海事つれづれ五目めし200519 塩の道6  塩の道ウォーク(上

 

 

 

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大栃の出発点近く160326

朝6時集合、2台のバスに分乗し、漫画家の青柳裕介が「川歌」を描いた物部川を遡ると永瀬ダムのある大栃へ着きます。ここを起点に山道を30㎞ほど歩き、そのむかし太平洋の渚で塩作りをした赤岡町までせっせと歩くのが「塩の道ウォーク」毎年3月末の桃の季節に行われます。

 

 

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追剥峠160326

塩の道ウォークは民間有志、役場観光課の職員、自衛隊駐屯地のボランティアに守られ、整備された山道を行く安全この上もない健康ウォーキングですが、日が落ちれば真っ暗闇の森の中なので馬と一緒に歩いた昔は良からぬ人物に出会うこともあったのでしょう。物騒な名の立て札を見て心細かったやろなと、、

 

 

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峠を越えると青い山が見えます

分け入っても

分け入っても

青い山

と詠んだのは種田山頭火ですが、詩人はなぜ遠くの山が青いのかという理屈っぽいことは考えなかったようです。古事記スサノオノミコトの如く「青山を枯れ山なす泣き枯らし」たら植物由来の化学物質が消滅し、青は消え、砂漠のように荒涼たる風景が現れることでしょう。地球儀をぐるりと回しても、暑からず寒からず、3カ月ひとまとめの四季どころか1年を24節気で分割すれば2週間ごとに景色の変化が目に見えるクニはそう多くないです。▼5月も中旬に入り向いの山からホトトギスの「忍び音」が届きました。高知はもう夏です。

 

 

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元はと言えば由緒ある建物のようですが、人が住まなくなればたちまち周辺の樹木が成長して影をつくり、柱は朽ち、瓦は落ちて廃墟になります。この手の建物を見るとつい裏へまわりたくなりますが、さすがにこの日は遠慮しました。

 

 

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鹿くんの好きな塩化カルシウムは冬場の融雪剤です

 

 

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道案内の「塩」の字が気になるのでネットを探ると異体字が山ほどありました。古文書には見慣れない字がいっぱい出てきて読めたものではありませんが、そもそも正しい漢字というものは存在しないのです。しかし異なる文字を好き勝手に使われると意思疎通に事欠き、統一国家とは言えなくなるので、文科省の役人が字体と読みに制限を設けたわけです。漢字のテストで罰点をもらう生徒は可哀相ですが、お蔭で日本中どこへ行っても字が読めるのだから若い子の皆さんは頑張らんといかんのです。

 

むかし社会科の授業で、木簡竹簡を焼きまくり、儒者を生き埋めにした秦の始皇帝はひでえ奴だと習いましたが、秦・シナ・Chinaが天下統一するとは、この国あの国に分散した様々な字体を一本化し、度量衡を共通化することでもありました。漢字は表意文字だから発音はどうでもよく、意味が取れれば用は足ります。文字を示せば共通認識が得られ、度量衡が統一されていれば貿易が出来ます。

 

まじめな生徒は字面にやられ、焚書といえば大事な書物を焼いてしまうこと、坑儒といえば罪もない学者を殺してしまうことだと思い込んでいます。なにせ古代社会の話だから荒っぽいこともあったであろうし、そのメンタリティーは今なお大陸や半島からびんびん伝わってくるので、日本の道徳が全てじゃないぞと世界の広さに目を向ける必要はありますが、焚書坑儒の背景には文字と度量衡の共通化があったことにも意を置くべきではないでしょうか。

 

かくて秦の周辺国は文字と交易でつながり、それから1500年ほど経ったモンゴルの時代には馬に乗ったチンギス・ハンの軍勢がアジア一帯を襲い、中東から西洋まで世界地図を塗り替えました。馬の時代にこの広さを本当に領有できたのか、俄かに信じられないことではありますが、世界史の色分け地図を見るかぎり、当時のユーラシア大陸はモンゴルの支配下にあったと言えます。支配とは何か、それは武力による制圧か、あるいは交易ネットワークの構築かといった具体的な内容も問われますが、

 

そのモンゴル=元にChinaの漢人は支配され、13世紀の日本は元と配下の高麗軍に攻め込まれてヤバかったわけです。もしも太宰府が突破され大陸+半島の軍勢が日本列島を縦断していたらどうなったか、「もういちど読む山川日本史」はそのあたりの空想的検証には触れず、16世紀に豊臣秀吉が明を目指した半島出兵については従軍兵の日記まで持ち出し戦争の悲惨をリアルに描いています。歴史にifはないと言いますが、歴史の境は偶然の産物でもあり、恐れることなくifで描いた日本史を「もういちど」読みたいものだと常々思っています。

 

閑話休題、自社の社名を当たり前の文字で書いたのでは面白くないからかどうか高知新聞朝日新聞、読売新聞、日経新聞、、は社名に堂々と異体字を使っています。あれ文科省が睨みを利かす漢字のテストなら全部ペケですが、ということはどうでもよくて、

 

案内板のお馬さんは、サングラスの亀仙人が馬に変装したのではありません。土佐山田に事務所を置くデザイナー梅原真氏によるものです。四万十川沈下橋を残せと自治体に物申すため外野の声では力が弱いことから地元へ移住したり、「漁師が釣って漁師が焼いた」佐賀の鰹の藁焼きタタキを大宣伝した功労者でもあります。

 

 

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案内所の壁に貼ってあった写真の写真

この小馬がサングラスをかけたのでしょう^^ 塩袋を背負って細い山道を行くには小さな体が有利です。

 

 

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北海道日高の牧場151014

拙宅の近くに競馬場があります。馬券の買い方を知らないので夏の夕涼みに寄るだけですが、走ることに特化された競走馬の流線型は美しく、ゴール前を疾走する蹄の音は観る者の心を揺さぶります。藤田菜七子が高知競馬で走ってくれたらパチンコ台の前で辛気臭い顔したおっちゃんたちが観覧席を埋めるかもしれません。ぼくも行きます。

 

 

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北海道新冠ハイセイコー151014

むかし高知競馬にハルウララという駄馬がいました。名前からして弱そうでしたが、むしろそのことが大衆の共感を呼んだとみえ、えらく人気が出て写真集まで出版されました。ぼくの車にはハルウララの尻尾の毛を包んだお守りを入れてあります。走っても勝てない。買っても当たらない。当たらないから交通安全という三段論法で、 残念ながら赤い棒で招いてくれるお巡りさんにはちょくちょく当たりますが、大きな事故は一度も起こしていません。つづく

200519記