ひとり旅 2022.08.15  バイク編(1  廣井勇  青山士  久保田豊  八田与一

 

 

 

 

 

原付110㏄のクロスカブで7月21日に高知発

日本海キセルして北海道は小樽へ渡り

18県3524㎞を走って8月10日に戻りました

 

旅の記憶はヒトそれぞれですが

過ぎてしまえば幻のようでもある旅を意味づけるため

撮り溜めた写真を整理しながら所々ふり返ります

 

日本最北端の礼文島でルアー投げちゃろ、あんなものに食い付くバカ魚がいたら酒場の手柄話にはなるかなと考えバイクの荷台に釣り道具を忍ばせて出ました。しかし7月23日の小樽は肌寒く、氷雨そぼ降る北の空と丸裸のバイクは最悪の取り合わせやなと反省しきり、中国語なまりのオーナーが新装したドミトリーを占有し仕方なく3泊しました。

 

車高を低く押さえた改造4輪はシャコタン⇒小樽の西側は積丹半島をひと回りして北海道北部が快晴になる日を待ちましたが、ダウンジャケットを着て見上げる鈍色の空は、南国高知の感覚でいえば晩秋です。晴れれば気温は上がりますが、雨の中をバイクで飛ばしても意味がないので針路変更し、苫小牧から秋田へ南下しました。

 

(日本海美女ラインを)秋田⇒山形⇒新潟とゆるゆる下り、佐渡島の金山を冷やかしたあとフェリーで舞鶴へ戻る予定でしたが、(雨に追われて)岩手⇒福島⇒新潟⇒(フェリーに乗り損ねて)富山⇒石川⇒福井⇒(豪雨で道路が寸断され大きく迂回して)岐阜⇒三重⇒奈良と渡り、ざっくり上記地図のような線をたどって「よさこい鳴子踊り」のクニへ戻りました。▼たまたま小樽で「よさこいソーラン」祭に出くわし1990年代に高知から札幌へ飛び火した「鳴子踊り」の経緯を思い出しました。後日レポートします。

 

 

小樽港 街なかの看板より  2022.07.24

 

右端は「小樽港北防波堤」

設計者は高知県佐川町出身の廣井勇いさみ博士

生まれは文久2年 (1962年) というから坂本龍馬が活躍した幕末です

 

「小樽港北防波堤」はコンクリートブロックを斜めに積み上げた日本初の「斜塊構造」です。橋でも防波堤でも目に見える部分より水面下の隠れたところに技術者の苦心があるらしく、その道のプロは上を見ながら下の構造に思いを馳せるようです。

 

 

上空から見た「小樽港北防波堤」 ネットより

 

水平に広がる構造物を写真に撮るには高いところから狙うほかありません。この日のためにドローンを買い求めたものの独学で操作を覚えるにはあまりにややこしく仕事は忙しく勿体ないけど押し入れで寝ています。東北から中部地方にかけて広い農地に散在する「散居集落」を狙ったときにもバイクで、あっちへ走りこっちへ戻り、高さが取れれば絵になるのだがと残念でした。

 

弓に弦を張ったような防波堤は

幅7.3m、水深14.4m、全長1,289m

というから結構な深さ長さです。

 

素人がボンベを背負って水深14mで荒い息をするとアッという間に空気量が低下します。プロダイバーは筋肉の動きを最小限に押さえ特殊な呼吸法で酸素消費を倹約して長時間滞在しますが、深度と滞在時間は逆比例し、深場の作業時間はわずかなものです。ぼくのお師匠さんは「いきなり浮上すると減圧症で死んぢまう」ので両の拳を上下にくっつけ右左を繰り返すつもりでゆっくり上昇しなさいと教えてくれました。

 

お師匠さんによると、むきむきマッチョの力自慢を連れて潜ったとき「窒素酔いで」おかしなふるまいをしたから「鉄拳を喰らわして連れ戻したこともある」とのこと。へえそんなものかと話半分に聞き流し、一緒に水深19mまで降りたとき、なぜか無性にタバコが吸いたくなって口にくわえた呼吸器と水中眼鏡を外そうとしたことを覚えています。あれも軽い窒素酔いだったのかもしれません。思い出すたび恐ろしく以来タバコはきっぱりやめました。素潜りなら100m下がって急浮上しても気絶しないかぎり問題はありませんが、深い海面下で人工呼吸器を付けた長時間作業には様々な危険がともないます。

 

 

小樽港北防波堤のスローピング・ブロック・システム(斜塊構造)   ネットより

 

斜塊構造とは

「断面方向に幅が異なる三種類の斜塊ブロックを

垂直方向に互い違いとなるよう積み重ねて

ブロック同士が互いに支え合うような構造」とのこと

 

地上でも水中でも土木作業は地ならしが基本です。「斜塊ブロックを垂直方向に互い違いとなるよう積み重ね」と文字で書けばそれだけのことですが、写真のごとく「スローピング・ブロック・システム」が水面ときっちり平行を保つためには海底が水平でなければならず、そのためには何らかのかたちで人間が海底で目視する必要があります。防波堤が完成した明治41年(1908年)にスクーバダイビングの技術はなく、潜水士のヘルメットに水上からホースで空気を送る「送気式潜水法」が使われたのだろうと思われます。(今でも港湾工事にはこの方法が使われています)

 

 

遠くに見えるのが小樽港北防波堤  2022.07.24

 

うろ覚えの記憶ですが

完成後の小樽港北防波堤に嵐がやってきたとき

廣井勇は懐に短銃を呑んで事後調査に出たそうです

もしも防波堤が荒波にのまれ崩れていたら

「生きては帰れない」覚悟で出向いたそうですが

幸い防波堤に損傷はなく設計者は66年の天寿を全うし

沖の直線は114年後の今も建設当時の姿を保っています

 

田舎道には立派すぎる道路を走りながら、この道この土木は本当に必要なのだろうか、仕事のための工事ではなかろうかと疑念を抱くことがあります。公共投資の本質は生産と消費をむすび暮らしを豊かにすることにありますが、いつしか生産力が需要を超え有り余る力の捨て場に困って「タヌキしか通らない」立派なトンネルが山奥に出現するのかなと…決して山間部の住民また土木技術者の名誉をけがすわけではありません。飛躍した言い方をすれば、することがないから戦争でもやるかというのが石油文明の陥った罠のように思われます。

 

現代人は余りにも多くの構造物に囲まれ、もはや鉄にもコンクリートにも食傷ぎみですが、明治大正昭和を生きた土木家にとっては、仕事が人々の幸福に直結した迷いのない時代であり、つくれば悦ばれる。頑張れば報われる。工事と幸福の間に矛盾のない時代でした。

 

しかるに社会の必要から疎外された労働をもって

飯のタネとせねばならない現代とは何か?

