海事つれづれ五目めし200601 渚の温泉1

 

 

 

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ピカチューが迎えてくれる渚の森のすがる温泉  200314

高知県黒潮町佐賀から海沿いを東に行くと片流れの屋根が吹き飛んだ「すがる温泉」に出くわします。すがるは須賀留と書きますが、とりたてて漢字に意味はなさそうなので音から連想すると、奈良時代に「すがる」は胸とお尻が腰でくびれた蜂を意味し、そのプロポーショが万葉人の美学を刺激したらしく「胸わきの腰細のすがる乙女」といえば男が夢見る理想の女性像でした。

 

 

 

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入口ではアンパンマンが迎えてくれる 200314

Google Mapにも載る渚の「温泉」だからそれなりの仕掛けがあるのかなと秘かに期待しましたが、要するに谷川から水を引いて自分で沸かす五右衛門風呂なのでした。台風で屋根が飛んぢまって青天だけどよろしく。薪は渚で拾えます。火の後始末はたのむぜよ、てなことでした。なぜピカチューとアンパンマンがいるのかは謎です。

 

 

 

 

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かなりプリミティブな五右衛門風呂 200314

今どきの若い子はマッチの使い方も知らないので、家族連れでも仲よしグループでもよいから一度この温泉=自前風呂を体験されてはいかがでしょう。みんなで手分けして薪を拾う。谷川の水を汲む。煙をよけながら火吹き竹を使う。「湯加減どや?」「 ちょっと熱いわ」という遣り取りがあれば家族団欒になり、仲間の絆を強くするかもしれません。

 

ちなみにこの風呂桶に裸足で入ったらどうなるか御存じですか? ヒントは湯船に浮かぶ丸い板です。むかしは下駄履いて入る賢い人もいたそうで、この釜風呂で湯浴みした人は「東海道注膝栗毛」の弥次さん喜多さんの遣り取りを読んで笑えます。

 

戸もない窓もない青天井のお風呂はイヤダ~と仰るお嬢さんに申し上げますが、おじさんには水着と下着の区別が付きません。ふと魔が差して駅の階段で人生を棒に振る男だっているのに官憲はなぜ海辺で我が物顔に振る舞う女性を取り締まらないのか、というハナシはさておき心配なら見張りを立たせておけばよく、そもそも人は滅多に来ません。

 

台湾には至る所に温泉がありますが、大浴場は混浴ですから男湯でも水着を付けて入ります。日本の温泉の観光パンフレットでは美人の女性がバスタオルを体に巻いて湯船で気持ちよさそうにしています。これが日本の温泉マナーだと信じた外国人がバスタオルを使うと「お客さんそれはちょっとぉ」というやりとりもあるのだそうで、素っ裸でわいわいやるのは日本の奇異な風習なのかも知れません。考えてみれば温泉の大浴場なんて変態さんのヌーディストクラブみたいなものですワ。

 

幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人は、東洋の片隅に発達した特異な文化を目撃し礼賛また驚愕しています。なかでも日本人の裸に対する忌避感覚のなさは彼らを戸惑わせたようで、道行く白人のオレが珍しかったか、庭先で行水していた女が素っ裸で飛び出してきたなどという記述もありますネ。

 

1865年に上海経由で来日し後にトロイの遺跡を発見することになるハインリッヒ・シュリーマンが、混浴の現場を目撃し、驚きつつも抑制の効いた記述を残しています。長いですが面白いので引用します。

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「なんと清らかな素朴さだろう!  初めて公衆浴場の前を通り、三、四十人の全裸の男女を目にしたとき、私はこう叫んだものである。私の時計についている大きな、奇妙な形の紅珊瑚の飾りを間近に見ようと、彼らは浴場を飛び出してきた。誰かにとやかく言われる心配もせず、しかもどんな礼儀作法にも触れることなく、彼らは衣服を身につけていないことに何の恥じらいも感じていない。その清らかな素朴さよ! 

 

  オールコック卿の言うとおり、日本人は礼儀に関してヨーロッパ的概念をもっていないが、かといって、それがヨーロッパにおけると同様の結果を引き起こすとは考えられない。なぜなら、人間というものは、自国の慣習に従って生きているかぎり、間違った行為をしているとは感じないものだからだ。そこでは淫らな意識が生れようがない。父母、夫婦、兄姉、、すべてのものが男女混浴を容認しており、幼いころからこうした浴場に通うことが習慣になっている人々にとって、男女混浴は恥ずかしいことでも、いけないことでもないのである。

 

いったいに、ある民族の道徳性を他の民族のそれに比べて云々することはきわめて難しい。例えば男性の気をひくのにシナの女性は化粧して、纏足した小さな足にしゃれた靴を履くが、首は顎まで覆っている。アラブの女たちは顔をベールで覆い、裸の胸を隠さず、素足に赤い幅広の靴を履く。どちらの国の女たちも、もしヨーロッパの女性たちの服装を見たり、彼女たちが男性と踊るところを目にすれば、きっと、およそ慎ましさの規則から大きく外れていると思うだろう。」

石井和子訳「シュリーマン旅行記 清国・日本」講談社学術文庫p88

 200601記 つづく

 

 

 

 

リアルタイム土佐

 

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高知市春野の水路脇のアジサイ 200531

 

 

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六条八幡宮あじさい神社の参道脇 200531

今を盛りの紫陽花が七変化します

 

 

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土佐のタタキ道場かつお船 200528

高知といえば鰹のタタキ、鯉のぼりも鰹^^!  めでタイ日には旭日昇天の勢いなのですけども引きも切らず観光バスが停まっていたレストランに客が戻るのはまだまだ先の話になります。ちなみに、このデザインとキャッチコピーはまず間違いなく「塩の道」を案内してくれたサングラスの馬の主でしょう。後日問い合わせてみます。