海事つれづれ五目めし200504 塩の道(1  

 

 

 

 

 

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高知県黒潮町佐賀131130

「土佐の一本釣り」を描いた故青柳裕介氏は環境がらみで演壇に立つたび「田舎の小学校にプールを造るのは最低の行為だ。四角い箱の塩素水に子どもを放り込んでどうする」と嘆いていました。「すぐそこに綺麗な海があるのだから海に連れて行けばよい。山の学校なら川で学べ。しかるに日本の教育行政は、」と喋りだしたら止まらない。やおら会場から手があがり「そうは言っても、」と反論されると「まああなたね、たかが漫画家の言うことだからムキにならなくてもいいじゃない」と逃げ口上をかまえているので喧嘩にならない。

 

太平洋に向けて両手を広げ、四国一の面積を誇り、人口自然減に一番乗りしてどんどん過疎化が進む土佐の高知は、カネがうなる三密のクニよりずっと自然は豊かです。1人当たり県民所得256万円(平成28年度)はざっくり東京の半分ですが、別の指標を持ち込めば最終ランナーが一番になることだってあるので、ものは考えようです。

 

 

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黒潮町佐賀の製塩場131130

高知県黒潮町佐賀の海沿いを走ると照葉樹の森から海が見えます。黒潮洗う太平洋岸は磯遊びにはもってこい。その清浄な海水を天日で煮詰めて塩作りを始めた知り合いがいます。かつて塩とタバコは専売公社が独占していましたが、研究用という名目でお目溢し的に公認されたグループが伊豆大島におり、そこで修行したO氏が地元佐賀へ戻って始めたのが「土佐の海の天日塩あまみ」でした。

https://sumireya.org/blog/creators/p3291/

今となっては昔のことだからよく覚えていませんが、氏と面識を得たのは90年代の半ばだったように思います。当時ぼくは仕事以外のことなら何でも面白かったので、彼と知りあったのは反原発の集まりか、自然環境を考える市民の会か、まあそんなところだったように思います。1991年に元NHK職員の橋本大二郎氏が高知県知事として舞い降り、刺激された市民グループが雨後の筍みたいに顔を出したので、覗いてみたい議論の場が職場の外に一杯ころがっていました。バブルの峠は越えましたが、まだしも社会に余裕のあった時代です。

 

 

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海水を汲み上げ屋上から散布する製塩場131130

1997年に塩専売法が廃止され、O氏の塩づくりが本格的に動き始めました。佐賀の海から水を汲み、タワーのてっぺんから撒いて、風と光で濃縮する。それを煮詰めて塩にする。原理は単純ですが、作業には熟練のワザと情熱が要ります。さすがに今では誰もやっていないでしょうが、塩づくりを始めたころ氏は、町を廻っててんぷら油の廃油を集めていました。反原発→エネルギー使用の最小化→廃油利用という真面目な流れです。書から得た知識で大言壮語する人は一杯いますが、理念を体で翻訳できる人は滅多にいません。

 

 

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佐賀の海岸線を更にのぼった熊野浦の製塩所131130

文明が進むと自然が汚れ、清浄な海の水を求めて塩作りは奥へ奥へと進みます。人里離れたこの辺りが日本最後のフロンティアなのかもしれません。上記サイトで女性3人グループがレポートしているように元はと言えばO氏が手さぐりで始めた製塩所から仲間が広がり、ぼくの知るだけで国道56号線に2カ所、佐賀の海岸沿いに3カ所あります。

 

 

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新潟県鼠ヶ関「ミネラル工房」151018

京都は若狭湾にどっさり置かれた原発を訪ね、福井、石川、新潟と日本海沿岸を原発行脚していると右手にでっかい看板が見えました。

 

 

 

 

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地べたに生えた三角形の後ろに湯煙が見え、裏へ回ると、

 

 

 

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平底の釜に廃材が突っ込まれ赤い炎がゆらいでいました。作業場はここしか見ていないので自信をもって言えませんが、釜の海水は既に何らかの方法で濃縮されたものだろうと思われます。が、ひょっとすると海の水をそのまま沸騰させていたのかもしれません。とすれば大変な薪が要るわけで、、

 

鍋に塩水を入れて実験するとすぐわかりますが、与えた熱量に対し鍋底に付着する塩はわずかなものです。かりに濃度3%の海水をそのまま煮詰めて鹹水をつくり、塩に変えるとすれば膨大な薪が必要になります。そこで昔の人は海藻を使い、最小の熱量でたぶん灰だらけの塩を作ったわけです。そこから「藻塩焼く」という枕詞のような用語が生れ、歌に情緒が付加されました。

 

佐賀のグループはまず天日と風で濃い塩水(鹹水)を作り、それをビニールハウスで更に濃縮するという手法を使っています。自分の経験で言えばビニールハウスに夏場の日が差し込むと温度計は見る見る上昇し、40度を超す中で作業していると汗のプールで泳ぐような錯覚に襲われます。いったん外に出て冷水をガバガバ飲み、シャツの上から水をかぶって再び出撃^^! てなことを繰り返しているうちに日が傾き、38度くらいになるとオヤ涼しくなったなと体が感じますね。佐賀の塩づくりも楽な仕事ではないだろうと思います。

 

 

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写真説明

左から伊勢物語東下りの段。檮原町のチムジルバンに使われた岩塩。お土産に貰った100%All natural hand harvested SEA SALT ←Thank you for your comment Deborah. This is the salt from Florida you gave me as a gift. ウイーンでモーツァルトを聴いた友人からお土産にもらった薄い色が残る岩塩の粉末。みんなが知ってる食卓塩。新潟県笹川流れというエレガントな地名の海岸で作られた真面目な塩。特別出演はウチのハナでした。(つづく)

200504記

 

 

 

海事つれづれ五目めし200501 上ノ加江港4 蜂もいろいろ

 