廣井勇の生きた明治大正昭和の色褪せた写真が

無性になつかしく思われます。

 

 

小樽港運河公園に置かれた廣井勇顕彰碑  2022.07.24

 

「転機は1875(明治5)年にやってきた。~ 廣井少年は片岡に頼み込んだ。『どんな仕事でもしますから、東京へ連れて行ってください』母もそんなに行きたいのなら『行ってごらん』と許してくれた。廣井11歳の旅立ちだった」

 

「上京した廣井は~ 難関の東京外国語学校英語科の最下級に最年少の13歳で合格。内村鑑三や宮部金吾など生涯の友となる人たちともこの学校で出会う」「札幌農学校が~ 官費制であることから、さっそく受験した廣井は見事合格。数え年16歳以上の募集だったが、このとき廣井は15歳。入学規定を満たすため1歳サバを読んだようだ」

 

「廣井はクリスチャンとして、何事にも誠実であろうとした。私利私欲のためでなく、世の中のためになにができるかを常に考え、キリスト教の伝道に携わりたいという思いがあったようだ。しかし、卒業間近のある日、廣井は内村に対して次のように語っている。『この貧乏な国において、民衆の食料を満たすことなく、宗教を教えても益は少ない。僕は今から伝道を断念して工学の道に入る』こうして廣井は、工学によって人々の生活と心を豊かにすることを自らの使命とし、生涯をかけて実践していくのである」

草野作工株式会社HPより

 

教育者としての廣井勇は「寝る直前に床を敷いて、明かりを消し、正座して30分間、今日一日精魂を込めて学生達を教育したかと反省し、翌日の糧にした」wiki と伝えられます。

 

その廣井勇の薫陶を受けた多くの土木家の中に「荒ぶる川」東京荒川の「荒川放水路工事」をやった青山士(あきら)がいます。北朝鮮鴨緑江の「水豊ダム」他を建設し戦後無一文となって引揚げたあとアジア、アフリカ、南米の土木工事を請け負った久保田豊がいます。さらには台湾で「烏山頭ダム」を建設し嘉南平原をマラリアの猖獗地帯から緑の沃野に変えた八田与一もいます。

 

 

烏山頭ダムを見渡す八田与一の銅像 

顕彰碑なのに足を投げ出した珍な座像です^^   2017.10.19

 

三者に共通する信条を短くいえば青山士は「公共のため」。久保田豊は「約束を違えない」こと。八田与一は”男も女も日本人も台湾人もみな平等”という考え方でした。烏山頭ダム完成後の八田与一は、自分のために記念の銅像を建ててくれるというが、それはイヤだと駄々をこね、協議の結果、高いところから見下ろす立像ではなく地べたに座った座像ならよしというところで手を打ちました。三者とも他者と自分を水平の目でとらえています。

2022.08.15記 つづく

 

 

 

ひとり旅 220721  追悼(2 安倍晋三 麻生太郎 選挙公約 成長の限界

 

 

 

 

 

国後島 2016.09.25

 

経済支援と4島返還をテーマに安倍総理プーチン大統領と27回も会談したにもかかわらず島は戻って来ない。シンゾーはウラジーミルに遊ばれたのではないかという声もあります。が、ものは考えようで、実のところ安倍総理の対ロシア政策は、敵意を剥き出しにする中国を牽制するためでもあったという説もあります。

 

麻生太郎安倍晋三元総理の弔辞において「いかなる局面においても、日本という国、および国益を最優先する信念、先生と私をつなぐ一番の絆だった」と振り返りました。

 

麻生太郎が提唱した「自由と繁栄の弧」政策は、安倍晋三の「自由で開かれたインド太平洋戦略」につながるものでしょう。いわゆる「価値観」外交であり、価値観の違う国との対立を予測させるものではありますが、白黒付けて敵味方を分断し、軍事的に対立するのではなく、日米同盟を機軸とし、中国ロシアとも仲違いせず、曖昧なまま関係を維持しようというソフトな戦略であったと言えそうです。

 

麻生内閣はわずか1年で解散しましたが、麻生太郎が漫画ファンであったことから内閣成立時には漫画業界の株価が上昇するというオマケ付きでした。総理大臣がマンガを読んでどうするという批判もありましょうが、ビット数の少ない文字に対し、漫画は静止画の連続体なので情報量は格段に増え、瞬時に全体像がつかめます。忙しい人たちには便利な媒体であり、加えて日本漫画がその文化性において世界ダントツのレベルにあることは疑いありません。むかし韓国の大学生女子と漫画について語りました。「韓国にも漫画はありますが微妙な表現には問題が…」残るとのこと。

 

 

90度回転地図で見た北方領土

 

漫画好きの麻生太郎は、東大法学部卒の受験エリートでもなければ、万巻の書に囲まれて論文を書く政治学者でもありません。政治は世界を大掴みする作業であり、世の中が手に負えないほど複雑化した今どんなに頭のよい人でも個人の情報整理力には限界があります。一方いわゆる官僚は、各論分析に忙しく、世界を大局的に捉える物理的余裕が失われます。そこを突破するには政治家と官僚のよき役割分担が必要になるのでしょう。

 

6月26日参院選の応援演説で麻生太郎は、ウクライナに侵攻したロシアが「東に攻めてこないという保障はありませんよ」「自分の国は自分たちで守る」「向こうが撃ったら撃ち返す」「戦う意志がなければ抑止力にはならんのです」と述べました。憲法9条に縛られた微妙な発言ゆえ一歩間違えば政治生命が吹っ飛ぶはず、路傍で聞くには難しすぎる話を、日常語で堂々と語れる政治家は稀です。

 

やられたらやり返すが、先に手を出すことはないという専守防衛の思想は、宇宙からの敵と戦う悟空が実現しています。書きかけの「Dragon Ball編」のオチは正しくそこにあるのですが、麻生太郎が簡潔な言葉でバラしてくれました^^!

 

世界のスタンダードで言えば

Peaceは互いの武力が拮抗した状態を意味します

ところが日本語の「平和」には

互いに武力をもたない仏教的安寧さえ感じられます

 

日本は侵略しない。したがって相手が侵略して来ることはないという不思議なロジックの深部には仏教なり神道なりのやわらかい精神が控えているのかもしれません。なればこそ日本はGHQにあてがわれた憲法を戦後77年、後生大事にかかえて来たのであり、今なお国会において通常の思考力では理解できない議論が展開されているのではないかと思うわけです。

 

参院選時の各党のチラシから

以下のキャッチコピーを拾いました

 

1) 言葉の力、アメリカ軍の力で

日本を守れという静かな論理です

 

「外交による平和」

「外交の力で沖縄・南西諸島を戦場にさせない」

「日米の役割分担を前提とした防衛体制を整備」

 

2) 口と他力本願説に対し

勇ましく戦えとする政党もあります

 

対中包囲網の形成」

「国防費3%以上」

自衛隊を名誉ある国軍へ」

自衛官に公務員最高水準の処遇を」

竹島尖閣諸島への軍事的対抗」

核武装の準備」

スパイ防止法

 

3) もっと素晴らしいのは

国防と財源には全く触れず

以下の福祉を堂々と公言し

複数の当選を果たした政党公約です

 

「消費税廃止」

ガソリン税ゼロ」

社会保険料引き下げ」

「教育無償・奨学金チャラ」

 

これが20世紀の選挙なら

色々あって楽しいネで済みましたが

世界がインターネットとロケットで結ばれ

国家間の争いが距離0で展開する今は冗談では済みません

 

1950年現在< 25億人>だった世界人口は

2020年に<77億人>

2050年の推移予想では< 93億人>にまで増加します

 

 

1986年に読んだ「成長の限界

 

1972年にローマクラブが「成長の限界」で予測した人口グラフも凡そそのような曲線でした。「人口増加や環境汚染などの現在の傾向がつづけば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」と結論付けた論文です。それから50年後のいま学者の予測って当たるものだなと恐ろしく思います。⇒コロナ禍やウクライナ戦争を人口推移から導くSF的な「陰謀論」もありますね。

 

 

