Korea点描 リアルタイム編②

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飛行機の切符をネット予約するのは意外に手間取るもので詰めの段で時間を浪費してイヤになります。twayの予約時に座席指定が出来なくて困りました。ところが当日カウンターに行くとちゃんと窓際を指定されていたので驚きました。


廃線も近いかなと思われるLCCの座席はガラガラ、乗客は飛行機のバランスをとる重しでもあるから人間を分散させたらたまたまぼくの席が窓際になったのでしょう。しかも日差しの反対側、翼に邪魔されず景色が見える一等席でした。

高度1万mという途方もない高さは長い人類史の中で現世代が初めて獲得した神の目です。みんな慣れっこになったから目の下で地図が動くことに取り立てて感動することもないようですが、この高さから下界を見下ろした人間は低軌道の静止衛星に乗ってもさほど驚くことはないのかもしれません。すでにぼくらは宇宙飛行士と似た視点を持つに至ったわけです。

眼下に広がるKoreaの大地は緑のカンバスに高速道路がゆるやかな曲線を描いていました。その緑がいたるところで削られ赤茶けた工事現場が広がっています。深い緑と浅い緑の縞模様はゴルフ場です。

個人所得が3万ドルを超えたKoreaでは、かつて日本が経験したバブル期のごとく経済は舞い上がり、民心は高揚していたに違いありません。日本何するものぞと息巻いた文在寅大統領の「二度と負けない」発言は経済の熱狂に支えられてのことでしょう。

すべての価値がカネに換算できるものならば持てる者ほど幸せだという単純な方程式が成り立ちますが、カネは交換価値に過ぎず、モノやコトと交換して初めて意味を持つわけだから、欲するものに直接触れた人間はカネを介さず幸せを掴んだことになります。

ゴルフ好きはカネの力で掘り返したグリーンやバンカーを見て幸せになりますが、山歩きが好きな人は野の緑にじかに触れて幸せになれます。だからおカネが要りません。

とりあえず暮らしを確保したKoreaの友人たちは口を揃えてウェルビーイングを語っていました。からだ元気、おカネそこそこ、休日に何をしようか、リタイヤしたらどうしようかと実は心の中で迷いつつ生きることの意味を問うていたわけです。

本当のカネ持ちが幸せかどうかは知りませんが、ナッツリターンで一躍有名になった大韓航空のご令嬢が決して幸せそうなお顔ではなかったことからも、使えもしない個人資産と人の幸福とはあまり関係がないのではないでしょうか、、というようなことを考えながら下界に降りてソウルの街を歩きました。

f:id:sakaesukemura:20190822090334j:plainソウル駅舎遠景。右手は旧ソウル駅舎。

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赤いレンガ造りの見事な建築である。1910年の韓国併合後、1925年に造られた。 

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朝鮮総督府の建築は、場所が場所だけに市民ないし政治家の反感を買い壊されてしまったが、ソウルには石造りの豪壮な建物が至る所に残存している。Bank of Koreaはごっつい花崗岩をふんだんに使い天井を欧風に高く取った空間だ。

高知なら追手前高校をイメージしコンクリートを石に置き換えればいくらか想像できようか。旧小津高校舎は天井の高さに加えて入口ホールがロマネスク様式の丸みを持つ愛らしい空間であった。知り合いの建築家が「追手前より小津の方がずっと面白いですよ」と語るのを聞き、興奮したぼくは一橋大学にも残るという小津高校ロマネスク様式の入口ホールに惹かれて職場を変えた。

学生のころ友人に連れられて東京大学安田講堂の地下で飯を食ったことだが、振り返って思えば東大の尖りアーチより丸っこい小津の方が立派な感じがする。

で、小津旧校舎は高知の建築家が猛反対する中で改築派との折衷案が採用され見るも無残なキメラになった。そこで仕事をしているうちにだんだん腹が立ってきたからぼくは転勤希望を出した(^^;

ちなみに旧中村高校舎は木造だったから二階の教室で授業が始まる前、起立礼をする40人の足音が一階の職員室にいて手に取るように分かった。木造には問題もあるが今となっては取り戻せない美徳も一杯ある。中庭の樹木がバッサリ伐られた際は正に倒れようとするとき生徒を廊下に並ばせて見送った。

やがて選手交代したコンクリート校舎には一面の合理性はあるものの木造校舎の持つ木と心の対応関係が、悲しくもきれいさっぱり捨てられちまったので今の校舎には何の郷愁も覚えない。

それは単なる懐古趣味と切って捨てるより遥かに重大な意味を持つことがこの歳になってわかった。ソウルの旧朝鮮総督府が壊されると知った年には最後に一目見ておきたくて飛行機に乗った。

それとほぼ同時期に建てられた台湾総督府は完璧に残されており今も総統の仕事場である。台湾旅行の目的の半分はここだったから塀の柱の一本一本を確認しながら正面に回り込み、全景を見るためにとっと後ろまで下がったり、入口で護衛する武装兵に叱られたりしながら半日かけて眺めた。建物には時代の精神が形として残る。

半島儒教を背負ったKoreaの政治は過去を全否定し歴史を破壊するところから始まる。ぼくは高麗時代の仏教文化に惹かれるのだが、高麗の仏教遺跡も残されたものはわずかだ。「石窟庵の仏像を発見したのは日本人でした。このことを我々は恥じるべきです」と李栄薫教授は言う。してみれば対馬の仏像も日本人が暴力で奪ったとは考えにくい。止めどもなく続く日韓歴史論争の本質は、過去を否定するか、歴史として遺すか、この辺りの考え方の違いに潜んでいるのではないかと思う。

 

190821 記

 

 

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