ひとり旅 210914 森の病院 もののけ姫と平成狸合戦ぽんぽこ

 

 

 

 

高知から徳島へ向かう剣山山系に日本一長いダートがあります。仕事に忙殺され頭も体も固まった週末には、朝早く家を出、四国の背骨のスーパー林道88㎞を駆け抜け、日が暮れて戻り着いたころには脳も筋肉もほぐれたものです。ここは全国のオフロードバイク愛好家がうらやむ土の道なのですが、悲しいことに2年ほど前に訪ねたら林道の入り口が塞がれていました。

 

思いますに、事故があった。通報を受けて地元の人たちが駆り出された。コケた奴は可哀相だがオレらは遊び人に付き合うほど暇じゃない。えい閉めちまえというようなことではなかったかと推察します。

 

土の道が舗装されオフのロードがなくなった

いつしか自分もトシを取り若い子の真似はできなくなった

というワケで長く付き合ってきたオフロードはやめ

ホンダスーパーカブの続きみたいなクロスカブ110㏄に乗って

島根と広島の県境は「もののけ姫」の古里へやって来ました。

 

 

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備後落合駅の待合 2021.09.09

 

壁に掛けられていた小鳥原第一鉄橋を走るSL 

今から85年前、昭和11年の鉄路です

 

じつは高知⇒高松⇒神戸経由で福井は敦賀からフェリーに乗り、まだ見ぬ佐渡島をバイクで訪ねる予定でしたが、敦賀のホテルでネットを探っていると佐渡市長が、時節がら「来島はご遠慮ください」と苦しまぎれの警告をしていることを知り、折り返して中国地方の山間地までやってきたという次第です。▼矛盾だらけの発言が悲しい尾身会長に気兼ねしたからではありません。

 

 

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小鳥原鉄橋 2021.09.09

 

鳥取から広島へ抜けた山奥に巨大なコンクリートの柱が立ち、下から見上げると恐ろしい高みに錆を残した細い鉄路が走っています。ここも廃線かと移りゆく時を惜しみ、いくらか感傷的な気分に浸っていると踏み切りに差しかかりました。

 

 

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小持原踏切 2021.09.09

 

あたりは山に囲まれた盆地状の農村で

刈り入れを待つ黄金の田が広がります

所々に農家は見えますが

人の姿は見えず

鉄路は錆び

枕木の間に草が生えています

 

 

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備後落合駅 2021.09.09

 

駅といっても錆びた鉄路を

列車が走るわけはないから

ここは廃駅だろうと思いつつ寄ると

 

 

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備後落合駅 2021.09.09

 

構内は隅々まで清められ

雑草のひとつも生えていません

が、人の気配はまったくありません

 

しんとした寒村に

雨上がりの空から日が差し

物音とて聞こえない

不思議な風景でした

 

この駅は

生きているのか

死んだのか

 

 

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備後落合駅 2021.09.09

 

鉄路の輝きをみて

生きた駅だと知りました

 

 

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待合の壁で写真展 2021.09.090

 

レトロなSLは今も津和野を走っていますが

あくまで観光列車としてです

ぼくが1980年代のChinaで見た現役バリのSLには

暮らしの期待を背負う力強さを覚えました

パクリ新幹線には何の興味もありませんけど~~

 

 

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待合に置かれた雑記帳 2021.09.09

 

記念の記録を見ていると緊急事態宣言も何のその^^! カキコ氏たちは尾道、兵庫、広島、岡山、大分、大阪、新宿等々から山奥の無人駅を訪ね「不要不急」の遊び旅をしたことがわかります。中に「18切符で来ました。明日は徳山まで向かったあと姫新線に乗りに行く予定です。この駅で野宿・大学生」という当日の記録もありました。星降る夜ひとり無人駅で、おそらくは森の物の怪に怯えつつ野宿し、朝一番の列車で戻ったのでしょう。オレも若い頃そんなことしたかったなと羨ましく思いながら、ふと佐渡市長に遠慮して福井から引き返した自分が馬鹿らしくなりました。

 

 

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もののけ姫 ネットより

 

広島、岡山、鳥取、島根が交わる”奥出雲”の周辺は「もののけ姫」の故郷です。1997年に公開された「もののけ姫」は、製鉄の燃料として樹が伐られ、森を剥がれて住処を奪われた獣たちと、そうは言っても生きるためには”たたら”を踏まねばならない人間との出口のない争いの物語でした。

 

都会の人と田舎の人は、どちらがより自然を愛するかと考えたとき、鉄とコンクリートの空間に切ない思いで緑を持ち込む都会人が、緑だらけの田園でカネを欲しがる村人より自然に対する思いは強いのかも知れません。宮崎アニメに通底する理念は、充分な緑を残した自然と、ほどほどの人為の調和と言えそうです。しかしそれは21世紀の現実として見るかぎり虚妄でしかありません。

 

 

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平成狸合戦ぽんぽこ」末尾 ネットより

 

平成狸合戦ぽんぽこ」は多摩ニュータウンを開発するヒトと住処を奪われたタヌキの争いでした。どちらが勝って、どちらが負けるかは誰でもわかりますが、話の結末は土地を奪われたタヌキが人間に化けて暮らすという悲しい同化政策なのでした。心の中にタヌキとしての故郷を持ちながら口を糊するためヒトとして働くという一歩まちがえればidentityを喪失し、闇に向かって叫ぶ他ない離れ業を、ヒトではなく、タヌキに求めたのが「平成狸合戦ぽんぽこ」の思想的結末でした。アニメだから面白おかしく描いていますが、これは恐ろしい結論です。

 

 

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比重を利用して土と砂鉄を分離する

鉄穴(かんな)流しの風景  ネットより

 

もののけ姫」が島根のたたら場で生れたことは知っていましたが、中国山地を挟んで島根側と広島側の広い面積が砂鉄の産地であり、風化花崗岩の山を切り崩し、そこに含まれるわずかな砂鉄を「鉄穴流し」の技法で得たことは、ここ備後落合駅に来るまで知らなかったです。

 

アニメ「もののけ姫」は森の先住民と樹を乱伐する侵入者との闘いですが、もののけ姫の怒りを買った製鉄所職員が、鹿や狸や猪の領土を奪い、やらずぶったくりの開発で自己利益の拡大に務めたかと言えば、必ずしもそうではないようです。

 

崩した山の1%ほどに過ぎない砂鉄と引き換えに、鉄穴流しで流された大量の土砂は、長い年月を経て、下流域に田畑をつくり「砂鉄採取後の痩せた土地でのソバ栽培を通じた土づくりや、鉄穴流しに利用した水路や溜め池を再利用することで、豊かな棚田に再生してきました*」*駅の待合に置かれていたパンフより

 

 

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蕎麦の花 2021.09.09

 

蕎麦はまだ花でもてなす山路かな (芭蕉)

 

ただし人為がよいことばかり産むわけはなく大量の土砂は下流域で天井川をつくり、岡山県高梁川では、川床があがり3年に1度は洪水を引き起こす「暴れ川」になったそうです。「濁水とともに下流域に流出した土砂は鉄気(かなけ)を含んでおり、作物の生育や人・家畜の飲み水さらに製紙や酒造・紺屋など川水を使用する製造業にも影響を及ぼしたことから昭和46年(1971年)の水質汚濁防止法で禁止されました」とも。

 

反面、日野川下流に下りた土砂は、鳥取県弓ヶ浜半島や米子平野の広大な平地をつくり、島根県斐伊川下流宍道湖では、出雲縁結び空港(長い名前ネ)の土地を意図せずして造成したそうだから鉄を求めクワとモッコでせっせと働いた人間の努力は凄いものです。そのようにしてたたら製鉄は遠く奈良時代より「1400年以上」も続きました。