閑話休題

鈴木宗男議員とともに北方領土返還交渉にたずさわり、あおりを喰らって512日の刑務所生活を強要された佐藤優が、プーチンの弔電(前号掲載)を含め、ロシア要人による安倍晋三評を翻訳し、事件後3日目にアップしています。以下要点を引用します。

 

なぜ冷徹なプーチンが遺族に弔電を送ったのか…

「ロシア政界が安倍晋三を尊敬していた本当の理由」

佐藤優  2022.7/11(月) 13:16配信

https://president.jp/articles/-/59497

 

1 )「日本の知識人と政治家は、しばしば米国の立場を自分の見解のように述べる。しかし、安倍氏はそうではなく、自らの理念を持っていた。もちろん安倍氏は反米ではなかったし、親ロシアでもなかった。偉大な政治家として独自の行動をした」

(ヴャチェスラフ・ニコノフ氏)

 

2)「安倍氏は米国との同盟関係を維持しつつ、日本の独立性を確保しようとした」「安倍氏は、ロシアが強くなることに賭けた」「ロシアの弱さにつけ込むという賭けではなく、ロシアの力を利用し、強いロシアと日本が共存する正常な関係を構築することだ。これが、安倍が進めようとしていた重要な政策だ」「もちろん現在の(岸田)日本政府は、別の政策をとっている ~中略~ しかし中長期的展望において、安倍氏が提唱した概念の遺産、すなわち日本が世界の中で独立して生きていかなくてはならず、どのようにアジア太平洋地域の強国との関係を構築し、強いロシアと共生するのかという考え方は、日本の社会とエリートの間で維持される」

(イワン・サフランチューク氏)

 

3)「安倍氏は~中略~日米同盟の強化とともに、日米同盟の枠内で日本の独立を確保することを真摯に考え、そのためにロシアとの関係改善を図っていたことは間違いありません」「ロシアと中国が連携して日本に対峙する構造が作られることを、安倍氏は阻止しようとしていたのです」「安倍首相時代の日本外交は、一貫して対話重視であり、どこまでもリアリズムで戦略的でした。アメリカが軍事支援を続けるウクライナでの戦局の行き詰まりが、その真価を浮き彫りにしつつあります」

(佐藤優氏のまとめ)

 

上記は弔意を評したものなのでリップサービスは差し引いて読まねばならず、ぼくとしても故人をいたずらに称揚するつもりはありませんが、日本国をむやみに矮小化するメディアは、安倍総理の外交的功績をほぼ無視し、代わりに国家の存亡という角度から見れば些末な小事を局所拡大し大騒ぎしてきました。直近の歴史事実を正当に認識することも大切です。以下ネットの書き込みから拾った功績一覧を一部列挙します

 

(民主党とりわけ鳩山内閣によって)壊滅的だった日米同盟の再構築

自由で開かれたインド太平洋戦略の提唱

日米豪印戦略対話クアッドの提唱

平和安全保障の成立と集団的自衛権の行使容認

資源外交、エネルギー食糧供給の多角化

EU戦略的パートナーシップ協定

(核開発に必須のフッ化水素他の)輸出管理強化

最終的かつ不可逆的な慰安婦合意

 

紙とテレビの表メディアは全く語りませんが、ぼくのような者にさえ今の日本の幸せは風前の灯火のごとく映ります。20世紀の日本人は、強い経済に守られ、国民も政治家もその言動に責任をもたずとも生きていけました。しかし経済と技術が新興国へ散らばり、相対的に国力を落した21世紀の日本はかつての日本ではありません。何の不安もなく深夜に散歩できる日本国の幸せが、チベットウイグル南モンゴル、香港、ウクライナおよび旧ソ連の支配圏、あるいは軍事力を過剰に抱えたアメリカによって(それが本当に必要であったとは思われない)攻撃を受けた国々を思えば、美しい日本国憲法の賞味期限は終わったかなと思うわけです。

 

 

追記

「銃撃された」との電話を受けた瞬間、ケネディー暗殺を連想し、背後の組織は何か、何を意図して? と考えました。どうやら個人の愚かな思い込みのようではありますが、充分な説明があったとは思えません。気になるのは警察会見の途次「宗教組織」という言葉が漏れたとたん記者の質問が横に逸れたような気がしたことです。

 

統一教会会長の緊急会見においても若手記者の追求の矛先は鈍く、彼ら何かに忖度しているのだろうかと疑心暗鬼を拭いきれません。一方で、統一教会と安倍、統一教会と岸との関係をしつこく糾す質問もあり、矛先の温度差から目的意識の違いも感じられます。やったのは個人でも背後に教唆犯がいることだってあろうし、文字や映像で唆すことだってできるから、よく分からない話です。

 

与党にむけて何を語っても逆質問はないという安全圏から言いたい放題の国会中継にも飽きました。100兆円の国家予算を決める立場の者にカネに直せば数億のモリカケサクラを延々と議論する(させる)議員と(特定メディア)のあり方に深い疑念を抱きます。親の庇護を前提にヤケを言う子どもみたいですが、本音は隠された真実に触れさせないためのステルス戦なのでしょうね。

 

衆院選参議院選の各党パンフを集めてずっと考えていますが、たとえば「専守防衛」という今どきの武器技術と相容れない考え方をどう説明するのか、真面目な回答は見当たりません。気がつけば100均にmade in Japanが並ぶようになった日本経済をどう建て直すのか、与党も野党もきっちり説明してくれよとの思いで、今次選挙は微かな希望を求め参政党に入れました。ブログとはいえ愚痴こぼしの場ではないので以下省略します。巨星墜つの日に、合掌

2022.07.21記 つづく

 

 

今から原付110㏄で礼文島へ向かいます

面白いことがあったらレポートします

ひとり旅 220714  追悼(1 トランプ プーチン 習近平

 

 

 

 

謹んで

安倍晋三元総理大臣の

ご冥福をお祈り申し上げます

 

 

ネットより

 

「ドナルド」「シンゾー」と呼び合った

米前大統領は7月8日の銃撃後、真っ先に

「彼は私にとって、そして米国にとって真の友人」

「我々はみな、晋三と彼の家族のために祈っている」

と心のこもったメッセージを届けてくれました

 

2016年の米大統領において当選確実と言われたクリントン候補が破れ、トランプ大統領が就任した直後、安倍総理はワシントンへ飛び、祝いの言葉とともに個人的関係を結びました。あまりの変わり身の速さに政治的意図が透けて見え、ひとりの日本国民として恥ずかしさすら覚えましたが、8年つづいたオバマ民主党からトランプの共和党へと交替した直後、公人としての総理は、なりふりかまわずアメリカの保守と日本の保守が手を握るきっかけを狙ったにちがいありません。

 

 

ネットより

 

間を置かず

プーチン大統領から

以下のメッセージ(全文)が届きました。

 

「尊敬する安倍洋子様

尊敬する安倍昭恵

あなたの御子息で、夫である安倍晋三氏の御逝去に対して深甚ある弔意を表明いたします。 犯罪者の手によって、日本政府を長期間率いてロ日国家間の善隣関係の発展に多くの業績を残した傑出した政治家の命が奪われました。私は晋三と定期的に接触していました。そこでは安倍氏の素晴らしい個人的ならびに専門家的資質が開花していました。この素晴らしい人物についての記憶は、彼を知る全ての人の心に永遠に残るでしょう。

尊敬の気持ちを込めて ウラジーミル・プーチン」 (佐藤優訳)

 

