ちょっと道草 210326 写真で Go to西表島(10  猪 牛 鷺 蛇 青鳩からシルクロードへ  

 

 

 

 

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リュウキュウイノシシ 140420

 

ヒトの気配を察した猪は、一定の距離を置き

体を真っ直ぐこちらへ向けてジッと見つめます

相手が敵対するものであると認知すれば、こちらが

安全圏を超えたところで森の中に逃げ込みますが

 

 

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40㎜マクロの標準レンズを使用 140420

 

惜しむらくは

リュウキュウイノシシは

逃げ足が鈍臭いのです

 

四国の山中で出会った鹿の成獣は、バイクの前を

映画で見るスローモーションのように跳び

駆け込んだ森の樹木の隙間から

丸い胴体の上にすらりと細い頸を伸ばし

ふたつの集音マイクが付いた小さな頭をこちらに向け

バイクを停めたぼくにピントを合わせました

こちらも鹿と眼を離さず

懐に忍ばせたカメラの電源を入れ

取り出そうとしたところで姿が消えました

 

北海道は夕暮れのサロベツ原野で

エゾシカの群れが先を急ぐ姿もまた

強い腰のバネがつくる半円の影を残して優雅でした

煎餅をねだる奈良の鹿とは

まるで違う野性そのものです

 

猪にも種類があるようでデカいのもいます

岡山県山中の民家近くで深夜に出会った猪は子牛ほどもありました

愛媛県佐田岬で車の前照灯に浮かび上がった猪は

振り向きざま憎々しげな瞳をこちらに向け

「なんでえこの野郎!」とでも言わんばかりのツラで睨み

たくましい尻を見せて茂みに消えました

 

五島列島の森の中を走っていたとき突然

目の前を大きな黒い影がよぎりました

もしもあれがバイクにぶつかっていたら

誰も通らない道で転倒し足の骨でも折って

えらい目に遭ったはずです

 

シシのモモ肉を丸ごともらって

煮て食ったことがありますけど

堅いの何の! この肉があの瞬発力を生むのかと

顎が痛くなる思いでした

 

 

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囚われのシシ 140420

 

リュウキュウイノシシは小振りながら

西表島では最大体型の野生獣です

もちろん愛玩用に飼っているのではなく

シシ君は遠からず厳しい人生に直面することになります

そのことを知ってか知らずか

間近に見る獣の眼は敵対的でした

ふと「もののけ姫」を思い出しました

 

 

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肥育牛とサギ 140426

 

土を掘り返すトラクターや

牛の後に付いて行ったら

おこぼれにあずかれるらしく

ウシとサギが織りなす長閑な風景です

今は仕合わせな黒牛でした

 

 

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南風見田の海岸近く140421

 

長さが分からない写真で恐縮です

1メートル半ほどありました

将棋名人と同じ名をもつ三角頭の蛇は危険ですが

こいつは人畜無害の森の捕食者です

 

 

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アオバト 140426

 

ミドリ色でもアオ信号とは?これ如何に

青鳩の羽毛は緑色です

四国にも棲息しているようですが

見たことはありません

でも食べたことはあります

 

美味しんぼ」に触発されたか、折に触れ仲間を集め

自作料理を振る舞ってくれるセミプロの友人がいます

どこで手に入れたのかは知りませんが

山海の珍味を並べた中にアオバトがありました^^!

 

トリと聞いてスーパーの精肉売場を連想する人は

野鳥の肉の歯ごたえを知らない人でしょう

今は様々な規制が入って窮屈な世の中になりましたが

昔の子どもは裏山に「クビッチョ」をかけて遊んだものです

羽をむしって火にかけたら野鳥の肉は小さな塊になります

みんなで囲めば一口でおしまい

コリコリしとったなという印象しか残りません

 

鳩を食うとは何事かというご意見もありましょう

白鳩と平和を結びつけたのはピカソのようであり

娘にパロマ(鳩)という名を付けた鳩好きでもあります

しかし鳩と平和の間に取り立てて因果関係はないようです

 

白地に赤丸は戦争の象徴

オリーブの枝をくわえた白鳩は平和の象徴

とぼくら日本人は戦後教育の中で刷り込まれたので

鳩を狩猟の対象とは考えません、のみならず

鳩の名をもつ元日本国首相は友愛の海を標榜しました

その海域が今どうなっているかは中学生でも知っています

 

イギリスから来た青年と雑談したときハトの話題になり

日本人は鳩が好き、豆をやると幸せが寄ってくる

というような話をしたところ、彼は

鳩は撃って毟って焼いて食うものだと

身振り手振りで教えてくれました

齧っていると散弾が歯に当たる

それをペペッと飛ばして食ったら旨いぞ

と親指を立ててニヤと笑った顔が

ぼくの脳味噌写真館に残っています

 

大英帝国の末裔は戦争についても

われわれ日本人とは違う概念をもっていました

しどろもどろの英語で聞いた話なので

深いところは分かりませんが

米英が有り余る力のやり場を探して

中東に無理やりつくったような戦争に関し

「あれってどうなの?」と問うたら

「ノープロブレム。文明はそのようにして融合し進化する」

と肯定的に捉えていました

帰国後は入隊すると言っていたから

そう考えなければやって行けないのかも知れませんが

談笑後ひとりでじっくり考えているうちに

彼の言葉はリアルな戦争理論であることに気付きました

 

平和ボケと言われる日本人もわずか76年前には

似たような理論をもって世界展開したわけです

ところが昭和20年8月15日を境に

その理論は対極に振れ、武を捨てた日本人は

平和空間の内部で平和を唱える不思議な思考に陥りました

 

平和と戦争は二項対立の関係式でしか捉えられません

中国語に「和平」はあっても「平和」という熟語はないそうです

力と力が拮抗した状態が束の間の安定であって

武力均衡が崩れたとき戦争が起こります

 

しかるに恐らく世界で唯一日本人だけが

平和の中で平和を希求するという

(たぶん)数学的にも物理学的にも

ありえない理論を信じたわけです

 

たまたま世界が、戦争をやりまくってダレこけ

非戦の方向を向いたので

日本的おとぼけ平和理論の矛盾が

鋭く指摘されることはなかったのですが

よくよく考えれば大戦後も戦争は延々と続き

米ソ冷戦は1991年をもって途絶したものの

それから30年後の今ふたたび

米中冷戦が危ぶまれています

 

