Korea点描①

令和の令月に
おまえを島流しにする。ついては一冊だけ本を持たせてやるが?と問われたら新古今和歌集にするか万葉集にするかで悩みそうです。半年で戻すという条件なら水茎の跡も麗しい隠岐新古今和歌集を暗記するほど読み込むのも人生の一興かなと、しかしスマホも使えない無人島に2年も3年も置き去りにされるのであれば貴人から庶民まで4500首もの歌を載せた万葉集をポケットに忍ばせてロビンソンクルーソーする他ありません。令和の元号万葉集「初春の令月にして気よく風和ぎ」から導かれたとのこと。ウチのトマトは麗月レイゲツなので^^; これも何かの因縁かと夏も近づく八十八夜の温室でせっせと考えました。


真実は無数にある
ご承知の通りネットのカキコには安本丹みたいな落書きから、こいつボケかましてっけどそのスジの者だなと思わせる意見書まで何でもありです。もらってんじゃねえかと邪推したくなるヨイショ記事があるかと思えば、どさくさに紛れて真実をリークする奴もいて情報の風景が昔と違ってきました。今どきの日本人は皆もの知りだからオレ新聞社の主筆でござるなんて言われても中身が薄いと「お前バカだろ」って一蹴されます。1人の論説対書き込み千人万人の時代にはどちらに軍配が上がるか分からない、というより読み手の理解が記事の価値を決めるとしたもので、真実は絶え間なく揺れ、何がなんだか分からない時代にぼくらは放られています。昔は紙の新聞が価値を決めてくれたので読者は迷わず生きられましたが、今は何もかも自分で決めなければなりません。「みんな自分が分からない」というのはビートたけしの名コピーですが、嘘と真実をまぜこぜにした情報の海でぼくらは溺れかけています。我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのかと人生の意味を求めてさまよったタヒチ島ゴーギャンみたいなものです。


令和の典拠
「新元号の出典が漢籍ではなく初めて日本古典となったことについて、中国紙の環球時報(電子版)は“中国の痕跡は消せない”の見出しで、引用元の“万葉集”も中国詩歌の影響を受けていると指摘。ネットユーザーは新元号のもともとの出典は後漢の文学者、張衡の韻文“帰田賦”だとの主張も目立った」190401配信産経新聞


環球時報は、令和のルーツが万葉集からの引用であるにせよ、万葉集自体がChinaの文化的一部にすぎないのだから“中国の痕跡は消せない”とするものです。帰田賦とは何かとネットを探ると「令和の元ネタ張衡・帰田賦は愚昧な安帝と側近たちの腐敗政治、自由すぎる奥方に乱れきった治世はもうヤダという漢詩だった」と面白おかしく解説したカキコに出くわしました。ネット諸子は、令和の源流が政治の腐敗にまつわる漢籍にあったとするもので、その典拠の由来をもって新元号の独自性を汚しています。それを真に受けた善男善女が、自説のごとく蘊蓄をひけらかし、返す刀でアベ政権を印象批判し、鬼の首を取ったかのような言説を吐いていますが、世の中には暇人がいるものです。


「初春令月、気淑風和」(万葉集)は、
「仲春令月、時和気清」(帰田賦)の引用だから、
元ネタは漢籍にあり「令和」は孫引きだ。だから万葉集は中国の影を引きずる。やはりChinaはえらい!Japanは下だとするのが物事を斜めに見るカキコ子のロジックです。しかし文体事例が古代中国にあるからといって「令和」の何がいけないのか? 文には着想のタネが要るので、先行事例に形式を借り、あるいは内容を少しずつ塗り替え、独自世界を模索するのが文章の基本です。そもそも漢字はChinaから伝わったものであり、平成以前の総ての元号がChina由来であり,それがおかしいなんて誰も言わなかったのに典拠を日本の古典からとった途端に談論風発だなんて、、


日本の8世紀に編まれた万葉集の文例が、紀元前後の漢の時代にあるのなら、漢以前に遡れば、令と和の組み合わせなど事例はなんぼでもあるはずで、孫引きどころか曾孫ひまご、玄孫やしゃご、来孫らいそん引きだってありでしょう。「令和」を批判する人は自分でも気付かぬうちに悪意あるオペレーションシステムに方向付けされているのではないかとまあ思ったりするわけです。理知を気取る人がふと矛盾を覚えて何かを呟いたとき仲間の冷笑を受けて引っ込むというあれです。日本政府が典拠は帰田賦だと言明したのであれば問題ですが、「令和」の発案者が万葉集だと言っているのだからそれでよいではないか。