 

森の物の怪にとってヒトは邪魔でしたが、ヒトもまた物の怪の一部だから存在を主張する権利はあります。1990年代に市民運動に参加し、自然保護を訴えてきた自分の小さな経験から言っても黒か白かの極論は良い結論を導かないように思うのです。

 

ではヒトと物の怪はどの辺りで手を打つべきかと考えたとき、戦後10~20年ころの技術社会が許容限界ではなかろうかと思うわけです。子どもの頃の記憶をたどり、昭和30年代の農村でトラクターが吐いた黒い煙は、水中眼鏡で見たイカ墨を思わせ、懐かしく思い出されます。当時の機械は間違いなく人間に仕合わせをもたらしました。

 

それから半世紀を経た21世紀の今、レシプロエンジンはロケットとなり弾頭に核を積む効率的な破壊を可能にし、過激に進化したコンピュータは全人類の行動を監視する能力さえ持つに至りました。スマホを持てばその日からプライバシーはありません。それでもわれわれは仕合わせだ。昔の暮らしを見てみろ、ひでえもんだと信じ込まされているわけですが、ふと立ち止まり、頭のスイッチを切り換えて、仕合わせとは何かと考えたとき戦後しばらく技術と自然は折り合っていたように思うのです。

 

そんなこんなでアテもなく

バイクを走らせていると

美しくも悲しい

人の暮らしが見えてきます

2021.09.14記 つづく

ひとり旅 210901   川の病院

 

 

 

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仁淀川中流域の名越屋沈下橋 2021.08.03

 

 

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増水時の名越屋沈下橋 2021.08.20

 

 

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名越屋沈下橋 2021.08.20

 

遠景として見る分には愉しい風景ですが、洪水時に

縁が丸まった欄干のない橋を渡るには勇気が要ります

車一台の道幅しかないのでハンドル操作を誤ると一巻の終わり

ガードレールのない断崖絶壁を走るようなものだから

しっかとハンドルを握ったドライバーは前方から目を離さず

時速10㎞ほどで這うように渡ります

 

四輪はゆっくり走れても二輪は一定の速度が必要です

コケたらヤバいのでいやが上にも慎重になりますが

困ったことにヒトの視野角は広いので

視線を直角に切る急流が目の錯覚を起こします

 

某aiさんは車で渡り終わって緊張がほぐれた瞬間

どっと涙が出たそうです

沈下橋のスリルを味わいたい方は

車かバイクで台風の日にどうぞ^^!

 

 

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大雨の翌日の仁淀川支流 2021.08.20

 

水嵩は増していますが

上流で工事がないらしく

水は濁っていません

 

 

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橋の向こうでささ濁りの支流が

仁淀川本流の濁水とぶつかる 2021.08.20

 

 

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晴れた日の仁淀川八田堰 2021.08.03

野中兼山が残した傑作のひとつです

 

塞き止められた水は水門を抜け

わずかな勾配をたどって

下流域の大地を潤します

 

 

大雨の翌日の仁淀川八田堰 2021.08.20


大雨の翌日の仁淀川八田堰 2021.08.20

 

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洪水時の仁淀川河口大橋2018.07.07

 

森がしっかりしていた昔は大雨が降っても

ささ濁りのまま、じわじわと水嵩が増したものですが

今は土木工事の残土がつくる濁流がどかんと流れます

この日は上流の大渡ダムが放水したはずなので

その影響もありそうです

 

ぼくは高知県宿毛市和田の農地を流れる

昭和30年代の松田川を知っています

堤防が切れて越水すると水は田んぼへ向かいます

土手の向こうは町なので住宅街に水を回すわけにはいきませんが

理屈はさておき何で毎年オレらの田んぼを濡らすのかと

オヤジはいつも不満顔でした

 

 

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カーバイトランプ ネット広告より

 

しかし悪いことばかりではありません

川が氾濫すると水と一緒に魚が稲田に入るので

その日はカーバイトランプを取り出し

カナツキを磨いて夜を待ったものです

 

写真のランプ下部にカーバイトの塊を置き

水を入れた上の筒から水滴を垂らすとガスが発生します

マッチで火をつけると強い光を発し

風が吹いても消えません

 

フナやナマズの寝込みを襲うのはやや気が引けますが

銛の先で暴れる生きものの感触が、掌を伝って

自分も生きものであることを教えてくれます

 

フナは干してダシに使いました

ナマズはあんな顔をしていますが

身は淡白で旨いです

 

 

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物部川山田堰の遺構 210823

 

江戸期の土木家・野中兼山は

仁淀川に(上記の)八田堰

香南市手結に掘り込み漁港*

香美市を流れる物部川に山田堰*

四万十川(後川)に曲線斜め堰*

宿毛市松田川に曲線斜め堰の河戸堰など

 

多くの土木工事をなし遂げた人物ですが

工事に熱を入れる余り農民の恨みを買い

目立ち過ぎたからか同僚の讒言によって

職を解かれ、不遇の死を遂げ

子孫は宿毛に幽閉されました

 

 

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物部川山田堰(昭和61年=1986年) 看板写真より 210823

 

今から35年前のカラー写真なので

水面の青が強調されているかもしれませんが

水質はまあ上等でしょう

 

堰堤手前はコンクリートで補強工事をしていますが

中央部は石がつくる緩い勾配の上で水が白く泡立っています

江戸期の工事が残存した部分のはずで

実はここが生命系の重要部です

 

フランス語にはダムと堰堤の区別がないそうですが

ダムの多くは電力生産、洪水調整をふくむ多目的ダムであり

堰堤は水利のため水を一定の高さに留めることが目的です

 

ツルハシとモッコで工事をした当時は力学上の必要があって

石や岩を並べ、結果的にゆるい斜面がうまれました

川が人為で断ち切られたからといって堰堤の上流と下流

魚種が異なることはなかったはずです

魚は気合を入れて遡上し、疲れたら石の隙間で休みます

今日の巨大ダムのように魚道などという切ない仕掛けは不要であり

しかも農地は潤い、アユもエビも気ままに生きられたはず

その一点から見てもむしろ

江戸期の工事は現代の巨大土木に優越します

 

だから昔がよかったとは申しませんが

過去の美徳を全否定することによって

現在を肯定する怪しいロジックは要注意です

 

 

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四万十川(後川)の曲線斜め堰 201004

 

野中兼山が手がけた堰堤のうち

ほぼ完全な形で残った唯一の遺構です

(201018号で紹介済み)

 

直線斜め堰は川幅より長いので水圧が分散されます

川面に糸を垂らしたように湾曲する曲線斜め堰は

さらに長く、水の横圧をゆるめ

見た目に美しい曲線をつくります

 

数学の先生によると

吊り橋を寝かせたような曲線にも

ちゃんと方程式があるのだそうです

 

後川の斜め堰よりもっと大がかりに湾曲していた

松田川の河戸堰は改修され、記念の遺構を一部残して

ぼくが少年のころエビやアユを獲って遊んだ

清流の面影はほぼ消えました

 

代わりに巨大なコンクリート塊が川をまたぎ

洪水を防ぎ、秋の稔りをもたらしてくれますが

かつて感潮域の尖端で泳ぎ、水中眼鏡の向こうに

海の魚を見た驚きはもはやありません

 

昭和30年代の農村を知るぼくは

それはセピア色の感傷だよと

切って捨てることはできないのです

 

昔の人は苦労したが

今の人は幸せになったという

技術進化論⇒幸福増進論は

ぼくのような者がちょっと考えただけでも

既に破綻しています

2021.09.01記 つづく

 

