ちょっと道草 200909 Goto まとめ2 潜伏キリシタン

 

 

 

 

 

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福江島三井楽の海岸墓地 200830

 

やはり写真には色が欲しいので

三度目の挑戦で早起きしました。

 

 

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福江島井持浦教会のルルド 200829

 

ルルド聖母像を守るように

オオタニワタリが葉を広げ

島っぽい雰囲気を醸しています

 

 

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上五島若松島土井の浦教会のルルド 200826

 

ルルドとは聖母があらわれたフランスの村の名

今はカトリックの聖地とされています

聖母が出現した奇跡の物語は以下の通りです

                                               *     *    *

ルルドは、南フランス、ピレネー山麓の小さな村です。一方に岩山があり、その上には城がそびえたち、そこからこの村を見渡すことができます。現在、ここには4つの教会と多くの病院が建ち、世界中から巡礼に訪れています。特に、病気の癒しを求める人々が熱心な祈りをささげます。またカトリック教会では、2月11日をルルドの聖母の日として祝います。なぜ、人々がこの寒村を訪れるのでしょう。


 これは1858年2月11日、ベルナデッタ・スビルー(1844-1879)という14歳の貧しく無学に近い少女に、聖母マリアが現われたことにはじまります。ベルナデッタは、薪を拾うために妹のトワネットと隣の石切り屋の娘ジャンヌと一緒に出かけました。他の少女たちは、水路を渡り向こう岸で薪拾いをはじめたのですが、喘息で体の弱いベルナデッタは、それが出来ず渡れるところを捜していました。どうしても捜し出すことができなかったため、岩壁の下にある小さな洞窟の前で靴を脱ぎはじめたとき彼女は、風の音のようなものを聞きました。


そしてベルナデッタは、小さな洞窟から光が輝射し、その中に真っ白な着物を着て、両手を開き、ほほえんでいる美しい女性を見ました。そのとき、ベルナデッタはポケットに手を入れるとロザリオに触れ、ひざまずき、この方の前でロザリオを唱えました。「15日間ここに来るように」とその女性から言われたベルナデッタは、洞窟に通い続けました。はじめは、ベルナデッタがおかしくなったと思い、冷笑していた人々も、しだいに彼女とともに、洞窟に通い、祈るようになっていきました。


2月25日のご出現のとき、その女性の言われるままに、ベルナデッタは洞窟を掘り、そこから湧き出た濁った水を飲みます。人々が後で、彼女が掘った穴を見つけ、同じように水を飲もうとすると、水は量を増して、こんこんと湧き出、次第に澄んでいきました。その日のうちに水を汲み持って帰った人がいました。彼は、片目を病んでいましたが、何日かたつとその目を覆っていた眼帯はとれました。


ベルナデッタが、その女性に「あなたはどなたですか。」と尋ねると「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・カウンセプシウ(私は無原罪の御宿りです)」とお答えになりました。
聖母は、ベルナデッタに18回現われ、そのメッセージは「罪を償うことと、ここで行列をし、聖堂を建てて欲しい」ということでした。


聖女ベルナデッタ
聖女ベルナデッタ


詳しい調査の結果、カトリック教会はルルドに聖母が現われたことを認めました。その後1866年にベルナデッタはヌヴェールの修道院に入り、2度とルルドを訪れることはありませんでした。ご出現から21年目の1858年、病弱な身をイエスに捧げながら35歳の生涯を閉じました。現在、彼女の遺体は腐敗せぬまま安置されています。1933年、ベルナデッタは聖人に加えられ、記念日は4月16日とされました。

         「ルルドの聖母キリスト教マメ知識」ネットより

 

 

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上五島の三叉路中央に置かれたマリア像 200824

 

どの教会のマリア像も頬のあたりがふっくらとして若く美しく慈愛に満ちたお顔をしていらっしゃいますが、ここ上五島の道の真ん中でキリストを抱く聖母は、丸顔の東洋人であられる故か、あるいは曲面を重ねた構図が重力との関係式において矛盾なくわれわれを迎えてくれるからか、白人像とは違う親近感を覚えます。ここはスクールバスの停車場でもあり女子中学生がバスに乗り込む姿が見えました。朝な夕な母と子が対面する原初的な構図を見る彼女は心のどこかに大切なものを沈着させているのかも知れません。

 

 

 

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福江島カトリック堂崎教会 200827

 