つらつら思うにこの種の発見を自慢する人たちってヒマとストレスを溜め、言わねばやまじ、だけど喋る相手がいないからスマホこすって一言居士なのだろうか、心に傷をもつ人たちなのだろうか、あるいはネットにウィルスが仕掛けられ善男善女の心の中で核分裂を始めたのだろうかと寂しく考えます。

堂々たる論陣を
令和が発表された4月から改元後の5月にかけて地元某紙、大手某紙には、令は命令的な印象がぬぐい難い。令和を提唱した主犯? は万葉学者の中西進に違いない。なぜこんな熟語を引用したのか、それを主導したアベ政府は何を考えているのかとでも言いたそうな婉曲記事をしつこく置いています。メディアは政権のチェック機構でもあるから批判は大切な仕事なのだけれども、言祝ぐべき新元号にあえて悪い言霊をまぶし、日本人をどこへ誘導したいのだろう。正義を標榜するメディアの故郷はどこにあるのかと、まあ普通のコモンセンスを以て考えれば、記述者の真意をソンタクせざるをえないのです。令と和の字をほじくり返したら考案者の意図と違う意味がChinaの古典にあった。だから新元号には問題があるだなんて悪意以外のなにものでもありません。記者が何を考えようと勝手だし、各社に色があって当然なのだけれど、遠回しにちくちく差すのはやめ、署名記事で堂々たる論陣を張ってくれ、できれば読者のコメント欄を付けてくれと願います。


語義の二重性
そもそも漢字は状況に合わせて複数の意味を持つわけで、尾籠な話で恐縮ですが、お便りと便所は同じ漢字を使うけれども郵便局からトイレを連想する人はいないでしょう。手紙はChina語でトイレットペーパーを意味することから、手紙を論じて便所に及んだ日には「お前ばかだろ」ってことになりますね。「敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花」と詠んだ本居宣長は朱色の葉とともに咲く山桜の視覚的な美しさを「にほふ」という嗅覚の言葉で捉えました。いろは歌にも「色は匂へとちりぬるを」とあることから視覚と嗅覚が併存することに何の問題もなく、むしろ言葉の高度な用法であるわけです。台風に襲われて家が壊されることはありますが、役者の襲名式に「襲」とは何事かとわめく人がいたらこいつ頭おかしいんじゃないかと、、世の中には令嬢も令息もおられるわけで、さすがに令和さんがいらっしゃったことには驚きましたが、和を以て貴しとなす大和のクニよ、麗しかれと祈ります。(つづく)

 

付記「Koria点描」について
長くKoreanと付き合ってきたことから退職後は日韓の小さな架け橋になるべく人生設計していました。いわゆる靖国だ、教科書だといった反日論義は1990年代からありましたが、国家間の問題と個人の付き合いは別だというのがぼくらの持論で、Korea政府が各種交流を停止した年にも高知の山村に韓国の学生を迎え「過去を忘れるわけではないが前向きに酒を飲もう」という合い言葉を実践してきました。行ったり来たりで10数年、往復した人の数は、松山仁川間のアシアナ機を一機チャーターしたほどになります。


しかし、3.11津波の翌2012年、震災の後遺症と政変劇のさなかに、中国全土で反日暴動が起こり、それに呼応したのかどうか突然、未来志向を標榜してきた李明博大統領が妙なことを言い始めたことから、多くの人がそうであったように自分もまた、その年を境にChinaとKoreaを見る目が変わりました。


日韓交流を始めたころはポケベルが先端機器でしたが、やがてPHSが登場し、ケイタイがあらわれ、今ではスマホでKoreaの新聞記事さえ読めるようになり、日韓の大まかな動きはリアルタイムで追跡しています。書庫には捨てるに捨てられない交流資料が山積みです。


無我夢中で走っている時は、自分が何をしているのかさっぱり分からなかったのですが、いつしか時は流れ、指を折って人生の残り時間を数える年齢になると過去の自分が他人のように見えます。タヒチゴーギャンをパクって「自分はどこから来たのか、自分は何者か、自分はどこへ行くのか」と問いつつ自分のために過去を「点描」します。同時に核がらみで異様な動きを見せる朝鮮半島を自分の経験から類推します。「点描」は知人と個人メールでやりとりしていたものですが、ブログにアップしてはどうかという示唆を受けました。お気が向きましたらご笑覧ください。

 

190503記 助村栄