱を柱で支えるヒロシマ平和記念資料館を創った。目線の向こうに風景が見え、渡る風に吹かれて二階へ上がる人々の表情は柔らかい。昔の日本にはどこにでもあった縁側のようにウチでもなければソトでもない吹き放し空間は、ひょっとするとアジアの熱帯が原点なのかもしれない。風景を力で捩じ伏せる巨大ビルディングが悪いとは言わないけれど、文明が限界に達した今、自然の素材で作られた空間の美徳を振り返ってよい時代ではなかろうか。

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森から戻ってきた少年。木陰に潜み長い銃身を持つ猟銃で遠くの獲物を狙う。

f:id:sakaesukemura:20190616051013j:plain細身の典型的な川舟。メコン川が作った美しい形であるが、この舟で海へ出たら波に挟まれてイチコロだろう。

f:id:sakaesukemura:20190616051031j:plain川辺で水牛が遊ぶ。

f:id:sakaesukemura:20190616051054j:plainスローボートは仕事場が持ち家でもある。

f:id:sakaesukemura:20190616051114j:plainもともと観光舟は貨物船であった。

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朝から7時間ほど舟に揺られてバクベンPak Bengの村へ到着。ここで一泊。


181115記


追記
動画を挿入する方法がわかりました。
やっと26パラグライダーが動きました。

Thai Laos ひとり旅② ミャンマーとの国境メーサーイ

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タイの北端メーサーイMae Saiの税関180914

むこうはミャンマー(ビルマ)のタチレイTachileik。人と荷物が列をなして出入りする。手前の大通りは何でもありの路上市場で、日が落ちると夜市、夜が明けると朝市となって市民の食卓になる。

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税関に向かう三輪車。タイではバイクの後ろに荷台を付けた三輪がバリバリの現役だ。子どものころ見たダイハツミゼットが思い出されて懐かしい。ベンツと三輪車が雑居するタイは長いスパンで記憶をかき混ぜてくれる。

f:id:sakaesukemura:20190616044745j:plain屋台のサイドカー付きバイク 

f:id:sakaesukemura:20190616044756j:plain動力部を外すとお店になる

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スマホケースにはキティーちゃんもワンピースも、、

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托鉢180915

タイでもラオスでも早起きすればどこでも見られる托鉢の風景。喜捨する市民も裸足で手を合わせるのが原則のようだ。微笑みの国タイでは飛行機の乗務員もタクシードライバーも手を合わせて感謝の意をあらわす。一応ブディストのぼくには違和感のない光景だが、合せた掌が自分に向けられると戸惑う。

f:id:sakaesukemura:20190616044841j:plain古刹に向かう石段は「ドラゴンボール」の悟空が界王様を訪ねてン万里を走った鱗の道を想起させる。波打つドラゴンの背中はタイでもラオスでもフツーに見られる塀のモチーフだ。鳥山先生ないし編集者はここからヒントを得たのかもしれない。

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そのドラゴンの道を尻尾まで登り詰めると妖艶な美女が迎えてくれる。涎を垂らした亀仙人が良からぬことを仕出かしそうだ。

f:id:sakaesukemura:20190616044917j:plain聖なるお寺にこのお尻はいかがなものかと思うのは日本人の抹香臭い考えで、ここは空想的理想界なのだから心のもやもやを実現してくれた方が本当は嬉しい。

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寺には求道の仏陀も鎮座ましますのだが、

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その一方で象の顔を持つヒンヅーの神がおわし足元には鼠とコブラが顔を出す。インドには鼠を聖なる存在として崇める寺院があり、コブラはアジア各地で蛇となり龍となって仏陀を守護する。ヒンヅー教と南方仏教の関係は神仏習合のようなものなのだろうか。伝播先の環境に合せて宗教が変化したとも考えられるが、仏教もヒンヅー教も元はといえばインド発なのだから両者は初めから融和していたのかもしれない。