ぼくがChinaを歩いた1980年代に

あの貧乏な中国経済がここまで進展するとは思いもしませんでした

いずれ民主化するから今は堪えてくれ

と騙すようにして西側の技術と市場を取り込み

西側がルールとする競争原理に従うことなく

国内市場を統制し「世界の工場」として猛進したわけです

 

かくて人類史上最速の足どりで経済発展したChinaは

中華民族の偉大な復興」を称揚し軍事力を強化させ

ここに来て態度を豹変させました

 

その突然の変貌ぶりが何を意味するか

武漢発コロナ禍を経て西側諸国はやっと気付きましたが

すでに欧米アジアのみならず世界全域の政治経済に深く浸透した

Chinaとの関係が今後どう展開するかは予断を許しません

 

旅行者は言葉が分からない代わりに

五感を研ぎ澄まして歩きます

見る側の主観→思い入れの問題ではありますが

社会主義の中国、ラオスベトナムの人々の表情には

自由主義のタイや台湾で見た無防備な笑顔が

少なかったような気がします

 

日本はどうかと言えば

かつては原発、防衛、天皇制あたりが3大タブーでした

タブーと言っても喋ってはいけないということではなく

言論の自由は過剰なほど保障されていました

が、ここに来て微妙に変容した感があります

 

自分の表情は相手がつくります

自国の態度は他国がつくります

 

ネットの書き込みに

朝鮮半島南北の悪口は書き放題ですが

China Russiaの記述はひどく少なく

報道されて然るべき事実さえ伏されています

それをぼくらはテレビや紙新聞ではないところの媒体で

かろうじて知ることができるわけですが

忖度したか隠したか、伝えるべきことを伝えない

日本メディアに不信がつのります

牙を剥いて振り向くことのない弱者の私生活は暴いても

ヤバイ相手のことには触れない新聞テレビ雑誌って何だろう?

彼らは何を恐れているのか?

 

と思いながら昨秋来の米大統領選を追いかけました

Chinaが日本メディアに深く浸透していることは

メディアが何に触れなかったかを想像すればすぐにも分かることです

昨秋来の米大統領選挙を通じ、あのアメリカにおいても

民主党共和党の報道バランスが崩れ、間接的に影響する

China不利の報道をしないことに驚き恐れました

民主主義の総本山たるアメリカが必ずしも

原理原則にのっとった立派な国ではないことが露にされ

恐らくは世界の多くの人々と同じようにぼくの心も冷えました

 

自由主義はカネのジャングルです

社会主義は人間の理想です

 

経済絶頂期の日本では、行政が規制をかけながら

両者のバランスを取ってきました

日本を訪問したRussiaの高官が

これは我々が理想とする状態だと発言したのは

まんざら冗談でもリップサービスでもなかったはずです

しかし社会主義と背中合わせの独裁主義はどうなのか?

 

あくまで自分なりの直感ですが、

ジョージ・オーウェルが描いた「1984年」から37年後の今

監視カメラとスーパーコンピュータを武器とする

独裁社会が完成し、世界を覆い、やがて西側の人々は

屈託ない笑顔を失うのではないかと恐れます

LINE問題はその破片的一部でしょう

 

蛇足ながら

3/25日付け日経新聞「春秋」に「シルクロード」の平山郁夫と夫人が訪ねた新疆ウイグル自治区の記述があります。そこから「言論弾圧」「強制収容」「強制労働」を導き(さすがにその次に来るおぞましい話題は避けていますが)  EUによる「制裁」アメリカが主張する「ジェノサイド」といった言葉が置かれ、末尾は「画伯の描いたウイグルの人々の風貌が、深い悲しみを宿して見える」と情緒的に結ばれています。

 

奈良の薬師寺には平山郁夫のためのごっつい立派なコーナーが特設され入館者の目前に「シルクロード」が広がります。これを完成させるには大変な労力が必要であったろうことは想像できますが、予断を排して絵に向かっても、ガンと来る芸術の力を感じないのです。絵のうまさや活力感でいえば鳥山明が描いた漫画のひとこまの方が上等だ、と言えば叱られるかも知れませんが、ぼくは芸術という取り止めもない価値を読むのは自分の感性以外にないと信ずる者ゆえ、いつかの号でピカソが鳥山センセと出会ったら弟子入りを願うかもと書きました。ぼくはだいぶ前からシンセサイザー喜多郎平山郁夫は政治利用されたのであろうと思っています。絵にも音楽にも、そこにあるのは砂漠の観念的な美しさであり、醜の部分が丁寧に除去されているからです。影をもたない光は光ですらありません。

 

生きものシリーズが

あらぬ方向に来てしまいました

次回イリオモテヤマネコに戻ります

210326記 つづく

 

ちょっと道草 210320   写真で Go to西表島(9  民家の門 学校の門

 

 

 

 

 

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トックリヤシと赤い花の門 西表島大原170703

 

門は何のためにあるのだろう?

門扉を閉めて泥棒を防ぐというのは

必ずしも間違いではありませんが

さみしい答です

 

門はウチとソトを切り分け

ソトの人に対しては

ここから先に入ったらいかんよという境であり

ウチの者にとっては

出入りするたびにハレとケを確認する結界でもあります

それが花のアーチであったら

清々しいでしょうね

 

 

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船浦中学校正門 140426

 

門柱のシーサーが睨みをきかせ

出入りする者の邪気を祓う

 

赤い狛犬が立ってるだけじゃん

とも言えますが2頭のシーサーと

自分との位置関係がつくる

無言の通関でもあります

 

 

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西表小中学校正門 140426

 

ディゴの巨樹が半アーチを架け

玄関先に緑の傘が広がります

 

武家屋敷や城郭の門は門自体が威圧の言語であり

パリのエトワール凱旋門に至っては圧倒的な高さ力強さ

軽飛行機さえ通過させた幅を持つ武の顕彰碑でもあります

 

