いっぷく9号 200809  台湾 太魯閣 清水海岸    

 

 

 

 

 

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台湾は華蓮市の清水海岸 171022

 

ユーラシアプレートフィリピン海プレートがせめぎ合う台湾では、地殻が隆起し、九州ほどの面積の島に3000mを超える山々がドンと立ち上がっています。その山地山脈が台湾を南北に分かつ壁となり、大陸の風が運ぶPM2.5も台湾西部の産業地帯が吐く煙も「ここまでは届かない」らしく心なしか空が青く澄んでいます。

 

澄んだ空から山が落ち「海に突き刺さる」清水海岸には、海面と平行に細い道が伸びています。断崖絶壁を横に走る洞門は、半世紀に渡る日本統治時代に建設されたものです。台湾を一周する回廊をつくるためには、山にトンネルを掘るか、断崖に道を刻む他ない。えいやっちまえと一念発起した日本人が「土地の人々を雇い(強制労働ではなく)ちゃんと給料を払って建設した」のであると案内してくれた民宿のご主人から聞きました。

 

そのむかし堅い岩盤に発破を仕掛け、ツルハシとモッコで貫通させたわけですから大分県中津耶馬渓にある手掘りのトンネル「青ノ洞門」を貫通させた禅海和尚がこの清水海岸をみたら青ざめるかも、、今は通行禁止ですが、事故があっても自己責任ということで観光客に開放してもらえればぜひとも歩いてみたい道です。

 

西は壁、東の窓から青い太平洋を臨む細道の洞門は、日本でいえば親不知子不知の難所のようなものでしょうか。夫を慕い越後を目指した妻が、親不知子不知の難所で2歳の子を波にさらわれたとき、母は「親不知 子はこの浦の波枕 越後の磯の泡と消え行く」と詠んだとされます。その親不知子不知を抜けた市振の宿で松尾芭蕉は「ひとつ屋に遊女も寝たり萩と月」と詠みました。子を失った母の悲しみも、恵まれぬ境遇をかこつ遊女の悲しみも、置かれた立場は人それぞれであるにせよ、すべては世を生きる人の悲しみとして共有され、抽象化され、浄化される詩の力を改めて思います。

 

 

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太魯閣の洞門を行く観光客の列171022

 

ほとんど垂直に立ち上がった山の斜面に清水海岸と同じ洞門が続き、清冽な流水が惜しみなく流れています。地質、地層、地形、火山、、学者には堪えられない場でしょうね。石が読めたら旅の価値は何倍にもなります。

 

 

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太魯閣の洞門 171022

今は整備された観光道路ではありますが、、

 

 

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3000m級の山々から降りてきた水が

絶え間なく磨いた岩石は大きな宝飾品です 171022

 

 

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大理石の宝珠 171022

 

この辺りは大理石の産地です。イタリアの彫像を作るほど良質の大理石ではないらしく公園の舗石や橋の宝珠に加工されています。大理石は石灰石が変成したものであり、石灰石はサンゴが積もって出来たものだから昔々ここは海の底でした。

 

海の底が盛り上がって山となり、山のテッペンでセメントの原料が採れる石灰石鉱床が高知の山にはいくつかあります。仁淀町鳥形山はその代表選手で標高1459mの頂上から須崎湾まで真一文字に鉱路が降りカマボコのお化けみたいな工場に送られます。石灰石といっても生き物が造ったものであり、硬いことでは定評のあるチャートもまた古代の微小生物の集積だそうですからつくづく地球は生命の星だ、不可思議なるいのちの場なのだと、ぼんやり考え込んでしまいます。

 

 

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褶曲層の一部171022

 

世界ジオの室戸岬を思わせる太魯閣のダイナミックな地層は地震がつくったものです。たまたま出会った華蓮市生れの学生とメールの遣り取りをしていたところ2018年2月6日に「華蓮地震」が起き、見舞いのメールを送りました。すると同2018年6月17日に「大阪府北部地震」が起き、今度は向こうから見舞いのメールが届きました。高槻では「マンホールの蓋が浮いた」そうです。地下鉄に閉じ込められた人もいます。コロナにやられて遠い過去のようですが、わずか2年前のことなのですよね。Google mapの海洋地図を見ているうちに日本と台湾はプレートの縁でつながっていることが分かりました。

