日本ところどころ① 四万十川 川登から赤鉄橋を越えて初崎まで

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土佐の高知と言われてピンと来ない人でもたぶん四万十川は知っている。ぼくの記憶に間違いがなければ四万十川が注目されたのは1980年代に倉本聰がカヌーを漕いでウィスキーか何かの宣伝をしたのが始まりだった。川が流れて鮎が捕れて夏になったら泳いで遊ぶのはあたり前のことだから地元のぼくらは、遠い所からやって来て川に小舟を浮かべて何が嬉しいのだろうといぶかしく思ったことだ。

 

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バブルの余韻も醒めやらぬ1991年、大ちゃんこと橋本大二郎氏が高知県知事に就任した。元NHKのキャスターだからメディアの扱いはお手の物、ツボを押さえて高知の名所名産を売り出す中で四万十川への思い入れは特に強かったらしく、しばしば東京から有名人を招いては四万十川にまつわる討論会を開いた。川を案内された都会の人たちがウナギや川エビを食べて美味かった、ダムがないから上から下までカヌーで下れるなどと嬉しそうに語るのを聞くうちに地元の人も川を見る目が変わってきたように思う。やがて観光客が増え小さなビジネスが始まった。

 

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そのころ市民運動をやっていた仲間が高知市の自由民権館に椎名誠を呼んで講演会を開いた。カヌーで揺られながらオカを見ると川沿いの家はみな「川にお尻を向けていた」という冒険家の言葉が心に引っかかり、いつか自分も、できればウェットスーツで、かなわなければゴムボートで川下りしてやろうと考えた。長い年月が過ぎた昨年、中流域の川登から河口の初崎まで二度に分けてオールを握った。

 

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大雨が降ると水嵩が増して橋桁が沈下するから沈下橋^^! 洪水で沈む橋があってもよいじゃないかという大胆かつ天才的な発案なのだが、補助金の申請で東京に出向いたら官僚にそんな橋があるものかと叱られたという。そこを食い下がってなんとか認可をもらったわけだが、両脇にガードのない一本道を車で渡るのは恐ろしい。台風の日には橋脚に濁流が迫る。進行方向と直角に水が流れるので目が錯覚を起こしハンドルを取られそうになるが、スリルを求めるムキにはお勧めのコースだ。バンジージャンプなみの緊張感が味わえる。

 

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屋形船から中学生に声をかけると、

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落ちる!


地元の子は川の怖さを知っているからまず事故を起こすことはないが、都会育ちでプールの競泳なら自信があるぞという人はむしろ危ない。飛び下りたら充分な深さがなかったというのはとても気の毒だけれど命に別状はないだろう。広々とした瀬をゆっくり漕いでいると川幅が狭まり流れが急になる。蛇行部に強い水流が当たると局所的に渦が発生し、水が下向きに引っ張られたり水面に向けて盛り上がったりする。何かの拍子に淵の複雑な水流に巻き込まれたら水圧で身動きできず上下の感覚もなくなるだろう。滝や堰堤の窪みでは逆巻く水が泡をつくり浮力が得られないところもある。オカから見る長閑な風景とは打って変わって川には人の命を絶つ危険が一杯あるのでライフジャケットは必須だ。かく言う自分も西表島でカヌーからドボンしてカメラと一緒に泳いだことがある。とりあえず息ができて周りが見渡せるライフジャケットがつくづく有り難かった。

 

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2005年に韓国の友人を招いて川下りをしたときの一コマ。旅の企画は、陸路だけでは単調で、間に海や川を入れると喜んでもらえる。窮屈な車内から解放され広々とした水に浮かぶと人は表情がほぐれる。舟ではお弁当を開けたり、七輪でエビやお餅を焼いたり、どさくさに紛れて彼女と写真を撮ることもできる。どんなに大騒ぎしても貸し切りの屋形船なら人に迷惑はかけないから安心だ。

 

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演奏家が小さなトークを挟むように船頭は、窓から顔を入れて川の由来を話したり、投網のエキシビジョンをやってくれたりする。川ビジネスが順調に運んでいることもあってか昨年フロリダからやってきたアメリカ女性を案内したときにも船頭さんは元気一杯だった。儲からなければあの顔はできない。