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巨大な蠍は日本の神社でいうところの御神体だろうか。力あるものを祀るのは力に憧れるからか、荒ぶる神を畏れるからか、毒を持つ尻尾の毛が妙にリアルだ。

f:id:sakaesukemura:20190616045014j:plain高台から見たミャンマーの町

f:id:sakaesukemura:20190616045027j:plainこちらはタイ側の街

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入国管理事務所のポスターにはタイ語、英語、ビルマ語、中国語で注意書きが並ぶ。不法滞在した者は当局へ引き渡す。場合によっては逮捕し起訴するというキツイお達しだ。タイ北部は居心地がよいらしく長期滞在者が多い。やがて不良外人化し問題を起こすようになったからであろう、国境の橋を渡って戻るだけでビザは自動的に延長されるのだが、ちかごろ再入国の回数に制限が入った。ここでミャンマーに入ってタイへ戻ると次回ラオスへ入ったときタイへ引き返せなくなる。「しかしどうしてもミャンマーを覗きたかったら500バーツ≒1800円ほど払えばパスポートを汚さずに入る裏技もあるよ」と友人が教えてくれた。 法治一点張りの日本とちがい、ここではおカネで人情が生れるようだ。

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Thai Laos ひとり旅① お米の三角形

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Chiang Rai 180914

タイ北部の旧都チェンライでバイクを借り北へ向けて60㎞ほど走った。この辺りはゴールデントライアングルと呼ばれるかつての麻薬地帯だが、同時にタイ、ラオスミャンマーが国境を接するお米の三角形でもある。

 

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Golden Triangle近傍180915

雨期とはいえ日本の梅雨のように一日中じめじめしているわけではなく、夕立の親方みたいなのが雷と一緒に大粒の雨を落としたら、大喧嘩が済んで綺麗さっぱり仲直りしたような青空が広がる。内陸のせいか文明の汚染が少ないからか、澄んだ大気を透かして強い日差しが降り注ぐ。広い農地に稲が揺れ、遠方で山の稜線が複雑な線を描く。なぜか無性に懐かしかった。

 

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そのむかし埼玉県は浦和市で新聞配達をしていた頃むしゃくしゃする日はバイクを飛ばして郊外に出た。田んぼに稲穂が揺れ、子どもがザリガニを釣って遊ぶのを見ていると妙に心が落ち着くのであった。ぼくは農家の伜だから稲の記憶が染みついている。中国南部を含め、ざっくりこの辺りが稲作文化の発祥の地のはず、記憶の片隅にある原風景なのかもしれない。

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Chiang Mai 180910 旅行社の入口に張られていたポスター

チェンマイでは外国人客に田植えをさせる観光農業がある。麦文化の彼らに水田の記憶はなくても足の裏に艶かしく大地を感じる原始の悦びは残存しているのだろう。白人の若者も裸足で田んぼに入って嬉しそうだ。

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梼原町千枚田050523

高知の山奥、四万十川の上流で棚田の一角を借り、にわか農業にいそしんだことがある。四万十川だから年会費4万10円という根拠があるようなないような数字を大阪の新聞社で働く友人と割って2万5円を出し合った。田植えと稲刈りには同僚を連れて手伝いにきた。編集を担当していた一人 が「この写真は一面ですよ!」とおだててくれた一枚である。

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千枚田051015

標高500mの山の斜面に田んぼがある。言ってしまえばそれまでだが、かつては鬱蒼たる原始の森で、そこに機械と化学肥料が入ったのはごく最近の出来事だ。木は鋸で伐り、石を集めて法面を補強し、牛と一緒に耕した長い歴史が形として残る。その一角を借りてぼくらは観光農業を愉しんだ。参加者の労力を経費として算入し、大阪往復の高速料金も含め一切合切を収穫したお米で割ったら一握り1万円ほどの計算になった。「あんたら大事な休暇とおカネを使ってこんなとこで稲刈りして何が嬉しいの?」と問うたら元々口は達者な人たちだから、それなりの返答は戻ってくるのだが、今ひとつ言葉に実感がない。言葉は目と頭で組み立てるものだが、田植えや稲刈りは骨と筋肉の労働だから微妙なところは言葉に直せないのだろう。

