北海道幌延の上空から見た利尻島(ポスターの写し) 151009
手前はサロベツ原野の湿地帯。海の上に立ち上がった三角形は利尻富士と呼ばれる利尻山です。車中泊しながら北海道の道は大概走りましたが、広々とした大地をフツーに旅して人に会うことも車とすれ違うことも少ないのはこの辺りだけかなと、いつでもどこでも独りになれる贅沢が欲しい人は北海道北部がお勧めです。次の機会があればホンダのクロスカブ110ccをフェリーに乗せて利尻島、礼文島を訪ねたいと思っています。
海岸から望む利尻島 151010
風に煽られたハマナスの実 151010
ペンケ沼の朝 151010
V字編隊の鶴が朝のお仕事に 151010
北海道幌延町の深地層研究センター 151009
ゴミは捨てる。燃す。埋めるといった方法で処分しますが、捨てられない。燃やせない。埋められない「核廃物」はどうすればよいのか。ロケットに載せて太陽に打ち込む。プレートの沈み込み部に置く。強いエネルギーを当てて安全な物質に変えるというユニークなアイデアもないわけではありませんが、①大深度地下空間に置く。②地上で半永久的に管理するのが取り得る現実的な方法であろうと言われます。
故高木仁三郎氏は②地上管理を提唱しました。①埋設してもいずれは放射性物質が漏出し地下水脈に混入するから地上で永遠に管理する他ないという悲しい結論です。とはいえ臭いものには蓋をしたいのが人情、いま北海道と岐阜県の2カ所で大深度地下空間に高レベル放射性廃棄物を保管ないし埋設する方法が研究されています。
ビジターズハウスに掲示されていたポスター 151009
幌延ではガラス固化した高レベル放射性廃棄物を深度350mの地下坑道に長く置いたらどうなるかという研究をしています。その際やわらかい地層と堅い地層では何が違うか、どちらがより安全かを北海道と岐阜県の二手に分けて研究しており、ここは柔らかい地層に置く実験施設です。
ここはあくまで研究施設であり、実際に処理場(核の置き場)を造るとすれば、地下350mに坑道を張り巡らせ、総距離280㎞もの長さになるそうです。その地下空間にガラス固化体がずらりと並ぶわけだからシュールな風景が想像されます。四国の別子銅山は最大深度1000m、坑道の総距離は東京・岡山間と同じ700㎞です。群馬県の足尾銅山に至っては東京・博多間1200㎞もの長さがあるとか。ちなみに四国遍路もざっくり1200㎞、 普通の足で50日かかります。奇人変人のみなさまには坑道跡のお遍路をされてはいかがでしょう。ギネスものです。
思いますに石油エネルギーを使って穴を掘り、エレベーターを上げ下げしながら核廃物を何十年、何百年に渡って管理するために使われるエネルギーの総量は、わずか30~40年で廃炉にされる原発が生んだ電気エネルギーの総量と比べてペイするものかどうか?
少なくともフクシマのような核事故があった場合、その後の手当てに費やされるエネルギーは虚しくなるほど持ち出しが多いはずであり、そこに何兆円という国家予算=税金を注ぎ込むわれわれ現世代は何をやっているのか。事故がなくても「もんじゅ」「ふげん」という高速増殖炉の解体撤去には兆単位のカネが要ります。それは失われる一方のカネだから公共事業にもならず、しかも手がつけられない放射性物質は永遠に残存します。
核物理は触れてはならない科学・技術でした。科学者だから何を研究してもよいのだというのは自由の得手勝手な解釈であり、物理学者の故藤田祐幸氏によれば、科学者の興味をそそる対象は無限にあり、あえて危険な核に手を出す必要はないのだというようなことでした。科学・技術が政治と手を組み、核爆弾をつくり、おまけのような発電機に平和という言霊をまぶして得られた結果が、セシウムだったりプルトニウムだったりするものだから、今の世代、次の世代の研究者は負のループに巻き込まれ、地下の実験室で華やかさに欠ける研究を強要されます。しかしヒトは造ってしまったものからは逃げられません。地味な研究の延長線上で人類を絶望から解放する成果が生れることを願うばかりです。
文明の果実を味わいつつ汚いものはNot in my back yard あっちへ持って行けというのが原発に反対する人たちや高レベル放射性廃棄物処理場を拒否する自治体首長の論理です。が、我々の文明は毒物と共に在るわけだから、美味しく食べてゴミはポイ捨てというわけにはいかないのです。そのあたりの矛盾を後日考えたいと思っています。
何層ものバリヤをかぶせたガラス固化体 151009
当日の来客はぼくだけだったからか、ビジターズハウスの要所に配置された担当者が丁寧に解説してくださり、どうやら監視カメラでぼくの動向をチェックしていたようである出口の女性が「あなたほど長い時間館内にいた人は初めてです」と驚いていました。ぼくとしてはいつものように見学したわけですが、見方を変えれば多くの見学客がどやどやっと来てすっと居なくなるようです。
核施設の予定地住民は、只同然の参加費で日本各地に置かれたビジターズハウスを「視察」し、それなりに事前勉強していなければ理解できない展示物の前を足早に急ぐのが常ですけれど、あの人たちはいったい何を見て帰るのだろう? ひょっとすると晩の宴会が気になるのかなと厭味なことを考えたりもします。
202628 記 つづく
高知の今
高知市春野の芋畑 200531
むかしは芋ねえちゃんだ大根足だと農に否定的な意味が置かれ、意識は工業、住み処は都市へと誘導されたものですが、今どきの芋や大根は美味いし、ヒトの流れも少しずつ変わってきたように思います。
下ノ加江のタバコ畑 200419
煙草の花を御存じでしょうか?
紙巻き煙草に火が付いたような花を咲かせます。
夏になったらレポートします。