日本ところどころ⑯ 土佐の沿岸、年寄りに、、ヨット

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土佐清水市140616

この町には昔ながらの銭湯が今でもフツーに営業している。番台を挟んで男湯と女湯が分かれ、壁越しにおばさんたちの世間話が聞こえるアレだ。大学を出て初めて仕事に就いた町でもあって懐かしく、通りかかったついでに手拭いを提げて歩いていると、この港では滅多に見かけないヨットが停泊していた。ひとり旅の船長さんはデッキで夕食の構えをしているところだったが、お邪魔を承知で声をかけた。


愛知県を出発し和歌山から徳島、香川、愛媛と伝って今日ここに着いたそうだ。ヨットは帆掛け舟なのに「風のない湾をどうやって航行するのか」というド素人の質問にも「小さなエンジンは付いていますから」と丁寧に応えてくれた。港は漁師の仕事場だから遊びの船は嫌がられるのではないかと思っていると「湾の入り口で迷っていたら漁船がここまで誘導してくれた」そうである。どんな船でも船乗りは仲間を大切にするものらしい。


板子一枚下は地獄の海で他者をいたわることは危機時の自分に保険を掛けることでもある。共通の利害で結ばれた強い仲間意識が海にはあるのだろう。救難信号を捉えた漁師は「網を切ってでも行く」と聞いた。逆に言えば個人主義が暮らしの隅々まで行き渡り、困ったときには、お隣さんではなく役場に電話するオカ住まいの者には眩しい紐帯だ。


ご老境にさしかかったかなという風情の船長さんに「海のお仕事をしていたのですか?」と尋ねると、海とは関係のない仕事をしてきて退職した。自分は今70歳である。この歳になって免許を取った。中古のヨットを求めて伊勢湾を出た。2級小型船舶免許だから陸から5海里(9㎞)しか離れられないが、今の自分にはこれで充分、毎日が勉強だ。出航して1ト月が過ぎた。これから四万十市須崎市と上がって高知港へ入り、その後もう一度瀬戸内海へ向かう、、等々。お顔から判断するに事務系、技術系のお仕事をなさってきたのかなという穏やかなご老人であったが、遊びとはいえ若い子だってためらう海の一人旅を堂々とやっていることに退職2年生のぼくは畏れた。


加山雄三はあの歌しか知らないから取り立てて同情する理由もないけれど、自由自在に移動できる海の別荘を火事で失ったら深い喪失感に襲われることだろう。焼けたクルーザーはニュースで取り上げられたが後日報は聞かない。心機一転つくり直しているのだろうか。石原慎太郎東京都庁へ週に何度か顔を出し、記者会見で某紙記者をドヤし倒せば後の時間は自由だったらしい。記事にはならないが彼はヨットマンだから世界の港を渡ったことだろう。尖閣に港をつくれという発案はヨットから生れたのかもしれない。


お金持ちなら問題ないがヨットとなると物入りだろう。それは庶民の手が届かない遊びなのだろうかと考えてネットを探ると中古のヨットなら30万円ほどで売りに出されているのであった。新造船は論外として、主を失った中古船は粗大ゴミだからエンジン付きのクルーザーでも普通車ていどのカネで手に入る。これならぼくでも、、と踏み出す前ならなんとでも言える。

 

180804記