海事つれづれ五目めし 200513 塩の道4 融雪剤

 

 

愛媛県伯方の塩」の自社広告から抜粋した塩の用途を列挙します。▼浴剤洗剤として塩を使えば排水パイプのぬめりが取れる。▼塩水で陶器を煮ると割れにくい。▼塩はタンニンと結びついて茶渋を落す。▼俎板、食器、鍋、薬罐は塩で洗え。▼鍋に緑青が発生したら酢に塩を混ぜてこすれ。▼家具、調度、竹細工、籐の家具はバケツに塩を入れ雑巾をかたく絞って拭くと良い。▼日本で使われている塩の80%が一般工業用として合成繊維、革製品、ガラス、合成ゴム、石けんなどに使われる。▼塩は鉱物(ミネラル)だから賞味期限がない。▼100年以上も前に漬けられ今でも食べられる梅干しには塩がたっぷり使われている。▼飽和状態の塩は-21.3℃まで凍らないので道路の凍結防止剤=融雪剤として使われる。

 

 

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石鎚山1982m 130806

バイクで山に入るとたまに鹿と出会います。目と目が合うと一瞬の状況判断のあと後足のバネを使いスローモーションのように駆ける姿が優美です。足は風車のごとく必死カッパの形相で疾走する短距離選手とちがい、鹿は涼しげに跳ね一足で相当な歩幅を稼ぎます。何かの拍子にオリンピック100m決勝に紛れ込んだりすると夢のようなレースになるでしょう。鹿の足がつくるアーチの中をジェット桐生が駆け抜けたら面白かろうなと、、

 

鹿はいったん森の中に逃げこむと足を止め、体をこちらに向けて、木々の間からじっと見つめます。敵対する者の姿形をインプットしているのでしょう。角のない牝鹿の体を真正面から見ると腹部の大きさに比べ首が細く、頭部が小さく、耳ばかり強調されたアニメ世界に迷い込んだような錯覚にとらわれます。バイクに跨がったままエンジンを止め、鹿から目を離さずに、そっとカメラを取りだしたときには茂みの向こうに消えていました。

 

       奥山にもみぢ踏み分けなく鹿の

                   声きくときぞ秋はかなしき(百人一首

誰が発明したのか知りませんが花札には萩に猪、紅葉に鹿、牡丹に蝶の取り合わせでイノシカチョウの役があります。子どものころ不良っぽいお兄ちゃんたちが集まって畳みにメンコみたいな花札を投げていたものです。日本のヤクザは博打が大好きオッシャもろたと出したカードに紅葉の森で恋人を呼ぶ牡鹿が哀しく描かれていたりするとマフィアの皆さんはどのような感想を抱かれるのでしょうか^^

 

 

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石鎚山頂130806

その野鹿が増えすぎて今や駆除の対象となりました。剣山山系では鹿の食害が凄く、草はむしられ、樹の根元は鹿の背丈までぐるりと剥がれて枯れ木が目立ちます。さいわい石槌山系に鹿はいませんが「山道に置かれた融雪剤を鹿が舐めて塩分補給し四国山地を伝ってこちらへ向かっている」という話を山に住む方から聞きました。石槌山麓の原生的な森は四国最後の緑の砦なのでここに鹿が入るとマズいのです。

 

そのむかし狩猟を事とした縄文人は弓矢で動物を追いヤキニクにして動物の体に含まれる塩分を取り込みました。ところが弥生期に入り農耕生活が主体になると、穀物には塩分が含まれないので、塩分を海から持ち込む他ありません。やがてヒトは奥へ奥へと生活域を広げ塩の道ができました。長野県塩尻はここらへんが塩の道のどんづまりかなということで名付けられたそうです。日本各地に藻塩の道、干物の道、漬け物の道とかができたのだろうと思われます。

 

子どものころ農家はどこでも牛を飼っており、ヒトの住居と同じ棟に牛小屋が続き、牛は家族同然の扱いを受けていました。餌場の脇に砥石みたいな塩の固まりが置かれ、あの長い舌で朝な夕な舐められているうちに中心が窪んだものです。肉食動物は動物から塩分をとりこめるので、とりたてて塩分補給をしなくても問題ないのですが、草食動物には塩が必要です。鹿は強力な消化器の持ち主ですが、なんせ草食なので動物の体液や血液に含まれる塩分を取り込むことはできません。そこで元はといえばプレート活動の付加帯として海底が盛り上がった岩や土を舐め、塩分や微量ミネラルを取り込んできました。目に見えない塩の檻に囲まれ、かろうじて鹿は一定数の個体を維持してきたとも言えます。そこに人間が入り深山幽谷にまでコンクリートの構造物を配したことから、コンクリートから滲み出る塩分を摂取して生息域を広げたとも言われます。さらに車の通り道に融雪剤という名の塩化カルシウムが置かれてあったら、、敵に塩を送ってヒトがおろおろというワケです。

 

剣山につらなる三嶺の樹林に分け入るとかつて下草で覆われていた場所に土が露出しています。たまに青い花が咲いていたりするので地元の人に「あれは食べないのか?」と尋ねると「毒草だ」と。三嶺の麓にある大木には鹿が後ろ足で立っても届かない高さまでプラスチックのネットが張られています。それも半端な数ではないので地方行政にとってはけっこうな物入りでしょう。巨樹のまわりの下草は、若木を含め、きれいさっぱり食べられてしまうので次世代が育たず、やがて今ある木が朽ちれば山は禿げ山になります。

 

鹿の身にしてみれば生れたから生きているだけですが、ヒトの目には増えすぎた鹿は存在そのものが悪と映り、ジビエ料理にして喰っちまえという動きがあります。それはよしとして猟友会が高齢化した今、誰が森に入り、猟をし、鹿を担いで険しい山道を運ぶのか?「あれは重いよ」と難問山積です。

 

 

 

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北海道幌延町トナカイ観光牧場151009

高レベル放射性廃棄物の深地層研究センターに隣接してなぜかトナカイの牧場がありました。トナカイは鹿です。日本では牡鹿が角を持ち、牝鹿はかわいい耳を広げています。ところがトナカイは牡牝ともに角が生え、牡鹿の角は冬になると落ち、牝鹿の角は残るそうです。だから立派な角を振りかざしサンタさんを乗せて雪の中で橇を引くのは牝鹿ですね。(ネットは何でも教えてくれます)

 

 

 

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トナカイの親子? 151009

奈良公園で煎餅をねだったり、人目も避けず草を食むトナカイはどう撮ってもシマらないのが残念です。このあとサロベツ原野の夕暮れ時にエゾシカの群れが先を急ぐ姿を見ました。あれは野性味があってカッコよかったです。

 

 

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北海道知床半島160924

車には慣れっこのエゾシカ

 

 

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北海道知床半島160924

逃げる鹿を追いかけて撃つことは出来ても、野性とはいえ車を見ても逃げないほど人馴れした鹿を狙うとなれば猟師にも迷いが出るのではないでしょうか。猿に銃を向けると手を合わせて拝むから撃てないというウソかホントか分からない話を聞いたことがあります。

 

かつて高知市五台山「鹿の段」には公認の鹿が棲息していました。奈良公園みたいなもので観光客を見ると寄ってきて愛想を振っていましたが、ある年シカの結核が広がり、それは人間にも感染するとかで全頭処分されました。旧葉山村で本業とは全く別の養鹿事業に挑戦した社長がいます。漢方薬の鹿茸ロクジョウをとるためでしたが、これまたシカの肺炎にやられて事業は終りました。塩もいろいろ鹿もいろいろです。(つづく)

200513記