充分な質量をもつこの学校の門柱もまた

無言のメッセージを送ってきますが、さて

「部外者立入禁止」のがさつな文言はいかがなものか

門に拒否され、命令形で拒絶されると

道行くオレは泥棒じゃねえんだがとムカつくのです

ある意味学校の本質をよく示す看板ではありますが

子どもの情操にはよくないです

 

 

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西表島干立(星立) 140425

 

石を積み上げた門柱に

オオタニワタリが葉を伸ばし

両脇からせり上がったフクギがアーチを架ける

 

人の姿は見えず

木の葉が音を吸い取るので

あたりは不思議な静謐に包まれています

 

 

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星立の海岸 170706

 

地質地層が読める人は地球のどこを歩いても退屈しないでしょう。目前の縞模様から途方もない過去が見えるのは学問した人の特権です。そのような知識があれば旅の価値は一変するはずですが、縁なき衆生は、この層のどこかに石炭層が挟まれているのだろうかくらいのことしか想像できません。

 

 

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ドラゴンフルーツ 170710

 

とんでもない値札を付けたデパ地下のドラゴンフルーツはご存じでも、それが地べたに生えるか木に成るかは知らない人が多いのではないでしょうか。なんと赤いドラゴンはサボテンの実なのでした。切ってよしジュースにしてよし南国の味です。

 

 

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タコノキ 140421

 

西欧でタコとイカは悪魔の魚だそうですが

日本のタコは鉢巻きをして愛嬌を振りまきます

足で蛸踊りするからタコノキ

タコのマイケル・ジャクソンです

 

 

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これはパイナップル 170701

 

 

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これはアダンの実 140421

 

なんで森の木にパイナップルが成る?

と思わず目をこすりました

初めてアダンの実を見た人はみな

そのように錯覚するみたいです

 

 

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西表島にも田んぼはありますが 130910

農家の伜の目でみれば

その辺に農機を放っぽらかしてたりして

どうも気合が足りないのです

 

「なんで?」と訊いたら泡盛くさい息で「ダッカラヨォ」と応えるのが沖縄流、Korea語だと「ケンチャナヨ」、アラブ世界では「アッラーアクバル」すべては神の思し召しのままにと他者へ責任転嫁するのが世界の常識です。むしろ仕事は美徳だ、頑張らねばと必死カッパで通勤電車に乗るヤマト人の方が変わっているのかも知れません。

 

某氏某女史につくってもらったこのブログも気がつけば今日で丸1年です。この世にデジカメというものがあらわれた2002年以来たぶん10万枚を超える写真が眠っており、こんな調子で過去を振り返っていたらぼくの人生は終わってしまいそうです。劇画「ジパング」に「生きることは見ることだ」という箴言があります。見たものを繋ぎあわせたら個人史になるのかなと思いながらせっせと作業しました。

西表島編はもうちょっと続きます

210320記

 

 

 

ちょっと道草 210315   写真で Go to西表島(8  いのちいろいろいりおもて

 

 

 

 

 

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ギランイヌビワ140420

 

幹に実が成るとは何事じゃ?

とびっくりしましたが

探せば高知の海岸沿いにも

小ぶりの幹生果はありますね

 

不思議なことに

これは実ではなく

花だそうです

 

花の中では小さな虫と樹木との

神秘的な交歓がおこなわれ

それぞれの生存戦略が展開されています

つくづくいのちの不思議を感じます

 

 

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クワズイモ140420

 

里芋の葉に似ていますが

名前の通り食えない芋です

雨の日は傘になります

 

 

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ヒカゲヘゴ 170709

 

南西諸島で好きな木を

一本だけ挙げよと言われたら

迷わずこれ!

 

葉陰で恐竜が首を伸ばしたり

モスラが飛んで行ったりします^^

 

 

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電線で羽を乾かすカンムリワシ 140426

 

空の天然記念物と文明との

どこか漫画っぽい共存です

 

 

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亀仙人や~いと道を急ぐセマルハコガメ170630

 

可哀相にも車に踏まれ

ぺしゃんこにされた

地べたの天然記念物を見ました

 

 

 

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巨大なハサミを持つシオマネキ170706

 

砂浜にずらりと並んだ蟹さんが

海に向かって一斉に手を振ると

潮を招いているように見えます

 

それにしても何のために

これほど大きな手が要るのだろう

生きるためなら左のちっこい手で足りそうですが

 

 

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浜辺で動くものがあるので 130919

何じゃろと思ったらヤドカリでした

 

なんだヤドカリかよとフツーは

捨ておかれる存在ですが

よくよく見れば不思議な顔形をしています

 

彼は何のために存在し、いかなるメカニスムで駆動するのでしょうか? 生命科学はその遺伝子の配列を説明できますが、じゃあ4つの塩基を順序通り並べたらヤドカリが作れるかといえば作れないでしょう。なんで、どうして、いったい誰がと訊ねたとき総ては神の采配だとでも応える他なく、科学の尖端にいる研究者は時として「神が見える」などとおかしなことを呟くのだそうです。

 

 

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Perseverance が開いたパラシュート  *ネットより

 

2012年に火星探査機Curiosity が見事ランディングに成功したとき隣の席にいたアメリカ人が握り拳で悦びの声を挙げました。新たなフロンティアに挑戦するアメリカと彼の笑顔に100%共感し拍手したことを覚えています。2021年2月19日にはPerseverance が開いたパラシュートに謎を籠め(それはただちに解読されましたが)カッコよく着陸しました。1976年に着陸したViking1号以来9機目になります。

 

NASAの目的は「生命の痕跡」を探し「証拠となりうる有機物」の探索を目指すことだそうです。ハッブル望遠鏡が宇宙の彼方を覗くのも最終的には生命のルーツを訊ねてのことであり、タヒチ島ゴーギャンが「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」とみずからに問うたことと符号します。

 

欧露の火星探査はコロナ禍もあり2年後の2023年に持ち越されましたが、Chinaの探査機はみごと火星の軌道に乗りました。着陸は7月になります。三菱のロケットで打ち上げられたUAEの探査機も火星周回軌道にのりました。Indiaは2014年の段階で火星探査機の軌道投入に成功しています。すべての国が文化的な欲求充足のため火星を目指したわけではなく軍事開発の付録でもあるのでしょうが、夜空に輝く一点の星で生命の痕跡を見つけたとすれば「宇宙強国」として国威発揚の大宣伝にはなります。しかし、まあそのようなプロパガンダはどっか別のとこでやってくれやってことで、

