ちょっと道草 201027 四万十川ウルトラマラソンの周辺3 家地川ダムの水争い

 

 

 

 

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家地川ダムを撤去する会の看板201004

 

この看板はどういう意味かといえば少し説明が要ります。むかし椎名誠倉本聡野田知佑といった有名人が中流域にカヌーを浮かべて四万十川の宣伝をしてくれました。四万十川にはダムがないから上流から河口までカヌーで下れるというのがウリでしたが、寡聞にして彼らが上流の水問題に目を向けたという話は聞きません。

 

 

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家地川ダム⇒家地川堰堤⇒佐賀取水堰180429

 

実を言うと四万十川の支流と呼ばれる梼原川には立派な津賀「ダム」があり、大きく蛇行して旧窪川町(いま四万十町)につながる本流には家地川「堰堤」があります。ダムと堰堤のちがいは堤の高さが15mあるかないかで区別されるので、背の低い家地川ダムは分類上堰堤とされ、したがって四万十川の本流にダムはないというマジックが成立します。

 

 

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家地川堰堤の湖水 180429

 

その家地川堰堤にたくわえられた水は、導水トンネルを伝って別水系の伊尾木川に落とされ、わずかな電力と引き換えに佐賀の海へ「棄て」られます。だから四万十川本流の水量が絞られ、アユの生息域は狭められ、流域住民は面白くないというわけです。

 

 

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伊尾木川 180429

 

発電を終えた水が

別水系に「棄て」られ

佐賀の海へ向かう

 

そこで立ち上がった川好きの医師センセイが「永遠なる四万十川」と題した写真集を出版しました。元環境庁長官鯨岡兵輔の賛も寄せられ、手間隙かけて撮った写真には愛情一杯の説明文がおかれています。末尾の論文には川と人のあるべき姿が冷静な目で描かれ、結論を短く言えば家地川堰堤を「撤去」せよというものでした。出版パーティーに招かれて話を聴いたところセンセイの戦略はとてもユニークでした。

 

四国電力に対抗するには多数を巻き込んだ撤去運動が必要だ。そのためにはカネが要る。幸い自分は皮膚科の医師である。皮膚の延長線上に髪があり、髪の不足で悩む人は世に多い。じつはねと小声になって、いま毛生え薬を開発している。これが成功したら資金ができる。それを使って四万十川の水を取り戻すのだという三段論法なのでした。

 

へぇ~皮膚と髪は関係があるのか。その話がホントだったらいいな。早いとこ頼むぜと半信半疑で期待しつつ、ある日別件で氏の診察室を尋ねたところ髪の話になり、ついでにオレの頭も見てもらうことになりました。センセイはちらと一瞥をくれた後やおらカメラを取り出し高いところからシャッターを切っては考え込んでいましたが、目はどこか自信がなさそうでした。育毛剤といっても効能は人によりけりだそうです。後日その話を九州から遊びにきてくれた友人にすると呵々大笑し「高知の人は面白いね」とばかにされました。

 

 

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家地川ダムの魚道 180429

 

ところがどっこい瓢箪から駒といえば失礼ですが、医学博士の創出した育毛剤は製薬会社が様々な名を付けて売り出したから、いささかの疑念を抱いた自分は反省せねばなりません。ヒトさまの財布を覗く趣味など毛頭ありませんが、あれだけ宣伝したからにはきっと資金もできたであろう。だから皆して「さあやるぞ」と旗を振ったかと言えば、そうでもなく家地川ダム撤去の話はいつしか立ち消えとなりました。それは決して四国電力という大組織に少数が立ち向かったところで勝てるものではないという年寄りくさい思考に陥ったわけではなく、環境保護とは別の事情があったようです。そのような次第で大河は、川好き鮎好きの悲しみを乗せ、時は流れて今に至ります。が話はもう少し続きます。

 

 

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家地川ダム下流側 180429

 

一昨年、家地川ダムを訪ねて職員に訊くと「規則どおり一定の流量は川下に流しています」とのことでした。踏み込んで確認したわけではありませんが、逆にいえば「規則」のない昔、水はダムで完全遮断され、写真の河原は魚道の手前まで広がっていたはずです。

 

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家地川ダム=佐賀取水堰の地図と河川維持流量の立て札180429

 

とすれば「撤去」せよというセンセイと流域漁協の声は無駄に消えたわけではなく、その幾ばくかは四国電力に届き、結果として写真の河川維持水量が放水されることになったのかもしれません。であるなら 家地川ダム=佐賀取水堰で分断された伊尾木川=四国電力vs四万十川=流域住民の水争いは痛み分けというか7対3くらいで四国電力のカチなのでしょう。が、まあ世の中こんなものかと。ちなみに既存のダム撤去日本初の栄誉(?)は熊本県に取られました。その経緯は次号で触れます。201021記

 

 

追記

どうも気になるので家地川ダム⇒佐賀取水堰の担当者に電話で問い合わせたところ写真の看板にある河川維持流量は、昭和63年(1988年)旧建設省が策定した法律に沿い、平成13年(2001年)の水利権更新年に合わせて放流量を増したとのことです。それまでは「魚道に水を流すだけ」だったから堰堤下流は干上がっていたはずですが、今では佐賀取水堰から津賀ダム下流域まで水が流れ、それなりに川が復活したことはGoogle mapでも確認できます。

 

 

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「永遠なる四万十川」p95 に置かれた古い写真 撮影年不明

 

写真は家地川ダムの下流

魚道に水はない

涸れ川はここから始まる

 

さて、国の方針に沿って規定量を放流していることは分かりましたが、国が全国すべてのダムに事細かな指令を出すわけもなく、実際の流量設定は現場が行うはずです。その「放流量を具体的に設定する際、かつてダム撤去まで訴えた流域住民の声はどう反映されたのですか?」と担当者に問うたところ「流域漁協のお声はしっかり聴かせていただきました」「すると住民の声は反映されているのですね?」「住民のご意見には誠意をもって対応させてもらいましたが、その声が流量と関係があるかというと、あるとはいえません」「すると住民の声は無視されたのですか?」「いやそういうわけではありません」「、、、?」と概ねそのような埒の明かない話がつづきました。

 

電話の向こうのやや苦しそうな声から、反対住民に善意と笑顔で対応せねばならない担当者のつらい胸の内が想像されましたが、別段えぐい話を持ち込んでいるわけじゃねえんだから構えなくてもいいんじゃないのと思うものの、どこの馬の骨かわからない相手に言質を取られてはかなわんという相手方の気持ちもよく分かり、しつこく追うことはやめました。それにしても20年も前の小規模ダムの放流量ていどの質問に言葉を選ばねばならない立場ってつらいやろな、でも立場のしんどさは働く人なら誰でも経験があることだし、攻めと守りの関係は、言ってみればお気楽野党が問題点をつまみ食いして与党を責める図みたいなもので、生産的な議論にはならず、傍から見るとバカにかわらんので、お互いが傷つかないうちに長い電話を終えました。

201027記 つづく