 

 

付記

水の流れはなぜか心をなごませてくれます

家の周りを澄んだ水が流れる風景ってよいもので

京都は加茂川の土手にずらりと並ぶ恋人たちにとっても

浅瀬のせせらぎはロマンチックな逢瀬を演出してくれますネ

 

若い人はさておき

いずれ誰もがお世話になる病院や老人ホームに

ひねりを加えた水の流れを持ち込めないかと

ずっと前から友人と考えてきました

 

そうは言っても施設や病院は忙しく、経営も大変だから

オレらの提案に乗ってくれる奇特なヒトはあらわれません

ならばバイクで川沿いを走った方が話は早いというワケで

「川の病院」でした

 

 

ちょっと道草 210822   写真で Go to 西表島25  巨大サンゴの怪

 

 

 

 

 

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横塚眞己人著「イリオモテ島」日本教育図書㏍ 1987年初版

 

写真はおよそ200年の歳月を経て

水深15mの海中に息づく

西表島崎山のアザミサンゴ

 

本書は1987年の出版だから

写真家は2年後の1989年

この巨大サンゴにK・Yの字を彫った

サンゴ傷付け事件を知ることになります

 

 

 

「サンゴ汚したK・Yってだれだ」

これは一体なんのつもりだろう。沖縄・八重山群島西表島の西端、崎山湾へ、長径八メートルという巨大なアザミサンゴを撮影に行った私たちの同僚は、この「K・Y」のイニシャルを見つけたとき、しばし言葉を失った。

 

巨大サンゴの発見は、七年前。水深一五メートルのなだらかな斜面に、おわんを伏せたような形。高さ四メートル、周囲は二十メートルもあって、世界最大とギネスブックも認め、環境庁はその翌年、周辺を、人の手を加えてはならない海洋初の「自然環境保全区域」と「海中特別地区」に指定した。

 

たちまち有名になったことが、巨大サンゴを無残な姿にした。島を訪れるダイバーは年間三千人にも膨れあがって、よく見るとサンゴは、水中ナイフの傷やら、空気ボンベがぶつかった跡やらで、もはや満身傷だらけ。それもたやすく消えない傷なのだ。

 

日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない。だけどこれは、将来の人たちが見たら、八〇年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の……。

にしても、一体「K・Y」ってだれだ。

— 写'89 地球は何色?『朝日新聞』1989年4月20日、夕刊1面。

 

 

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ネットより

 

やったのは一人のダイバーに決まっていますが

「日本人は、落書きにかけては今や世界に冠たる民族かもしれない」と

オレら日本人は十把一絡げに貶められ

「精神の貧しさの、すさんだ心の…」持ち主にされました。

 

ところが

K・Yってだれだ」と

エラソーに犯行を問うた本人が

実は犯人だったという笑えない記事でした

 

当の写真部員・本田嘉郎は懲戒解雇、写真部長は停職3カ月、朝日新聞社社長は引責辞任に追い込まれました。信用だけが命綱の新聞記者が自作自演の大嘘をついたのだから当然のことです。

 

当時ぼくは、朝日記事とそれが捏造であると論破した他社記事を見て、南の島の海の底で功を急いだ記者がつい禁じ手を使ってしまったのだろう。新聞は嘘をつかない。とりわけ朝日新聞はインテリ層を読者に持ち、記事の質は高く、販売部数は読売に次いで多い。末端の記者が不心得を仕出かしたにせよ、社長までが引責辞任とはむしろ立派な会社ではないかと、まあ素朴に考えていました。

 

 

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月とランデブー

「月をバックに大空を舞うコウノトリ

早朝の一瞬の出来事だった」 産経新聞2005.10.25

 

それから16年後にサンケイ新聞に載せられた「月をバックに舞うコウノトリの写真」が合成写真だったことを朝日新聞がすっぱ抜きました。職場でこの写真をみたとき自分は、へえ~よく撮ったものだ。月を望遠レンズで狙ったら画角は極端に狭くなる。その狭い画角に有明の月を収め、なんとコウノトリをドンピシャで嵌め込むとは凄い写真家だと感心しましたが、なんか変だぞとも思いましたね。

 

肩に食い込むほど重い望遠レンズを構えて月を仰げば、すぐにもこれが合成写真だとわかります。「早朝の一瞬の出来事だった」と文字で読者を騙したことは反則ですが、そのことによって他者の人格を傷付けたわけではないし、脇に小文字で合成写真と記しておけば問題のない記事でした。むしろ編集時に見抜けなかった整理部の責任でもあるでしょう。イケナイことではありますが、パロディーとして受けを狙った程度の写真のはずです。それを事々しく記事化した左傾アサヒvs右傾サンケイの関係は誰もが承知のコトだから、これってアレの意趣返しではあるまいかと邪推したことでした。

 

むかし酒場で雑談していたとき大手紙支局長が「いろいろ言われても朝日はやはり凄いですよ」と業界関係者の重みをもって呟きました。具体的に朝日新聞の何がどう凄いのかは聴き損ねましたが、雰囲気から察するに、政治的な立場において批判されることはあっても、カネはある。人は居る。取材力はある。したがって記事のレベルは高いという意味だったろうと思います。

 

その朝日ブランドに敬意を表し、ぼくは若い子に新聞を読め、天声人語を写せと勧めたことですが、いわゆる「従軍慰安婦報道」の誤りを朝日新聞が正式に認めた2014年を境に朝日新聞および関連紙に対し強く警戒する癖がつきました。

 

 

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朝日新聞 「週間文春」の広告2014.03.06

 

忘れもしない2014年の春

図書館で朝日新聞をめくっていると

週間文春の広告に「●●新聞」と

社名を塗りつぶした広告が目に入りました

 

「日韓衝突の弾薬庫 慰安婦問題 A級戦犯 ●●新聞を断罪する 火付け役記者(植村隆)の義母は詐欺罪で起訴されていた」と、いかにも週刊誌らしい大仰な見出しに置かれた社名は墨で隠されていました。が、●●は朝日としか読めず、下記のごとく同日付け毎日新聞で確認しました。それにしてもです、独裁国でもあるまいに自社に都合の悪い文字を塗りつぶすとは何事か。その広告が社のポリシーと相反するものであれば広告自体を拒否すべきだが、社名は隠す、広告料はいただくというのは新聞にあるまじき行為ではないかと、わが目を疑いました。

 

かくも愚劣であからさまな情報隠蔽が行われるのであれば、読者が知らないところで秘匿された重要情報だって山とあるにちがいない。メディアが信用を失ったら何を頼りに生きるのだろう、と当時はまだ純情素朴だったぼくの心に無数の言葉が群がりました。

 

 

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毎日新聞 2014.03.06

●●部は朝日!