 

ぼくの興味は宇宙の彼方に存在するであろう地球生命のご先祖さまと足元のヤドカリ君が重なります。なぜか煽りたがるマスメディアは、色付きコロナウィルスの写真でおれらを不気味がらせますが、その極小ウィルスでさえ生存の意志をもってヒトとの折り合いを求めているようであり、つくづくこの世はいのちの不思議に満ちています。

210315記 つづく

 

ちょっと道草 210310 写真で Go to西表島(7  仲間川 マングローブ林 笹森儀助  

 

 

 

 

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仲間川河口マングローブの森 170705

 

若いころマングローブの北限は

鹿児島湾の喜入と聞いたので

バイクに乗って出かけました

行ってみたら沖に巨大な原油タンクが

ずらりと並んでいるばかり

ヒルギもメヒルギも見えません

今とちがってスマホGPSもなく

騙されたような気がしたものです

 

何年か前に車で寄ると

なんといっても自生の北限であり

海沿いのわずかな面積に

疎林がちらほらという程度でした

 

マンローブは奄美大島、徳之島

沖縄本島石垣島でも見られますが

西表島が最大面積を誇ります

 

 

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仲間川の観光船 140420

 

視野一杯に緑が広がり

ヒトの気配はなく電線は見えず

行き交う観光船の白い航跡は

マングローブの根元で消され

すぐにも太古の静寂が取り戻されます

 

 

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仲間川の上流へ向かう170701

 

河口のショップでカヤックを借り

水と弁当を載せて日が暮れるまで漕ぎました

この世でいちばん目線の低い乗り物は

サイドカーだと信じていましたが

タイヤの分だけカヤックが低いですね

 

 

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川沿いに咲く花170701

 

向かい風に対抗しやっと戻った

船着場で立ち上がった途端

バランスを崩してドボンして

ミラーレスと22㎜がおシャカ~~!

幸いメモリは無事でした

 

泳ぎには多少自信をもっていますが

着衣のまま不意打ちを喰らったら

たぶん水泳選手でもヤバイです

救命胴衣はありがたいものだと知りました

 

 

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船着場から観光船を見る170701

 

陸から川を見るのと

川から陸を見るのとでは

まるで風景がちがいます

 

 

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仲間川中流

サキシマスオウノキの巨木 170701

 

観光船を降り

日本一の板根の向こうで

記念写真をとる恋人たち

 

 

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仲間川上流

サキシマスオウノキの樹間と板根に

着生したオオタニワタリ 170701

 

小さな板根をもつ樹ならウチの裏山にもありますが

これほど立派なトラス構造は西表島ならでは

台風が直撃し森がざわめいても

サキシマスオウノキが倒れることはありません

 

その樹の上と下でオオタニワタリ

盛大に葉を広げているのは

落ちてくる有機物をかき集め

養分にして吸収するためだそうです

ふと「天空の城ラピュタ」を思い出しました

 

 

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アナジャコの巣 170701

 

エビの大親分みたいなのがアナジャコ

深さ1mにも及ぶ巣穴をつくり

掘り返した土で巨大な塚を立ち上げます

ウチの裏山を下りた渚にも

同じ形の小さな巣がありますが

アナジャコそのものを見たことはありません

ひょっとすると蟹の巣かも、、

 

アナジャコは美味で高価な食材ですが

食べるより釣る方が面白そうです

穴ぽこに書道の筆を差し込むと

アナジャコは入ってきたものを押し戻す習性があり

下から押した勢いで穴から顔を出したところを

はさみ獲るという

どっか馬鹿馬鹿しくて長閑な釣りです

 

 

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川沿いを歩く 170701

 

離れて見れば砂場にすぎませんが

この辺りは感潮域なので土はやわらかく

踏んづけた足の下には無数の生きものが暮しています

すんまへんなと詫びながらカヤックに戻りました

 

 

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野生生物保護センターに展示されていた

笹森儀助の登山姿140422

 

このおじさんは何をしているかと言うと、日清戦争の2年前1892年に南洋諸島調査のため奄美大島沖縄本島久米島宮古島石垣島、釣魚島(尖閣)と渡り、西表島に上陸したさい「刳舟クリブネに棹さして」仲間川を遡上し「樹木繁茂」する中を標高420mの御座岳を越え、島の西側へたどりついたときの写真です。

 

傘は雨よけではなく樹間から吸血虫の山蛭が降ってくるのを防ぐためらしく、着物の裾をまくり膝下の筋肉が盛り上がっているところなど旅行家と呼ぶより、国家を背負った探検家の出で立ちです。その記録「南島探験」は、観光旅行で遊びに来たぼくのような者が読むのは憚られるほどの迫力があります。山越えの一部を紹介します。

 

 

 

 

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カヤックから見た仲間川 170701

自然のままの川水だが

水は濁り底は見えない

 

一行は仲間川を2里ほど遡り「舟ヲ捨テゝ森林ニ入ル」「河水赤濁ヲ呈ス」とあります。木材伐採のための「仮小屋跡」捨てられた田んぼの「畝跡」を見ながら山へ入ると「樹木天ヲ蔽フテ昼暗黒ヲナス」「山蛭ノ夥シキ比スベキナシ」「休マントスレバ蟻付ス」と蛭と蟻の攻撃にさらされながらも「石炭」を見つけ「其見本ヲ採ル」とあります。▲のちに西表島は石炭の産地となりますが、これを香港へ運んで売れば儲かるだろうと考えたところなど並の探検家ではありません。

 

 

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案内板より140420

中央部はマングローブの樹林

 

正午に「ゴザ岳ノ絶頂ニ達ス。木ニ登リテ四方ヲ望見ス。東ハ仲間湾、西ハ舟浮湾ヲ望ミ」とあり、ぼくがバイクと巡航船で島を半周した仲間川⇒舟浮間を山のてっぺんから同時に見渡しています。

 