 

 

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海からさほど遠くない太魯閣の峡谷 171022

 

海岸から車でものの30分ほど走れば険しい山岳地帯に行き着きます。日本なら標高1500mの上高地あたりの雰囲気で、山は縦に伸び、仰げば今しも崩れ落ちそうです。Chinaの詩人が遊びに来たら峨々タル峰々がどうとかして空谷ノ冷気が云々という詩が生まれるかも、、

 

 

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太魯閣 171022

 

高知県四万十川を叙して悠々たる大河がどうしたこうしたと県外のヒトは嬉しいフレーズを使ってくれますが、その川を2日かけてゴムボートで下ったぼくとしては、大河の河の字は黄河揚子江を指すのであって四万十川はどう見たって川やなと思うわけです。インドの聖地バーラーナシで見たガンガーの対岸は遥か向こうに霞んでいました。デカけりゃ立派だというわけではありませんが、あっちが国際河川なら、こっちは市町村際河川とでも、、

 

タイは南北に長く面積は日本の1.5倍ほどあります。2011年に北タイで大雨が降り、チャオプラヤ川が氾濫し、洪水はバンコクまで押し寄せました。若き美人のインラック首相は悲しみの余り目の縁に光るものがあったとみえ「あなたは泣いているのか?」と記者の冷たい質問を受けたとか、、2018年にバンコクからアユタヤを越え北タイはチェンライまで列車と車で走った感覚で言えば、タイの川はとても長い。水がどっちへ向いているかは見れば分かるが、中部から北部まで列車で2日もかかるのだから土地は平たい。首相を泣かせた大洪水が3カ月に及んだことも分かるような気がしました。

 

明治期に日本に来た欧州の土木技師が、富山県常願寺川だかを見て「これは川ではない滝だ」という名言を吐きました。大雨が降ればすぐさま河口が濁流になる高知県に住んでいると特に違和感のない発言ですが、山もいろいろ川もいろいろ、地形も風土も違えば、住む人の暮らしもいろいろなのでした。

 

 

 

追記

うろ覚えで引用したもののどうも不安だから適当に用語を入れてネット検索したところ農水省のホームページにヨハネス・デ・レーケなる土木技師に関する記述がありました。「これは川ではない、滝だ」という有名な言葉は実は富山県知事が事業獲得のために書いた上申書の一文、

 

「70有余の河川みなきわめて暴流にして、山を出て海に入る間、長きは67里、短きは23里にすぎぬ。川といわんよりはむしろ瀑と称するを充当すべし」

 

という、ぶっちゃけて言えばお役人様の作文なのでした。「むしろ瀑と称すべし」と日本人が言ってもパッとしないので他でもない政府が招聘したオランダ人技師の言葉であるぞと権威付けしたのでしょう。1990年代の初め高知の土木技師が建設省とやりとりしていた風景を思い出して妙に懐かしく思いました。

 

高知の山奥にオランダからやって来た紙漉き職人がいます。紙漉きで有名な高知県いの町で修行し、水を求めて山間部の梼原町に居を構えました。「あんた何で日本にやってきたの?」「山があるからだ」「ヨーロッパだって山はあるじゃん?」「いやオランダには高い山がない」ということで調べてみるとオランダの最高峰はベルギーとドイツに接した海抜322mのファールス山なのでした。山どころか国の相当面積が海面下にあるオランダ☞ネーデルランド☞低地の国は、水を掻き出す風車の国でもあります。

 

彼が住む梼原町の山間には標高1500mほど峰が連なって見えます。そこに発電用の風車が立ちました。「あれをどう思う?」って訊くと「ぼくはオランダ人だから風車は好きだ。だけど、」「だけど何なん?」「あの山には神様がいた。だけど今はいない」のだそうです。「風車が回り始めて山が小さくなった」とも、、

 

思いますに彼が言うところの「今はいない神様」は、西洋の神ではなく、万物に寄り添う日本の神々なのでしょう。一神教の神様はよく分かりませんが、千万八百万の神々のことなら自信を持って言えます。そこから反転し、神を捨て、宗教を失った国家がどのような運動を見せるかについて今ぼくは深刻な関心を抱いています。

やっとW10 が動きました(^^

200809 記   つづく