さて、食べてはしゃいで大喜びで舟遊びを終えた韓国女性がそっとぼくに近づき「船頭があれほど活き活きと働くのはなぜですか?韓国では考えられません」と問うた。韓国は儒教の伝統を引きずる序列の国である。人と会ったら真先に相手の地位と年齢が自分より上から下かを確認せねば話が進まない。日本では身なりは貧相でも凄い実績を持つ人だったりするから迂闊にため口は利けないが、韓国では何より外見が大切で優位に立つには名刺の肩書や服装が大切なツールになる。

かつて友人のツテで韓国の会社社長に現代重工の造船所を部外者秘の倉庫まで案内してもらったことがある。ダメもとで「大型船のプロペラ」を見たいと申し出たところ、カメラは車に置いとけと目配せした社長は、すれ違う人に笑顔を振りまきながら構内を誘導してくれた。あちらこちらで顔が効くので立派な会社の社長さんだろうと思っていたが彼の事務所には女性がひとり居るだけだった。だからどうだと失礼なことを言うわけでは毛頭ないが、自分を大きく見せなければ生きていけない国では名刺の肩書が日本より一つ二つ上がるようだ。

教授と大学生の関係は日本より遥かに強い序列関係で成り立っている。学生間でも先輩と後輩の関係は日本の野球部みたいなところがある。カーリングで銀を取った「メガネ先輩」も日本の先輩とは違うニュアンスを含んでいるのだろう。要するに国中が体育会系だと思えばよいわけで偉い人と先輩には絶対服従である。掟を破るとどうなるかは軍隊で教えられる。だから誰もが常に地位と年齢を意識しているわけだが、すると大統領と村の長老が面会したとき両者はいかに振る舞うべきか、悩みは深いのですよという小話があったりして興味深い。

彼女の質問は、立派な会社の重役でもないのに船頭はなぜあれほど仕事に誇りを持って働けるのか韓国人の私には不思議でならない、ということだった。「職業に貴賤はありません。むしろ外見と本質が異なることもあって麻の服の裏地に絹を使ったりするのが日本の美学なんですよ」とかなんとか説明したように記憶しているが、そんなややこしい美意識が初めて日本を見た彼女に理解できるわけもない。

 

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ぼくと彼女は四万十川をフィールドに小さな文化人類学をやったわけだが、彼女の呟きを敷衍するとややこしい日韓文化論に陥り、反日嫌韓がらみの鬱陶しい現在進行形になる。韓国が兄で日本は弟というあれだ。さりげなく使う日韓という熟語も彼らは必ず韓日と置き換えてくるので仕舞いにはエー加減にせえと言いたくなる。書棚にある渡辺浩と朴忠錫の共著「韓国・日本・西洋」でもやはり韓国が先頭にあるからきっと渡辺先生は共著者に懇願され苦笑しつつ妥協したのであろう邪推してしまう。先に声を掛ける、先にメールを送ることにさえ上下がまつわる儒教の国なのである。昨年某編集長から、かの国に招かれて摺った揉んだがありましたとの生々しいメールを頂いたときぼくは思い当たるフシが一杯あり、同じ思いを共有した悦びから、笑い転げて涙を拭いてやがて悲しくなってしまった。

向こうの人たちと長く付き合ってきたことから退職後は日韓の小さな架け橋になるべく具体的なプランもあったのだが、2011年に東日本大震災があり、2012年に中国で反日運動が燃え、今にして思えば間違いなく中国の動きに連動して李明博大統領が妙なことを言い始めたので、それまでは気にも留めなかった視点から列島と半島の関係を勉強することになった。彼らは半島という言葉さえ問題視する大いなる恨ハンの民族なのである。

日本にいては日本が見えない。ぼくは韓国から日本を見た。その韓国を台湾から見るべくリュック背負ってふらふらと出かけたのが「台湾ひとり旅」でもあった。お隣さんと仲よしの国なんて世界のどこにもないが、台湾もまた「ひとつの中国」問題を抱えた微妙な政治情況にある。だから台湾を見るためには中国を知ることが必要で、韓国→台湾→中国→○○→日本という広大な図式を確認した上で日本に戻るのが理想だが人生は短い。タヒチゴーギャンが「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」と問うたように迷いながらの自問自答を繰り返す他ない。

 

180308記