 

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Golden Triangle近郊のインディカ米180915

お米には細長いインディカ米と丸くて太いジャポニカ米がある。アユタヤAyuttayaの遺跡を廻っていたらチェンライTiang Raiにいる友人から「遺跡の煉瓦には強度を上げるために籾殻が混じっているはずだ。それはインディカ米かジャポニカ米か確認してくれ」という不思議なメールが届いた。へぇ~遺跡にはそんな見方もあるんだと思いながら塔の欠け目や道端に転がっている破片を探った。

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インディカ米の細い籾殻が混じる遺跡の煉瓦180908

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アユタヤAyuttaya180908

お米が人口をつくり、人口が権力と建築を生んだ。広々とした大地で土を捏ね、自然の素材を限界まで積み上げて得た高さには威厳がある。同時に塔の丸みが人を優しく迎える。

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民族衣装で記念撮影180909

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貸衣装の着物で京都の街を歩く外国人客みたいなものだろうか!?

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異教徒に破壊された仏像の残骸180908

仏像は砂岩を何体かに分割して彫り、設置時に組み立てる方式のようだ。

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瞑想する仏頭180908

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絞殺木からお顔を見せる仏さまの前で記念撮影する女性180908

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仏様とツーショット180908

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この標識が日本語で書かれているのは恥ずかしい。180908

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観光用とはいえアヤタヤでは象がフツーに街を行く。

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象の背中から見た街の風景。角度を付けて見下ろすとえらくなったような気がする。これ以上の高さを求める人はキリンの首にぶら下がる他ない。象の背中でこの一枚を撮るのは難しかった。

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観光客を乗せたときは、あっちへ傾きこっちへ傾きしながらゆっくり歩いてくれるが、急ぎ足だとけっこう速い。トップスピードは200m後半のウサインボルトと同じ100m/9.2秒というから相当なものだ。軍事用の象が戦闘状態に入ったら地べたの兵隊は怖いやろな、、お米が作ったタイ文化というところに無理やり遺跡を引っかけてこの段おしまい(^^


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日本ところどころ⑰ 土佐の沿岸 年寄りの、、パラグライダー

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仁淀川河口 140712

陽が昇って山の斜面が暖められると上昇風(サーマル)が生れる。その風をうけて翼(キャノピー)を膨らませ、断崖絶壁の海鳥よろしく急斜面から空へ飛び出すパラグライダー基地が土佐市石土ノ森にある。大会時には青空に色とりどりの翼が浮かぶ。

翼の上を流れる気流と下を流れる気流の気圧差によって↑ベクトルの揚力が生れ、↓ベクトルの重力とのバランスの中でパラグライダーは滑空する。降りるだけの落下傘とちがい、パラグライダーの翼が横長の形状をしているのは、要するに飛行機の翼と同じ原理だからである。

鳥が風を受けて空中で停止し前進できるのは羽で風を切り、揚力を得るからだ。発艦前の戦闘機を載せた空母が風上にむけて全速で航行するのも、ヨットやウィンドサーフィンが角度を付けながら風上に進むのも同じ原理なのだと積年の謎がぱらぱらと解け、地震や火山の背後にプレートテクトニクスがあることを知ったときのように感動した。

トンビが高い所でゆっくり廻るように上昇風に乗ったパラグライダーはのんびり空に浮かぶ。しかし日が落ち大地が冷えて風が下降気流に転換すると、みずから推力を持たないハングライダーは墜ちてしまう。

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それでは面白くないからプロペラを回して強引に進めというのがモーターパラグライダーだ。これなら燃料が尽きるまで飛べる。ただし推力があるからといって、どこからでも飛び出せるものではない。一定の広さがあり、ほどよい風が吹き、近場に電線がなく、うるさいことを言う行政も警察もいないという難しい条件をクリアできる場は滅多にないそうだ。土佐市仁淀川河口はモーターパラで遊べる条件を全て満たす稀少な場らしく、岡山ナンバーの車も見かけた。

f:id:sakaesukemura:20190616035528j:plain海風を受け

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翼が浮いたところで、

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回れ右

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海に向かってテイクオフ!