        

 

 

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蜂の巣箱を誘因蘭キンリョウヘンが挟む200419

ハチは西洋ミツバチと日本ミツバチに大きく二分類されます。西洋ミツバチは長く人間に飼育され家畜化したそうですが、日本ミツバチには「逃亡癖」があり思春期の中学生みたいによく分からない理由でぷいと出たきり戻らないとか。両者とも蜜を採る蜂として一長一短あり飼育家は苦労が絶えないのだそうです。

 

そのミツバチを特定の蘭で誘因するお話を、借用したビニールハウスの改造中、たまたま出会った蘭の研究家に伺いました。ナスやトマトのハウス農家は受粉の媒介にマルハナバチを使いますが、気まぐれなミツバチを蘭で寄せるなどという話は聞いたことがなく失礼ながら、ほんまかいなと警戒しつつ耳を傾けたことでした。作業中のハウスに腰を下ろし、蘭のこと、蜂のこと、ネパールにある研究所のこと、ブラジルで成功した一番弟子が招いてくれたことなど退職前の仕事時代には訊くことのなかった異業種の興味深いお話を伺いました。

 

後日研究所を訪ねると蘭小屋と呼ぶには大きなビニールハウスに多種多様な蘭がびっしり並んでいました。かつて南方熊楠の本を読んでいたとき梛木蘭ナギランの話が出てきたことを思い出し、メジャーな蘭ではないはずだからどうなのかなと思いつつあえて問うたらすっと見せてくれました。専門家というのはどんなことでも瞬間反応してくれるものです。業界では有名な方なのでネットで検索すればすぐ分かりますが、勝手にお名前を掲示するのは控えます。

 

 

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巣箱の入口でホバリングするミツバチ200419

そのことが頭にあったので上ノ加江の農地で両脇に蘭をぶら下げた養蜂箱を見、あの話はこれかと思い当たりました。田舎道を歩いているとよく崖に置かれた養蜂箱を見かけますが、蘭とセットの蜂の箱を見たのは初めてです。

 

ぼくが大学を出てふらふらしていた頃だから1970年代、高知では蘭がバブルでした。特定の蘭が白木谷というところにあり野生種が徹底的に探され、山は荒れ、ホルモンがどうとかで土まで持ち去られる始末でした。当時ぼくは大学商学部を出た友人に雇われて学習塾で教えていたのですが、何かの拍子に「蘭という花の価値」について問われたことを覚えています。蘭の花は優雅で繊細で美しいからみんなが大金を惜しまないのだろうと素朴に考えていた自分がバカでした。

 

あのとき彼はケインズ美人投票「投票者は自分自身が美人と思う人へ投票するのではなく平均的に美人と思われる人へ投票する」という投資家の行動パターンについて論じたかったのでしょう。しかしオレが相手では話にならなくてがっかりしたのではなかったか、そこから派生してオランダのチューリップバブルに話題が飛んだりすると豊かな時間を愉しめたはずですが、無知なる者にわざわいあれでした。

 

洋蘭が厚化粧の美人なら寒蘭は楚々とした少女のような花です。好みは人それぞれ花はどんな花でも美しく蘭もまた誰の心にも眠る憧れの玉手箱を開いてくれるものですが、キンリョウヘンという洋蘭には、抽象的な美ではなく、蜂を集めて蜜を採る実利的な効果があり、ひと言でランと呼んでもいろいろだなと思ったことでした。

 

 

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ハウスのクロマルハナバチ151212

トマトの花をご存じでしょうか?  菜の花のような黄色い小さな花を咲かせます。日本の子どもは「菜の葉に飽いたら桜にとまれ」だなんて不倫を匂わせる歌をならいますが、ずんぐりむっくりのクロマルハナバチはトマトの花の「花から花へ」とまったり遊んだり、たまにサボタージュしたヤツがトマト箱詰め担当のぼくの手元で休んだりします。大人しくて可愛い蜂なのですが、在来種保護のため外部環境に放出してはならないという農業ルールがあり、お別れの際はとても気の毒なことになります。

 

 

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強く齧ると成長したトマトの実に傷が残るのでそっと頼むよ151212

蜂は蜜を求め、花は受粉のためにWin Winの関係が成立すると言えば、それもひとつの真実なのでしょうけれど、つくづくこの世のいのちの仕組みは不思議です。太陽から絶妙の距離を置く地球という惑星に蜂と花が生れ、両者に信じがたい関係式が成り立つのはなぜか、とてもじゃないがドローンを揚げビデオをスマホで送ってどや凄いだろといったレベルの話ではありません。科学の尖端で競う研究者はある日「神が見える」などと、粗雑な思考しかできない人にはオカルトかよと斬って棄てられそうな言葉を呟くそうですが、まだ説明されていない摩訶不思議な存在がぼくらの足元には無限にわだかまっています。

 

蛇足ながら、夏の日にふと書斎を見上げるとお尻が絵に描いたように縞々のスズメバチが天井に30数匹もとまっていました。たまに孤独な脚長蜂が迷い込んでくることはありますが、スズメバチの群れとなると話は別です。暑いから涼みにきたのか、分蜂先を探していたのかわかりませんが、こいつはヤバイのでどうしたものかと考えた末、部屋を閉め切って燻蒸剤を焚きました。ガラス窓にへばりついて落下し転がった黄色雀蜂の姿がやや哀れでしたが、こいつとムカデはちょっとねです。

 

そのあと家の周りを点検すると窓際にソフトボールより一回り大きいズズメバチの巣を見付けました。ネットを検索しているうちにスズメバチの駆除請け合い業まであることを知りましたが、蜂ごときに何万円も払うのは嫌なのでカッパ長靴ゴム手袋を身にまとい手作りネットを頭にかぶって「喰らえゴキブリ凍殺ジェット」の冷気スプレーで瞬殺しました。可哀相な気もしますが、蜂もいろいろ命もいろいろです。

