ロシア海軍の旗艦モスクワ
CNNによると「米国防総省の高官は2022年4月15日、ウクライナの対艦ミサイル”ネプチューン”2発が(ロシアの巡洋艦モスクワに)命中したことを確認した」米紙ウォール・ストリート・ジャーナルによると「露海軍で艦隊の旗艦が戦時に沈没したのは、1905年の日露戦争の日本海海戦で、バルチック艦隊の旗艦が日本の連合艦隊の攻撃により撃沈されたのが最後という」
圧倒的戦力を誇るバルチック艦隊が衝突し
東洋の小国日本が軍事大国ロシアに対し
信じがたい勝利を収めました
バルチック艦隊の残存兵が上陸した対馬北部西泊 2021.10.01
1905年5月27日、日本海海戦の翌日、対馬北部の西泊に流れ着いた100人以上のロシア兵は「井戸で体を洗い」「傷の手当を受け」「六軒の二階建ての家に分宿」する等「土地の人々から手厚いもてなしを受けた」と碑に記されています。西洋の騎士道と東洋の武士道が生きていた時代の話ですが、異国の漂流兵を迎えた対馬の人たちの気持ちが、現代のわれわれと大きく違うことはないでしょう。
殿崎公園に設置されたレリーフ下の文言 2021.10.01
皇国の荒廃ハ
此ノ一戦ニ在リ
各員一層奮励努力セヨ
同上 2021.10.01
「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直チニ出動、之ヲ撃滅セント欲ス」との檄文は司令長官東郷平八郎の意であり「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」は当日の天気予報です。この海戦に敗北しておれば日本国の歴史は違っていたはず、まさしく「皇国の荒廃」はこの一戦にありました。「坂の上の雲」の主人公・秋山真之がさりげなく置いた「天気予報」は決死の覚悟の檄文と情緒深く重なります。
ネットより
砲撃を受けた瞬間死を迎える場にあってなお秋山参謀が「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」と韻文めいた一文を付加したのは、万葉集、古今和歌集以来のヤマトの伝統なのでしょうか。秋山真之のふるさと愛媛県松山市は、正岡子規が句を詠み、夏目漱石が「坊ちゃん」を書いた土地でもあります。軍事と文学が違和感なく溶け合った不思議な時代でした。司馬遼太郎が40代を捧げた大変な労作「坂の上の雲」は、ひょっとしてこの一文に支えられてのことではなかったかとも、、
対馬町西泊殿崎公園の慰霊碑 2021.10.01
「2005年5月27日ロシア政府が建立」とあり
ロシア兵5045人、日本兵117人の名が記されています
1979~1989年のアフガニスタン侵攻において旧ソ連軍は7000人ほどの死者を出したといわれます。2022年4月現在の特殊軍事作戦⇒ロシア・ウクライナ戦争におけるロシア兵死者数は5000人とも15000人とも伝えられますが、「日本海海戦」ではわずか1日の海戦でロシア兵5045人+日本兵117人の命が失われたことになります。板子一枚下は地獄でした。
それにしても露日の死者数の差をどう捉えればよいのかと碑の前で戸惑いました。図を拡大すれば3枚のプレート上縦29列がロシア兵であり、右端1列のみ日本兵の名が記されています。意欲、戦力、状況において日本側有利ではあったにせよ全く一方的な戦いに終わりました。これだけの大敗北を喫した艦長ないし司令官は船とともに沈むのが筋かと思われますが、ロシアの司令官ロジェストベンスキー中将は、自軍兵士5000余名の死者を出しながら捕虜となり、日本の病院で手当を受けています。戦争以前に日露の民族性のちがいを考えざるをえません。
殿崎公園の国道脇に置かれた巨大なレリーフ 2021.10.01
捕虜となったロジェストベンスキー中将を見舞う東郷平八郎
戦争とは国家と国家の争いであって個々人に恨みがあるわけではありません。知らない海で、知らない敵に砲を向け、敗れた敵兵を対馬の漁民はあたたかく迎えました。いくさが終わればひとりの人間であり、昨日まで敵対した日本国軍人に敗残兵を蔑む気持ちは全くなかったはずです。ましてや奴隷として強制労働させようなどという発想は日本人にはありません。
肉弾戦をともなう陸戦とちがい敵と味方が砲弾のやりとりをする海戦は、一種の舞台ともいえ、個人の恨みは発生しにくい戦闘です。芝居がはねたら互いに人格を尊重すべしという暗黙の諒解が、海軍軍人の心にはあるように思うのです。
このレリーフは、捕虜となった敵将ロジェストベンスキー中将を見舞う東郷平八郎の図です。ベッドから上半身を起こしたロジェストベンスキー中将と立ったまま手を差しのべる東郷平八郎の間には、角度があります。(読み返す時間が惜しいので記憶曖昧ながら)「坂の上の雲」では、相手と水平の目線をとるため、東郷は椅子に腰を下ろしたのではなかったかと、、
日清戦争、日露戦争で清とロシアを打ち負かし、台湾を取り、朝鮮を取り、満洲へ侵攻し、アジア太平洋戦争の緒戦で真珠湾およびマレー沖海戦で米英に圧勝した日本軍は一時期、太平洋一円を支配しましたが、1945年の夏2発の核爆弾をくらい、軍民あわせて300万柱の死者を出し、敗北しました。
前号で述べたことの繰り返しになりますが、凶暴な悪魔アメリカは、終戦を境に柔和なマリア様のお顔に変わり、戦後のわれわれは、奴隷として扱われることはありませんでした。かつて白人国スペインが南米で、イギリスがインドで、フランスがインドシナ半島で行った強烈な搾取が、大東亜戦争(アジア太平洋戦争)下の日本国になかったとは言えませんが、縄文の昔からのんびりと平和を食んできたヤマト国は、鬼のごとく悪辣な国家ではなかったはずです。
戦後世代のぼくらは、GHQが布石した無言のバリアに封じられ、自由な思考を失い、かつ幸せでした。その幸せも今次ロシア・ウクライナ戦争の行方によっては終わりかなと漠然と考えています。
2022.04.27記 つづく
< 2022年の現在史 >
2022.04.23知床半島の観光船がカシュニ滝の近くで消息を絶ちました。乗員乗客26名中「3歳の女の子を含む11名の死亡が確認された」「観光船でプロポーズを予定していた男性もいた」と涙を誘う記事もあります。高知でいえば、年間を通じて3月の水温が最も低く、頭から爪先までウェットスーツで身を覆っても長時間の遊泳は危険です。ダイビングのお師匠さんに「正月の朝、車のフロントガラスが凍った日に珊瑚の海を眺めてきました」と報告したところ「低体温症に気をつけなさい」とマジ声で注意されました。事故現場は3mの波、海水温は5度というから船が傾いたときの乗客の恐怖が想像されます。美しい半島の海で(恐らく)26名の幸せが失われました。合掌