「ウラジーミル」「シンゾー」と互いに名を呼び政治と経済を語った両者は、都合27回も会見しており、プーチン大統領安倍総理の故郷山口県に滞在したこともあります。その交遊から導かれた感情の言葉から、ウクライナ侵攻を命じた恐ろしげな顔とは、別の表情がうかがえます。人の心は読めませんが、外側から推察することはできるでしょう。読書家のプーチンドストエフスキートルストイプーシキン等のロシア文学に親しんだそうです。KGB出身の冷えきった瞳の持ち主と、書を片手に窓際でもの思いにふける人格が、ひとり人物の中に同居し、かつ矛盾をもたないのが人間としたものです。

 

 

ネットより

 

やや遅れて

習近平国家主席から

メッセージが届きました。

 

「安倍元首相は在任期間中に中日関係の改善に努力し、有益な貢献を行った。私はかつて安倍元首相と新しい時代の要請にふさわしい中日関係の構築について重要な共通認識に至った。安倍元首相の突然の逝去に哀惜の念に堪えない」

人民網日本語版2022年07月09日

 

習近平安倍晋三は、メシを食ったりゴルフをしたりの仲ではありません。そもそも中国人は華夷秩序の思念で頭が一杯であり、日本国総理大臣といっても北京から遠く離れた島の王が皇帝のもとへ朝貢に参ったくらいに(思う)(思いたい)(思うべき)なので、どこか学校の先生が生徒を評価するような冷たい文面です。

 

独裁者が原理の虜となったとき正論を無視して主義主張がひとり歩きします。一旦ゼロコロナを命じたかぎり撤回することはならず、どう考えても医学的に矛盾する都市封鎖を今なお続けていることも中華的原理主義のひとつの証左でしょう。独裁は時として効率的ですが、方向を誤ると修正が利かないようです。

 

中華とは北京を中心とする支配の構造を意味します。ピラミッドの頂点に皇帝が座し、その支配域は皇帝が意識する範囲に及ぶので、地球がネットワークで結ばれた今は国境などなく、人類全てが序列下位に置かれたことになります。(ふざけんなとまあ思いますけどネ) 習近平国家主席に就任したあと発せられた「中華民族の偉大な復興」は、強大な軍事力を背景に形をとりつつあり、紆余曲折はあるにせよ「一帯一路」という名の世界統一思想は動いています。煽りを喰らってスリランカ財政破綻し大統領は逃亡しました。ラオスビルマ他、南太平洋、アフリカ諸国も風前の灯火ではないでしょうか。

 

トップの首をいつでもすげ替えられる制度が民主主義であるなら、独裁主義はトップの人格が国民の人生を方向づけする強圧的制度と呼べるでしょう。それでも独裁者プーチンはドイツ語にも堪能でゲーテやハイネの詩を好んだらしく、いくらか救われますが、不幸なことに青年期の習近平を取り巻く読書環境には毛語録しかなかったようです。

 

ぼくはプーチン習近平と同年齢なので、自分史を基準に中露の現代史をながめられて便利です。「農業は大寨に学べ」というスローガンを高知新聞で見たのは中学生か高校生のころでした。子ども心に「なんか変やな」と思ったことを記憶しています。高校を卒業し埼玉県で読売新聞の配達員をやっていたときモンゴルで墜落死した「林彪の逃亡未遂事件」が一面に踊りました。配達仲間は「権力闘争」を話題にしていましたが、ぼくは意味がわからず、読売本紙+報知新聞⇒270部ほどを自転車に積んで出かけたことでした。

 

学生運動の残り火がくすぶっていたころ露店の棚に赤い毛語録が並べられていました。中国現代史が専門の教授が「富農と貧農」という対立構造をもって進行中の文化大革命の内実を得々と語っていましたが、文化を革命するとどうなるかについては教えてくれなかったように思います。新宿駅にたむろする若い活動家たちに囲まれ、当時流行りの語尾をはね上げる口調で「体制内的人間はア 間接的戦争加担者でありイ」と大いなる理想に陶酔した演説を一方的に聞かされたこともあります。大学の教室で同級生女子に声をかけられました。ひょっとしてオレにと怪しい感情が湧きかけたころ「成田へ行きません?」と誘われて醒めました。彼女がより魅惑的な女性であったらオルグされていたかもしれません^^

 

じゃあねと別れてがっかりし新聞配達をしていたころ知り合った若い警察官を思い出しました。機動隊として成田で勤務し、交替した直後に「死亡事件が起こった」そうです。彼と一緒に「浅間山荘事件」のテレビを見たこともあります。同じ報道に接しても、新聞配達員とちがい、見る目に緊張感が漂っていました。

 

その「成田闘争」「浅間山荘事件」をNHKが再放送しました。見事な映像を延々とつなぎ視聴者を引っぱりますが、なぜ成田に空港をつくってはいかんのか? なぜ山荘でドンパチやらんといかんのか? がどうしても分かりません。現象を描いて本質を隠すのがNHKの使命と見た今は、大谷翔平の生中継しか興味がありません。▼今から9勝目を賭けたアストロズ戦です!

 

2022.07.14記 つづく

ひとり旅 220705 Dragon Ballの人類学(3  恐竜 ゴッホ ゴーギャン ピカソ

 

 

 

 

 

Dragon Ballより 以下同じ

 

1985年に鳥山明ドラゴンボールを描き始めたころ

ヒザ屋の配達バイクに屋根があったろうか?

そもそも当時、屋根付きバイクが存在したろうか?

ひょっとするとバイクに初めて屋根をのせたのは

鳥山明ではなかったろうか?

 

屋根付きバイクと三輪車はノーヘルokだから

ピザ屋の配達さんは乗り降りが楽

円形の繰り返しが美しいブルマのバイクは、しかし

格好はよいけど前傾姿勢がきつくて肩が凝りそうです

 

若いころオンロードで四国から北海道まで自走しました。背中を曲げると路面が近づき、走りの実感は愉しめますが、日に10時間もオンしていると肩は凝る、ギヤチェンジのたびにクラッチを握る左手の握力は抜けるで難行苦行です。ツーリングとは、飛ばすことではなく、風景を見ることだと気がついてオフロードに換えました。

 

オフはタイヤの直径が長く、背筋が立つので目の位置が上がり、見える風景ががらりと変わります。姿勢が楽だから肩凝りもなく、道なき道に分け入ってもけっこう闘え、まあ好き好きですけど旅のバイクはオフがよろしいかと…

 

世界でいちばん目の位置が低い乗り物は、ガードレールの隙間から風景が見えるサイドカーでしょう。一方、馬より高い象の背中から道行く人を見下ろすと自分がえらくなったような錯覚に陥ります。ヘリで舞い上がると下界の構造物は見る見る縮小しジオラマのようになります。そこにヒトの息づかいはなく、地上のビルや橋が爆撃されてもゲーム感覚で捉えてしまうのではないかと思いました。ウクライナにおけるドローンと戦車の録画を見てふと思いました。高さと距離はヒトの道徳感を狂わせます。

 

 

さて、ブルマと悟空は漓江の流れる雲南省から

峨々たる峰が視界をさえぎる甘粛省へ向かった(としましょう)

ふたりの行く手には、ふざけた顔の始祖鳥が飛び

 

 

まぬけ面のティラノサウルスが地響きを立てます^^! 同上

 

つらつら思いますに

動物を動物らしく描くことはできても

どこか心に余裕を秘めた生きものが

顔や体ににじませる情緒を擬人法として取り込み

わずかな線の傾きで笑いをとることはむずかしい

 

プロは汗を見せない

観客は舞台裏を意識しない

才能と言ってしまえばそれまでなのだけれど

このような絵を何万枚も描いて知らぬ顔をする

鳥山センセはつくづく凄いと思うのです

 

 

西洋印象派の画家は

写真的リアリズムでヒトの肉体を描き

筋肉と骨格の動きを正確に捉えました

 

偉人の肖像画ときたら

腕の立つ写真家が最高の光を配し

渾身の力をこめてシャッターを切っても

かなわぬほど見事な絵が残されています

 

が、なぜか西洋の油絵はマジ顔ばかりで

瞳の奥に深い教養を読むことはできても

この世を軽やかに渡る動きがありません

 

静止画が動かないのは当たり前だろ?