 

 

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上ノ加江漁港200419

五目釣りとは、特定の魚を目的にせず、釣れた魚を対象魚とする至っておおらかな釣りのことです。「海事つれづれ五目めし」と名付けたのは「渚の温泉野郎」の真似をして釣れた魚をその場で五目飯にしてやろう、できることならあの奇抜な人工温泉も体験してみたいと考えてのこと。ひと通り道具は揃えたのですが、仕事休みと海の状況がぴたりと一致する日は滅多になくてまだ実現していません。向いの港から出航し手前の海でルアーを引こうと思っていますが、子ども騙しの疑似餌に魚が食いつくのだろうかとはなはだ疑問なのですけども、釣れなくても景色はきれいだし、写真は撮れるし、非常事態宣言が出たからと言ってここまで追いかけて来て文句を言う人もいないだろうということで近々挑戦します。

これで上ノ加江港の段は終わりです

200501記

 

 

 

追記

さきほど福島県大熊町で除染作業をしている知り合いから電話がありました。津波放射能、コロナと大災害が続くフクシマは大変です。なぜかメディアは人命優先を疫学的に強調しますが、仕事あっての命でもあるわけで、視聴者に判断材料を与える合理的なニュースをバランス良く流してもらいたいものです。

海事つれづれ五目めし200428 上ノ加江港周辺の野山3 

 

 

 

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上ノ加江の山の麓でひっそりと田植えを待つ苗200419

上ノ加江と言われても高知の人だって普通は知らない過疎の村です。その村の小さな田んぼさえ区画整理され農機が入るようになったから苗は四角い箱になりました。そのむかし田植えは人力で行なわれ、早乙女と呼ぶには抵抗があるわが母も親類縁者の応援を得、水を張って鏡になった田んぼを揺らしたものです。細かく語ればキリがないのですけれど、あの時代の農村風景は忘れてはならない日本の原形だと思います。

 

 

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桁外れの面積を十条植えの田植機が緑に変える秋田県八郎潟の田植え130520

元はと言えば干拓地の八郎潟Google Mapで覗くと顕微鏡で覗いた半導体のように区画されています。高知ではありえない広さだから「いやあ広い田んぼですね~」と驚いていたら青いカッパのご主人は言ってる意味が分かんねえという顔でこちらを向きました。彼は北海道から入植したそうなので田畑が広いのは当たり前「近ごろは1町5反の田んぼが流行っていますよ」と平然と言う。1町5反といえば満洲から復員したぼくの父が母と二人でせっせと働きあちらこちらに分散して買いためた全面積より広い。トマトを作っているウチのビニールハウスが3反≒1000坪だからその5倍→5000坪wもしもこの田んぼがビニールで覆われていたら見るだけでヤル気を失いそうです。

 

 

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10条植えの田植え機なんて高知では見たことがない130520

こちらを向いた女性は東南アジアからの農業研修生かもしれません。ウチの隣の韮農家ではベトナムの若者が4人ほど働いています。文旦農家の親戚はずっと前からフィリピン人を雇っており、3年かぎりの契約だからもう何人も入れ代わったようで「人にもよるけどみな良く働いてくれる」と満足しています。

 

 

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苗と一緒に延効性の窒素肥料を積み

 

 

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行って戻って20条!

 

 

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瞬く間に田植えは終わった130520

今どきの農業の最終目的は収穫物の向こうにあるカネだから市場原理が総てを仕切ります。群馬県嬬恋村の見事に太った出荷前のキャベツ畑がトラクターで均されてもそれは価格変動期における正当な行為なので嘆き悲しんではいけないのです。自分でやって分かったことですがトマトの市場価格もオシロスコープのツマミを回したように激しく上げ下げします。「箱代もない」というのは農業関係者がうそぶくときの決まり文句ですが、一度だけ本当に箱代もない日を経験しました。だから数字が限界を超えたら畑を潰す他ないことは分かってんだけど作り手としては何だかなあと「ぢっと手を見る」ぼくたちなのでした。

 

手植えが機械植えに変わっても田植えと聞けば松尾芭蕉の「田一枚植えて立ち去る柳かな」が思い出されます。ためしにネットを覗いたら凄い量の書き込みがありました。俳聖を前に必死カッパの俳諧オタクが侃々諤々の議論を続け、なかには旅の芭蕉が早乙女と並んで田植えを手伝ったというボランティア説もあったりして微笑ましい光景ではあります。芭蕉が見た目前の柳は私淑する西行の「遊行柳」と重なります。春風に吹かれ、揺れる柳のむこうで早乙女のおみ足が、泥田に差し込まれ、抜かれしながら緑が広がったにちがいありません。

 

 

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かつて四国を制覇した長曽我部元親を祀る高知市若宮八幡宮の「どろんこ祭り」190406

「どろんこ祭り」の見物客は、田植えを終えた早乙女に囲まれ、顔に泥を塗られて嬉しげです。顔が泥だらけになることと無病息災がどういう理屈でつながるのかは分かりませんが、まあ難しいことは考えない土佐の祭なのです。たしか「七人の侍」のフィナーレに太鼓叩いて豊穣を祈る田植えのシーンがあったような、、ひと仕事終えたサムライが村一番の美女に手を振ってカッコよく別れるあれですね。

 

農が業となり恐ろしく効率的にコメが作られ、得たものなんぼと通帳見つめてにんまりする時代になりましたが、農は本来マツリゴトであり食べ物を作るのが目的でした。「祭りって何だ?」と問われたらぼくは「人が集まることだ」と応えます。みんなで集まって田植えをし、御馳走を囲んで収穫を祝い、自然に生れる井戸端会議の中で仲間意識が作られてきました。祭りがあるから社会が結ばれるわけですが、あろうことか今年はよさこい鳴子踊りも中止になりました。人が集まっちゃいけないのだそうです。

