日本のダムは治水、利水、発電の3目的に限られるが、朝鮮半島では「水攻め」兵器としての役割もある。漢江上流のダムが意図的に放流されれば大量の水が下流域を襲いソウル市は壊滅する。
ソウルオリンピックが開催される2年前1986年に漢江の上流、非武装地帯DMZの北側に任南ダム(金剛山ダム)が着工された。1987年の大韓航空機爆破事件と同じくソウルオリンピックの単独開催を阻止するためと言われる。
任南ダム200億トンの水に襲われればソウル市はひとたまりもない。そこで韓国は軍事分界線の南側に放流水を受け止める「平和のダム」を建設したのだが、やがて200億トンは盛りに盛った数字であり実際はその1/8程度の貯水量であることが分かった。
すると今度は衛星からの偵察により、急ごしらえの任南ダムに決壊を予想させる亀裂が見つかった。新たな危険が検知されたことから平和のダムは土盛りを追加し、2005年に堤高125m堤頂長601mの巨大ダムが完成した。
写真は完成後5年目のものだ。通常のダムは貯水を前提とするが、このダムは非常時の止水用であって普段は水のない乾留ダムである。基底部からの高さがもろに見えるので高さ幅とも圧倒的だ。
水を貯めない「平和のダム」は何も生まない。これは投資が再生産につながらない軍需産業なのである。案内してくれた友人はしきりに「政治ダム」と呟いていた。
平和のダムの下流部には先の大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)が終結する前年1944年に日本人の手によって完成した華川ダムがある。1951年4月「北朝鮮軍と中国軍はダムの余水路から下流へ超過放流を行い、国連軍の5つの浮橋を使用不可能にした*」ことから同年5月米軍はMk13魚雷8本を使用し余水路水門にむけて攻撃した。「この攻撃で水門の一つを破壊し他のいくつかも破損させて洪水の脅威をやわらげた*」という。Wikipedia
熊本県出身の事業家野口遵したがうとダム建設技師久保田豊が組んで、白頭山を水源とし、中国と北朝鮮の国境を流れる鴨緑江に完成させた水豊ダムは、華川ダムと同じ1944年に竣工した。堤高106m、堤頂長900m、たん水面積は琵琶湖の半分ほど、10万kwの発電機×7基=70万kwという当時世界最大級の発電能力を誇った。水豊ダムの発電所は今も現役であり、電力は中国と北朝鮮が折半している。
その水豊ダムも「朝鮮戦争中に雷撃を含む、アメリカ軍機の攻撃を受けたが、ダム構造が堅牢であったため決壊を免れた*」ダムは武器であり武器は破壊攻撃を受けるという事例でもある。 重力式ダムは滅多なことでは壊れないであろうが、コンクリート厚が薄いアーチダムが悪意にさらされたらどうなるのだろう。縁起でもない話だが、巨大な弧が美しい黒部第四ダムが攻撃され決壊したとすれば下流域の3つのダム湖が受け止めるのだろうか。それとも濁水塊は下部ダムを乗り越え黒部市を襲うのだろうか。*Wikipedia
「久保田がつくった電力を使って野口は、肥料、アルミニウム、化学せんいなど次々と事業を大きくしていきました。しかし、昭和19年、太平洋戦争のさなか、野口は死亡し、その後を久保田は受けつぎましたが、昭和20年に敗戦をむかえました。久保田は、朝鮮にいた日本人の引き揚げや帰国の世話をした後、25年間の仕事ぜんぶを朝鮮に残し、何一つもたずに熊本に帰ってきました*」(土木の絵本「海をわたり夢をかなえた土木技術者たち」青山士・八田与一、久保田豊)
その後の久保田豊は土木コンサルタントとしてアジア・アフリカ各地に足跡を残すことになる。青山士あきらの「荒川放水路」、八田与一の「烏山頭ダム」と並んで巨大土木が文句なしに人々の幸福につながった土木家冥利につきる時代であった。
さて話を四万十川に戻そう。先日土木関係者に会う機会があり、かつて大野見村に計画していた幻のダムの発電量67万kwについて尋ねたが、いくら関係者でも造られなかったダムの発電量のことまではご存じないようであった。それにしても琵琶湖の半分ほど水を貯めた水豊ダムが70万kwを可能にしたのであれば、「大野見村の大部分が水没し、松葉川村や梼原町まで被害が及ぶ」ことまで想定した「栗の木ダム」「久万秋ダム」もまた67万kwの電力を生み出したのかもしれない。とはいえ琵琶湖の半分を指で挟み地図上で四万十川上流にカットアンドペーストしてみるのだが、湖水に沈んだ大野見村、津野町、梼原町などという図はぼくの想像力では追いつかない。
2018.06.12朝9:00記