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自分もこの位置からの眺めを体験してみたいのだがカネと勇気がない。いつかどこかでお試し料金を払い、まずは膝に乗っけてもらおうかと、、

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飛んだのはお母さん
お洒落なお嬢ちゃんも両手を広げて→Go!
やれ肖像権だ個人情報だと難しい時代なのでネットの写真には非常に気をつかうが、この子はほんとに可愛かった。とても気に入った一枚なので無許可掲載をご容赦くださいな。

f:id:sakaesukemura:20190616035720j:plainお次はお父さん

f:id:sakaesukemura:20190616035739j:plainちなみにこの子のご両親は車に機材を載せて岡山から来たパラファンだった。海岸沿いを桂浜方面から戻ってきた旦那さんは、あのでかい坂本龍馬銅像の前で竜馬と目線を合わせて写真を撮ったという。「この位置からの写真ってないんですよね」とつぶやいていたから映像の仕事をしている人かもしれない。雑談の後でアドレスを聞き写真を送ったら喜んでくれた。

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隣にいた人が「あの方にはカメラを向けないでください」と言う。肖像権の問題かなと思ったら、このおっさんは観客を意識すると派手なパフォーマンスを披露して危ないからだそうである。

f:id:sakaesukemura:20190616035823j:plain「危ない」とは何かと考えながらカメラを向けると翼が傾いた。派手に舞ってくれると撮り手は嬉しいが、この角度で体を左右に振って失速したらどうなるのだろう? 徒然草に似たような話があるのだが、ひょっと渚に水着姿の女性が見えたりすると神通力を失って墜落するかもしれない。

かように豊かな人生を送る趣味人たちは普段なにをしているのだろうと思い、簡易テントに椅子を並べて談笑するおっさんたちに混じり込んだ。河口周辺は施設園芸が盛んな土地で趣味仲間は農業をしているそうだ。土地柄ビニールハウスで茄子や胡瓜を作っているのだろう。ウチはトマトだから同業者だ。

夏目漱石によると初めてナマコを喰った人間は「偉大なり」とある。モーターパラにおいても勇気ある一人が決死の覚悟で空に舞い、やがて弟子が生れ、孫弟子が続いて仲間が増えたのだろう。岡山のご夫妻もここでワザを伝授してもらったそうだ。地元民は全員が60代から始めたという。どうやら「カメラを向けると危ない」おっさん(ないしぢっさま)が親分らしく、歳のころは70代という。7月は野菜の端境期で農閑期にあたる。こんな仲間とテントの日陰でだらだらと趣味の話ができるなんてつくづく羨ましい。


180813記


追伸
けっこう笑えるビデオを載せたのですが、なぜか動きません。
どうやったらアップできるのでしょうね?

日本ところどころ⑯ 土佐の沿岸、年寄りに、、ヨット

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土佐清水市140616

この町には昔ながらの銭湯が今でもフツーに営業している。番台を挟んで男湯と女湯が分かれ、壁越しにおばさんたちの世間話が聞こえるアレだ。大学を出て初めて仕事に就いた町でもあって懐かしく、通りかかったついでに手拭いを提げて歩いていると、この港では滅多に見かけないヨットが停泊していた。ひとり旅の船長さんはデッキで夕食の構えをしているところだったが、お邪魔を承知で声をかけた。


愛知県を出発し和歌山から徳島、香川、愛媛と伝って今日ここに着いたそうだ。ヨットは帆掛け舟なのに「風のない湾をどうやって航行するのか」というド素人の質問にも「小さなエンジンは付いていますから」と丁寧に応えてくれた。港は漁師の仕事場だから遊びの船は嫌がられるのではないかと思っていると「湾の入り口で迷っていたら漁船がここまで誘導してくれた」そうである。どんな船でも船乗りは仲間を大切にするものらしい。