 

高知県須崎市生れの元朝日新聞記者、植村隆氏は1991年、33歳の年に「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口ひらく」と題する記事を書き、物議を醸しました。それから30年、紆余曲折を経て植村隆氏は「自身の従軍慰安婦問題に関する記事について『捏造報道』などと書かれ、名誉を毀損されたとして、研究者の西岡力氏と文芸春秋に損害賠償などを求め」ましたが、2021年3月11日最高裁は「植村氏の請求を棄却」しました。

 

ひょんなことから1992年にぼくは韓国人と知り合い爾後、多くの大学生や大学人を交えて彼の国の人たちと長く付き合うことになりました。その間に見聞きした経験をもって植村氏の記事を”振り返って”読めば、氏の記事はいかにも若く、隙だらけであり、多くの研究者によって日韓の歴史が徹底的に分析された今とても批判に耐えられるものではありません。最高裁が出した結論は当たり前のことだと思います。

 

ただ、2021年の今と1991年が同じ空間にあるわけではないので、政治、経済、文化とも様変わりした日韓を同じ尺度で切って捨てることはできないはずです。われわれが令和の倫理をもって昭和の出来事に対し価値判断できないように、わずか30年とはいえ令和の現在と植村記者が慰安婦記事を書いた平成の間には社会の雰囲気にズレがあります。1991年に日韓の歴史を掘り起こした(と植村記者が信じて書いた)記事は、2021年から振り返れば矛盾にみちていますが、当時の社会的・思想的雰囲気を背負った記事ではあろうと思われます。わかりやすく言えば当時の日本社会は韓国に対しとても同情的でした。令和の今は冷たくなったというわけです。

 

自分でサンゴを傷付けて日本人を貶め、天秤の向こうで他国を持ち上げたバカ野郎はサンゴの海でずっと潜っちょれと思うわけですが、しかし、善意で考えれば、本田記者は社の空気に忖度するあまり、社会のK空気がY読めなかったのかもしれません。同様に植村記者も社と社会の雰囲気に流されて脇の甘い記事を書いたのであろうと推察されます。それが天下を揺るがすことになろうとは思いもしなかったことでしょうけれど、、

 

長い「道草」になりましたが

今すこし西表島に触れたあと台湾へ飛び

そのあとKoreaへ向かう予定です

2021.08.22記 つづく

 

 

 

 

# # # 高知の今 # # #

高知の知り合いに「打った?」と訊くと、皆さんほぼ「打ったよ」と答えてくれます。特に問題はなかったという人が殆どですが、香南市にあるウチの仕事場の従業員に「家内は何でもなかったけど自分は肩が腫れ頭痛がして大変だった」という人がいます。「接種会場に行くとうずくまって動かないお婆さんがいた。どうしたのだろうと心配して覗いたら死んでいた」と怖い話をしてくれた人もいます。

 

高知県は8月19日、高知市、南国市、香南市に対しコロナ対応レベルを非常事態に引き上げました。メディアはワクチン接種を煽るばかりで、接種後の負の側面に触れようとしませんが、厚労省は7月30日現在、ワクチン接種後に919人が死亡したことを明らかにしています。▼たった今、県人口70万人の高知で「ワクチン接種後の死者が12人」いるというニュースを見ました。記事とURLおよび書き込みの一部を添付します。

 

 

ファイザー製の接種後に男性死亡、高知県内で12人目

 読売新聞オンライン  8/21(土) 7:55配信

 

 高知県は20日、新型コロナウイルスワクチン接種を受けた70歳代男性が死亡したと発表した。ワクチン接種後の死亡の報告は県内で12人目。男性は7月上旬にファイザー製ワクチンの1回目の接種を受け、7月下旬に亡くなったという。県は同日、ワクチン接種後の死亡については今後、月ごとにまとめて公表する方針を明らかにした。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/2e3260c9be6ba68b7afe32040f7cd8bd14ff2b5d/comments?page=2&t=t&order=recommended

 

 

▼以下、書き込み欄より一部抜粋

ネットはたまに記事になるが、テレビではワクチン接種後の死亡報告、重篤報告はまったく報道してませんね。7/30時点でワクチン接種後の死亡報告919人、重篤報告3,338件も知らない方々がほとんどなのでは。ワクチンを接種するもしないも自己判断だが、メリットと同時にリスクの情報も等しく得られなければならない。テレビが、厚労省が定期的に報告してるのに、まったく報道しないことは異常であり、偏向報道だよ。

 

 

治験中のワクチンを半ば強制的に射たせるのではなく、摂取率が10%程度のインドにおいて爆発的感染を終息させたという、イベルメクチンを導入するべきだと思うが。

 

 

厚生労働省のワクチン接種後の死亡者と副反応の報告、
2週毎に発表されてたのが無くなったね。止めちゃったのかな?
今後、どこで知れば良いのだろう。

 

 

お亡くなりになられた方にはご冥福をお祈りします。
接種後の時間が知りたいですよね。以前高知県では60代の方が会場で接種後の様子見の時間にお亡くなりになられても因果関係無しにされた事がありました。感染した方がいいのかワクチンした方がいいのか。自分はもう2回終わってますが。

 

 

高知県内の、昨年年初からのコロナ感染者の死者数累計が31人、他方今年春からのワクチン接種による死者数累計が12人。かなりメリデメ微妙感ありますね。副反応疑いの報告は元々、医師が接種との関連性があり得ると判断したケースについてしか行われません。しかるに国は疑い死亡事例の全てについて、いつまでも「ワクチンとの因果関係があると結論づけられた事例は認められませんでした」と言い続けるのでしょうか

 

 

ちゃんと公表してるの高知県鳥取県だけだよなぁ。きちんとしている県。
変に隠さず公表は事実としてすべき。
それをもって判断するのは個人がすべき。

 

 

50年来の友人が7月31日就寝中に64才で亡くなりました前日にワクチン接種2回目を済ませていました、持病は糖尿病と手術歴は心臓バイパス手術、死因は心不全、ワクチンの副反応が原因かは不明のとのことです、友人本人が接種を希望して亡くなったので遺族の方は仕方ないと思っている様でした、自分は高脂血症狭心症の持病が有るので先週ワクチン接種の予約をキャンセルしました、同調圧力的な報道が多いなかこの様な記事は貴重だと思います。

 

 

何故危険なワクチンを打つのだろうか?高熱、陽性反応が出始めた初期に、イベルメクチン1錠で解熱出来ます。2週間前に陽性で倒れ救急搬送される前にイベルメクチンを服用。入院の翌日には熱が下がり始めて、3日後には喉の痛み以外改善しました。何故?自宅療養で高熱に苦しむ人達へイベルメクチン投与をしないのか?

 

 

38歳女性です。8日前ファイザー製ワクチン1回目を打ちました。夜、腕が痛くなり首と頭も板のように張って痛かったのですが、翌朝は少し痛みがある程度に。しかし、その翌日からずっと午後になると頭が割れるように痛み、吐き気、悪寒、だるさ。最近は熱も出てきて解熱剤を飲んでも38度出たりしています。仕事も育児もあるのに毎日辛いです。ちなみに主人は私よりも5日ほど早くワクチンを打っていますが、頭痛と微熱が同じく今日まで続いています。同じく大きな病気などしたことはありません。
夫婦でこんなことになるとは思ってもみませんでした。二人とももう心身ともに疲れていて、2回目を打つのをためらっています。打つとしても冗談抜きで遺書書いてからにしようかといっています。
ワクチンを打つ、打たない、どちらも正しい選択だとおもいます。ただ、こんな夫婦もいるという事実をみなさんに知ってほしくて書かせていただきました。

 

 

私もファイザーワクチン接種して、ちょうど10日になります。2回目接種で2日間微熱があり熱も下がり大丈夫と思いきや次の日から脱力感、めまい血圧の上昇で寝込んでいます。感染も怖いですがワクチンも体にどんな影響及ぼすのか不安でなりません。早く元に戻りたい。

 

可能な限り、ワクチン接種して死亡した人がどのような持病をもっていたのかとかを情報として出すべきだ。それにしてもウィルスから身を守るためにする処置で亡くなるとか浮かばれない。

 

 

ひとり旅 210815  道草寄り道天の道

 

 

 

 

 

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早稲田の稔り 2021.0803

頭を垂れる稲穂です

 

高知平野は稲刈りの真っ最中ですが

台風や長雨で思うようには捗りません。

 

 

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ジャンボタニシにやられたKO大学 2021.0803

冗談では済まないほど広がりつつあります

 

 

