ちょっと道草 200919 Goto 五島列島 4 信仰と支配

 

 

 

 

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福江島宮原教会 2008274

 

福江島そのものが長崎から遠く離れた離島であり、その島の端に位置する宮原教会は、案内板と屋根の十字架がなければ民家か集会所と間違われそうな建物です。

 

 

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桟瓦の屋根に十字架が見える半泊教会 200827

 

宮原教会から更に奥へ向かう細道を走ってやっと見えた半泊教会は、民家もまばらな漁村にひっそりと立ち、人の気配がないにもかかわらず、入口周辺は掃き清められていました。多くの教会を訪ねましたが、どの教会にも木の葉一枚落ちていなかったことに感銘を受けました。

 

2018年世界文化遺産に指定された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」には、人里はなれた寒村にぽつんと置かれた教会も密かな信仰の証として含まれるのかなと思っていましたが、そうではないようです。福江島世界文化遺産はなく、ぼくが見た世界遺産の指定事跡は上五島の「頭ヶ島天主堂」と天草の「崎津教会」のふたつでした。両者は周辺施設と人員配置において通常の教会とは扱いが違い、立派といえば立派ですが、むしろ鄙びた里の小さな教会に人の暮らしの息づかいを感じます。

 

 

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楠原教会脇の楠原牢屋に掲示されていた

囚われのキリシタン200827

 

旅といっても何を見てどう感じるかは人それぞれ、受け手に理解の枠組みがなければ目に映った風景が意味をもつことはありません。もとより自分にキリシタン関連の知識があるわけもなく、それを目的にした旅でもなかったのですが、どうしても気になることがあったので頭ヶ島天主堂で説明してくれた若い担当者に質問しました。迫害されてなお信仰を守った信者に対し、敬意を払うことはあっても、邪教の徒として罪を問うことなどありえない。その上であえて尋ねるのですが、

 

「宿や港でもらった潜伏キリシタンに関連する資料は信者に対してとても優しい。どのパンフにもピュアな信者と無害な小集団は可哀相な被害者として描かれています。しかし豊臣秀吉徳川家康の政権が、キリスト教とセットで持ち込まれる侵略行為に対し、国家経営において強い危惧を抱いたことも事実です。その辺りはどうなのですか?」

 

と問うたところ彼は「自分自身が潜伏キリシタンの末裔であり、むろん島原の乱に象徴される歴史の事実は知っている」とのことでした。案内係とはいえ出会ったばかりの人にそれ以上の質問は失礼かなと思って別れたことでした。

 

 

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天草四郎時貞 200831

 

学校教科書では、フラシスコ・ザビエルは、カトリックのピュアな伝導者として描かれ、植民地化の先兵を匂わすような記述はありません。教科書だから歴史と宗教の際どい局面に触れるわけがないとも言えますが、教科書ではないところの「もう一度読む山川日本史」には「スペインやポルトガルキリスト教の布教を通じて植民地化を進めている」「あらたに来日したオランダ人やイギリス人が、スペインやポルトガルの植民地政策の危険性を説いた」とあります。ザビエル個人の心情がどうであったにせよ、

 

「15~16世紀、カトリック教会では、神の正しい道をまだ知らない人々にも広めるべきだということで、〈イエズス会〉という修道会ができ、教えを世界に広めるようになります。日本に来たフランシスコ・ザビエルもその一員です。 ~ しかしその背景には、プロテスタントに信者を奪われたカトリック教会の厳しい状況と、それを打破するための市場拡大という思惑があったことも事実でした」

井沢元彦「世界の宗教と戦争講座」徳間文庫p110

 

 

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上五島に電力を送る海底ケーブルは  2008254

 

大航海時代におけるスペイン、ボルトガルの南米侵略では、信仰と支配の二重構造が露になります。15世紀スペイン出身のカトリック司祭ラス・カサスが書いた「インディアスの破壊についての簡潔な報告」には、スペインが国を挙げて行った征服事業すなわち先住民に対するおぞましい残虐行為が記録されています。

 

秀吉、家康の時代に来日したカトリック伝道者の純粋な信仰心を疑うわけではありませんが、その陰にある植民地支配の構図は、まず信仰という名の情報戦を展開し、続いて軍事力を運び、有無を言わさぬ侵略行為に及びます。仮にそうであっても統一国家3,000万人の日本国が、帆船に乗って地球の裏側からやって来た侵略軍に易々とやられたとは考えにくいのですが、江戸期も幕末の19世紀に入るとアジア全域が欧米列強に奪われ、最終的に独立を守ったのはタイと日本の2国でした。しかし、