明治6年、西洋からの圧力によって禁教令が解かれ、俄かに活気づいた潜伏キリシタンは、大正昭和にかけて至る所に立派な教会を建設しました。この堂崎教会もそのひとつ、中に入ると天井を作るリブヴォールトの組み合わせが美しく、中央上部のステンドグラスから色の付いた光が落ちてきます。神社仏閣にはない光の使い方です。その宗教空間が賛美歌の歌声で満たされると日常を超えた天上世界があらわれ、宗教的な高揚感を覚えることになりそうです。

 

 

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福江島楠原天主堂 200829

 

朝早く起きて海岸墓地のマリア像を撮り、この天主堂にたどり着いたらミサが終わった直後でした。カトリックの礼拝では皆このような衣装で身を包むものなのでしょうか、時節柄マスクを付けた信者さんは同じ服装で教会を後にしました。場違いな格好をした自分は迷惑かもしれんなと遠慮していたら「朝はやくからお疲れさまです」と笑顔のご挨拶をいただいたのでホッとしました。教会内部の写真撮影は禁止されており、ミサ後の数分に信者と遭遇する機会はまずないので貴重な一枚になりました。

 

 

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上五島頭ケ島天主堂 200825

 

たとえばフランスの田舎町でこの教会を見かけても取り立てて違和感はないでしょう。しかしここは平戸や長崎から遠く離れた上五島であり、さらに海峡で分断された小島の入り江です。バイクで走ってもGoogle mapで見下ろしても、平地といえば教会周辺にわずかな面積があるばかり、教会関連地と共同墓地で全面積を使い果たした今は芋畑の面積さえ残っていません。衣食住に優先順位を付けたなら真っ先に食が来ます。この島に入植した人たちはいったいどうやって暮らしを立てたのか、ぼくなど石造りの立派な教会を見て驚く前にメシのことが心配になります。

 

クニの自慢になりますが、宿毛宇和海国立公園は島と半島がつくる美しい海域です。それを見た観光客がきれいだなと呟くのは簡単でも、道も車もない昔ヒトはどうやって生きたのか、年がら年じゅう魚と貝と海草だけではちょっとな、炭水化物も欲しいし ☞ 答えは急斜面の段々畑にあります。

 

高知県宿毛市沖ノ島は今でこそ照葉樹が繁る森に包まれていますが、森の中を歩くと木の根元に段々畑の石組みが標高404mの頂上まで残されています。愛媛県宇和島市遊子水荷浦には、観光用ではありますが、段々畑が大切に保存されています。当時の写真を見ると「耕して天に至る」という名文句は、この芋畑のために作られたのではなかったかと思われるほどで、石と土の急峻な階段が等高線のごとく天に昇り、それを実現した農民の勤勉さに圧倒されます。

 

 

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森に埋もれた頭ケ島天主堂遠景 200825

 

では上五島の頭ケ島はどうなのか、残念ながら森の中に入っていないので何ともいえませんが、この頭ヶ島の教会周辺も、前日訪ねた津和崎灯台に向かう半島脇の集落もかつては段々畑の擂鉢の下ではなかったろうかと思うわけです。「だったらなぜ森に入って自分の目で確認しなかったの?」 と問われるならお答えしますが、えいやの勢いで持病を押してクニを出たのが間違いで、足引きの病に祟られ、鎮痛剤で騙しだましのバイク行でした。森歩きどころではなかったので、次に行ったときには調べてみます。

 

 

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頭ケ島天主堂建設のために石材を運ぶ信者たち

教会脇のパネルより 200825

 

教会という公共建築は材料と労力を組み合わせて行なわれる総合芸術です。天主堂を建設するため、まずはみんなで議論し、位置を決め、技術者を呼び、費用を算出し、どれだけの石材が要るか、その石材をどこで切り、誰がどうやって運ぶか等々こまかな決定がなされてやっと動きます。祭りの日のご馳走作りみたいなもので、みんなが参加し、手分けして作ることに意味があるわけです。竣工式には村人すべてが集まり涙を流して喜びを分かちあったにちがいありません。

 