と言われればその通りですが

だけど漫画は動くんだぜ!

と反論することもできます

 

コマとコマのつながりが

読者の脳内ソフトで動画処理されると

漫画はアニメに変容します

 

かりにDragon Ballの絵数をざっくり

1頁5枚×各巻180頁×全42巻⇒37,800枚

フルアニメが24枚/秒として⇒24×37,800=907,200枚

実に読者は90万枚分の画像処理を脳ミソで行うことになりますw

 

そんな計算が成り立つかどうかはさておき、絵といえば油絵を連想する西洋人が、漫画のルーツともいえる浮世絵を見て興奮したことは容易に想像されます。江戸期に日本から西洋へ送った陶磁器の包み紙には浮世絵が使われました。むこうのコレクターは中身の陶磁器より包み紙を大切にしたという逸話もあるほどで西洋画法の行き詰まりに浮世絵が風穴を開けたとは言えそうです。

 

 

ゴッホ作「花魁」ネットより

 

学生のころ上野の美術館でゴッホ展が開かれました

なんと浮世絵の花魁が油絵具で模写されているのでした

面に色を置いて形を整える西洋画法と

線で輪郭をつくる東洋画法の怪しげな結婚です

 

ゴッホは画商の弟セオと組んで「浮世絵の商取引を行い、最終的に数百枚を収集し」以下の記述を残しているそうです。「私は全ての日本の芸術にある究極の明快さを妬ましくすら思う。彼らにとって芸術はまるで呼吸をすることのように簡単な事だ。ベストのボタンを掛けるのと同じような気安さで、ほんの数本の、しかし自信に満ちた線を描くだけで形を表現することができる」ネットより

 

 

ポール・ゴーギャン「白い馬」1898年​/ 倉庫に保管していた原寸大のコピー

 

ゴッホと悲しい分かれをし、タヒチへ向かったポール・ゴーギャンは、浮世絵のように平面的な絵を残しています。自殺未遂から回復したものの経済的に困窮していたところへ有名な「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という絵巻物のように横に長く、長い名前の作品が売れたという知らせが届き、ふたたび創作意欲が湧いたそうです。「白い馬」はそのころの作品です。ゴーギャンは終生日本に来ることはありませんでしたが、その著「ノアノア」に「日本のように美しい」というフレーズを何度も使っています。

 

 

ピカソ作「ゲルニカ」/ 知り合いの絵描きさんが呉れた縮小コピー

 

マドリードで「ゲルニカ」のために設えた特設美術館で現物を見ました。ナチス空爆下の地下室の地獄図が大空間の壁一杯に置かれ、ガラス壁で覆われていました。これまた絵巻物のように横に長く、のたうちまわるウシウマヒトが、戸を開けて覗く幽霊のような顔に目撃されているのでした。色をころし、奥行きのない平面に線で描かれたゲルニカは、浮世絵風の巨大漫画ともいえます。

 

米国ライフ誌が1999年に発表した「この1000年で最も偉大な功績を残した世界の人物100人」にパブロ・ピカソと並んで葛飾北斎がランクインしています。ピカソ北斎とどっちが偉いかという比較に意味はありませんけど、18世紀の北斎が19世紀のピカソに影響を与えたことは(たぶん)確かです。

 

ワケあってここに掲載できないのが残念ですが、およそタブーをもたない北斎は女性にからむ蛸の絵を残しています。性と芸術は人類永遠の課題であり、問題でありますが、そんなことはドーでもよろしい(というより好んで模索する)フランス人は北斎の蛸を見てとても悦んだそうです。

 

芸術に禁忌はないと信じるピカソもまた北斎の蛸図を見て興奮したらしく、なんとピカソは蛸の代わりに烏賊を配し、同じモチーフで下手くそな絵を描いているのでした。ピカソは浮世絵ないし漫画のような線を使い道徳的に好ましからざる絵を多く描いていますが、その徹底度において北斎の右に出るものではありません。北斎は天に昇るドラゴンを描くときと同じ気合で、富士を描き、問題画を描いています。しかしピラフの罠にかけられたブルマいわく「少年誌じゃやっちゃいけないこと」なのでご関心のむきにはネットをどうぞ^^

 

ピカソの国スペインからやってきた青年が、ぼくの書斎でDragon Ballを見つけて振り向きました。「知ってんの?」と訊いたら嬉しそうに親指を立てました。思いますに鳥山明あたりを境に日本の漫画家は世界市場を意識したのではないでしょうか。宗教、人種、女性等の国際ルールを守りつつワンピースにもジブリアニメにも国籍不明の人物が登場し、白人黒人東洋人が入り乱れてどんちゃん騒ぎを展開します。そのあたりの漫画史には無案内ですが、

 

 

Dragon Ballでは、人間のみならずイヌ、ネコ、クマ、カメ、ワニ、イノシシ、オオカミ...さえヒトに交じって大乱闘を展開するのでした。世界広しといえどヒトと動物を同列に並べて矛盾のない絵物語をつくれる作家は、ぼくの管見ですが、鳥山センセ、オンリーです。タイムマシンで降りてきた「鳥獣戯画」の作者が、ブックオフDragon Ballを見つけたら電撃的ショックを受けるでしょうね。まっすぐ愛知県へ向かって弟子入りを願うかも…

 

某編集長いわく「大バトル漫画への転換を飲まざるを得なかった屈辱」を甘受し37,800枚ものコマを描いた鳥山センセは燃え尽きました。もはや立ち上がることはできないのでしょうけれど、あれだけの絵筆をもって世界を圧倒した画家が、カラー版、アニメ化、Dragon Ball超等、自作を他人に丸投げしてぐったりしているのはいかにも惜しく、ぼくの夢を語らせてもらえば、

 

あの筆力をもつ作家の眼で

ゴッホゴーギャン、ビカソ他もろもろの印象派

わずかに微笑む「モナリザ」の情緒

筋骨隆々たるミケランジェロの彫刻

ピカソが興奮したアフリカのお面

さらには縄文時代土偶まで引っぱりだして

独自の解説をしてくれたら面白いやろなと…

 

二刀流の大谷翔平を語ってよい評論家は

一流の野球選手にかぎられるからです

 

某編集長どの

こんど会ったら言っといてよ^^

2022.07.05記 つづく

 

 

 

 

 

ひとり旅 220630 Dragon Ballの人類学 (2 雲南省 甘粛省 カラー版 完全版 ダイヤモンドプリンセス号

 

 

 

 

 

Dragon Ball 巻1より

 

巻1扉に作者は「ドラゴンボールの舞台は、なんとなく中国風ではありますが、とくに中国という限定はしていません。時代も、いったいいつ頃なのか決めていません」と記しています。とはいえ悟空だ飲茶だ烏龍だという人物名からして冒険旅行の始まりは「西遊記」に想を借りたものであり、そこにあらわれた水辺の風景は、広西チワン族自治区桂林の漓江をイメージしたのではないかなと思うわけです。