 

 

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ここから海へ潜り込んでいるはずですが 2008254

 

天然の要塞とも言える四海に隔てられ風光明媚な中緯度地域で独自文化を形成した日本は、「たった4杯」の黒船で目を覚まし、開国後わずか30年ほどの間に日清・日露の戦いをやってのけ、欧米列強を真似て帝国主義に参入し、アジア太平洋戦争で焼け野原にされました。

 

 

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それらしい影は見えません2008254

海の底に高圧線を引くのは大した技術なのでしょうが、

誰も気に留めず電気ライフを楽しんでいます

 

宗教が個人あるいは小集団の幸福を支えることに異を唱える人はいませんが、宗教組織が市場拡大の内圧に押され、植民地主義に取り込まれると宗教本来の意図とは違う運動を始めます。原理的にはそれと同じ形で、かつての伝道師がメディアと名を変え、記事を膨らませたり萎めたりして善良なる人々を眩惑してやまない今の日本は、過去と似た図式を繰り返しつつあるように思われてなりません。

200919記 つづく

 

 

 

Gotoメモ/バイク

ホンダのクロスカブ110ccで高知→松山→小倉→博多→上五島福江島→長崎→天草→熊本→別府→松山→高知とざっくり1,600㎞ほど走りました。旅は歩くのが一番、四国遍路は50日程かけて1,200㎞も歩きますが、もはや自分にそのような体力は残っておらず、ポケットにカメラを忍ばせて気持ちよく風を受けるにはバイクしかありません。若いころ乗ったオンロード400ccからオフロードに宗旨替えして、あれこれ浮気しましたが、ちょっとそこまで用足ししても長距離を走っても、郵便屋さんが鍛えたこのバイクは、ほんまに優秀です。デザインも斬新でけっこう珍しがられます。

 

フェリー

フェリーには都合6回乗りました。乗用車は航送料が高いので仮に全行程で車運賃を払ったとすれば結構な額になります。そのカネでLCCを利用し東南アジアで貧乏旅行したら1ケ月は遊べるでしょう。車に比べるとバイクの運賃は只みたいなものですが、降りた日が雨だったりすると最悪です。今夏ふたつの台風に追われ合羽を着てイヤんなるほど走りました。

 

コロナ

松山→小倉のフェリーは2等寝台たしか16ベッドのコンパートメントを自分ひとりが占有しました。土曜の夜にもかかわらず客は数えるほどしかいないので感染に配慮したものと見えます。次に乗ったフェリーは一室に5人ほど入れられました。掃除が面倒くさいからでしょう。コロナ対策も会社によって個性があります。

 

ついに五島列島でもコロナ患者が出たそうです。民宿では体温検知のピストルを向けられ、手に消毒液を噴霧し、廊下はマスクをして歩くべしという暗黙のルールがありました。高知県で初めての患者が宿毛市に現れたとき、最初の患者というインパクトが周辺住民の警戒心を刺激したらしく、可哀相にその人は自宅に住まなくなったそうです。毎日3桁のペースで感染者が増える東京大阪ではどうなのでしょう。もはや慣れっこになったのでしょうか、それとも人間関係の分断が進んでいるのでしょうか。

 

200919現在、高知県内の累計感染者数は137人、退院126人、死者4人、(無症状を含む軽~中等症で)入院中の患者が7人とあります。フツーに考えて県人口69万人中4人の死者と7人の患者は大騒ぎするほどの事態でしょうか?  むしろ風評によって人間関係を壊されたことの方が余程の大事だと考えますが、、

 

しかし欧米白人国はアジア有色人種国とまるで様子が違います。紙の新聞やテレビでは伝えられませんが、ネットを探ると震源国Chinaに向けた白人国の視線が、コロナをきっかけに以前にも増して冷たくなってきました。

 

200919現在/米ジョンズ・ホプキンス大まとめ

世界全体の感染者数  30,181,110

死者数 946,140

アメリカの感染者数    6,675,053

死者数 197,641

スペインの感染者数       625,651

死者数   30,405

日本国内の感染者数        77,187

死者数     1,481

高知県の感染者数/高知新聞 137

死者数         4

アメリカの人口3,8億、スペインの人口4,600万です