板子一枚下は地獄の海で他者をいたわることは危機時の自分に保険を掛けることでもある。共通の利害で結ばれた強い仲間意識が海にはあるのだろう。救難信号を捉えた漁師は「網を切ってでも行く」と聞いた。逆に言えば個人主義が暮らしの隅々まで行き渡り、困ったときには、お隣さんではなく役場に電話するオカ住まいの者には眩しい紐帯だ。


ご老境にさしかかったかなという風情の船長さんに「海のお仕事をしていたのですか?」と尋ねると、海とは関係のない仕事をしてきて退職した。自分は今70歳である。この歳になって免許を取った。中古のヨットを求めて伊勢湾を出た。2級小型船舶免許だから陸から5海里(9㎞)しか離れられないが、今の自分にはこれで充分、毎日が勉強だ。出航して1ト月が過ぎた。これから四万十市須崎市と上がって高知港へ入り、その後もう一度瀬戸内海へ向かう、、等々。お顔から判断するに事務系、技術系のお仕事をなさってきたのかなという穏やかなご老人であったが、遊びとはいえ若い子だってためらう海の一人旅を堂々とやっていることに退職2年生のぼくは畏れた。


加山雄三はあの歌しか知らないから取り立てて同情する理由もないけれど、自由自在に移動できる海の別荘を火事で失ったら深い喪失感に襲われることだろう。焼けたクルーザーはニュースで取り上げられたが後日報は聞かない。心機一転つくり直しているのだろうか。石原慎太郎東京都庁へ週に何度か顔を出し、記者会見で某紙記者をドヤし倒せば後の時間は自由だったらしい。記事にはならないが彼はヨットマンだから世界の港を渡ったことだろう。尖閣に港をつくれという発案はヨットから生れたのかもしれない。


お金持ちなら問題ないがヨットとなると物入りだろう。それは庶民の手が届かない遊びなのだろうかと考えてネットを探ると中古のヨットなら30万円ほどで売りに出されているのであった。新造船は論外として、主を失った中古船は粗大ゴミだからエンジン付きのクルーザーでも普通車ていどのカネで手に入る。これならぼくでも、、と踏み出す前ならなんとでも言える。

 

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日本ところどころ⑮ 宿毛湾の樫西海岸

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宿毛湾の樫西海岸140124

物部川を舞台に「川歌」を描いていた故青柳祐介さんは「山のプールをぶっ壊せ」というのが口癖だった。学校の傍に清流が流れ、少し手を入れれば天然自然のプールができるのに四角四面のコンクリートの箱に子どもを放り込むなんて愚かだ、とぼくも思う。「ごっくん馬路村」のボスターようにカナツキ提げてあっちの瀬こっちの淵で鮎を追いかけるのが小中学生の正しい夏休みなのである。


では海はどうかと言えば、近場に渚のある学校は滅多になく、あっても学校の先生が児童生徒を引率してとなると責任重大だから誰だって二の足を踏む。だから今の若い人は子どものころ海で泳いだことがないのだろう。記憶がなければ欲望は湧かない。ちかごろは海の家も閑散としているようだ。


ここ5年ほど暇さえあれば旅に出て北海道の先っぽから沖縄の南の端まで日本の海沿いを眺めたが、宿毛湾の樫西海岸ほど豊かで安全な海水浴場は思い出せない。見てよし、泳いでよし、干潮時には小島につながる砂嘴が広々とした潮溜りをつくり、潜れば珊瑚に囲まれて色とりどりの魚が遊ぶ。


太平洋を見渡す小高い緑地には誰にも断わらずにテントが張れる。清潔なトイレの脇には真水がたっぷり使えるシャワーがあってしかも只ときた。浜辺でバーベキューをしても世知辛いことを言う大人はおらず、むしろ人影のまばらな寒漁村に若い子の華やいだ声が届くと村人は嬉しいのかもしれない。