 

 

Dragon Ball

 

雪舟山水画を思わせる漓江は

もとはといえば平たい大地を水が割り

山があらわれ、川が流れた

カルスト地形だそうです。

 

 

Dragon Ball

 

1980年代に「ひとり旅」したとき、地元ツアーに便乗し、漓江下りの舟に乗りました。さして高くもない山々が無数に突起した不思議な光景の中を、おんぼろ舟が客を乗せ、情緒ゆたかにエンジン音を奏でるのでした。カネを払って乗ってお仕舞いの気軽なツァーでしたが、叶うものならブルマと悟空のように気の合う仲間と連れ立って冒険旅行に出たいものです。

 

ホイポイカプセルをボンして船出の苦労をすることなく小舟を浮かべ、たまにルアーを引きながら風の向くまま気のむくままに野宿の旅ができたら愉しかろうなと…しかし四万十川を2日かけてゴムボートで下った経験からいえば、

 

 

漓江 ネットより

 

このように穏やかな日の川は安全に見えますが、のんきにかまえているうちに川幅が狭まり、瀬の流れが早まります。増水時の四万十川では、曲がりの岩場にぶつかった水が水面下で複雑にもまれ、変温層を境に水温は急激に下がるので、何も知らない都会の子が川遊びしているうちに足を取られ悲しい事故を起こすことがよくあります。風光明媚な漓江もナメたらあかんのでしょう。

 

▼6月29日現在のネット情報によると中国各地で大洪水が発生しています。インド洋で沸き上がった雲が、ヒマラヤ山脈にぶつかり、偏西風に乗って日本列島に押し寄せるはずの梅雨前線が、途中で雨を降らせてしまったのかも…日本ではまだ6月なのに梅雨が明けました。高知は年間降水量日本一の県ですが、ひょっとすると今年の夏は、照る照る坊主を墨で塗り「台風来ないかな~」と雨乞いすることになるかも…ダム水位の低下が心配されます。

 

 

モノクロDragon Ball「コミック版」

 

ドラゴンボール巻1の舞台がChina南部の桂林周辺というのは、ぼくの勝手な思い込みで、ひょっとすると内陸の四川省また甘粛省あたりかもしれません。三国志のふるさと成都を歩いていたとき、片言の日本語をつかう(やたらと)親切な若者が声をかけてきて、なにくれと世話を焼いてくれました。むろん見返りをもとめてのサービスでしたが、ことの詳細はさておき中国奥地には高い山がいくらでもある。カネさえ払えば処女峰を狙うことだってできる。「登りたいか?」「いえいえとんでもない」というような遣り取りもしました。

 

断崖絶壁に立つ悟空を見た日本の高校生は、甘粛省の山岳地を舞台とする虎と詩人の物語「山月記」を思い出すのかもしれません。崖の上の天真爛漫な少年の代わりに月に向けて咆哮する人喰い虎を置けば、人生の無残を描く又とない風景に変わります。(山月記を調べているうちに興味深い発見をしたので次回触れます)

 

 

鳥山明自身が彩色したDragon Ball「完全版」より

 

漫画は墨で描く、絵は色を使うと何となく思ってきましたが、マンガに彩色したってよいじゃないかと言われればまあそうです。モノクロの長い物語の途中に色絵が挟まれるとたのしい息抜きになります。鳥山明自身がパソコンで彩色した上記・断崖の悟空を、某編集長が送ってくれました。淡い色彩が禁欲的でモノクロの原画がもつイメージを損ねることはありません。ところが、

 

 

フォトショッパーによるDragon Ball「カラー版」

 

色のご馳走も

たまに食べるからうまいので

朝昼晩と酒池肉林がつづいたら

どんな食いしん坊でもイヤになります

 

某編集長から届いた「完全版」扉絵の淡い色彩を見て、へえ~こんなDragon Ballもあるんだと感動し、キンドルで「カラー版」を求めました。ところが開けてびっくり玉手箱! 左右のページから色機関銃が「原色ギトギト」の十字砲火を浴びせてきたので思わず右上の×をクリックしました。「だから言ったでしょ」と斜め下の眼差しで下記メールが届きました。

 

その(1

「百歩譲ってモノクロ原稿をカラー化するのはまあいいとしましょう。そういうニーズも残念ながらあるんでしょうし。でも“カラー版“が本気で気が狂ってると思うのは、鳥山明本人がカラーで描いてる原稿さえフォトショッパーがわざわざ原色ギトギトに再彩色してることです。もちろん全体の統一のためにやってるんでしょうけど、これはさすがにどうなんだっていう…」

 

その(2

「おっしゃる通り、カラー版は個人的にも全然駄目です。“ドン引きした”と、先のメールでも書いたつもりなのですが…だけど鳥山センセはともかく、(鳥山明の編集担当)鳥嶋さん的には全然これはOKなのだと思います。実際Amazonのカスタマーレビューも絶賛の嵐ですよね。ドラゴンボールをTVアニメとか映画版とかで幅広く楽しんでる層には、オールカラーのこの“カラー版”評判いいんですよ。むしろ色のついてないドラゴンボールは味気ないと思う人もいっぱいいるんだろうなあ…と遠い目をしております」

 

鳥山明原理主義の人間にとっては、無粋な“フォトショッパー”が原色ギトギトに塗りたくった画面は到底耐えられませんが、東映アニメーション制作の安い彩色アニメに慣れ親しんだファンには逆にこのくらいがちょうどいいんだと思います。要は皆さん、鳥山明という天才の仕事に惚れ込んでるんじゃなく、少年ジャンプシステムを高度に体現した“ドラゴンボール”が好きなだけなのでしょう。これは皮肉にも初期の“ドラゴンボール”をギャグと子供エッチで“Dr.スランプ”同様にやろうとして挫折し、大バトル漫画への転換を飲まざるを得なかった鳥山明本人の屈辱とも重なるよなあと思いますね」

 

「誰かが鳥山明と鳥嶋さんの関係を、スティーブ・ウォズニアックスティーブ・ジョブスになぞらえてましたが、かなり納得する部分があります。才能ある一職人の小さな夢を、野心でパンパンの男が強引に世界レベルに引っ張り上げて大成功させてくとこなんかまんまです。結果、その職人も大金持ちになりますが、自分の夢が相方によってズダボロにされたので以後第一線から引いちゃうところなんかも悲しいくらい似てますしね。ふたりの“鳥”と、ふたりの“スティーブ”…こうまとめるとちょっと暗示的でかっこいいですが、本人はたまらんでしょうなあ」

 

買うなら「完全版」の方をおすすめします

「カラー版は心臓に悪いのでご注意を…ってもう遅いみたいですが(笑 」

 

割愛するには余りにも惜しいので

ほぼ全文引用させてもらいました

乞う御容赦(^^

 

2022.06.30記 つづく

 

 

 

 

< 2022年の現在史 >

高知新港に停泊した大型(豪華)客船 2022.06.17

 

高知市から高知新港、高知空港を経由して仕事場へ通っています。2年前ここを経由したダイヤモンド・プリンセス号が横浜港で大騒ぎを起こし、港はずっと閑古鳥でしたが、浦戸大橋のてんぺんから久しぶりに大型客船を見たので寄りました。空港管制レーダーが空しく回っていた高知空港にも常時1~2機の尾翼が見えるようになってホッとしています。

 

コロナ騒ぎは当初より井上正康医師が語っていたこととほぼ同じ道筋を描いて終息しつつあります。結論的な感想を申せば、あれは世界規模のやらせではなかったかと…先生の言いつけをきちんと守った小学生が登下校時にマスクをしていることに不安をおぼえます。梅雨明けの炎天下で、意味もなく酸素濃度を薄くし、子どもの成長をさまたげるのではないでしょうか?