200428記

海事つれづれ五目めし200426 上ノ加江港周辺の野山2

 

 

 

 

 

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2020年4月19日のソメイヨシノは花が終わって若葉もりもりやがて毛虫が垂れ下がってきますね(^^

 

 

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山形県天童市130516

パッと咲いてパッと散るのが桜ですが、長く花を見たい人はバイクで山へどうぞ。標高500mほどの高知県檮原町では4月の桜に雪が積もったことがあります。1000mを超えると5月に入っても山桜が愉しめます。緯度で花見を稼ぐなら北海道へどうぞと言いたいところですが、残念ながら今年4月25日~5月12日に予定されていた松前公園の桜まつりはアレで中止になりました。

 

 

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秋田県鹿角八幡平の林檎畑130526

東北では桜と一緒にリンゴの花が咲きます。

 

 

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秋田県十和田湖畔130526

高知の5月26日に桜の花を覚えている人はいませんが、標高400mの十和田湖ではやっと花見の季節です。北海道は宗谷岬から沖縄は西表島までひと通り歩いた今つくづく日本はタテに長い国なのでした。ぼくが小学生のころ日本は小さな島国だ。島国根性はいかんぞと教えられました。中学生のころ世界地図を広げ、なるほど中国はデカい。海の向こうのアメリカはカリフォルニア州だけで日本列島ほどの面積がある。日本はちっぽけな島だ。戦争しちゃいけないんだと思いました。

 

高校の体育祭では全校生徒がグランド一杯に円を描いてフォークダンスを踊りました。心の中ではなぜオレらがアメリカのダンスを踊らねばならんのかという疑念が湧きましたが、女生徒の手のやわらかさにどきどきして反抗する理由は消えました。それやこれやで子どもの頃から擦り込まれた矮小観念は長く残りましたが、晴れて自由の身となり、旅をし、書を読み、違う職業人と交わりながらオレっていったい何をしてきたのだろう。巨大なOS上の小さなアプリの末端でわけも分からず走っただけのことかと反省しきり、、

 

 

 

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虎杖

高知のスーパーマーケットには、お店の入口に青空市場が作られ、季節の野菜が格安で置かれます。農家のおばちゃんはバックヤードのパソコンで好き勝手に値決めしとれとれのナスやキュウリの袋に貼り付ける→客の目に野の色香が飛び込み、普段は体の中に隠れている畑の郷愁が呼び覚まされるという仕掛けです。さりげなくセットされた青空市場の向こうには、どこにでもある商品が並んでいますが、客は入口の新鮮マジックにやられ、つい要らないものまでカゴに入れてしまいます。誰が発明したのか知らないけれど、お店の中にお店を作り、客の呼び込みに青空市場を使う販売戦略はちょっとした革命ではないでしょうか。季節のイタドリも一束200円くらいで並びます。

 

 

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可憐な花を咲かせる豆

かく言う自分もトマトを袋詰めにし、自分で値決めしてスーパーの青空市へ持ち込んでいます。今年は実験的にいんげん豆も置かせてもらいましたが、豆は採る作業が大変で人を雇い労賃を払ってというビジネスにはならないことが分かりました。あれは農家のおばあちゃんの小遣い稼ぎか、3ちゃん農業の無賃労働でしょう。

 

ウチは出荷した残りのトマトを青空市へ持ち込んでいます。本業でないから心に余裕があり、せっせと袋詰めして今日はなんぼで売ろうかと考えたとき、まず頭に浮かぶのはお隣さんの値札です。青空市は戦場の修羅場ではないので隣が230円なら前後10円程度の幅で上げたり下げたりしますね。むかし学校でモノの値段は「見えざる手」が決めると習いましたが、見えざる手ってオレの手だがと、、スーパーの青空市では近くの畑で採れたものを提げてくるだけだからロジスティクスという大層なことは考えなくてよいし、正規商品にならないものでも畑で痛めるより安い値段で売った方が客も自分も嬉しいという趣味的な売場だと言えば語弊があるでしょうか。青空市で生計をたてる農家もないわけではありませんが、そこまで行くと生産流通販売において別の覚悟が要ります。

 

 

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木蓮

かつて工業高校卒、元プロボクサーという異色の建築家、安藤忠雄が、1995年1月17日の阪神淡路大震災を祈念し白木蓮を植えてはどうかと提案しました。葬儀に白は付き物、街路樹の白で死者を祀るという発案に強い共感を覚えました。木蓮には白と赤があり今の高知は赤いモクレンが花盛りです。

 

 

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拙宅にある黒松の下にバイクを置いていたら花粉が降り積もって黄色くなっていました。アレと合わせてスギ花粉症の人はマスク必携、本当にお疲れさまですが、マツの花粉は問題ないのでしょうか。

 

 

 

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庭に咲くジャスミン

ジャスミン茶を漢字で書こうとしましたが、ぼくのワープロは漢字を知りません。むかし香港からフェリーで広州へ上がり、北京まで列車の旅をしたことがあります。二段ベッドの上段は常時38度もあり列車にはどこにでもマーリーホワ茶が置かれていました。それを水筒に移して絶え間なく飲み、いくら飲んでもまだ飲めることに驚いたものです。ジャスミンの香を嗅ぐたびあの時代のChinaを思い出します。

 

タイムマシンがあったら明日にでも行きたい国ですが、監視独裁弾圧侵攻肺炎、文化大革命に先祖返りしたかと思われる今のChinaはちょっとね、です。まさかこんな事態になろうとは、と思うものの振り返ってみれば思い当たることは色々あるので世界中が中華儒教に一杯喰わされたとしたものでしょう。

 