東京都庁東京スカイツリーといった大規模建築は、税を取られるヒトと造るヒトのよそよそしい関係の中で工事が進行します。つくり手といっても複数の業者が寄り集まった分業体制だから、エレベーターはウチだけど通信関係はアノ会社という風に分断され、担当部門ごとに祝杯を挙げることはあっても全ての関係者が一同に会して完成を祝うことは、そもそも物理的に不可能です。竣工の式典では知らない人がテープを切り、都民は口を開けて見上げるだけと言ってしまえば失礼ですが、どう考えても小さな島に天主堂を完成させた人達とは喜びのレベルが違います。ヒューマンスケールを超えて工事が大規模化すると、人間は疎外され、技術が一人歩きすると悲しく括ってよいかと思われます。

 

                                                                               

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頭ケ島のキリシタン墓地 200825

 

石材は向かいの島から船で運んだそうです。島で生まれて島で生き、祈り、互いに助け合わなければ生きていけないので、反目するより引き合うことの方が多かった。似たような暮らしのなかで強い仲間意識がつくられ、やがて誰もが別れの日を迎えるけれど、目の前に一時滞在するホテルがあり、時が来れば天国へ昇って行ける。あの世に行けば先祖と会える。葬儀で世話をかけた今の世の滞在組もいずれやって来る、、という生と死と昇天の経過が無理なく想像できるとすれば、死は恐れるほどのことではないのかもしれません。

200909記 つづく

 

 

 

 

 

 

旅は道草 200907 Go to五島列島 まとめ1

 

 

 

 

 

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福江島 200827 

いくらか南洋を思わせる緑に包まれ

 

 

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 福江島 200830

ホンダクロスカブ110ccで

 

 

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 福江島 200827

朝から晩まで走っていると

 

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上五島(中通島)頭ケ島大橋 200825 

 

海が見え、島が見え、橋が見え、

 

 

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福江島高浜ビーチ 200829 

 

沖縄でも先島でも見たことのない

とんでもなく美しいビーチに

まだ夏休みだという土曜日の午後

遊泳客の影が3つ見えました !

 

 

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福江島玉之浦ビーチ 200829 

 

海は澄み、空は青く、森は緑、

塵ひとつない砂浜に人の姿が見えません(^^

 

 

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福江島玉之浦 200829 

 

ヒトが手を触れていない純粋な原生林は地球上どこにもないと言われますが、ひょっとすると島には残されているのかも知れません。人口34,000人の福江島もここまで来ると人影はまばら、仕事場は海だからヒトが森に入る理由が見当たりません。山には電線がなく、スギの植林もなく、あるべき樹種があるべき姿で海岸林を形成しています。

 

バイクで高知の海沿いをとことこ走っていると照葉樹の森を剥いでソーラーパネルを並べた恐ろしい光景に出くわします。太陽光発電は置いてよいところといけないところがあります。それは個々の担当者には分かっているのでしょうけれど資本が暴走すると手がつけられなくなるようです。

ぼくらが若いころ技術の進歩は人類に幸せをもたらすと習いました。しかし今や技術が暴走しモノが増え人間に敵対するかのごとくです。必要以上にモノを持ったからといって嬉しさが増すわけでもなく、むしろ現代人はモノの不足に憧れるようなところさえあります。マンションに宝物を詰め込んだ人が、リュックひとつで山奥に入り一所不住、無一物の真似をするのは、モノでは満たされない精神性を取り戻したいからでしょう。わずか一世代でこれほどの変化を味わった人類は僕たちが初めてです。

200906 記  つづく

 

 

補記

旅をしたからといって何があるわけでもありませんが、台風10号奄美大島から五島列島に向かう今、電線は唸り、丸畑を囲む樹木は葉を散らしているだろうなと頭の中に絵が浮かびます。漁師の船は1隻ン千万円だからあれだけ気象庁に脅されたら生きた心地がしないだろう。風速70mが直撃したらお世話になった民宿はどうなるのだろう。おかみさん大丈夫だろうかとまあいろいろ思いますね。どうかご無事で。

 

 

 

旅は道草 200831 Back to 福江島

 

 

台風に追われて長崎→島原と走り

熊本は出水まで逃げ帰りました。

 

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五島列島 福江島から東シナ海に向けて立つマリア様

 

おれらの若いころは「隠れキリシタン」て習ったんだけど近ごろ「潜伏キリシタン」に変わったのはなぜ? 世界遺産と関係があるの?と天草のコレジオ館で担当の女性に尋ねましたがどうもよくわかりません。ともあれ絶海の孤島の断崖に教会があり、今でも船をチャーターしなければ行けない磯の洞穴に隠れ、潜伏して信仰を守る人々がいたことは事実です。

 

 

 