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袋を被せられた梨 2021.0803

まだテニスボールほどの大きさです

 

 

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仁淀川中流域の沈下橋 2021.0803

 

道から見下ろす川と

川から見上げる山は

まるで景色がちがいます

 

いつかここにゴムボートを降ろし

ささやかなラフティングをたのしみながら

河口まで川下りする予定

 

運がよければけっこう大型のシーバスが

ロッドのむこうでエラ洗いを見せてくれます

 

 

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町村合併で仁淀町に組み込まれた旧池川町  2021.0803

 

そのむかし四万十川でカヌーを漕いだ椎名誠

川から見ると家々がこちらにお尻をむけているけれど

う~ん、いかがなものかと悩んでいました

1990年代の半ばのことでした

 

1995年に国土事務次官の下河辺敦が梼原町

「第一回四万十川大学院」で講義しました

 

昔は木材を筏に組んで川下りしたものだが

今はトラックが木材をつんで山へ登る

われわれは考え方を変えねばならない

 

村と村が通信で結ばれると町になる

町がネットワークで結ばれると都市になる

都市が結ばれて大都市になり、、というイミフな話を

ときに白髪を撫でながら淡々と語ったものです

 

当時まだ携帯は普及しておらず

腰のポケベルが振動したら慌てて

近場の電話ボックスを探したものでした

インターネットという概念はなかった時代で

狐につままれたようなお話でした

 

やがて全国3300市町村を揺るがす合併論が展開され

市町村数は半減し、事が終わって

やっと講義の意味に気付きました

山間の小さな町で凄い大学院が開かれたものです

 

ただ当の梼原町は合併を拒否しました

恐らくその判断は正しかったと思われます

 

 

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仁淀川の支流 2021.0803

鮎漁という名の遊び人が7人ほど見えます^^

 

 

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奥深い川沿いの集落 2021.0803

 

この辺りだと4Gの電波は届き

探せばパラボラアンテナも見えます

 

 

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このような道を抜け 2021.0803

 

 

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四国の真ん中 2021.0803

 

深い谷間をさらに登ると

周囲の山々は1000mを超え、その向こうには

西日本一の高峰1982mの石鎚山が鎮座まします

 

 

 

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標高600mほどに在る寒村 2021.0803

 

 

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谷間の村2021.0803

 

道路幅ほどの段々畑に家を建て

部屋の面積を追加すると

お尻が飛び出す

 

 

 

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越し屋根がおしゃれな廃屋 2021.0803

 

やがて柱は朽ち、屋根は崩れ

蔓がからまり、樹木に覆われ

ヒトに寿命があるように村は寂れます

 

 

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廃屋の庭に咲く百合 2021.0803

 

 

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百日紅の下の石碑 2021.0803

「道ヲ貫キテ遥カ天ニ通ズ」

 

モッコとツルハシで山の斜面に

九十九折りの道を造った

峠に立ち天を仰げば

青空に雲が流れる

 

村人は、樹を伐り、火を放ち、

切り株を除き、畑で鍬を打った

路傍で見かけた墓碑には

 

椿山をこよなく愛し

焼き畑を慈しんだ父

ここに眠る

とありました

 

 敗戦を記念した不思議な日に

2021.08.15記 つづく

 

ひとり旅 210809   道草寄り道スズメバチ その2

 

 

 

 

 

 

むかしモハメッド・アリとアントニオ猪木がリングで闘ったときアリは軽快なフットワークで「蝶のように舞い」強烈なパンチでスズメ「蜂のように刺し」ました。対する猪木はローキックをかましてリングに寝そべり両手でカモンしましたが、決着はつかなかったですね。わくわくしながらテレビに見入ったわが青春のひとコマです^^

 

黄色の縞々から虎を連想したか、China語でスズメバチは「虎頭蜂」「大黄蜂」、英語で「イエロージャケット」と呼ばれます。同時にスズメバチは「ワスプ」「ホーネット」とも呼ばれることを知って、はたと連想するものがありました。ワスプ=WASPはホワイト、アングロサクソンプロテスタントの略称ですが、同じ綴りでスズメバチを意味します。強力な毒針をもって敵を倒すスズメバチにあやかり、第二次大戦時のアメリカ空母は「ワスプ」「ホーネット」と名付けられました。

 

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B25爆撃機 ネットより

 

太平洋を挟んだ日米戦争は、1941年12月8日の真珠湾攻撃に始まります。その4カ月後の1942年4月18日、B25爆撃機16機の編隊が空母ホーネットを発艦、日本本土を空爆し、中国大陸へ抜けました。厭戦気分が広がる米国において世論喚起のため、あえて行なう象徴的な爆撃であったようです。

 

B25爆撃機16機は分散し、東京、川崎市横須賀市名古屋市、神戸市、三重県、栃木県、新潟県を襲い、地上の死者は50人を数えました。大型爆撃機は空母に着艦できないので15機は中国大陸に向かい、1機はウラジオストクに着陸しています。16機80人の隊員のうち不時着時に5人が死亡。運よく蒋介石の支配地域に逃れた兵士はアメリカに帰還しましたが、日本軍の捕虜になった3人は上海で死刑、1人は獄中死を遂げています。

 

真珠湾で大戦果を挙げたわずか半年後、1942年6月5日のミッドウェー海戦によって日本海軍は空母4隻、航空機300機を失う大敗北を喫しました。その日を境に戦局は大きく変わり、劣勢に追いやられた日本は、1945年4月に始まる沖縄戦を経、8月6日のヒロシマ、9日のナガサキによって敗北したと(ぼくの記憶領域ないし学校教科書では)簡潔に描かれます。国家と国家が存亡を賭けて争い、空母vs空母という人類史初の海戦さえ展開される中、アメリカの圧勝、日本の壊滅的打撃という印象を受けますが、では日本海軍はやられっぱなしであったかと言うと、そう単純なものではないようです。

 

 

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1942年9月15日

雷撃を受け炎上する空母ワスプ

 

ミッドウェー海戦の3カ月後、空母ワスプは日本の潜水艦伊19号によって雷撃、撃沈されました。国際法を遵守した潜水艦長は最大魚雷数6発を発射し、うち3本がワスプに命中、他の1本は10㎞先の戦艦ノースカロライナに、もう1本は駆逐艦オブライエンに命中したというから恐るべきヒット率でした。(なお伊168号は空母ヨークタウンを、伊175号は護衛空母リスカム・ベイを撃沈しており、日本の潜水艦が撃沈した米空母は3隻になります)

 

 

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1942年10月26日

九九艦爆の急降下爆撃を受ける空母ホーネット Wiki

 

空母ホーネットは10月26日の「南太平洋海戦」において攻撃隊54機を飛ばし「空母翔鶴に450キロ爆弾4発を命中させ」「重巡筑摩を撃破した」一方「日本側機動部隊からの攻撃により(ホーネットに)250キロ爆弾3発と魚雷2発が命中。艦爆と艦攻各1機がホーネットに体当たり」しました。

 

 

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トマホークの一撃で沈む空母ワスプ 「ジパング」巻6より

 

空母ホーネットの乗員2200名のうち「140名が艦と運命を共にし」

空母ワスプの乗員約2000名のうち「戦死者193名、負傷者366名」

一方、潜水艦伊19号は翌1943年、米駆逐艦爆雷を受け「105名全員が戦死」

 

そのようにしてスズメバチの空母2隻は

撃沈また自沈を余儀なくされ

敵味方とも桜吹雪が舞うように人のいのちが散りました

 

ぼくが子どものころ読んだ漫画や雑誌には

アメリカ優位、日本劣位のなか兵隊は

強い精神力で対抗したという定型がありました

 

日清日露の勝利で舞い上がった日本軍は、欧米列強を敵に回し、2発の核攻撃を受け、軍民合わせ300万柱の犠牲をもって戦争は終結した。つくづく日本は愚かな戦争をしたものだ。だが悪いことばかりではなかった。敗戦によって日本は軍国主義を脱し、技術も市場も惜しみなく与えてくれたアメリカによって経済復興を遂げ、戦後世代は幸せな民主主義を獲得した。アメリカは偉大なる父だ。われわれも頑張ろうという、嘘ではないけれど、背中が痒くなりそうなロジックを気付かぬままインプットされたように思います。

 

それは一面の真理ではあるのだけれど

では戦後日本が失ったものは何か?