いま巨大なストレスが欧米を襲い、憎しみはChinaに向けられています。歴史の車輪が逆回転しAmericaとChinaの序列が入れ代わるのか、あるいは回転を止めた瞬間ABC兵器を持つ国々が軍事的に対立するのか、それとも人類の叡知が武闘国家の人心を平らかに治めるのか、揺れ動く国際情勢の中で日本はどう振る舞うべきかが鋭く問われています。が、日本のメディアには恐ろしい未来は見まいとする圧力があるようです。近ごろテレビは見たことがなく新聞も真面目に読む気になれません。

 

縄文弥生の時代から大した内乱もなく続いた日本の歴史をもって「喰うか喰われるか」が譬えではなく本当に喰われちまう大陸の歴史が読めるのかどうか、和の理念をもって負けたら奴隷にされちまう欧州の歴史が説明できるのかどうか。憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とありますが、小難しい解釈はさておき、フツーの国語力で読めばこれ奇怪しいよ。そもそも「に」の字の使い方には国語的な疑念すら抱いてしまうので、さっさと議論しましょうと当たり前の日本人は考えているはず、とまあ思わずムキになってしまいました。

 

この段もう少し続きます。

200426記

 

海事つれづれ五目めし200424 四万十町上ノ加江港1

 

 

 

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両手を丸めた花崗岩の防波堤が海水浴客をまもる200419以下同

 

このブログを眺めてくださる極少数の皆様の中には高知出身の方がいて連休には帰りたいな、でもそんな雰囲気じゃないなと都会で溜め息を付いている人もいるのではないでしょうか。在宅勤務でパソコンと睨めっこしながら、田舎道を歩きたいな、サーフィンーしたいな、釣りに行きたいなと思っている人にはちょこっと見てもらいたい撮れたて写真です。

 

 

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標準レンズで撮った下ノ加江港(キャノンM6に22㎜のパンケーキ)

 

 

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ゴムボートの出航地を探してここまで来ました。いつもは人影のない港ですがアレの関係で休日の行き場がなく、子連れで釣りにということでしょう。近ごろはルアーをひょいと投げてシャカシャカっと引くのが流行ですが、ここは珍しく浮きに餌釣り。埠頭の隣ではご近所さんと思しき仲良し親子が5人ほど車座になってお弁当を開いていました。

 

 

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トレーラーに大層な文句が書かれているけれど、、(^^!

 

この台車ならそれなりの釣り舟を乗せ、白波を残してカッコよく港を出られます。お値段はいかほどだろう、自宅に倉庫があるのだろうか、マリーナに預けたらけっこうなおカネが要るんだけどと、みみっちいことを考えてしまう自分がイヤになりました。

 

 

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4月19日の琵琶はまだ青い

 

 

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今が田植えの真っ盛り

 

4月24日の今日は雲ひとつない空から強い日が差し若葉の緑が眩しいほどです。農業科の先生に「春の葉っぱは何であんなに光るのだ?」と問うたら彼どこかへ消えた後また出てきてペクチンがどうだこうだと説明してくれましたが、よく分からないみたいでした。

 

あらたふと青葉若葉の日の光

 

と詠んだのは元禄2年4月1日の松尾芭蕉ですが、こんな素敵な春の日に全国民が引き籠もりだなんて、、

 

 

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田植機に乗せてもらった男の子をスマホで撮るお母さん

 

 

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田んぼの中の黒いのは

 

 

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これです

 

 

 

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分かりにくい写真ですが上ノ加江の森に残された石垣

 

さほど遠くない昔、日本の里山は陸も島も石垣だらけでした。愛媛県宇和島市遊子水荷浦ユスミズガウラの段々畑は見事なもので、ユンボもトラックもない昔これほどの石をこれほどの高さまで積み上げた農民の執念に恐れ入ります。今は一部が観光用に残されているだけですが、昔の写真を見ると島じゅう隈なく芋畑です。

               https://www.youtube.com/watch?v=rciQ5bIC95k

 

今昔物語集」「宇治拾遺物語」には小舟で遊んでいた兄妹が沖に流され宿毛市沖ノ島にたどり着いて夫婦になったという話があります。その縁起にちなむ「妹背山」は標高404mもあるので海抜0mから歩いて登るとけっこう息が切れます。ぼくは巡航船で弘瀬側に降りたのでいきなり胸突き八丁、ビルの階段を上がるようなものでした。母島側から整備された林道をゆるゆる歩いて弘瀬に下りるのがお勧めです。海から見ると島は森ですが、森の中は妹背山のてっぺんまで石垣が続き、少しだけ想像力を働かせれば島の昔の暮しが見えます。

https://sukumo-darumayuhi.jp

 

 

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宿毛湾を公試航行中の戦艦大和wiki

 

戦艦大和宿毛沖で全力航行したころ沖ノ島は全島だんだん畑の芋畑だったはず、その頃ぼくの母は宿毛市宇須々木の芋畑で鍬を振っていました。娘時代が軍国時代でお勉強の方はさっぱりですが、畑で鍛えた体はたいしたもので92歳の今でも自力で歩きます。

 

妹背山には至るところに石組みが残されています。ああこんなところにも暮らしがあったのだなあ、してみればヤマトの乗組員も昭和20年4月7日に鹿児島県坊ノ岬沖で撃沈されるまで芋飯食べて頑張ったのかなと余計なことまで想像しました。

 

 

 

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徳之島犬田布岬  戦艦大和を旗艦とする艦隊戦士慰霊塔170715

 

上ノ加江の石垣から徳之島まで飛んでしまいましたが、同じ日本だし歴史といっても高々75年前の出来事にすぎないのでイミフな飛躍というわけでもないのかなと、、ちかごろ山川出版「もういちど読む日本史」を買いました。ネットのカキコを見ていると近隣某国が歴史を創作し返す刀で反日をやりまくるという批判があります。しかし遅蒔きながらこれ某国よりむしろ自国の歴史の書き手に問題があることに気が付きました。作られた歴史の伝達員として自分が何をしているのか分からぬまま仕事をし、取り返しがつかぬまま終えてしまったことに反省しきりのこの頃です。