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福江島 三井楽は遣唐使が立ち寄った最後の日本でもあります。4艘で出帆し行きに半分帰りに半分沈んでも確率的に1隻は戻ってくるだろうという壮絶なる学問の旅でした。空海最澄は運良く戻り着きましたが、日本を代表する多くの知性が海の藻屑となったに違いありません。ちなみに八田與一」を乗せた客船は男女群島の沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈んでいます。

 

ここには空海の碑もあるのですが、

iPhoneでは撮ってなかったようです。

後日Canonの写真を整理します。

 

それにしても空海という人、香川で生まれ、室戸の洞穴で修行し、四万十川の川下りでもするかという程度の船に乗って海を渡り、帰国後は日本中を歩き回っています。青森は恐山でも碑を見ましたからまあ忙しい人ですね。

 

 

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福江島 高浜海水浴場

 

文句なしに日本一の海水浴場です。台風が去りフェリーが動き始めた日の空は青く、海も青く、貝殻由来の白砂は清く、夏休み最後の土曜日なのにこんなに美しい渚の遊泳客はあちらに2人こちらに3人という贅沢な海なのでした。湘南の海で芋洗いしてるヒトたち可哀ソ、、

 

 

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絵葉書のような風景です

 

 

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アコウ

 

高知県室戸市の岩にへばりつくアコウも相当なものですが、このアコウは植物であることを超え御神体のようでした。アコウとくればガジュマルを連想します。上五島福江島の目ぼしい道はほぼ走破しましたが、ゲゲゲの鬼太郎が下駄を鳴らしてやって来そうなガジュマルは見なかったですね。屋久島にはガジュマルの気根が複雑に絡んだお屋敷があり、目玉のお父さんが昼寝してたりしますが、ガジュマルはこの五島列島あたりが北限なのでしょうか、高知にもないです。

200831記 つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旅は道草 200829 Go to 福江島




上五島から大波に揺られて福江島に移りました。



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Google mapを広げているうちに福江島に鹿の子まだらの圃場を見つけました。今どき耕地整理していない田畑はないので、ひょっとするとこれは日本最後の田んぼの秘境かもしれない。四角四面の将棋台にされる前に見ておかねば、えいやGo to となった次第です。




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福江島三井楽の民宿に飾っていた写真のコピー


この丸畑は輪島の棚田にも匹敵する観光資源になりそうですが、観光パンフで紹介されていないのが不思議です。地元の観光産業はその価値に気づいていないのだろうか、それとも観光地として売り出せない深い理由があるのだろうかとトシを食ってイヤなものを見過ぎたせいかついヒネたことを考えてしまいます。



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隣村、岐宿の農地は大型農機の要求に合わせ既に直線化されています。してみればここも近い将来、農業資本の餌食(キツい言葉ですね)にされるかもしれない。その伏線として、という憶測も可能です。


自分自身が土を離れた農に携わりながら言うのもナンですが、山も川も農地もどんどん改変され、表情豊かな農村風景はいつしか長方形の寄せ集めになりました。今の若い人は田植えだ稲刈りだと聞いても広い農地を孤独なマシンが往復する風景しか想像できないでしょう。


農地の直線化と機械の導入は時代の流れではありますが、あらゆる産業が連携して成り立つ現代社会は何かの拍子に一瞬で崩壊するガラスの城でもあります。仮に石油が止まれば現代農業はたちどころに終わります。いよいよ追い詰められたとき最後に頼れるのは輪島の棚田や五島列島の丸畑に残された先人の知恵であるのかも知れません。



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上から見れば丸い模様ですが、中に入ると緑の壁に囲まれ、ほどよい安心感に包まれます。狭い農地の特権で野良仕事をして振り返ったとき作業の手応えが感じられそうです。背の高い木が影を作るので作物が受ける光の量は減衰するものの代わりに島に吹く強い風を防いでくれます。耕作直後に大雨が降ると表土が濁水となって川へ流れ込みますが、ここでは木々の根っこがしっかり受け止めてくれます等々、今ある美徳は失って初めて見えてくるものでもあります。

200829

旅は道草 200826 Go to Goto!上五島

 

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教会には必ず聖人かマリアさまがおいでます。ぼくはこの手のリアリズムで作られた西洋人形に妙な先入観を持つ者ですが、さすが教会に置かれるだけあって人形に譬えること自体が失礼なほど美しく優しいマリア像なのでした。

