海事つれづれ五目めし200407 鳴無神社

 

 

 

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横波半島に囲まれた浦ノ内湾を小舟が行く 200325

 

高知にもコロナ禍が迫り4月7日現在33人の感染者が報告されています。宿毛市の警察所員が感染したかと思えば、数日前には老人病院の職員が陽性で、間接的な煽りを受けぼく自身も対応を迫られています。エチオピアのあの人が「われわれはシャドーボクシングをやっているようなものだ」という比喩を使いました。へえーうまいこと言うじゃん、評論家やめてその言語センスを仕事に使ったらとつい不平不満が口をついて出てきます。

 

3月25日にタイ在住の友人から以下のメールが届きました。「タイは、明日から非常事態宣言。陽性が一人しか出てないチェンライは、今週から来月12日まで、レストラン、マッサージ、美容院などは既に閉まっていますが。水掛け祭りも、行政主導の派手なものから、昔のように水で清める静かな儀式になると期待しています。集会等もほとんど中止、静かで良いですが、お金に振り回され自転車操業している人は大変。商業活動が停止しているバンコクからの帰省組がウイルスを持ち込むのではないかと戦々恐々としていますが、私の生活は全く同じです」

 

「私の生活は全く同じです」というのは友人が人生をかけた言葉なので、そのことについて長い遣り取りをしているうちに日が過ぎ、いつしか事態は進行し、4月7日の今日は安倍首相から非常事態宣言が出されるはずです。一昨日久しぶりに高知市の繁華街を歩きました。日曜日の午後だというのに街は閑散とし飲食店にも人の姿はちらほらでした。商店のオーナーは頭を抱えているやろうなと、、

 

ウチの仕事場の近くに大手企業を飛び出して新規就農したピーマン農家があります。思うように儲からないので今年はシシトウに転作したところコロナ禍で飲食店の需要が減ったらしくとても気の毒です。四万十市で文旦をやっている親戚も今年は人が動かないので値が付かないとぼやいています。

 

ネットの書き込みには、さっさと非常事態宣言を出せという勇ましい声もありますが、非常事態となれば経済は破綻し、収入は止まり、支払いは残るという恐ろしいことになります。ネットの怒りは、宣言後の日本がどうなるかを予測し、覚悟した上で行政批判をしているものなのかどうか。かといって特効薬もワクチンもない疫病に対し出来ることは都市封鎖しかないとなればためらう理由もありません。正確な判断材料を持たない者は傍観する他ありませんが安倍首相のやつれた顔やトランプ大統領の暗い表情が気になります。

 

たった今ジョンソン首相が集中治療室に運ばれたという緊急ニュースが入りました。結婚したばかりの奥様は身重とか、私事公事とも安からんことを祈ります。

 

でオレに出来ることは何だろうと考えましたが、高知市疎開してきた92歳の母の世話をするくらいのことかなと、、「三密」を避けゴムボートで海風に吹かれる分には人様に迷惑をかけることもありません。前置きが長くなりました。

 

 

 

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誰も乗せない巡航船が行く200401

 

揺れるボートから写真を撮るとき一番難しいのが水平をとること。カメラに内蔵された水準器の動きに呼吸を合わせ、水平サインが出る直前にシャッターを押し、確率ねらいで2~3枚は撮ることになりますが、横の線が揃うことは滅多にありません。写真愛好家には許してもらえそうにない一枚ですが、あえて、

 

 

 

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入り江のコンクリート200401

かつてここには人の暮らしがあったのだけれど、やがて家屋は廃屋となり、ついえた跡に木が生え、草が茂りという風景なのでしょう。諸行無常を感じます。

 

 

 

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水の上から見た岸のツツジ200401

小舟でなければ見えない風景です

 

 

 

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鳴無神社の鳥居200401

鳴無神社には、目に見えない参道が海にあり、対岸に遥拝所が置かれています。

 

 

 

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鳴無神社の大祭160825

神輿を乗せた船二艘がぴたりと寄り添い1200年もの昔を偲びつつ「お船遊び」を終えて戻りました。

 

 

 

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神輿が担がれ神社へ160825

 

