海事つれづれ五目めし200426 上ノ加江港周辺の野山2

 

 

 

 

 

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2020年4月19日のソメイヨシノは花が終わって若葉もりもりやがて毛虫が垂れ下がってきますね(^^

 

 

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山形県天童市130516

パッと咲いてパッと散るのが桜ですが、長く花を見たい人はバイクで山へどうぞ。標高500mほどの高知県檮原町では4月の桜に雪が積もったことがあります。1000mを超えると5月に入っても山桜が愉しめます。緯度で花見を稼ぐなら北海道へどうぞと言いたいところですが、残念ながら今年4月25日~5月12日に予定されていた松前公園の桜まつりはアレで中止になりました。

 

 

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秋田県鹿角八幡平の林檎畑130526

東北では桜と一緒にリンゴの花が咲きます。

 

 

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秋田県十和田湖畔130526

高知の5月26日に桜の花を覚えている人はいませんが、標高400mの十和田湖ではやっと花見の季節です。北海道は宗谷岬から沖縄は西表島までひと通り歩いた今つくづく日本はタテに長い国なのでした。ぼくが小学生のころ日本は小さな島国だ。島国根性はいかんぞと教えられました。中学生のころ世界地図を広げ、なるほど中国はデカい。海の向こうのアメリカはカリフォルニア州だけで日本列島ほどの面積がある。日本はちっぽけな島だ。戦争しちゃいけないんだと思いました。

 

高校の体育祭では全校生徒がグランド一杯に円を描いてフォークダンスを踊りました。心の中ではなぜオレらがアメリカのダンスを踊らねばならんのかという疑念が湧きましたが、女生徒の手のやわらかさにどきどきして反抗する理由は消えました。それやこれやで子どもの頃から擦り込まれた矮小観念は長く残りましたが、晴れて自由の身となり、旅をし、書を読み、違う職業人と交わりながらオレっていったい何をしてきたのだろう。巨大なOS上の小さなアプリの末端でわけも分からず走っただけのことかと反省しきり、、

 

 

 

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虎杖

高知のスーパーマーケットには、お店の入口に青空市場が作られ、季節の野菜が格安で置かれます。農家のおばちゃんはバックヤードのパソコンで好き勝手に値決めしとれとれのナスやキュウリの袋に貼り付ける→客の目に野の色香が飛び込み、普段は体の中に隠れている畑の郷愁が呼び覚まされるという仕掛けです。さりげなくセットされた青空市場の向こうには、どこにでもある商品が並んでいますが、客は入口の新鮮マジックにやられ、つい要らないものまでカゴに入れてしまいます。誰が発明したのか知らないけれど、お店の中にお店を作り、客の呼び込みに青空市場を使う販売戦略はちょっとした革命ではないでしょうか。季節のイタドリも一束200円くらいで並びます。

 

 

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可憐な花を咲かせる豆

かく言う自分もトマトを袋詰めにし、自分で値決めしてスーパーの青空市へ持ち込んでいます。今年は実験的にいんげん豆も置かせてもらいましたが、豆は採る作業が大変で人を雇い労賃を払ってというビジネスにはならないことが分かりました。あれは農家のおばあちゃんの小遣い稼ぎか、3ちゃん農業の無賃労働でしょう。

 

ウチは出荷した残りのトマトを青空市へ持ち込んでいます。本業でないから心に余裕があり、せっせと袋詰めして今日はなんぼで売ろうかと考えたとき、まず頭に浮かぶのはお隣さんの値札です。青空市は戦場の修羅場ではないので隣が230円なら前後10円程度の幅で上げたり下げたりしますね。むかし学校でモノの値段は「見えざる手」が決めると習いましたが、見えざる手ってオレの手だがと、、スーパーの青空市では近くの畑で採れたものを提げてくるだけだからロジスティクスという大層なことは考えなくてよいし、正規商品にならないものでも畑で痛めるより安い値段で売った方が客も自分も嬉しいという趣味的な売場だと言えば語弊があるでしょうか。青空市で生計をたてる農家もないわけではありませんが、そこまで行くと生産流通販売において別の覚悟が要ります。

 

 

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木蓮

かつて工業高校卒、元プロボクサーという異色の建築家、安藤忠雄が、1995年1月17日の阪神淡路大震災を祈念し白木蓮を植えてはどうかと提案しました。葬儀に白は付き物、街路樹の白で死者を祀るという発案に強い共感を覚えました。木蓮には白と赤があり今の高知は赤いモクレンが花盛りです。

 

 

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拙宅にある黒松の下にバイクを置いていたら花粉が降り積もって黄色くなっていました。アレと合わせてスギ花粉症の人はマスク必携、本当にお疲れさまですが、マツの花粉は問題ないのでしょうか。

 

 

 

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庭に咲くジャスミン

ジャスミン茶を漢字で書こうとしましたが、ぼくのワープロは漢字を知りません。むかし香港からフェリーで広州へ上がり、北京まで列車の旅をしたことがあります。二段ベッドの上段は常時38度もあり列車にはどこにでもマーリーホワ茶が置かれていました。それを水筒に移して絶え間なく飲み、いくら飲んでもまだ飲めることに驚いたものです。ジャスミンの香を嗅ぐたびあの時代のChinaを思い出します。

 

タイムマシンがあったら明日にでも行きたい国ですが、監視独裁弾圧侵攻肺炎、文化大革命に先祖返りしたかと思われる今のChinaはちょっとね、です。まさかこんな事態になろうとは、と思うものの振り返ってみれば思い当たることは色々あるので世界中が中華儒教に一杯喰わされたとしたものでしょう。

 

いま巨大なストレスが欧米を襲い、憎しみはChinaに向けられています。歴史の車輪が逆回転しAmericaとChinaの序列が入れ代わるのか、あるいは回転を止めた瞬間ABC兵器を持つ国々が軍事的に対立するのか、それとも人類の叡知が武闘国家の人心を平らかに治めるのか、揺れ動く国際情勢の中で日本はどう振る舞うべきかが鋭く問われています。が、日本のメディアには恐ろしい未来は見まいとする圧力があるようです。近ごろテレビは見たことがなく新聞も真面目に読む気になれません。

 

縄文弥生の時代から大した内乱もなく続いた日本の歴史をもって「喰うか喰われるか」が譬えではなく本当に喰われちまう大陸の歴史が読めるのかどうか、和の理念をもって負けたら奴隷にされちまう欧州の歴史が説明できるのかどうか。憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とありますが、小難しい解釈はさておき、フツーの国語力で読めばこれ奇怪しいよ。そもそも「に」の字の使い方には国語的な疑念すら抱いてしまうので、さっさと議論しましょうと当たり前の日本人は考えているはず、とまあ思わずムキになってしまいました。

 

この段もう少し続きます。

200426記