 

 

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教会に響く賛美歌に包まれ、慈愛に満ちた母なる存在に優しく抱かれたら余程の偏屈者でない限り心は神の国に惹かれることでしょう。天国を見て戻った人はいませんが、次なる世が限りなく美しく想像できれば別れは恐れるほどのことではないのかも知れません。

 

「人は死ねばゴミになる」という殺伐たる書を残して逝った検事総長がいます。読まずに言うのもナンですが書名に漂う邪気はただ事ではありません。この文脈でゴミはないよ、あんたどんな裁判やっとったんとその精神性を疑いたくなります。神という人類最高のフィクションが検事総長に分かっていなかったとすれば問題です。出版社が作った標題かもしれませんが、、

 

 

 

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ふるさと自慢も手伝って宿毛宇和海国立公園は素晴らしいと言い続けてきましたが、ここ上五島の海の美しさは別格です。

 

 

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海の青さは日により光によって様々です。まあきれいな海ねと感嘆した時の海は、海水面のみならず磯や渚や海岸林、渡る風や人の暮らしまで含めた形容であり、都市近郊の海水浴場のように遊客でごった返していないことも大事な条件です。

 

 

 

 

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その条件のすべてを含め、ほんまにきれいな海なのでした。

 

 

 

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826日の今日もフェリーは休止です。強風域の中をバイクで走ってたら大雨になり逃げ帰って来ました。横殴りの雨を遠方から見るとカーテンのように、あるいはオーロラのように揺れて流れます。雨の日のバイクは最悪ですが、窓から見る台風の雨はなかなかロマンチックです。とはいえスマホで台風の雨を捉えるのは至難の技なので脳内フォトショップで変換してご覧ください。

200826記 つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旅は道草 200824 Go to Goto!

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ふと思い立って今Goto列島は上五島にいます。フェリーを降りたところから教会が見えました。そうここ五島列島は近ごろ世界遺産に指定された潜伏キリシタンの島なのです。



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バイクで駆け上がると教会の前にお墓がありました。墓石には聖書の言葉が刻印されています。



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見慣れた墓石の上に十字架が置かれた和洋折衷のお墓もあります。この一画の墓石はみな新しく立派で墓所自体が世界遺産の認定と関係があるのかもしれません。



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職場で不幸があった時には真っ先に神か仏かが知らされますが、キリスト教無宗教という選択肢は無いので一度だけ参列した無宗教の葬儀には前の人の作法をコピーして事なきを得ました。さてお寺の脇の墓所なら手を合わせますが、ここを訪ねた仏教徒(らしい)観光客はどうしたものか、十字を切るわけにもゆかず、とりあえず一礼して去ったことでした。



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ホンダ110ccのクロスカブに跨って822日高知松山港小倉港博多港上五島の青方港に24日早朝着、バイクで北の端っこの津和崎灯台を往復し、いま民宿に着きました。


台風は黄海に向かったようで覚悟していた船の大揺れもなく、むしろべた凪で拍子抜けしたくらいですが、たったいま役場の放送があり明日からのフェリーは運行中止のように聞こえました。よく聞こえなかったのですが島に閉じ込められたのかもしれません。


一度やってみたかったリアルタイムレポートに挑戦します。どんなことになるかは自分にもわかりません。スマホで撮ってスマホで書くので乱文乱写ご免ください。

200824 つづく

ちょっと道草 200820  「高知の今」です

 

 

 

 

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スクミリンゴガイの卵 200730

 

ちかごろ稲の茎に付いた赤い卵をよく見かけます。通称ジャンボタニシと呼ばれるスクミリンゴガイは淡水棲大型巻き貝で南米産の外来種だそうです。周辺の水稲は食害され田植え前のように青空を映していました。グローバリズムの時代には動植物も国際交流に励んでいますが、問題は多いです。

 

 

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実りの早稲田 200730

 

 

 

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稲刈り 200812

 

1950年代を境に工業人口が農業人口を超えました。野良仕事を機械が補うようになったからとりたてて食糧生産に問題はないのですが、過酷な労働から解放された農民が幸せになったかといえば、さあどうなんでしょう。若手は都市に向かい、農地に人の姿が薄くなったことは確かです。

 

 

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戦車ではありません。コンバインです 200812

 