 

歴史には文部科学省がつくる強烈な国家史がある一方、ひとりの人間が生きて考えた個人史もあります。国家と個人の共通の土台は、4つのプレートが集結し、東シナ海で大陸と絶妙の距離を置いた列島の住民であることでしょう。ハンチントン教授は世界の文明を7つに分類し日本を一国家一文明と規定しました。温帯モンスーン地帯にある日本は、地震もあれば温泉もあり、四海に護られ、長い安定の中で、温かく湿った文化を発達させました。そこで生れて働いてぼちぼち先が見えてきた自分とは何であったか、某編集長に唆され励まされ、今年の夏は旅行どころではなくなったことだし、かれこれ20年デジカメが生れた頃から撮り溜めた山盛りの写真を整理しながら振り返ります。

 

この段まだ続きますが、写真が多すぎるとパソコンが追いつかないので一旦切ります。理屈っぽいところはすっ飛ばして写真だけでも眺めていただければ幸いです。

200424記

 

海事つれづれ五目めし200420 海の廃墟

 

 

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森の放火魔アケボノツツジ200402

 

 

 

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遠景として見れば長閑な春の風景なのだが、、

 

海から見る春の野山は、陸から見る海の風景とどこが違うのだろうと考え、ヒミツは水平線にあるのではないかと思い付いた。横の線が人工なら広葉樹がつくる曲線は自然そのものだ。自然しかない自然は捉えどころがないけれど、そこに適度の人為が入ると安心感がある。日本庭園を見て何かしら心がゆるむのは、水平線が木々の緑にメリハリを付けるところにもあるのかなと思いながら停泊する五艘の漁船に接近した。

 

 

 

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穏やかな海面に1+4艘の漁船が寄り添う

 

 

 

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捨てられた作業場から見た廃棄船

 

魚が獲れなくなったのか、船主が年老いたのか、あるいは後継者がいなくて棄てられたのか、入り江の奥深くひっそりと繫留された船は力なく浮かび微かな波にゆられる。

 

 

 

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吃水線の汚れが長い年月を思わせる

 

 

 

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別の場に置かれた廃船 

 

 

 

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棄てられた海上屋台

 

壁に残されたカレンダーを見ると海上屋台は平成6年(1994年)ころから平成23年(2011年)東日本大震災の年まで使われていたようだ。Tunamiと海賊料理屋の廃業には何か関係があるのだろうか。

 

株価バブルが峠を越えた平成6年(1994年)日本経済はまだ活気に満ちていた。岸近くに浮かぶ海賊料理屋も賑わったことだろう。珍味を肴に飲んで騒いでスッテンテンになってもまた稼げばいいやという夢のある時代だった。余ったカネが行き場を失い、人里はなれた山奥に「タヌキしか通らないトンネル」が掘られ、山は崩され目を剥くような額の会員権とともにゴルフ場が現れた。問題の多い時代ではあったが、経済は拡大し、矛盾は後方に捨て置かれ、善男善女も不良もヤクザもみんなが前を向いていた。

 

やがて日本経済は「失われた」10年20年30年の不況が続き、年寄りが増え子どもは減り、ピーク時には世界GDPの18%を占めたという怒涛の勢いは今や見る影もない。一方でパックス・ブリタニカアメリカーナ、ジャポニカと続く繁栄の波はチャイナに移った。必ずしも今の日本経済が「失われた」とは思わないが、かつては小さく見えたアジアの国々が驚異的な経済成長を遂げ、相対的に日本の背丈が低くなったことは間違いない。

 

 

 

 

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お手本のようなもやい結び

 

簡単に結べ、しっかり締まって、ほどき易いという三つの条件を満たしたもやい結びは船舶免許の実技で出題される基本的なワザだ。覚えてしまえば何ということのない結び方だがこれを最初に思い付いた人はえらい。屋台と別れる最後の日に持ち主はいつもの癖で結んで残したのだろうか。

 

 

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幽霊船のような海上工房

 

深い入り江に水は淀み浮屋の時は止まった。「年々歳々花ハ同ジク」背後の森では季節がまわり春の緑が新たな時をつくる。「歳々年々人ハ同ジカラズ」長く生きれば誰だって記憶が積もる。積もった記憶が人格をつくる。いずれ肉体は滅ぶが、人格という抽象はどこへ行くのだろう?

 

 

 

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「ヒトは死ねばゴミになる」という殺伐たる標題の本を残した人が居るけれど、ゴミという身も蓋もない表現はさておき、肉体の死は物質の交代であり、死と再生が不可分の関係にあることは中学生でも知っている。高校生くらいになると肉体と精神を分離して考えるようになり、雑誌「ムー」を真顔で読む女生徒がマジな顔で質問に来たこともある。日本の教育システムは唯物論で組み立てられているから授業の後で死後の世界を問われても困るのだけれど、自由が憲法で保証された日本では新興宗教からオカルトまであらゆる存在が場を与えられている。ヒトは死んだからと言ってその精神性まで消えてしまうわけではないとぼくも思う。

 

 

 

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海月

 

もしも「ヒトは死ねばゴミになる」著者から冥界メールが届き「君には霊魂が見えるのか?」と問われたら「目には見えないけれど霊や精神は木の葉の動きで存在が確認される風のようなものだ」と答えたい。肉体の設計図はDNAに情報として存続するわけだし、良い仕事を残した故人の精神は死してなお仕事仲間に受け継がれる。あまり考えたくないことだが、恨みを呑んで死んだ人のことは生者の記憶に付着して残存する。抗議のための焼身自殺は取り巻く人々の心に自らの意を焼き付ける行為であろう。良きにつけ悪しきにつけヒトは死んでも生きている。