インド人は2000年も昔の出来事を昨日のことのように語るとか、さすが歴史の長い国は違うと感心していたら何のことはない日本だって相当なものです。拙宅の裏の浦戸湾はざっくり1000年むかし紀貫之が55日もかけて都へ帰った出航地でもあります。この入り江でエギング、チニング(イカを釣ったりチヌを釣ったりする和製英語)果てはブリまでやっちまったからブリング?して楽しく遊ぶ渚の温泉野郎と今風に言えば高知県知事の任期を終え、嵐や海賊やの不安を抱えながら船出した土佐日記の作者が、ぼくの頭の中では自然に重なって矛盾がありません。

 

 

 

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山桜と交代した鳴無神社のソメイヨシノ満開200401

 

 

 

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隠岐神社190830

 

そのむかし受験勉強で「イイクニつくろう鎌倉時代」と覚えました。1192年に成立した鎌倉幕府は公家から武家への移行期でもありましたが、それはならじと武家に対抗し朝廷の復権を目論んで1221年承久の乱を起こした人物が、歌人であり刀鍛冶でもあった多芸多才な後鳥羽上皇でした。あっけなく乱に破れた後鳥羽上皇隠岐島へ、土御門上皇は土佐の四万十市へ、順徳上皇佐渡島へと親子三人揃って島流しにされたのでした。「配所の月罪なくて見む」と良いとこ取りを目論んだのは兼好法師ですが、罪を得て隠岐島に配流された後鳥羽上皇の和歌は力強さと悲哀が混在した不思議な歌い振りです。序列の頂点で思うさま振る舞った天皇が急転直下、日本海に浮かぶ小島に棄てられ、これ以上はない落差の中で詠まれた下記の歌三首は異彩を放っています。

 

我こそは新島守よ隠岐の海の荒き浪かぜ心して吹け

人も惜し人も恨めしあぢきなく世を思ふ故にもの思う身は

今はとて背き果てぬる世の中になにと語らふ山ほととぎす

 

 

 

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鳴無神社の境内にある新勅撰和歌集の歌碑 藤原家隆200401

 

新古今和歌集の次にくる新勅撰和歌集は、かつて後鳥羽上皇に仕えた藤原定家によって1232年に編纂されたものです。わずか三十一文字でこの世のものとも思えぬ幽玄世界を描いた定家は有能な編集者でもありましたが、政治的には中立を保ち(公家側に身を置きながらも幕府側の心証を害することなく巧妙に立ち回り)乱後の罪に問われることはありませんでした。その定家によって集中もっとも多く歌を採用された藤原家隆が、都の空から土佐の海=横浪三里に囲まれた浦ノ内湾の「お船遊び」に想いを寄せたのがこの歌、

 

土佐の海に御船浮かべて遊ぶらし都の空は雪解のどけき

 

陸から見た海ではなく海から見た春の山々には格別の風情があります。深く入り組んだ横波三里の内海は、京都の名園を大きく拡大したように豊かな表情を湛えています。後鳥羽上皇は「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ」という秀歌を残しましたが、もしも上皇が浦ノ内湾で巡航船に乗っていたら歌中「水無瀬川」が「浦ノ内」に替わっていたかもしれんなと^^!

 

種田山頭火は「四国遍路日記」で室戸から高知市へ向かいました。用事が出来たのか疲れたのか、野市南国の「第二十八番、二十九番は遥拝で許していただき」高知市から伊野町越知町、池川町と山側に折れたので浦ノ内湾の遍路道は外しています。拙宅の近くに33番札所の雪溪寺があり、近ごろ門前に「人生御遍路山頭火」という石碑がたてられましたが、山頭火はこの寺には寄っていないはず、高知市でお遍路は中断していますね。もしも山頭火がその足で浦ノ内の海沿いを歩き、漁師のお接待を受けて伝馬船にでも乗る機会があったら名句が生れていたろうにと残念です。

 

 

 

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よくぞここまで簡略化したものだと感心させられる扁額の草書「鳴無神社」200401

 

漢字の読みには文法がありません。沖縄の金武湾はキン湾。大分県安心院はアジム。北海道の地名は無茶苦茶だから積丹シャコタン、長万部オシャマンベ、火散布ヒチリップが読めなくても恥じる必要はありませんが、歯舞群島が読めなかった北方領土担当相には問題があります、という厭味はさておき「鳴無神社」は何と読むか?現役で働いていたころ通勤途中の看板が読めなくて悩んでいたのですが、やっと答が見つかって、おいおいふざけんなよと思いました。ご興味のある方はご自分でお調べください。

200407記