 

国会で「そろそろマスクやめませんか?」という質問に対し、政府は言葉を濁しました。誰も責任を取りたくないようです。ばかばかしいからやめましょうというのが世界のトレンドで、大リーグの観客席ではマスクなんてだいぶ前から誰も付けていません。ひとりChinaばかりが、おそらくはコロナとは違う意味をもたせて、異常な動きをしています。

 

ひとり旅 220624 Dragon Ballの人類学 (1 悟空とブルマ 鳥獣戯画 玉虫厨子 ショスターコービッチ

 

 

 

 

 

鳥山明ドラゴンボール」より 以下同じ

 

所詮は金属のかたまりでしかないバイクを

これほど情緒的に描ける漫画家が

鳥山明の他にいるのでしょうか?

 

このバイクは大型エンジンと機関銃二丁を搭載しているので、前部が長く、横にふくらむ砲弾型になっています。リボンが可愛いブルマが燃料タンクに顎をのせるとカウリングを伝った風は背中に沿って後方へ流れ、スロットルレバーを軽く回せば、爆音を残し、あっという間に点になりそうです。

 

シャツを肩までたくし上げたブルマの腕は、たくましいけれど女性特有の肉の柔らかさを予感させます。肘と手首の力が抜けているのは、バイクに乗り慣れているからでしょう。さりげなく描いていますが、ライダーの首筋から背骨、腰骨、大腿骨、爪先の小骨まで骨格はきっちり整っています。やや体を傾けて前方を見るブルマ、シッポでバランスをとりながら筋斗雲から振り返る悟空には、内面からわき出る表情があり、ペンで描いた精密なマシンと相まって独得の情緒をかもしています。 (この原画ほしいな)

 

 

同上

 

悟空をぶん投げた力は

腰に伝わり足で支えられ

デカい尻をもつ男の骨格が

きっちり描かれていることに驚きます

 

某編集長から届いたメールに鳥山明は「単に絵がうまいという次元じゃなく、そもそもモノの見え方とらえ方からして我々とは全然違うんでしょう」とありました。確かにフツーの「見え方とらえ方」ではないので「違う」ことはよく分かるのだけれど「モノの見え方」とは具体的に何か? それは光の反射を網膜で検知することのみならず、衣服にかくれた骨をCTスキャンするX線のような視覚のことではないでしょうか。

 

 

同上

 

衣服は肉に付き、肉は骨に付く

骨と間接の動きが重力と関係して

ヒトの動きを決定づけるので

そこを無理なく描かなければ

子どもの絵になります

 

と理屈を説くのは簡単でも

じゃ描いてみなって言われたら

常人にできることではありません

 

 

同上

 

直下にむかう重力はバイクの円運動による遠心力(向心力)と合成され複雑にベクトルを変えます。その関係式を勘で織り込み、上から下から横から斜めから自然な「とらえ方」ができる漫画家って鳥山明のほかに誰がいるのだろう?  怖い顔は描きやすくても笑顔はむずかしい。ボケをかましてなお生き生きとした人物画とともに情緒ゆたかな物語をつむいだ作家が鳥山明以前にいたのだろうか? 考えれば考えるほど凄いというか、凄さを感じさせないところがまた凄いというか、全コマ暗記したのにまだ飽きない絵画物語…もう面倒くさいから「天才」とくくっておきます。

 

漫画を横に広げて時間を与えると絵巻物になります。変身したランチちゃんが空を飛ぶ上記ページ5つのコマ割りを分離して横に並べると小さな絵巻になります。「ドラゴンボール」1巻ざっくり180ページとして×42巻⇒7560ベージを巨大トイレットペーパー絵巻にすれば、読者の頭の中で個々の絵が合成され長大なアニメーションが生まれます。漫画は静止画の集まりですけど、ぼくらの脳コンピュータに取り込まれ、動きのある映画が作られるワケです。

 

 

鳥獣戯画  ネットより

 

この絵に吹き出しを付け

「ことば入れ競争」をしたら面白いかも

漫画の文字は精米率60%の吟醸酒のようなものだから

俳句をひねるトレーニングになります

 

漫画のルーツをたどれば遠く平安時代の「鳥獣戯画」、飛鳥時代の「玉虫厨子」に行きつくそうです。ウサギやカエルが遊ぶ絵巻物は「異時同図法」という難しい言葉で説明されますが、要は一枚の静止画に異なる時間が織り込まれた時空融合図なわけです。吹き出しをつけて文字を入れたら文句なしの漫画、声優さんが頑張ればアニメーションになりますね。

 

 

玉虫厨子に描かれた捨身飼虎図  ネットより

 

聖徳太子飛鳥時代に描かれた「異時同図法」⇒お釈迦様の前世の一人・薩太子が飢えた虎の親子のために身を投げた一枚の絵ですが、その中に「構える」「飛ぶ」「喰われる」3通りの人物が描かれています。(手塚治虫の「ブッダ」にも好んで蛇に呑まれる聖者のシーンがあります)

 

このあたりを漫画のルーツとすれば

日本人は1500年もの昔から

漫画やアニメに親しんできたことになります

昨日今日のハナシではありません

2022.06.24記 つづく

 

 

 

 

< 2022年の現在史 >

前号ひとり旅220620で引用した「ショスターコービッチの証言」を追記します。本書は音楽家の生涯を口述筆記したものですが、およそ音楽とは関係のない以下の一文が挟まれています。四海にまもられ神道や仏教を信奉しつつ平和に暮らしてきたヤマトの民と、争いと争いの間に短い平和が挟まれる大陸の民とのちがいを際立たせる例にはなるかもしれません。

 

 

ショスターコービッチ CDの挿絵

 

「わが家では、1905年の革命のことが絶えず論議されていた。わたしが生まれたのは1906年で、あの革命のあとだったが、その話はわたしの想像力に深刻な影響を与えた。~中略~  おびただしい量の血が流されねばならなかった。1905年には、殺された子供たちがうずたかく橇に積まれて、運ばれた。少年たちが木に登り、兵士たちを眺めている。すると兵士はまるで面白半分のように少年たちに狙いを定めて射つ。つぎの瞬間、少年たちは橇に積まれ、運び去られる。少年たちの死体を積んだ橇。死んだ少年たちは笑いを浮かべている。不意に撃ち殺され、驚く暇さえなかった少年たち。一人の少年が銃剣でずたずたに引き裂かれた。少年が運び去られたとき、「武器を!」と群集は叫んだ。誰一人、武器の扱い方を知らなかったのに、ついに堪忍袋の緒が切れたのだ。ロシアの歴史の中では、多くのことが繰り返されているように思われる。もちろん、同じ事件が正確に二度繰り返されるわけではなく、相違もあるにちがいないが、それでも、多くのことがやはりくり返されている」

 

                                                                                 ソロモン・ヴォルフ編/水野忠夫

                                                                                   「ショスターコービッチの証言」

                                                                            中央公論社昭和55年(1980年)発行p20

 