 

かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」は、自衛隊を離脱した潜水艦が、核所持を装うことによって米海軍と対峙し、ニューヨークの国連へ向かう物語です。艦長は国連の檜舞台に立ち世界平和の大戦略を語りました。核を使用した国は、沈黙の艦隊が、核をもって容赦なく滅ぼす。その恐怖によって世界秩序が保たれるというのが話の骨でした。

 

同じく、かわぐちかいじの「ジパング」はイージス艦「みらい」が、1942年のミッドウェー海域にタイムスリップしたところから始まります。史実と空想を重ね、実在する武器を組み合わせて誰も知らない理想の戦争を創ることは並大抵の作業ではないでしょう。2001~2009年まで全43巻、緻密な絵とともに骨太の物語をつくり上げた情熱に頭が下がります。

 

作者は自衛隊の味方ですが、単純な防衛力強化論者ではありません。仮にこの戦争において日本軍がアメリカに圧勝したとして(なんせ漫画だから、やろうと思えば出来ます^^! ) 勝てば勝ったで、戦勝に酔う軍部の暴走をどう押さえるか、日本優位の世界秩序をどう構築するかといった恐ろしく複雑な方程式に解を与えねばなりません。

 

 

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ドラゴンボール巻10より

 

それは日本人がもっとも不得手とする大戦略であり

誰も知らない歴史の先頭を行くことの恐怖に

われわれのメンタリティーが耐えられるかどうか

 

ジパング」は、未来を知る者の超人的な活躍により、アジア太平洋戦争における日米戦を相討ちとし、早期講和に導きました。負けなかったが、勝ちもしなかった大戦が終結したあと日本の国体はどうなるのか?という読者の疑念に対し、かわぐちかいじは劇画最終巻において筋立てた回答を置いています。未来が過去に侵入し理想の形で戦後処理すればあるいは可能かもというかたちではありますが、、

 

 

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アジア太平洋戦争 1942年

 

しかし、それにしてもです、1868年の開国以来わずか73年目にして世界を相手に戦い、思い切り支配地を膨らませたあと、急速に萎んだ国があったとは、それがぼくらの親の世代であったとは俄かに信じられないのです。戦前の日本は暗くゆがんだ国であり、長いトンネルを抜けた戦後は光に満ちた国になったと素朴に信じる人もいれば、長い長い物語を描く中で日本とは何か、自分とは何者かと問い詰めた漫画家もいます。

 

戦後民主主義という名の自国卑小化政策

とりわけ教育によって過去の日本を悪とくくり

教育、政治、経済という国家の基幹から、経済のみ残し

教育と政治から精神性を骨抜きにされた日本とは何か?

 

銃後の農村で戦争を見たわが母は、向かいのお寺に駐屯した若い兵隊が「夜中にいじめられる声を聞いた」「兵隊の偉い手はほんまにエラソーやった」と拙い言葉で当時を語ります。現北朝鮮の鉄工所で働いていた父は召集され満洲北部のチチハルで軍役に就きました。終戦後ロシア軍によって列車に乗せられましたが、窓から飛び下り、1年ほどかけて大陸をさまよったあと朝鮮経由で引き揚げたそうです。列車の行き先はまちがいなくシベリアであり、行けば収容所と過酷な労働が待っていたはずです。「戦争はいかんぞ」というのが父の口癖でした。とりたてて教養のない両親が経験的に導いた戦争観に嘘偽りはないでしょう。

 

しかし、各論を積み重ねて全体が作られるものでもありません。個々人の皮膚感覚が戦争を否定することは当然のことですが、その素朴で正しい感覚を政治的にねじ曲げ、違う方向に向かわせるのも世によくある話だから桑原桑原です。

 

この世にタイムマシンというものがあって、1回だけ乗せてやると言われたらぼくは迷わず18世紀の江戸に降ります。2回乗ってもいいよと言うのであれば1941年の東京に降り、朝鮮⇒満洲⇒台湾⇒香港⇒アジア一帯を回って昭和30年代までねばります。戦前と戦後で日本人の立ち居振る舞いが変わったのか、それとも本質は変わっていないのかを自分の目で確認したいからです。

 

写真と引用部はwiki他のネットより

 

 

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ナガサキ平和公園 2020.08.30

 

210809記 合掌 つづく

 

ひとり旅 210731  道草の寄り道「スズメバチでお困りの方に」

 

 

 

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キイロスズメバチの巣の丸い外枠 2021.07.17

陶芸家が見たらデザイン的に刺激されるかも

 

ハチにも種類があり、蜜や花粉をたくわえて幼虫の餌とする「ハナバチ」や獲物に飛び掛かって麻酔注射する「狩りバチ」がいます。ウチのトマトハウスでは交配のため(黒くて丸い)クロマルハナバチを飼っています。性質は穏やか、ずんぐりむっくりの黒い塊が次の花へ移るときの動作はどこかユーモラスです。ミツバチやアシナガバチなら刺されても命にかかわることはありませんが、スズメバチを怒らせると大変なことになります。

 

拙宅の周辺にはスズメバチの巣があるらしく夏になると分蜂が行われ、数年前ふと見上げた書斎の天井に虎の縞々をもつスズメバチが30匹ほど群がっているのを見てビビりました。新居探しの途中でひと休みしていたのか、たんにサボっていたのかは分かりませんが、近づいてよくよく見るとスズメバチって怖い顔をしていますね。

 

 

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ドラゴンボール巻1

 

ぱんと叩かれて飛んだハチは

脚が短いのでミツバチみたいですが

巣の形から見てアシナガバチですね

翅が4枚しっかり描かれています

それにしても亀仙人の爪先が ^^!

 

ミツバチのお尻には釣針のようなアゴの返しがあり、刺したら抜けず、攻撃後は自分も死にます。一方、スズメバチの毒針には返しがなく、何度でも刺し、強力な毒液を注入します。蚊や虻とちがって蜂は刺激しなければ大人しいものですが、いくらなんでも狭い居室でスズメバチと一緒に昼寝するのはイヤだから、薬局でバルサンを求め、缶から白い煙を立てました。ガラス戸を閉め、暫くすると異変を感じたスズメバチは飛び始め、透明ガラスの外へ出ようともがいていましたが、やがて力尽き、床へ落ち、痙攣したあと動きを止めました。

 

2度目は、窓の格子にソフトボールくらいの大きさの巣がぶら下がっていたので、百均でメッシュの箱を買い、頭からすっぽり被って完全武装し、恐る恐るビニール袋に包みました。相当数が袋の中でブンブン唸っており、さてどうしたものかと考えた末、有機リン系の殺虫剤を使うのは可哀相な気がしたので? マイナス85℃の冷気を噴霧する「凍殺ジェット」で固めました!?