 

 

 

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水は沼のように動かない。

 

3密ならぬ3疎の海風に吹かれながらどうしたって気になるのはあの事だ。昨日の仕合わせが明日も続くと信じていたのに突如として世界は「風の谷のナウシカ」に変貌した。爆撃されたわけでもないのに街から人がいなくなった。これは戦争だ! 闘えと為政者は声高に説くが、見えない敵とは争いようもない。

 

宿毛市の老人病院にコロナが入り、間接的な影響で92歳の母が高知市の拙宅へ「疎開」してきたのだが、近くのコンビニは閉鎖され、昨日は市内中学の先生が感染し、疎開の意味が分からなくなった。車にトマトの箱を詰め込んで毎日通う中央市場は、吹き抜けの3疎空間であるにもかかわらず昨日から職員全員がマスク着用となった。仕方なく当方も人から貰った布マスクを付けて400㎏ほどの荷物を下ろしたが、鼻梁の隙間から上がった息が眼鏡を曇らせて鬱陶しい。肉体労働にマスクは似合わんぞと思いつつ見えない敵が迫ってきたことを肌で感じる。

 

200417現在高知県の感染者数63人、死者1人。人口比で言えば全国上位に入る。今後どう展開するかは誰にも分からない。やがてワクチンが開発され、アビガン他の新薬が劇的に効果を発揮し、めでたくコロナ騒ぎは終焉⇒国連の壇上にChina主席とWHO議長を正座させトランプ大統領やジョンソン首相が囲んで詰問するというのが最良のシナリオだが、、

 

世界人口70億を感染者210万人、死者14万人という数字で割れば3,333に1人の割合で感染し、50,000人に1人が死亡する計算になるが、確率的には交通事故を心配した方がマシだからオレは大丈夫と信じて差し支えないだろう。問題は0が2桁ほど消える可能性だってあるわけで、33人に1人、500人に1人となったらこの世はどうなるのか、ぼくは真先に核施設の運転員よ健康であれかしと願う。

 

忘れもしない1997年タイ発通貨危機がアジアを襲った。被害国は再起不能だろうという声もあったがあっと言う間にタイも韓国も元気を取り戻した。2008年にはリーマンショックで世界が震えたが今となっては、そんなこともあったっけという記憶でしかない。2020年の武漢ウィルスがどう展開するかはまだ分からないけれど、4月20日現在NYダウは24000もあるし、リーマン時に7000台まで落ちた日経平均は20000近い。円ドル相場も108円前後を安定的に推移している。人口1億を超える日本の死者238人をどう捉えるかは人によるが、大騒ぎするほどのことではないだろう。騒げば騒ぐほど儲かる人もいるはずで、世界中の悪党どもがメディアを操作し煽っているのかもしれない。やがて気温が上がり、紫外線が強くなって、そういえばあの時はとコロナ騒ぎを明るく振り返るときが来ることを祈ります。

200420記

 

 

海事つれづれ五目めし200407 鳴無神社

 

 

 

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横波半島に囲まれた浦ノ内湾を小舟が行く 200325

 

高知にもコロナ禍が迫り4月7日現在33人の感染者が報告されています。宿毛市の警察所員が感染したかと思えば、数日前には老人病院の職員が陽性で、間接的な煽りを受けぼく自身も対応を迫られています。エチオピアのあの人が「われわれはシャドーボクシングをやっているようなものだ」という比喩を使いました。へえーうまいこと言うじゃん、評論家やめてその言語センスを仕事に使ったらとつい不平不満が口をついて出てきます。

 

3月25日にタイ在住の友人から以下のメールが届きました。「タイは、明日から非常事態宣言。陽性が一人しか出てないチェンライは、今週から来月12日まで、レストラン、マッサージ、美容院などは既に閉まっていますが。水掛け祭りも、行政主導の派手なものから、昔のように水で清める静かな儀式になると期待しています。集会等もほとんど中止、静かで良いですが、お金に振り回され自転車操業している人は大変。商業活動が停止しているバンコクからの帰省組がウイルスを持ち込むのではないかと戦々恐々としていますが、私の生活は全く同じです」

 

「私の生活は全く同じです」というのは友人が人生をかけた言葉なので、そのことについて長い遣り取りをしているうちに日が過ぎ、いつしか事態は進行し、4月7日の今日は安倍首相から非常事態宣言が出されるはずです。一昨日久しぶりに高知市の繁華街を歩きました。日曜日の午後だというのに街は閑散とし飲食店にも人の姿はちらほらでした。商店のオーナーは頭を抱えているやろうなと、、

 

ウチの仕事場の近くに大手企業を飛び出して新規就農したピーマン農家があります。思うように儲からないので今年はシシトウに転作したところコロナ禍で飲食店の需要が減ったらしくとても気の毒です。四万十市で文旦をやっている親戚も今年は人が動かないので値が付かないとぼやいています。

 

ネットの書き込みには、さっさと非常事態宣言を出せという勇ましい声もありますが、非常事態となれば経済は破綻し、収入は止まり、支払いは残るという恐ろしいことになります。ネットの怒りは、宣言後の日本がどうなるかを予測し、覚悟した上で行政批判をしているものなのかどうか。かといって特効薬もワクチンもない疫病に対し出来ることは都市封鎖しかないとなればためらう理由もありません。正確な判断材料を持たない者は傍観する他ありませんが安倍首相のやつれた顔やトランプ大統領の暗い表情が気になります。

 

たった今ジョンソン首相が集中治療室に運ばれたという緊急ニュースが入りました。結婚したばかりの奥様は身重とか、私事公事とも安からんことを祈ります。

 

