日本ところどころ⑥ 四万十川 津波の浸水域

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四万十川河口、初崎の道端で見た津波の浸水予想図。指標には30m以上という数字も置かれる。3・11後の太平洋岸を岩手、宮城、福島と渡り、とりわけ女川の高台から信じられない光景を見た自分は、赤い線が何を意味するか、頭では分かるような気もするが、実感できるとはとても言えない。盛り上がった海が街を呑む瞬間を見たわけではないので冗談としか思われないのだ。

ダイビングの世界で30mという数字は初心者を寄せつけない深さである。たったの10mでも1気圧追加されるから息を止めたまま上昇すると肺はパンクする。20mを超えると水圧による残留窒素を計算し綿密な潜水計画を立てねば命が危ない。30mの向こうは、紙で勉強しただけだが、安全な滞在時間は10分程度としたものだ。空気ボンベに残量を残しゆっくり上昇しなければ血液中で窒素が泡立つ。

2014年4月16日の韓国セウォル号事故の際、沈没後長い時間が経ってなお空気の残った船室に生存者がいるかもしれない、急げとアナウンスする人がいた。彼らは30mで4気圧の水圧がかかることを知らないのだろうか。奇跡的に生存者がいたにせよ船の窓に減圧室を接続し高圧のまま引き上げなければ命はない。そんなことが出来るわけがない。

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 高知の海岸線は室戸と足摺で両手を広げ太平洋に向けて津波を迎え込むような形をしている。Google Mapを見ると海岸線の足元でフィリピン海プレートが潜り込む。ここがズンと来たらひとたまりもない。1946年の昭和南地震で旧中村市は「市街地の8割以上が地震動で生じた火災等により壊滅した。Wikiより」「鉄橋は6つの橋桁が川の中に落ちた。下田港では薪炭木材の輸送が停止した。が、耐震補強されていた中村女学校(現中村高校)だけは完全に残った。記録映画より」要するに二三の建物を残して中村市は壊滅したわけだ。上の写真はその日の高知市である。敗戦の翌年だから高いビルがなかったこともあろうが見事に海の底だ。

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黒潮町は今年、海抜26mの高台に新庁舎を完工したが、無慈悲にも建設途中でコンピュータが弾き出した最大浸水予想は34mであった。折れ線グラフは地震後に1mの津波が到達する予測時間である。遅いところで15分、早いところは3分というから無常迅速、覚悟を決める暇もない。

だから高知の海岸線に続々と造られた高さ15~22mの津波避難タワーに意味がないかと言えば、そうではないと思う。シミュレーションはあくまで理論上の最大値であって、海水面が平均して34mの頭上に来るというものではない。3・11後の女川では津波が30mを超える地点まで到達していたが、それは湾に流れ込んだ膨大な海水が行き場を失って坂道をせりあがった結果であって、広い面積の全てが30mの海底に沈んだわけではない。黒潮町(旧大方町)入野の浜ほどの長さと面積があれば、普通に考えてあの松林を海の底の海藻のごとくにしてしまうことはありえない。

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福島県請戸地区の断層。黄線が途切れたので思わずブレーキを踏んだ。後方の森は福島第一原発。2016年10月2日

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同日同地区。あの日のままの海岸沿いの風景。津波は2階を襲ったが屋根は壊していない。ここにもし津波避難タワーがあり運良く上がれたとすれば命は助かったであろう。現実問題として慰めていどの施設であるかもしれないが、、

 

180320記