ちなみに1905年は日露戦争の年であり、対馬沖の日本海海戦では、圧倒的優位と思われていたバルチック艦隊東郷平八郎ひきいる連合艦隊の前に完敗しました。東洋人が白人を打ち負かしたニュースは世界をめぐり、とりわけロシア周辺の被支配国の人々を勇気づけたことが容易に想像されます。陸戦を戦った乃木希典、後方攪乱のため諜報活動を展開した明石元二郎といった名とともに日露戦争ロシア革命に少なからぬ影響を与えました。

 

血の日曜日」を機に民衆が蜂起したロシア革命(1905~17年)の時代にショスターコービッチは幼少年期を送りました。音楽を、肉体をゆさぶる明るい音楽と、脳に浸透しものを考えさせる音楽に分ければ、ショスターコービッチの楽曲は明らかに後者です。真冬の深夜に耳を澄ませていると見たことのないシベリアの大地と人々の姿が思われます。みな薄い表情をしています。

ひとり旅 220616 ハノイのバイク事情(7 山崎圭次 本田宗一郎 細川護煕

 

 

 

山崎圭次氏  山崎技研ホームページより

 

「進め1億火の玉で」突進した日本国は、アジア太平洋戦争において官民合わせ300万柱の命を失いましたが、ひそかに理系の人材は温存していたようです。生き残りのエンジニアが我こそはと先陣を争い、戦後日本には自転車にエンジンを付けた「踏んだらモーター」(もうた⇒回った^^)が雨後の筍のように生まれました。その一人に1912(明治45年)高知市鴨辺部で生まれた山崎圭次氏がおり「この頃の特許庁の出願簿には、本田宗一郎と山崎圭次の名前が順番に連なる」そうです。

 

 

高知空港を飛び立つホンダジェット 2022.01.12

 

ハノイでHondaはバイクを意味します。Hondaの傑作スーパーカブはだいぶ前に世界生産1億台を超えました。1906年(明治39年)生まれの本田宗一郎が戦後のバイク界を席捲したことは誰でも知っていますが、故障したバイクをかき集めては弱点を補強し、どんな乗り方をしても壊れない二輪に仕立てた創業者の夢は、じつは空にありました。1972年「ホンダシビック」で二輪から四輪界に進出したホンダ社は、2017年「ホンダジェット」で空を飛び、2021年に次は「ロケット」をやると宣言しました。本田宗一郎と共に生きたぼくらの世代は、またたく間に二輪からロケットまでの大変化を経験したわけです。

 


「ブルーバード」山崎技研のホームページより

 

一方、創業時の山崎圭次社長はバイクに入れ込み、月産100台を数えたという「ブルーバード」を東南アジアへ輸出しています。現在の山崎技研は金属切削機「フライス盤」を主軸とする会社ですが、同時に「自分らで食べるものは自分らでつくろうや」という創業者の遺志をつぎ環境配慮のもと本業とはまるで違う養殖業に進出し、須崎市浦ノ内と大月町古満目の事業所で稚魚の養殖を行っています。

 

 

「ブルーバード」

 

本田宗一郎は生涯をかけて本業に取り組みましたが、山崎圭次は高知市中心部を流れる江ノ口川が、上流にあるパルプ工場の廃水によって汚染されたことに心を痛め、万策つきて、汚水の排水管を生コンクリートでふさぐという「生コン事件」を引き起こした張本人でもあります。れっきとした会社社長が、罪を犯して守った浦戸湾西岸は今日も緑滴る春です。

 

 

浦戸湾に浮かぶヒミツの小島にて  2022.05.22

 

拙宅から歩いて2分の

浦戸湾にゴムボートを浮かべ

誰もいない小島の神社にご挨拶して

物思いに耽っていると

湾を巡回する観光船がよぎりました

 

 

御畳瀬漁港から浦戸大橋を望む

「浦戸湾のんびりクルーズ船」 2021.05.02

 

そのむかし、元はといえば山崎圭次氏が立ち上げた「浦戸湾を守る会」から、会員の末席をけがすぼくにも呼び出しが掛かりました。出し合い話のなか「浦戸湾を守る」ためには広く広報することも大事⇒「遊覧船事業」を行ってはどうかと提案しました。みなさん浮かぬ顔をして聞き流しておられましたが、ひょっとあの提案がどこかで生きていたのなら嬉しいなと、目の前を行く遊覧船に手を振りながら1990年代にあれやこれやと環境保護運動に手をだしたことを思い出しました。日本経済の絶頂期はカネと引き換えに自然がどんどん崩された時代でもありました。

 

 

「ブルーバード」山崎技研のホームページより

 

幼少期の記憶にかすかに残るチャリバイク

こいつに跨がって桂浜の海岸を走ったら

みんなが振り返るでしょう

ハーレーダビッドソンが青ざめるかも

 

細川護煕元総理大臣が「日本新党」を立ち上げた1992年、入院中の山崎圭次氏を旗頭に「守る会」が新阪急ホテルに細川党首を迎えました。そこで初めて「犯罪者」山崎圭次氏と出会い、明治大正昭和平成を生きた古武士のようなお顔を目の当たりにしました。凛として迷いのない瞳に笑みを湛えた方でした。上記写真は氏に漂う雰囲気をよくあらわしています。

 

片や熊本県知事を退任後、日本新党を結成し、あっという間に総理大臣に登り詰めた細川護煕氏からは政治家のもつ独得の風圧を覚えました。(政治家を評するのは誤解のもとではありますが) 瞳の奥に信念を秘めた人物は、昭和平成までは生き延びたかも知れませんが、令和の今はほぼ失われたのではないでしょうか。自分の職業内ではまず遭遇することのないオーラを間近に感じ、会がはね、帰る道々わが身の卑小さを痛感したことです。ヒトはみな平等なのだけれど人生には大小あることを知りました。

2022.06.16 記 つづく

 

 

 

 

< 2022年の現在史 >

2月24日のウクライナ侵攻を機にルーブルの対ドル価値は急減しましたが、ふたたび値を戻し6月現在、大幅に上昇しています。理由は「石油」「中国」「インド」の三者に集約されそうです。EUの盟主ドイツの前首相メルケル旧東ドイツの出身であり、ロシア・中国と親和性が高いと言われました。気がつけばドイツは、石油・天然ガスの輸入でプーチン大統領に首根っこを押さえられ、後任のショルツ首相は声高にロシア制裁を主張しつつも思うにままならぬようです。一方で中国・インドはロシア産の石油を輸入し、どうやらインドは石油に魔法をかけてEU横流ししてさえいるらしく、ウロ戦争の本質は何がなんだか分からんぞと言うほど入り組んでいます。

 

ウクライナとロシアは穀物の大輸出国でもあります。そのウクライナの広々とした農地に砲弾が打ち込まれ、まだら模様にされた風景は、ひとりの農業者として耐えがたいものがあります。ウクライナは、海路も陸路も封鎖されたようだから、すでに貧しい国の穀物価格は高騰しており、やがて飢餓が世界を覆うだろうとの予測もあります。

 

以下ぼくの想像にすぎませんが、天然資源のみならず食糧が高騰することによってロシアは潤うことから、そこまで先読みしての「特別軍事作戦」であったならプーチンの勝ちとも言えます。加えてロシア・中国は肥料の大生産国でもあり、肥料がなければ食はまかなえないので「窒素リン酸カリ」は静かな兵器ともなります。とすればウロ戦争は⇒食糧安保⇒肥料確保の戦争でもあり、ぼくら農家は既に値上がりした肥料を横目に緊張しています。まあ日本の農水省がそこまで愚かであろうとは思いたくないのですが、、