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樫西海岸 フジXP200使用160730

プロの作品に比べたらお恥ずかしい一枚なのだが、まるで緊張感のないコロダイ君(高知でコタイ)の顔は見て疲れないのでiPadの初期画面に設定して長くなる。けっこう気に入っているのだけれど趣味の写真は撮った本人の思い入れが一杯だから人様の目にどう映るかは自信がない。


どうやって撮ったかと言うと、通常はウェットスーツに鉛のウェイトを付け軽い浮力を残して海に入るわけだが、フィンをばたつかせて潜ると魚は逃げてしまう。追いかけても無駄だから一計を講じた。


浅場で板状の石を拾って腹に差し込み、思い切り息を吸ったところで浮力を完全に中和する。目的の海面で軽く息を吐くとやがて体は沈み始める。いったん浮力を失うと急速に沈降するのが不思議だ。水深計で5mほど落ちたところで底に着いた。それなりに水流があるから左手で岩をつかみ右手を伸ばしてシャッターチャンスを待つ。水中カメラは焦点距離が短いので魚はカメラのすぐ先にいるのだが、上から黒い物体が自然な速度で落ちてきたからか、魚は怪しむことなく、むしろ好奇心に駆られたかのようにこちらを伺う。


ダイビングのお師匠さんに写真を見せたらコロダイの流し目を面白がっていた。ひょっとすると魚にも人間の前頭葉に当たる感情の部分があって、怖いもの珍しいもの見たさに寄ってくるのかもしれない。そうこうしているうちに息が切れる。魚は余裕たっぷりだけれど、こちらは天井へ浮き上がる時間を残し、ぎりぎりまで粘ったところでゲームは終わりだ。

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樫西海岸160730

間を置いて落ちると今度は別の魚が行進してきた。右向きに泳いでいたかと思うと一斉に反転し左を向く。海の魚は水族館の同属と何かが違う。

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樫西海岸160730

場所にもよるが、海の底には多種多様の魚が共存している。色も形も口の大きさも違うので同じ餌場でも様々な食餌行動をしているのだろう。鳥が異なる餌を求めて棲み分けるように魚もまた共存共栄の網の目でつながっているに違いない。

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ボラの回遊140123

ニコンの一眼をChina製の簡易ハウジングに入れて撮ったが、ビニール袋にアクリルの目玉が付いた安物ハウジングは非常に使い勝手が悪い。かといって専用のハウジングは無茶苦茶な値段なので手が出ない。画質を問わなければ海でも山でも使える小型カメラが一番だ。フジXP200は10mていどの素潜りなら何の問題もない。15m/water proofとあるのでたぶん20mくらいの安全計数は掛けているだろう、と勝手に解釈してダイビングに使ったら故障した。デザインがとても気に入ったのでアマゾンで中古品を買い直したが、水に漬けた途端にぷくぷくと小さな泡が出てレンズが曇った。中古品には当たり外れがある。南の島で海亀と一緒に泳いだとき悔しい思いをした。

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キビナゴの群れ140123

魚屋の魚は一匹二匹と数えるが、海の魚は一群れ二群れと数える方が正しいのではないだろうか。数百羽もの椋鳥の群れが伸びたり縮んだりしながら空中を舞うようにキビナゴの群もまた無数の個体が集まって秩序ある全体をつくる。ヒトの体も個別の存在でもある細胞の集まりだ。ひとつの思想が与えられれば個々人が束ねられて全体が靡く精神的共同体でもある。個を強調する近代の考え方は生きものとしての人間には無理があるのかもしれない。

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141013 14:07

その樫西海岸に台風が来た。丸い青空はまぎれもなく台風の目である。沖合から吹きつける雨混じりの風に背を向け、一瞬の呼吸で振り返って、防波堤に打ちつける波濤を狙った。

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141013 15:13 樫西海岸

台風一過、軽い爆発音を残し堤防に打ちつけた波が舞い上がる。東北の人は思い出したくない光景かもしれない。

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141013 15:50土佐清水市叶崎

風は止んだが、白濁した海面はなお沸き立つ。海が見たくて高知を訪ねた観光客には、これ以上はない光景だろう。


180801記