海事つれづれ五目めし200420 海の廃墟

 

 

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森の放火魔アケボノツツジ200402

 

 

 

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遠景として見れば長閑な春の風景なのだが、、

 

海から見る春の野山は、陸から見る海の風景とどこが違うのだろうと考え、ヒミツは水平線にあるのではないかと思い付いた。横の線が人工なら広葉樹がつくる曲線は自然そのものだ。自然しかない自然は捉えどころがないけれど、そこに適度の人為が入ると安心感がある。日本庭園を見て何かしら心がゆるむのは、水平線が木々の緑にメリハリを付けるところにもあるのかなと思いながら停泊する五艘の漁船に接近した。

 

 

 

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穏やかな海面に1+4艘の漁船が寄り添う

 

 

 

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捨てられた作業場から見た廃棄船

 

魚が獲れなくなったのか、船主が年老いたのか、あるいは後継者がいなくて棄てられたのか、入り江の奥深くひっそりと繫留された船は力なく浮かび微かな波にゆられる。

 

 

 

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吃水線の汚れが長い年月を思わせる

 

 

 

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別の場に置かれた廃船 

 

 

 

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棄てられた海上屋台

 

壁に残されたカレンダーを見ると海上屋台は平成6年(1994年)ころから平成23年(2011年)東日本大震災の年まで使われていたようだ。Tunamiと海賊料理屋の廃業には何か関係があるのだろうか。

 

株価バブルが峠を越えた平成6年(1994年)日本経済はまだ活気に満ちていた。岸近くに浮かぶ海賊料理屋も賑わったことだろう。珍味を肴に飲んで騒いでスッテンテンになってもまた稼げばいいやという夢のある時代だった。余ったカネが行き場を失い、人里はなれた山奥に「タヌキしか通らないトンネル」が掘られ、山は崩され目を剥くような額の会員権とともにゴルフ場が現れた。問題の多い時代ではあったが、経済は拡大し、矛盾は後方に捨て置かれ、善男善女も不良もヤクザもみんなが前を向いていた。

 

やがて日本経済は「失われた」10年20年30年の不況が続き、年寄りが増え子どもは減り、ピーク時には世界GDPの18%を占めたという怒涛の勢いは今や見る影もない。一方でパックス・ブリタニカアメリカーナ、ジャポニカと続く繁栄の波はチャイナに移った。必ずしも今の日本経済が「失われた」とは思わないが、かつては小さく見えたアジアの国々が驚異的な経済成長を遂げ、相対的に日本の背丈が低くなったことは間違いない。

 

 

 

 

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お手本のようなもやい結び

 

簡単に結べ、しっかり締まって、ほどき易いという三つの条件を満たしたもやい結びは船舶免許の実技で出題される基本的なワザだ。覚えてしまえば何ということのない結び方だがこれを最初に思い付いた人はえらい。屋台と別れる最後の日に持ち主はいつもの癖で結んで残したのだろうか。

 

 

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幽霊船のような海上工房

 

深い入り江に水は淀み浮屋の時は止まった。「年々歳々花ハ同ジク」背後の森では季節がまわり春の緑が新たな時をつくる。「歳々年々人ハ同ジカラズ」長く生きれば誰だって記憶が積もる。積もった記憶が人格をつくる。いずれ肉体は滅ぶが、人格という抽象はどこへ行くのだろう?

 

 

 

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「ヒトは死ねばゴミになる」という殺伐たる標題の本を残した人が居るけれど、ゴミという身も蓋もない表現はさておき、肉体の死は物質の交代であり、死と再生が不可分の関係にあることは中学生でも知っている。高校生くらいになると肉体と精神を分離して考えるようになり、雑誌「ムー」を真顔で読む女生徒がマジな顔で質問に来たこともある。日本の教育システムは唯物論で組み立てられているから授業の後で死後の世界を問われても困るのだけれど、自由が憲法で保証された日本では新興宗教からオカルトまであらゆる存在が場を与えられている。ヒトは死んだからと言ってその精神性まで消えてしまうわけではないとぼくも思う。

 

 

 

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海月

 

もしも「ヒトは死ねばゴミになる」著者から冥界メールが届き「君には霊魂が見えるのか?」と問われたら「目には見えないけれど霊や精神は木の葉の動きで存在が確認される風のようなものだ」と答えたい。肉体の設計図はDNAに情報として存続するわけだし、良い仕事を残した故人の精神は死してなお仕事仲間に受け継がれる。あまり考えたくないことだが、恨みを呑んで死んだ人のことは生者の記憶に付着して残存する。抗議のための焼身自殺は取り巻く人々の心に自らの意を焼き付ける行為であろう。良きにつけ悪しきにつけヒトは死んでも生きている。

 

 

 

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水は沼のように動かない。

 

3密ならぬ3疎の海風に吹かれながらどうしたって気になるのはあの事だ。昨日の仕合わせが明日も続くと信じていたのに突如として世界は「風の谷のナウシカ」に変貌した。爆撃されたわけでもないのに街から人がいなくなった。これは戦争だ! 闘えと為政者は声高に説くが、見えない敵とは争いようもない。

 

宿毛市の老人病院にコロナが入り、間接的な影響で92歳の母が高知市の拙宅へ「疎開」してきたのだが、近くのコンビニは閉鎖され、昨日は市内中学の先生が感染し、疎開の意味が分からなくなった。車にトマトの箱を詰め込んで毎日通う中央市場は、吹き抜けの3疎空間であるにもかかわらず昨日から職員全員がマスク着用となった。仕方なく当方も人から貰った布マスクを付けて400㎏ほどの荷物を下ろしたが、鼻梁の隙間から上がった息が眼鏡を曇らせて鬱陶しい。肉体労働にマスクは似合わんぞと思いつつ見えない敵が迫ってきたことを肌で感じる。

 

200417現在高知県の感染者数63人、死者1人。人口比で言えば全国上位に入る。今後どう展開するかは誰にも分からない。やがてワクチンが開発され、アビガン他の新薬が劇的に効果を発揮し、めでたくコロナ騒ぎは終焉⇒国連の壇上にChina主席とWHO議長を正座させトランプ大統領やジョンソン首相が囲んで詰問するというのが最良のシナリオだが、、

 

世界人口70億を感染者210万人、死者14万人という数字で割れば3,333に1人の割合で感染し、50,000人に1人が死亡する計算になるが、確率的には交通事故を心配した方がマシだからオレは大丈夫と信じて差し支えないだろう。問題は0が2桁ほど消える可能性だってあるわけで、33人に1人、500人に1人となったらこの世はどうなるのか、ぼくは真先に核施設の運転員よ健康であれかしと願う。

 

忘れもしない1997年タイ発通貨危機がアジアを襲った。被害国は再起不能だろうという声もあったがあっと言う間にタイも韓国も元気を取り戻した。2008年にはリーマンショックで世界が震えたが今となっては、そんなこともあったっけという記憶でしかない。2020年の武漢ウィルスがどう展開するかはまだ分からないけれど、4月20日現在NYダウは24000もあるし、リーマン時に7000台まで落ちた日経平均は20000近い。円ドル相場も108円前後を安定的に推移している。人口1億を超える日本の死者238人をどう捉えるかは人によるが、大騒ぎするほどのことではないだろう。騒げば騒ぐほど儲かる人もいるはずで、世界中の悪党どもがメディアを操作し煽っているのかもしれない。やがて気温が上がり、紫外線が強くなって、そういえばあの時はとコロナ騒ぎを明るく振り返るときが来ることを祈ります。

200420記