 

 

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掃除機改スズメバチ吸引器 2021.07.17

 

3度目の今回は、縁側の奥まった物置で巣を見つけました。YouTubeで駆除プロの手口をパクリ、A4ファイルを加工して掃除機の吸い取り口をラッパにし、

 

 

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スズメバチの巣取り器 2021.07.17

 

百均で買った網袋に

紐を引っぱると口が閉まる

仕掛けを作りました。

 

 

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完全防護 2021.07.17

 

スズメバチは黒いものに反応し

瞳を狙って真っ直ぐ飛び

当たる瞬間に尻を向けるという

恐ろしい一文を見たので

 

これまた百均でゴーグルを仕入

去年の今時分スーパーからマスクが消えたころ

aiさんが送ってくれた手作りの布マスクを2枚重ね

フード付きパーカーの上にヘルメットを被り

さらに厚手の防寒用コートを着込んで

 

ズボンの上に雨合羽のズボンを穿き

登山靴の隙間はガムテープで埋め

仕上げに厚手のゴム手袋を付けたら

汗だくになりました~~!

 

 

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掃除機の回転タンク 2021.07.17

 

掃除機をブン回すと

巣の破片と一緒にスズメバチ

回転箱に収まりました

猛烈な勢いでぐるぐる回され

目が回ったようです

 

タンクからビニール袋へ移したとき

逃げ出した1匹が

酔っぱらったように大きな円を描きながら

柿の木の向こうへ飛んで行くのを見て

 

亀仙人が、ガメラの背に乗り

くるくる回りながら降りてきて

あっち向いてゲロ吐いたコマを

思い出しました

 

ちなみにaiさんは

ご自宅でスズメバチの巣を見つけ

業者を呼んだら、ハチと一緒に

福沢諭吉が飛んで行ったそうです

こちらはゴム手袋390円+網袋とゴーグル220円=610円ナリ

かなり得した気分です

 

スズメバチの幼虫 2021.07.17

 

美しい球形の外枠が剥がれると

ハニカム構造の巣の中で

幼虫が蠢いていました

 

さて図書館の子どもコーナーは知の宝庫です

お幼稚や小学校低学年の子をかき分けて

中村雅雄著「おどろきのスズメバチ講談社を借りてきました。

著者は小学校の先生、「スズメバチ研究者」「日本昆虫学会会員

「カーリットの森を守る市民の会代表」他の肩書の持ち主でもあります

 

本書によると、スズメバチの幼虫は「女王バチや働きバチが身の回りの世話をしてくれるから幼虫には脚がない」とのこと、なるほどビデオを見ると六角形の揺りかごの中でうごめく幼虫には脚がありません。

 

面白いのは「ハナバチ」のミツバチが花の蜜をエネルギーとするのに対し、「狩りバチ」のスズメバチは「幼虫のために昆虫やクモをつかまえてはエサとして与え」「とらえた昆虫の胸などの肉は大あごで、やわらかいかたまりにして幼虫の口元に置いてあげる」幼虫は「いくら食べてもすぐにエサをさいそくするので、女王バチは休む間もなく狩りに出かけなければ」ならないそうです。

 

では女王バチ自身の食事はどうしているのか、「よくよく観察してみると、女王バチは狩りに出かけるとき、大きな幼虫ののど元を大あごで刺激して、透明な液のようなものをもらって」おり、「これが女王バチの栄養ドリンクになっているのです」「この透明な液は、幼虫だけが出すことができるものです。女王バチや働きバチの栄養になる飲み物で、彼女たちが活動するためのエネルギー源になる糖分などがふくまれています。その栄養は、1回受け取ると2時間近くも活動ができ、一説には、1日に100㎞も飛べるエネルギーの源になると言われ」「この液をヒントにして人間向けのスポーツドリンクが商品化されているほどです*」同書p42

 

というワケでハチの親子の栄養のやりとりが

ヒト世界の商業主義さえ巻き込み、われわれは

複雑きわまりない網の目のなかにいます

 

むだ話をもうちょっと

じつは「スズメバチはたいへんなごちそう」で「中国南部の雲南地方では、市場でスズメバチが食糧として大々的に取り引きされています」「日本でも、長野県や岐阜県ではスズメバチは珍味として、当たり前のように食べられています。とくにスズメバチの幼虫である”はちのこ“は、スーパーでも瓶づめや缶づめが売られるほど人気があります*」同書p42

 

「空を飛ぶものはヒコーキ以外、足の4つあるものは机以外」何でも喰っちまうのがChineseの凄いところで、それは過酷な状況下における生存の欲求と美味を求める飽くなき探究心の賜物でしょう。おれら高知の人間はイナゴの佃煮を見たら引くし、生きたハチノコは蛆虫みたいでイヤなんですけど、、

 

むだ話その2

ジョギングの途中スズメバチに刺されて病院送りされたヒトは可哀相ですが、見つかるやいなや毒虫あつかいされ1~3万円ほどの謝金で駆除されるスズメバチだって可哀相です。農家の伜たるぼくは小学校で、スズメは害鳥、ツバメは益鳥と習いました。スズメは空気銃で打たれたものですが、ツバメは屋敷に入り込んで巣をかけ、お構いなしにウンチしても新聞紙でトイレを作ってもらえます。スズメだって害虫も食べるだろうし、害虫だって悪いことばかりしているわけではありません。害とは何か、益とは何かとまじめに考えるとワケが分からなくなります。

 

スズメバチは益虫の一面をもちますが、ヒトを刺すこともあります。昆虫界のチータと呼ばれたり、ハイエナと蔑視されることもあります。スズメバチにしてみれば人間どもが勝手な価値観で何か言ってるけどウザいわと思っていることでしょう。この世のすべては網の目のようにつながり、あらゆる存在に意味があります。生態系の一部がこわれたらどうなるかは、図書館の子どもコーナーに集まるよい子のみなさんはフツーに知っています。

210731記 つづく

 

 

 

ちょっと道草 210724  写真で Go to西表島24 「住んでびっくり西表島」

 

 

 

 

 

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山下智菜美著「住んでびっくり西表島双葉社2006年刊

 

行ってみた。住んでみた。「2003年の夏、東京での仕事を整理し、友だちを残し、親しい知人も収入のあてもない西表にひとり、不安いっぱいで引っ越してきた」「自然の恵みをいただく生活を基本にしながら、祭りなどの行事を通じて村の人びとが強い結束を保っている」干立(星立)という村で「都会の生活が失った豊かさを感じ」「蚊とたたかい、ゴキブリとたたかい、ハブともたたかった」「住みはじめた当初は,高温多湿な気候にとまどい、吹き出す汗を不快に感じながら」「なかなか地元にとけ込めず、なんで来ちゃったのかなぁと気弱になることもたびたび」だった。

 

 

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ヒカゲヘゴ 2014.04.20

 

「収入のあてはほとんどなく、主に貯金を取り崩す生活」「お金がなくなったら島を出ればいいと気楽に考えて」の島暮しだから本気の移住者ではないのですが、なればこそ一定の距離を置いて島の暮らしを見つめられもしたのでしょう。都会を逃れ、田舎に移住した人たちが口を揃えて語るところの異文化ショックは「プライバシーがない」ことです。しかし彼女のように濃い人間関係を愉しめる人ならムラという名の24時間監視カメラに見張られても生きていけるようです。そこから導いた豊かな人間とは「作物を作り新鮮な野菜をご近所にお裾分けできる人」「他人にわけてあげられるくらい魚を釣ってくることができる人」であり、結論として「人はお金があまりなくても生きていける」そうです。

 

チャップリンの名作「街の灯」に、この世で大切なものは「少しのお金と愛だ」という台詞があります。お金は「あまり」なくても「少し」あればという微妙なフレーズが妙にリアルです。

 

 

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見ての通りのヤブレガサ 2014.04.20

 