今は仲間川から北部の浦内川へつづく山道があり、山好きの元気者は足と観光船を使って山越えします。ぼくも挑戦すべく調べてみましたが、どう計算しても途中で一泊せねば山越えは無理です。月のない夜の森を行くのも旅の一興かもしれませんが、山道と言っても枝葉が頬を打つ細道なので、足を踏み外して身動きできなくなったら一巻の終わり、助けを呼ぶにも携帯は使えません。南の登山口には2002年に行方不明になった若者の情報提供願いが貼られています。

 

 

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浦内川から仲間川にいたる山越えの難所

案内板より140420

 

山に水場がないことも問題で、2日分の水4ℓをリュックに詰めたら重くて歩けず、奥山で危機を覚えた登山者は、あれを捨てこれを捨て、さいごはカメラまで捨てて逃げ帰ることになります。ようやく大原の町までたどり着いた若者が自販機の前で缶ジュースを8本空けたという逸話もあるくらいで、人間は腹を減らして飯をもとめるより喉が渇いて水を欲しがる気持ちがより切実なようです。

 

笹森儀助が登った明治期にペットボトルなどという気の利いた容器があろうはずもなく、水は竹の筒にでも入れたのでしょうか。前人未到の森なのでそこに水があるか無いかもわからず、たぶんあるだろうくらいの期待をもって出かけたのだろうと思われますが「西表島山中ノ河水、概ネ暗濁ニシテ、其ノ清メルモノ殆ント希レナリ」とあります。しかし喉の渇きは如何ともしがたく「医師ノ厳戒ヲ遵守スル」ことあたわず、この「悪水」を飲んで死んだらおれの体は実験材料にしてくれ「豈医学上一進歩ヲ与フルナカランヤ」「悪水何ソ恐ルルニ足ランヤ」と覚悟を決め、ついに「之ヲ掬テ一連ニ牛飲シ」とあります。やや芝居がかった文体は生きて帰った後の作文なので大目に見てあげましょう^^!

 

 

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仲間川河口部の森を切り拓いた田んぼ 170704

 

蛭、蟻、水、毒蛇、マラリアの恐怖を押しのけ笹森儀助の一行が西表島を南西に横断したのは、南の大地を開墾して食糧庫とし、山道を切り拓いて、西側の天然の良港に運べば「実ニ我カ帝国南洋第一ノ海軍要港トナルヤ、信シテ疑ヒナシ」という気宇壮大な調査行ではありました。

210310記 つづく

 

 

ちょっと道草 210305  写真で Go to西表島(6  古民家民宿 森の病院

 

 

 

西表島のバスが行き着く白浜から巡航船で渡った舟浮が、観光旅行者がたどり着ける最南端の村ですが、さらに向こうの網取に東海大学の研究所があります。前は海、後ろは道のない森、文明との接点は船のみという孤独な研究の場です。ここに滞在した方が、高知県大月町の海沿いにある研究所の所長をされており、ひょんなことからお話を伺う機会がありました。

 

 

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芭蕉に囲まれた西表島大原の民宿170711

 

仕事柄人里はなれた土地に住むけれど、今いる漁村は「車に乗れば遠くないところに町がある」と嬉しそうでした。誰にとっても都市の騒音より鳥の歌声や波の音が好ましいに決まっていますが、かといって文化・文明から切り離された孤島の暮しは精神的に耐えられないでしょう。すると人生の理想は自然+文化・文明の調和ということになります。

 

 

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民宿「遊しび」170711

 

沖縄の母音はアイウしかないので

遊びは「あしび」

 

チャップリンの映画に、この世でいちばん大切なものは「少しのお金と愛だ」という名言があります。立って半畳寝て一畳の空間が確保できれば、あとは精神的な問題でしかない。広大な人工空間を望むか、森と海に囲まれた自然空間を好むかは個人の趣味の問題だ。自然の中に棲み家をもち、口を糊する手だてがあり、かつ都市とつながる文化的な接点を持つならこれこそ現代の理想郷ではないか。都市がヒトで満杯になり、歴史がどん詰まりに行き着いた今、次なるテーマは都市と田舎の往来ではなかろうかと理屈っぽく考えているうちに上記研究者がつくづく羨ましく思われました。ぼくの場合、自由な時間があり、緑に包まれた安宿があれば他に望むものはありません。そこに発生した空白をどのように埋めるかは自分の問題です。(とはいえ事情で「時間」が圧迫され毎日深夜までえらい目に遭ってますけど)

 

 

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民宿の居間兼寝室170711

 

西表島にはペンション風の民宿も

豪華ホテルもありますが

そんなお宿に興味がないぼくは

この古民家がふるさとでした

 

農家を改造した1棟貸し切りの民宿で10日ほどお世話になりました。たしか1泊3000円ほど^^! マンションで生まれ電車で通勤する若い子を連れてきたらどう反応するか分かりませんが、農家の伜の自分には何もかも懐かしくタイムマシンで子ども時代に戻った気がします。空調という文明の利器はいまだ使ったことがなく欲しいとも思わないので扇風機で充分です。新素材の床板より足の裏で磨かれた板敷きがしっくり来ます。

 

 

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仲間川河口 140421

 

わずか数十年のうちに気候が変わり、避暑は沖縄へ行けという文句が冗談ではなくなりました。亜熱帯性海洋気候の西表島は、夏場でも最高気温が32度ほど、昨年の東京のようにコンクリートがつくる地獄の釜ではありません。

 

 

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居間から見た厨房 170701

 

いつしか年を経て女将さんは

「民宿は今年で終わりにします」とのこと

4年後の今Google mapを見るとどうやら

新しいお店に生まれ変わったようであり

ぼくは最期の年の宿泊客になりました

 

かつて西表島マラリアの猖獗地帯でした。大戦後に米軍がやっつけたので今はとりたてて用心するほどの問題ではありません。が、石垣島までご一緒した医者の友人は「マラリアが無くなったわけではないよ」と言います。窓に防虫ネットを張った寝室で、蚊とり線香をくゆらし、オオクイナが喉を詰まらせたように鳴く声を聞きながら夜は更け、朝が来て、散歩して、読みさしの本を開けたり、昼寝したりしているうちに、疲れを溜めた体と脳が、だいぶ元気になりました。

 

 

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これは何かというと? 140420

 