でオレに出来ることは何だろうと考えましたが、高知市疎開してきた92歳の母の世話をするくらいのことかなと、、「三密」を避けゴムボートで海風に吹かれる分には人様に迷惑をかけることもありません。前置きが長くなりました。

 

 

 

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誰も乗せない巡航船が行く200401

 

揺れるボートから写真を撮るとき一番難しいのが水平をとること。カメラに内蔵された水準器の動きに呼吸を合わせ、水平サインが出る直前にシャッターを押し、確率ねらいで2~3枚は撮ることになりますが、横の線が揃うことは滅多にありません。写真愛好家には許してもらえそうにない一枚ですが、あえて、

 

 

 

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入り江のコンクリート200401

かつてここには人の暮らしがあったのだけれど、やがて家屋は廃屋となり、ついえた跡に木が生え、草が茂りという風景なのでしょう。諸行無常を感じます。

 

 

 

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水の上から見た岸のツツジ200401

小舟でなければ見えない風景です

 

 

 

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鳴無神社の鳥居200401

鳴無神社には、目に見えない参道が海にあり、対岸に遥拝所が置かれています。

 

 

 

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鳴無神社の大祭160825

神輿を乗せた船二艘がぴたりと寄り添い1200年もの昔を偲びつつ「お船遊び」を終えて戻りました。

 

 

 

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神輿が担がれ神社へ160825

 

インド人は2000年も昔の出来事を昨日のことのように語るとか、さすが歴史の長い国は違うと感心していたら何のことはない日本だって相当なものです。拙宅の裏の浦戸湾はざっくり1000年むかし紀貫之が55日もかけて都へ帰った出航地でもあります。この入り江でエギング、チニング(イカを釣ったりチヌを釣ったりする和製英語)果てはブリまでやっちまったからブリング?して楽しく遊ぶ渚の温泉野郎と今風に言えば高知県知事の任期を終え、嵐や海賊やの不安を抱えながら船出した土佐日記の作者が、ぼくの頭の中では自然に重なって矛盾がありません。

 

 

 

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山桜と交代した鳴無神社のソメイヨシノ満開200401

 

 

 

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隠岐神社190830

 

そのむかし受験勉強で「イイクニつくろう鎌倉時代」と覚えました。1192年に成立した鎌倉幕府は公家から武家への移行期でもありましたが、それはならじと武家に対抗し朝廷の復権を目論んで1221年承久の乱を起こした人物が、歌人であり刀鍛冶でもあった多芸多才な後鳥羽上皇でした。あっけなく乱に破れた後鳥羽上皇隠岐島へ、土御門上皇は土佐の四万十市へ、順徳上皇佐渡島へと親子三人揃って島流しにされたのでした。「配所の月罪なくて見む」と良いとこ取りを目論んだのは兼好法師ですが、罪を得て隠岐島に配流された後鳥羽上皇の和歌は力強さと悲哀が混在した不思議な歌い振りです。序列の頂点で思うさま振る舞った天皇が急転直下、日本海に浮かぶ小島に棄てられ、これ以上はない落差の中で詠まれた下記の歌三首は異彩を放っています。

 

我こそは新島守よ隠岐の海の荒き浪かぜ心して吹け

人も惜し人も恨めしあぢきなく世を思ふ故にもの思う身は

今はとて背き果てぬる世の中になにと語らふ山ほととぎす

 

 

 

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鳴無神社の境内にある新勅撰和歌集の歌碑 藤原家隆200401

 

新古今和歌集の次にくる新勅撰和歌集は、かつて後鳥羽上皇に仕えた藤原定家によって1232年に編纂されたものです。わずか三十一文字でこの世のものとも思えぬ幽玄世界を描いた定家は有能な編集者でもありましたが、政治的には中立を保ち(公家側に身を置きながらも幕府側の心証を害することなく巧妙に立ち回り)乱後の罪に問われることはありませんでした。その定家によって集中もっとも多く歌を採用された藤原家隆が、都の空から土佐の海=横浪三里に囲まれた浦ノ内湾の「お船遊び」に想いを寄せたのがこの歌、

 

土佐の海に御船浮かべて遊ぶらし都の空は雪解のどけき

 

陸から見た海ではなく海から見た春の山々には格別の風情があります。深く入り組んだ横波三里の内海は、京都の名園を大きく拡大したように豊かな表情を湛えています。後鳥羽上皇は「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ」という秀歌を残しましたが、もしも上皇が浦ノ内湾で巡航船に乗っていたら歌中「水無瀬川」が「浦ノ内」に替わっていたかもしれんなと^^!

 

種田山頭火は「四国遍路日記」で室戸から高知市へ向かいました。用事が出来たのか疲れたのか、野市南国の「第二十八番、二十九番は遥拝で許していただき」高知市から伊野町越知町、池川町と山側に折れたので浦ノ内湾の遍路道は外しています。拙宅の近くに33番札所の雪溪寺があり、近ごろ門前に「人生御遍路山頭火」という石碑がたてられましたが、山頭火はこの寺には寄っていないはず、高知市でお遍路は中断していますね。もしも山頭火がその足で浦ノ内の海沿いを歩き、漁師のお接待を受けて伝馬船にでも乗る機会があったら名句が生れていたろうにと残念です。

 

 

 

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よくぞここまで簡略化したものだと感心させられる扁額の草書「鳴無神社」200401

 

漢字の読みには文法がありません。沖縄の金武湾はキン湾。大分県安心院はアジム。北海道の地名は無茶苦茶だから積丹シャコタン、長万部オシャマンベ、火散布ヒチリップが読めなくても恥じる必要はありませんが、歯舞群島が読めなかった北方領土担当相には問題があります、という厭味はさておき「鳴無神社」は何と読むか?現役で働いていたころ通勤途中の看板が読めなくて悩んでいたのですが、やっと答が見つかって、おいおいふざけんなよと思いました。ご興味のある方はご自分でお調べください。

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