Amazonに以下の書評がありました。

1)「いずれにせよベストセラーになる分野ではないですよね(笑)。強烈に何かを主張する本でもないし。Amazonで見る限りパッケージ(売り方)も十分に下手っちーだし。でも、中身がある。沖縄、離島、民族、伝統、風土、自然、共同体、地方、祭り、暮らし、お金、心、世代、自立、助け合い、はたまた昆虫(ゴ×写真だけはやめて〜!)、サバイバル…いろんな興味ジャンルの人に、ゆっくりゆっくり伝わり、ロングセラーになる本だなと思いました」

 

 

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ギランイヌビワの幹生花  2014.04.20

 

2)「昨06年8月末に3日間だけ西表に行った。白浜に泊まり、シーカヤックで舟浮にも行った。車で行ける端から端まで行った。たまたま遭遇した干立の芸能祭に行き、宿で付いていた筈の晩飯も、祭の屋台に替わったり、レンタカーを借りていたのが私だけだったので、ひとりだけ酒抜きだったりもした。なんか、客と言う扱いもなく、気楽な気分になった。翌日は白浜の公民館の祭りにも参加した。あの一体感、ある意味”強制的な共同体生活”も良いじゃないか。どうせ、一人で生きていけるわけじゃなし」

 

 

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里芋の葉を大きくしたようなクワズイモ  2014.04.20

突然の雨に打たれたら傘になります^^

 

会社に鉄の掟があるようにムラ共同体にも様々な強制があります。税務署より厳しい奉加帳やムラを挙げてのドブ掃除は、知らん振りをしたら村八分だから、その辺りの呼吸がわからない移住者と村人との目に見えぬ軋轢はどこにでもあります。会社からも社会からも解放されたくて田舎に住処を求めたのに、なんで鬱陶しい近所付き合いをせねばならんのかと憤る新規参入者よ、待てしばし、

 

 

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クワズイモの花 2014.04.20

水芭蕉の仏炎苞に似た造化の妙です

 

あなたが通る道はあなただけのものではないしあなたの車がドブにタイヤを取られたとき真っ先に救いの手をさしのべてくれるのはご近所さまです。田舎であろうと都会であろうと目に見えぬ無数の約束事に縛られ、かつ助けられて生きるのが人間というもの「どうせ、一人で生きていけるわけじゃなし」という上記書評に共感しました。

 

 

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南北を縦断する登山道の森  2014.04.20

多種多様な植物の宝庫です

 

ヒトは完全に孤立した状態では

肉体的にも精神的にも生きていけません、しかし

それは分かるんだけどオレはオレと呟くのも人間

では最小限の社会生活とは何かと考える上で

西表島は興味深い場です。

 

白浜の港からカヤックで行ける沖合に無人島の外離島ソトバナリジマがあります。そこに全裸おじさん~~! が住んでいて、どちらが先かは知りませんが、日本のテレビとフランスのテレビで紹介されました。無人島のロビンソンクルーソーは社会生活を忘れないため折り目を正して食卓に向かったそうですが、それは個人の趣味であり、全裸おじさんは誰もいない島で四六時中風呂に入っているようなものだから、すッ裸で何をしようと咎められる理由はありません。森を分け、海に入ってその日の糧を得、自由気ままに生きられるなんて羨ましい。オレもやってみたいと多くの人が夢見るのではないでしょうか。

 

 

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サキシマキノボリトカゲ  2014.04.20

 

それにしても木の実と魚ばかり食ってたら飽きるのではないか、醤油だって欲しいだろうし炭水化物も必要だ。病気をしたらどうするのだろとあれこれ考えていたところ、実はこの全裸おじさんには月1万円を仕送りしてくれる姉がいるのだそうです。この日ばかりは服を着て小舟で白浜へ向かうのだから、絶対孤独とは言えず、ちょっと醒めたかなと、、

 

 

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密林の細道に置かれた案内板 2014.04.20

書の基本を押さえた文字を見て感動しました

 

漢字のクニの台湾は言わずもがな

南西諸島ではしばしば美しい書体を見かけます、が

片やヤマトの文字は大混乱です

大戸屋のロゴなんて見ただけで引きますネ

 

健康な肉体のみならず、人間には情報を通じた社会生活も必須です。このおじさんはラジオを持っており、台湾の天気予報を聞いては一日遅れで対策するそうだからそれなりに社会生活を営んでいます。あの辺りはラジオ電波が国際交流しているので日本語放送のみならずChina、Korea、強烈な出力でわめくDemocratic People's of Korea、やたら元気な米軍放送も耳にしたことでしょう。そのような全裸おじさんの暮らしを日本とフランスの放送局が電波に乗せたものだから、面白がった観光客がカヤックを漕いで離島へ上陸し、ふたり並んで同じ姿で記念撮影した馬鹿もいたりして、それがテレビ電波に乗りました。かくて孤独を愉しんでいた全裸老人はリモート共同体の一員にされ、公序良俗を乱すトガで島を追っ払われました。(ネットを探ればFreeなChinにボカシを入れた写真とともに何の責任も取らない記者による面白半分の記事や、ビデオをonにしたまま潜入したのか分けのわからないYouTube動画があったりします)

 

 

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高知ではこの葉で餡餅を包みます  2014.04.20

 

西表島の出来事は何でも見てやろうという山下智菜美女史は、この全裸おじさんにも面会していますが、若い女性が頭に鉢巻きだけ締めた老人を見たからといって嬉しいはずもなく、とりたてて深い感想は載せていなかったですね。▽この話は数年前ネットで見たものですが、今は消去されたようです。山下智菜美というライターは「住んでびっくり西表島」の著者としてのみネットに置かれ、個人情報の露出は注意深く避けているようです。賢明です。

 

 

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渚のアート 2014.04.21

 

やや漫画化され電波に載せられた

全裸おじさんのみならず、西表島には昔から

いわゆる社会と切り離され

孤独な暮らしを営む人たちがいたようであり

 

過去を知られたくない人の逃避の場なのか

海と空に引き籠もりの場を求めてのことか

あるいは大学探検部の活動かは知りませんが

密かにテント暮らしをする人たちが今もいます

 

そのような人びとをおおらかに迎え黙認する

懐の深さが西表島はあるように思われます

 

人それぞれの事情を十把一絡げにはできませんが

できることなら病院の片隅で療養するより

背に手つかずの森を置き

寄せては返す波音を聞きながら

しばし休息をとれるなら

ひとは幸福になれるのかもしれません

 

 

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砂岩が浸蝕され不思議な造形を見せた 2014.04.21

 

2003年に西表島へやってきた山下智菜美女史は、女ひとりの島暮し体験を雑誌BE-P@Lに連載し、2006年に本書を上梓しました。ずっぷり島に浸かった本気の移住者が、自らを対象化し記述することはまずありません。東京時代の彼女は書き手でしたが、西表島では書きかつ書かれる側に転身し、ネットによくある「やってみた」シリーズの先駆けになりました。3年がかりの突撃取材は自分自身が一次情報なのでリアルさ満点です。出版後8年を経た2014年現在、西表島には新風俗が押し寄せ、最後の秘境もあわやという観があるものの本書はまだ色褪せていません。

 

 

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南風見田ハイミダの浜  2014.04.21

 

遠からず西表島は、沖縄本島北部、徳之島、奄美大島とセットで世界遺産に組み込まれます。新たなルールが持ち込まれ、島の暮らしは劇的に変容することでしょう。その前にコロナ禍で浦内川の観光船は稼働しているのだろうか、お客さんを失った由布島の水牛はしっかり餌をもらっているのだろうかと心配です。急がねば!

2021.07.24記 つづく