町の病院では、ヒトの体から精神を切り離し、食と薬で肉体を守ってくれますが、殺風景な病室のベッドで白い壁を見て暮らすのは嫌やなと思う人には「森の病院」がお勧めです。飯くらい自分で作れますよという人間なら民宿ないし湯治場で体を休めるのも元気回復の一手です。それを病気と呼ぶかどうかはさておき、長いこと同じ仕事をしていると肉体にも精神にも疲れが溜まります。ところが自身の変化は自分では読み取れないもので、そこを家族に指摘されると、えい鬱陶しい、放っといてくれと思ったりしますが、たまに健康診断を受け、医者に数値の意味を説明されてギョッとするのは、他者の目で自分を見たからでしょう。

 

 

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天然記念物のセマルハコガメです140420

腹部の蝶番で蓋を閉じると

手足首尻尾とも箱にぴたりと収まります

 

本人は気付いていないが、他人から見れば明らかに状態がおかしい人をどうやって外へ連れ出すか、1)言葉で諭す 2)強引に拘束する二つの方法があります。1)通常、他人が言葉をかけても本人は納得しないものですし、2)拘束するのは最期手段であって精神科の領域であったりします。

 

 

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亀仙人とはぐれちまった家来のカメ^^ 170709

 

系内から自力で系外を覗くことは原理的にできないので、そこから脱出するために企業は社内イベントを打ち、社会は祭りをこさえます。多少の強制を伴うものの忘年会や夏祭は、わが身わが心を振り返る切っ掛けにはなります。が、祭りではしゃいで元気もりもりということが一時的にあったとしても、やがて日常が戻り、同じ仕事が繰り返されて自分の状態が分からなくなります。どっぷり浸った酒や煙草をやめようとした人ならお分かりかと思いますが、系内にあって系外を見ることは、幽体離脱のワザでも覚えない限りできません。

 

 

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大富口から第一山小屋跡へ向かう山道の

キシノウエトカゲ 140420

 

長い抑圧を受けると筋肉は硬直し、精神もゆとりを失います。その緊張が新たな地平を開拓する力になることもありますが、心の崩壊につながる場合もあるわけです。では、どうすれば良いかといえば、どうしようもないのですが、何かの拍子に外へ出る切っ掛けがあったら、その気付きを大事にすべきかなと思う次第です。

 

 

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森のアート 140420

大富口休憩所 ヤブレガサ

 

救急外科に運ばれた。折れた骨をつないでもらった。ありがとうお医者さんという分かりやすい治療はさておき、病気の大半は自然治癒力にまかせる他ないわけです。鳥が渡る森の風に吹かれ、しっかり食べて、ひたすら寝るのが病気治癒の最短距離のようであり、軍医森鴎外は”おれはコレラを寝て治した”というようなことを書いていました。

 

 

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山のアート140424

浦内川上流ガンピレーの滝のポットホール(欧穴)

 

 

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海のアート 140420

南風見田ハエミダの侵食された砂岩

 

210305記 つづく

 

 

 

ちょっと道草 210228  写真で Go to西表島(5  舟浮 久高島 竹富島 酒田市の海向寺 那智勝浦の普陀落山寺

 

 

 

 

 

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西表島舟浮の御獄(ウタキ)140423

 

御獄はヤマトの神社ではなく

沖縄・先島特有の信仰の場です

ここに侵入禁止の看板はありませんが

よそ者が立ち入るのは憚られる

聖域ではあるのでしょう

 

 

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御獄の聖空間 140423

 

鳥居をくぐり中に入ると

亜熱帯の樹木に囲まれた聖地が

しんと静まり返っています

 

 

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島の南北をつなぐ道 140423

 

集落の反対側にイダの浜があります

亜熱帯の野鳥の澄んだ歌声を聴きながら

ほの暗い緑のトンネルを抜けると

光のまぶしい海が広がっていました

 

 

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イダの浜 140424

 

この贅沢な海水浴場は

ひとときの桃源郷です

してみれば緑のトンネルは

現世と他界をつなぎ

東方浄土ニライカナイへいざなう

道のようでもあるのかなと、、

 

 

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沖縄本島南城市の斎場御獄(セーファウタキ) 130928

 

巨岩がつくる奇しき場によそ者は

立ち入ってはならないはずですが

ここは観光客に開放されています

 

 

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斎場御獄から遥拝される久高島 130928

 

12年ごとに行われる奇祭「イザイホー」は

後継者不足のため1978年を最期に失われたようですが

久高島は今も神の島です

 

 

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久高島フボー御獄へ向かう道 030929

立ち入り禁止区域外より撮影

 

「神代の昔から琉球王府と久高島の人々が大事に守ってきた」フボー御獄には「何人(なんぴと)なりとも出入りを禁じます」との立て札が置かれています。かりに不届き者が立て札を無視して中に入ったとしても、そこにあるのは岩と肉厚の葉をもつ巨樹の空間に過ぎず、聖地を物理的に汚すわけではないでしょう。しかし神の島の御獄は、御霊をまつり祈りを捧げる場であり、よそ者が目と足で穢してはならないのです。

 

 

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久高島の東の端 130929

 

四国霊場第38番札所、足摺岬にある金剛福寺の御詠歌に「普陀落やここは岬の船の棹とるも捨つるも法の蹉陀山」とあります。蹉陀岬(足摺岬)の向こうには観音さまが住む普陀落の山がある。そこへたどり着けば仕合わせになれるという信仰のもと、小舟にわずかな水と食糧を積み、ひとりで沖へ漕ぎだす「普陀落渡海」が、かつて和歌山の那智、高知の室戸岬足摺岬で行われたそうです。那智勝浦には今も普陀落山神社があります。

 

井上靖の小説「普陀落渡海記」は、衆生の期待を一身に受けて出立せざるをえなくなった住職金光坊が、ついに渡海の日を迎え、小舟で海に追いやられる物語です。どの宗教も来世を美しく描きますが、天国や極楽を見た人はおらず、したがって理想世界は空想世界でしかありません。空想が現実を支配できるかといえば、人によりけりでしょうが、来世の幸せを確信できない金光坊は、目前の恐怖を追い払うことができず、小舟から脱出し、一命を取り留めました。しかし成り行き上役人は、陸に上がった金光坊を信徒の前に連れ戻すことはできず、憐れな住職の命乞いの言葉も耳に入らなかったことにして、再び海の彼方に送り出しました。