1990年代には、パソコンが普及すると過酷な労働から解放されヒトは幸せになると言われたものですが、2020年の今たどり着いた未来社会は、なんか変だぞという気がします。同じように今の農業機械は麻薬みたいなところがあって一度手にしたら離せませんが、大変な物入りであることは言うまでもありません。生産効率が上がれば、人手が要らないので個人の収入は増えるはずですが、それは机の上の計算に過ぎず、せっせと働いて得たもの何? としみじみ掌を見たら借金と孤独だったりします。

 

 

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稲刈り 200812

 

昭和30年代の田植えや稲刈りは、みんなが集まって腰まげて、一斉にやったものです。迎える農家はお昼だ、御八つだと慣れない食事の世話までせねばならず、ウチの母など田植えと聞けば、仕事のつらさより接待の恐怖を思い出すようです。しかし田植えと稲刈りは祭りの一種でもあり、横一列に定規を並べて世間話に花が咲き、秋の収穫が終われば村人総出の神祭すなわち飲めや歌えのどんちゃん騒ぎになるから、まあ見方によっては昔の農業は楽なものでした。

 

 

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生姜畑 200705

 

生姜は高知の特産と言ってよいかもしれません。一時は大儲けした農家もあるようで若いころ生姜をやっていた隣のおじいさんは、トンネルに保存した生姜を軽トラに乗せて農協へ運ぶたびに100万円の実入りがあったと嬉しそうに話していました。もちろん喜びは長続きしなかったようで、いつしか生姜から茄子に転作していましたが、、

 

 

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25日後の生姜畑 200730

 

生姜は気難しい作物で、何年か畑を使うと土が痛みます。かつては土壌消毒に臭化メチルが使われていましたが、それはオゾン層破壊物質であることから1992年のモントリオール議定書で禁止され、「2013年には日本国内から例外なく姿を消し」ました。無くなるものなら有るうちに買っておけということで買い溜めした農家もありますが、使って仕舞えば終わりです。今となっては代替する消毒剤もなく生姜畑は使い捨てする他ありません。そんなわけで生姜農家は、連作障害を避け、新天地を求めて転々としています。

 

 

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オクラの花 200731

 

どんな花でも花は美しく、野菜の花も例外ではありません。ただしオクラは真夏の野菜であり、朝と晩では大きさが違うほど生育が早く、太り過ぎると固くて食べられません。だから農家は「危険な暑さ」にもめげず「いのちを守る行動」もせず収穫に余念がないのです。

 

 

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オクラ 200731

 

アフリカ原産のオクラの実は形が女性の指に似ていることからLady’s fingerと呼ばれるそうです。アオイ科トロロアオイ属の可憐な花は、料理の飾りにでも使うのでしょうか、近所のスーパーでは袋に詰めて150円で売られていました。

 

 

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栗 200705

46日前の栗の実だから8月20日の今日は、

ぽちぽち秋の構えをしている頃かと、、

 

 

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田舎のフランクフルト 200705

熟れた蒲の穂を指で押さえると爆発します!

 

 

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鳥取県鳥取町 白兎神社にて 190727

 

蒲の穂は止血剤になるらしく、因幡の白兎はワニ(サメ)に裂かれた背中を蒲の穂で癒しました。ちなみにワニは悪い奴で白兎は可哀相な被害者かといえば必ずしもそうではなく、先に兎がワニをだまし、だまされたワニがムカついたというのが真相なので、喧嘩の話はどっちの言い分も聞かなければなりませんぞという教えかも、、

 

裁判は作文の上手い方が勝つ。弁護士だからといって人格高潔であるわけではない。中には法律を守る泥棒もいるので気を付けた方がええぞと弁護士の友人(外国人)が教えてくれました。キリがないのでこの辺で、、

200820 つづく

 

 

 

いらんことですが、

3日連続暑さ日本一を記録した高知県四万十市でお中元を配り、過去最高気温を記録した隣の宿毛市でお線香をあげた翌日、午後2時には43度を超えるかなというトマトハウスで苗5000本の植付けを終えてへろへろになりました。つくづくわが身のふがいなさを嘆いていると手元のiPadが真っ暗になりました。もはやぼくはiPadなしでは生きていけないのでうろたえ(近頃やっと税金を払おうかなという気になった)Amazonに悔しいけど注文を入れました。ところが翌朝の今ためしにiPadのホームボタンを押したらちゃんと動作するではありませんか! 暑くてダレてたようです。あのとき冷蔵庫に入れとけばよかったかなと反省しきり、、