海事つれづれ五目めし200607 渚の温泉3  屋久島の湯

 

 

 

 

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屋久島 *Wikipedia

屋久島は湯泊という温泉旅行を思わせる地名の海岸に天然自然の湯がふたつあります。ひとつは浜に湧く湯をわずかなコンクリートで囲った温泉、今ひとつは渚に湧き海へ落ちる湯をこれまたわずかに仕切った温泉で潮が満ちると水没します。村人はその辺で裸になって余計な装飾は何もない湯船につかり、寄せては返す波音を聞きながら、太平洋を眺めたり、星空を仰いだりします。

 

水中眼鏡を付けて海に入ると浅瀬の珊瑚は観光ポスターのようです。宝石も色褪せてしまうほど美しい熱帯魚を眺めたり、イソギンチャクに隠れたクマノミを手で脅かしたりして遊び、ダレて真水の湯にもどれば目の前180度が黒潮洗う太平洋というワケです。湯温が低いので春先の肌寒い日にはいったん入ると首だけ出して長風呂になります。同行の友人がいくら待っても戻ってこないので探しに行くと闇に向けて何やら大声で歌っていました。マンションの風呂とは違う世界を見てショックを受けたようでした。

 

90年代の半ば、湯泊に住む友人を訪ねて浜の湯、渚の湯の存在を知ったことですが、当時は村人の骨休めの場で、源泉かけ流しなどと客寄せの文句で飾ることもなく湯は自然に湧き低いところへ流れるばかり、ヒトと湯の何ということもない関係なのでした。敬老の日には仲間が集まって餅を搗き、お前が書けと渡された筆で「寿」と朱書し、手分けして村の古老宅へお配りしたこともあります。

 

昔ながらの農家を借用した友人宅は、裏手に簡素な宿泊所が続き、窮屈なホテルに飽き飽きした者にはほっとする空間でした。門の脇には彫刻家が残した土埋木の屋久杉(合法)に彫られた梟が置かれ、家の中には現役ばりばりの五右衛門風呂があり、裏手にはカナダインディアンが造ったバンブーハウスが組まれていました。さらに奥へ入ると林の中に来客が遊びで作ったという釜風呂が見えました。煉瓦をちょんちょんと積んだ焚口の上に焙じ茶を煎るときにでも使ったのか巨大なお釜を載せたシンプルなお風呂です。佐賀の「すがる温泉」を見て思い出したのがこの釜風呂でした。

 

思わず興奮したぼくは、バケツで水を汲み、煙をよけながら薪で火を焚き、お釜の湯豆腐になりました。仰げば緑の天井が空間をつくり鳥の声が遠慮なく飛び込んできます。燃える木の香が懐かしく子どものころ使った鋳物の風呂を思い出しているうちに遠赤外線の輻射熱でお尻がほかほかしてきます^^!

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さて、いつしか時は流れ、村人に遠慮しながら使わせてもらった素朴な浜の湯も渚の温泉もやがてテレビが嗅ぎつけ観光客の知るところとなりました。ネットを検索するとさして大きくない湯船の真ん中に屏風が置かれ、写真で見るかぎり、違和感丸出しの風景が出現しています。憶測に過ぎませんが、仕切りとてない浜辺で男女を問わず素っ裸になるのは公序良俗に反するという西洋概念が持ち込まれ、行政的配慮で衝立が設置されたのかなとも、、

 

江戸期以来の裸文化でいえば、お婆さんと湯を共にしたからといって何があるわけでもなし、たまに興味をさそう対象と出くわしても見て見ぬ振り又は見なかったことにする文化が日本にはあったわけです。舞台芸術は、無いものを有るとし、有るものを無いとする抽象化の操作によって成立します。湯のこちらに男がおり、あちらに女がいたとしても精神の縛りによって壁が作られ、そもそもみな村の知り合いだから家族風呂のようなものであり何ということのない暮らしの一部であったわけです。そこに島外ないし西洋の価値が持ち込まれ、古来の習俗を批判するものだから、見えない壁が見えてしまったということなのでしょうか、、

 

世の価値は様々で日本の視座で見れば海外は珍なことだらけです。なればこそ我々は異文化に惹かれ観光旅行に出かけるわけですが、交流が進むにつれ互いに固有の文化習俗が潰され、世界はだんだん偏平になりました。グローバリズムとは世界規模の文化破壊のことでもあるのかなと悩ましくもあります。

200607記 つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

リアルタイムKochi

 

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ホタルブクロ200602

 

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ホタルブクロ200602

6月初旬は蛍の季節です。蛍袋というからには花の中に入った蛍が発光し神社の灯籠みたいな風景が作られるのでしょうか。