 

 

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和歌山県那智勝浦普陀落山寺に

展示されている渡海舟のレプリカ

パソコンの写真を探しましたが

どうしても見つからないので

*ネットより拝借しました

 

金光坊は望んで渡海したわけではなく

いわば人身御供として

この小舟に閉じ込められたのでしょう

四万十川に浮かぶ屋形船ほどの大きさです

 

その経緯をカネがすべての経済学で冷たく分析すれば、姨捨山の海洋版のごとく砂をかむような話になるのでしょうが、人の行為がカネ一元論で説明できるわけもありません。この世の生にケリを付けた人間が、理想世界を架空し、海と空の境にむけて旅立つことはあり得ない話ではないでしょう。ひょっとするとそれは横に延びた鉄路や途方もない高さのコンクリートを想起するよりずっと豊かな行為であるのかも知れません。

 

 

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竹富島の御獄 130920

 

 

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御獄より岩礁を経て石垣島を望む130920

 

あちらの世界からたまたま戻って来られた人たちが臨死体験を語ります。長いトンネルの向こうに光が見える。天使のシルエットが浮かび音楽が流れる。人生の中で最も穏やかで静かな瞬間だった。死はひとつの人生から次の人生へ移行するだけ。お金も地位も名誉もなく思惟だけが人生を振り返る、、以上はネットから断片的に拾ったものですが、たしか立花隆の「臨死体験」にも似たような記述がありました。トンネルと光は圧迫と解放の象徴かと思われます。

 

死とは何かという大問題は、この世にあらわれた全ての人間に突きつけられた謎です。山形県酒田市の海向寺には即身成仏したミイラが安置されています。生きたまま地の下で自らを滅する行為は、修行の極致であり、常人の想像を超えます。それはいったい何のため? 誰のため? と考えたとき少なくとも自分のために地下で食を絶つことはありえません。何が幸せかは人それぞれであるにせよ通常は、他者の尊敬を受け、希望をもって、健康に生きることが幸福の原則としたものです。海向寺の住職が私的幸福の原則を実現していたと仮定し、敢えて彼は何のために地の底で果てたのか?と問うとき、 それは「他者」のため「衆生」のためと応える他ないのではないでしょうか。

 

 

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山形県酒田市海向寺のパンフ 2016秋

全国で確認されている即身仏

16体中8体が山形県にあります

堂内撮影は禁止です

 

1755年(宝暦5年)の忠海上人、1822年(文政5年)の円明海上人の即身仏(ミイラ仏)は今も海向寺に祀られています。入館料を払い案内されて私も両上人の即身仏が鎮座する仏堂にひとりで小一時間立ち尽くしました。木の実を食べて命をつなぐ「木食修行」を経、生きたまま地下3mのたて穴に入り、断食し、経を読み、鈴を鳴らす「土中入定」を終えると「特別なことをしなくても即身仏として御身体が残った」そうです。

 

寺でもらった説明書きには「会う体験は体で学ぶこと」「即身仏は、その人にとって大切なことを伝えられるように江戸時代の昔からすわり続けています」「両上人は、人々の苦しみを救い、願いごとをかなえるためには、木食行者となり、お姿を残す即身仏となる他はないと決意され、厳しい修行の旅に出ました」とあります。

 

堂にまします両上人は、頭蓋骨に皮が張りつき、眼窩は深く窪み、両の手の骨は細く長く前に垂れ、全身ほぼ骸骨が鮮やかな法衣をまとって無言の教えを説いてくれました。その教えをどう解釈するかは自身の心のあり方によりますが、この恐るべき修行者のお姿には、百万言の言葉を超えた何かがあります。人は「他者」のためなら頑張れるということです。

 

そう考えたとき金光坊は、自分の幸福追求を願ったにもかかわらず、意に反して出航させられ、死の恐怖に怯えたと考えられます。もしも金光坊が、みずからの死と引き換えに「他者」の幸福を確信できたなら彼は勇気をもって渡海に臨めたのかも知れません。

 

貧しい姉が身を粉にして働いたお金を弟に仕送りし、弟は必死で勉学に励んだという姉弟愛が人を泣かせる理由はそこにあります。がんばって働いた姉は預金残高を増やしたとさ、では文学にならないのです。

2102328記 つづく

 

 

  # # #日本の今# # #

過去2回ご紹介した井上正康医師のコロナ関連対談の新作がYouTubeでアップされました。Q&A方式で簡潔に整理されていましたが、時間をおいて再度アクセスすると黒画面に「この動画はYouTube利用規約違反のため削除されました」とそっけない表示があらわれました。誰が何のためにいかなる権限をもってどの部分を「違反」と断定したのか、理由説明はありません。

 

米大統領選挙におけるトランプ大統領YouTubeFacebookTwitterといったSNSから排除され発言を封じられました。およそ公平性に欠けるCNN他の米大メディアの偏向ぶりに驚き、それを日本メディアが無批判にコピーして流す従属報道にも呆れましたが、Google傘下のYouTubeは、あらためて日本で情報統制をやるのかと空恐ろしくなりました。

 

万人に開放されたYouTubeとはいえ公序良俗に反するものは削除すべきです。が、井上正康医師のどの発言がいけないのだろうとメモを見ながら考えていると削除された動画が「ニコニコ動画」に無料でアップされていることに気付きました。骨ある志士が日本メディアにも隠れているようです。

 

以下個人メモ

遺伝子ワクチンの結果が見えるまでには長い時間がかかる

血圧には個人差があり平均値に押し込めることには問題がある

欧州人はペスト耐性があり、東洋人にはコロナ耐性がある

ウィルスは小腸に集まる⇒消毒液はトイレに置け。

たとえて言えばマスクは鳥小屋のケージみたいなもの

唾の飛散は防げてもウィルスは蚊ほど小さい

子どものマスクは充分な酸素が供給されないので夏場は危険だ

みんなが富嶽にビビらされた

井上医師はマスクを付けず新幹線に乗った

 

この辺の発言にキレて通報した人がいるのかなと、、

よく分からないハナシですがどこか利権の臭いがします

ご関心の方は早めにどうぞ。

 

https://www.nicovideo.jp/watch/so38313419

ちょっと道草 210223  写真で Go to西表島(4  舟浮小学校 東郷平八郎 石垣島の電信屋跡

 

