日本ところどころ⑮ 宿毛湾の樫西海岸

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宿毛湾の樫西海岸140124

物部川を舞台に「川歌」を描いていた故青柳祐介さんは「山のプールをぶっ壊せ」というのが口癖だった。学校の傍に清流が流れ、少し手を入れれば天然自然のプールができるのに四角四面のコンクリートの箱に子どもを放り込むなんて愚かだ、とぼくも思う。「ごっくん馬路村」のボスターようにカナツキ提げてあっちの瀬こっちの淵で鮎を追いかけるのが小中学生の正しい夏休みなのである。


では海はどうかと言えば、近場に渚のある学校は滅多になく、あっても学校の先生が児童生徒を引率してとなると責任重大だから誰だって二の足を踏む。だから今の若い人は子どものころ海で泳いだことがないのだろう。記憶がなければ欲望は湧かない。ちかごろは海の家も閑散としているようだ。


ここ5年ほど暇さえあれば旅に出て北海道の先っぽから沖縄の南の端まで日本の海沿いを眺めたが、宿毛湾の樫西海岸ほど豊かで安全な海水浴場は思い出せない。見てよし、泳いでよし、干潮時には小島につながる砂嘴が広々とした潮溜りをつくり、潜れば珊瑚に囲まれて色とりどりの魚が遊ぶ。


太平洋を見渡す小高い緑地には誰にも断わらずにテントが張れる。清潔なトイレの脇には真水がたっぷり使えるシャワーがあってしかも只ときた。浜辺でバーベキューをしても世知辛いことを言う大人はおらず、むしろ人影のまばらな寒漁村に若い子の華やいだ声が届くと村人は嬉しいのかもしれない。

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樫西海岸 フジXP200使用160730

プロの作品に比べたらお恥ずかしい一枚なのだが、まるで緊張感のないコロダイ君(高知でコタイ)の顔は見て疲れないのでiPadの初期画面に設定して長くなる。けっこう気に入っているのだけれど趣味の写真は撮った本人の思い入れが一杯だから人様の目にどう映るかは自信がない。


どうやって撮ったかと言うと、通常はウェットスーツに鉛のウェイトを付け軽い浮力を残して海に入るわけだが、フィンをばたつかせて潜ると魚は逃げてしまう。追いかけても無駄だから一計を講じた。


浅場で板状の石を拾って腹に差し込み、思い切り息を吸ったところで浮力を完全に中和する。目的の海面で軽く息を吐くとやがて体は沈み始める。いったん浮力を失うと急速に沈降するのが不思議だ。水深計で5mほど落ちたところで底に着いた。それなりに水流があるから左手で岩をつかみ右手を伸ばしてシャッターチャンスを待つ。水中カメラは焦点距離が短いので魚はカメラのすぐ先にいるのだが、上から黒い物体が自然な速度で落ちてきたからか、魚は怪しむことなく、むしろ好奇心に駆られたかのようにこちらを伺う。


ダイビングのお師匠さんに写真を見せたらコロダイの流し目を面白がっていた。ひょっとすると魚にも人間の前頭葉に当たる感情の部分があって、怖いもの珍しいもの見たさに寄ってくるのかもしれない。そうこうしているうちに息が切れる。魚は余裕たっぷりだけれど、こちらは天井へ浮き上がる時間を残し、ぎりぎりまで粘ったところでゲームは終わりだ。

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樫西海岸160730

間を置いて落ちると今度は別の魚が行進してきた。右向きに泳いでいたかと思うと一斉に反転し左を向く。海の魚は水族館の同属と何かが違う。

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樫西海岸160730

場所にもよるが、海の底には多種多様の魚が共存している。色も形も口の大きさも違うので同じ餌場でも様々な食餌行動をしているのだろう。鳥が異なる餌を求めて棲み分けるように魚もまた共存共栄の網の目でつながっているに違いない。

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ボラの回遊140123

ニコンの一眼をChina製の簡易ハウジングに入れて撮ったが、ビニール袋にアクリルの目玉が付いた安物ハウジングは非常に使い勝手が悪い。かといって専用のハウジングは無茶苦茶な値段なので手が出ない。画質を問わなければ海でも山でも使える小型カメラが一番だ。フジXP200は10mていどの素潜りなら何の問題もない。15m/water proofとあるのでたぶん20mくらいの安全計数は掛けているだろう、と勝手に解釈してダイビングに使ったら故障した。デザインがとても気に入ったのでアマゾンで中古品を買い直したが、水に漬けた途端にぷくぷくと小さな泡が出てレンズが曇った。中古品には当たり外れがある。南の島で海亀と一緒に泳いだとき悔しい思いをした。

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キビナゴの群れ140123

魚屋の魚は一匹二匹と数えるが、海の魚は一群れ二群れと数える方が正しいのではないだろうか。数百羽もの椋鳥の群れが伸びたり縮んだりしながら空中を舞うようにキビナゴの群もまた無数の個体が集まって秩序ある全体をつくる。ヒトの体も個別の存在でもある細胞の集まりだ。ひとつの思想が与えられれば個々人が束ねられて全体が靡く精神的共同体でもある。個を強調する近代の考え方は生きものとしての人間には無理があるのかもしれない。

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141013 14:07

その樫西海岸に台風が来た。丸い青空はまぎれもなく台風の目である。沖合から吹きつける雨混じりの風に背を向け、一瞬の呼吸で振り返って、防波堤に打ちつける波濤を狙った。

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141013 15:13 樫西海岸

台風一過、軽い爆発音を残し堤防に打ちつけた波が舞い上がる。東北の人は思い出したくない光景かもしれない。

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141013 15:50土佐清水市叶崎

風は止んだが、白濁した海面はなお沸き立つ。海が見たくて高知を訪ねた観光客には、これ以上はない光景だろう。


180801記