 

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白浜港に戻った二人乗りカヤック140423

 

遠くで暮らすことが

ふたりによくないのは

わかっていました♪

 (井上陽水/心もよう)

 

♪⇒ふたりでカヤックに乗り

呼吸を合わせてパドルを回せば

メールや電話より遥かにビット数の多い

情報交換ができますヨ

 

 

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西表島舟浮 140423

 

白浜港から巡航船に乗って

景色に見とれていると

舟浮港はすぐそこです

 

 

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舟浮小学校 140423

 

むかし韓国の大学生を手作りのサマーセミナーに迎えるため四国の山奥で廃校を探したことがあります。大学日本学科の学生は姉妹提携した東京の大学に短期留学することもできますが、友人の教授は「在り来りの研修では面白くない。軍隊暮しでへとへとになり、反日を刷り込まれた学生に日本の田舎の人情を見せたい」ことからふたりで廃校(という言葉を村人は好まないので休校舎)を訪ねて廻りました。

 

そこで気付いたのは、どんな山間僻地の校舎もその土地の最高の立地場所に建設されていることでした。明治5年の学制発布は「邑ムラに不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを期す」という気合のこもった文言で教育を語りました。その熱意に偽りはなく、また学校は災害時の避難場所であることからも、全国津々浦々の小学校が日当たりの良い安全な平地を占有しています。

 

ここ舟浮小学校もまた海と森に挟まれ、南に顔をむけた日当たりの良い場所にあります。平屋建ての小学校であることから建設当初より生徒数は少なかったことが想像され、おそらく白浜小学校への統合案もあったろうと思われますが、年端のいかない子を船で往復させるのはいかがなものかという議論もあったであろうし、学校を失った地域は精神的支柱を失うことから残せという村人の強い声に押されたとも考えられます。ともあれ舟浮小学校では、耳を澄ませば、今日も子どもの声が聴こえ、教育が経済合理性で語られがちの今なお「家に不学の人なからしめん」という思想が生きていることに感動します。

 

 

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赤い花を付けるデイゴ140423

 

デイゴの巨樹の下を行くふたり連れは親子ではなく先生と生徒です。どうやらこの学年の生徒は1名しかいないようでした。声をかけると「今から社会勉強に行くのです」とのことでしたが、社会といっても辺りに人影はなく、生徒にとっては先生が即ち社会なのでした。個人の成長には他者の存在が必要ですが、無い袖は触れません。

 

 

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東郷平八郎 140423

 

西に向けて複雑な入り江をもつ西表島は、両手をひらいて西から人を迎えます。明治38年バルチック艦隊との決戦を前にした東郷平八郎もそのひとりでした。碑文は連合艦隊司令長官が舟浮に上陸し「帰りに立ち寄った民家でお茶とラッキョウの接待を受けた」というほのぼのとした逸話です。

 

 

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石垣島屋良部半島の電信屋跡130925

 

石垣島屋良部半島には、バルチック艦隊を発見した宮古島の漁師が「手漕ぎの船で石垣島へ駆けつけ」台湾⇒石垣島沖縄本島⇒日本本土と渡る軍用通信網でロシア軍艦の通過を報じた電信屋跡があります。

 

 

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アジア太平洋戦争時に米軍機から受けた銃弾跡130925

 

高校社会科を担当した友人に「今の子は乃木希典東郷平八郎を知っているか?」とたずねたところ「 殆どの高校生は名前も知らないのではないでしょうか」とのことでした。乃木希典については「日露戦争要図の一部に旅順攻防戦の日本軍の進路が矢印で示されていてそこに“乃木3軍”とあるくらい」、東郷平八郎については名前すら見あたらないようです。日本海海戦後116年、アジア太平洋戦争後76年を経て歴史事象がどんどん追加され、何かを捨てなければ新しいことが語れない今、無理からぬことではありますが、この2人の名前くらい覚えてもバチは当たらないんじゃないのと思いますけど、、

 

日露戦争に敗れていたとすれば、日本の歴史は大きく変わったはず、ひょっとするとおれら日本人はRussia語を話していたかも知れんなと空恐ろしくなります。いろいろ言われても東京大学法学部が日本の官僚機構を担っていることは事実でしょう。そのエリート官僚が、この2人の名から歴史に参入できないとすれば、彼らの頭脳には違う歴史が差し込まれたことになります。

 

乃木希典日露戦争で2人の息子を死なせ、家系は断絶しています。が、この電信屋跡に連れてくれた長年の友人は乃木家の外戚の子孫にあたる人物で、折に触れ乃木家秘話を語ってくれます。彼をさそって高松にある四国札所を訪ねたとき、そこに置かれた乃木希典銅像の顔が彼そっくりなので思わず笑ったこともあります。身内のバイアスがかかっているかどうかはさておき、司馬遼太郎の「坂の上の雲」において乃木希典陸軍大将が、児玉源太郎とチェンジし203高地の攻防戦は一挙に終わったという段にも納得できないような口ぶりでした。

 

きのう龍馬と飲んでたんだけどさってノリで語られる司馬小説にはあまり興味が湧かないのですが、編年体紀伝体を盛り込んだ日露戦争の顛末「坂の上の雲」は非常に面白いです。ただよく言われるように、明治はよかった、昭和はいけないという司馬的二分法には引っかかるものがあります。そのよかった明治の乃木希典を「坂の上の雲」であれほどまでにやっつけねばならなかった理由は何なのか、とりわけ小説末尾の乃木攻撃には病的なものさえ覚えます。作家を突き動かした背後事情は何なのか、ぶっちゃけて言えば軍および昭和を否定しなければ文筆業がやりにくい時代ではなかったのではなかろうか、戦後の大学においてごっぽり入れ換えられた右⇒左系学者を含め、司馬遼太郎もまたGHQの影を意識していたのではあるまいかと取り立てて根拠もなく思ったりします。

 

学校教科書から英雄を消すことは歴史の書き換えでもあります。日露戦争の英雄が、この立て札のかすれた文字でしか語られない国とはいったい何だろうと悲しく思います。

 

 

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ブーゲンビリア 140423

 

210223記 つづく