ちょっと道草 201107  ウルトラマラソンの周辺5  球磨川から川辺川へ

 

 

 

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本年7月洪水時の人吉市中心部

西日本新聞201104よりてんさい(--!

 

 

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熊本県人吉市の鉄橋 200901

 

7月の線上降水帯による豪雨で堤防が決壊した人吉市。向かいの鉄路には9月になってもまだ濁流で押し流された木屑が引っかかっていました。木屑の高さを水平に広げて街を覆うと上記写真のようになります。

 

 

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球磨川堤防近くの民家 200901

 

堤防脇の民家には屋根に浮遊物が残されており、水没家屋の周辺では今なお多くの人がゴミの撤収作業に当たっていました。濁水が家屋に浸入すると家電製品を含め家財道具の一切が使い物にならず、粗大ゴミとして学校の校庭や空き地に積み上げられます。その量たるや凄まじく、これだけの物量をいったいどこへ運ぶのだろうと恐ろしくなります。加えて人吉では多くの死者を出し、その経緯は新聞テレビで大きく報道されました。

 

ただし映像は真実を伝えるかと考えたとき難しい問題が残ります。四次元世界を一枚の静止画に押し込めることは原理的に無理です。無理を承知で撮るのだから、撮り手は極端な部分を狙い、映像は視聴者に過大な印象を与えがちです。ビデオはもう少しマシですが、管の先からものを見ることに変わりはありません。見られてなんぼの映像は、そのあたりを差し引いて考えなければ全体像を見誤ることでしょう。

 

忘れもしない東日本大震災津波の爪痕を映像で見るかぎり東北沿岸部は壊滅したかのような印象を受けました。現場を歩くと、なるほど津波が舐めた海岸沿いは写真やビデオで見たとおりの地獄絵でしたが、振り返って国道を隔てた西側にはいつもと変わらぬ日常が続いているのでした。津波が街の隅々まで及んだわけではないので被害を受けなかった地域があって当然ですが、報道写真は日常を好まず、絵は極端に作られます。恐ろしい光景の傍らに普通の暮らしがあることに妙な違和感を覚えたものです。

 

 

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人吉市中心街より少し離れた球磨川沿いの制水工 200901

 

右側の出っ張りはまず間違いなく「近自然河川工法」による制水工⇒川に淀みをつくり、魚類の棲み家を担保する古くて新しい土木工法です。この上を豪雨時の濁流が流れましたが、形と機能は失われていないはず、実はこの近自然工法の跡が気になって、ここまでバイクを走らせたので、ちょっとした感激がありました。

 

その発案者である故福留脩文氏が講演会で、コンクリート三面張り工事のスライドを映写し「昔は水の流れを遮る大きな岩があると、発破をかけて砕き、川床を平らにして納入したものです」と苦笑したことを覚えています。川とは大いなる自然の一部であって、そこに強い力で人為が介入するとおかしなことになります。水が最短距離で海へ向かう道は水路であって川ではありません。

 

 

 

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五木村にむかう新設道路 200901

テレビクルーが橋詰から川辺川の渓谷を望む

 

 

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川辺川ダム湖に水没するはずだった谷間 200901

 

谷間の向こうの深い森で道に迷い、日は暮れる雨は降る、Google mapは使えない、巨大迷路を行ったり来たりして散々な目に遭いました。

 

 

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五木村 200901

 

左は高台に移転が終わった五木村。川沿いの中央部は村外の子どもたちを迎える林間学校のような施設です。川辺川ダム建設が進行中の2009年「コンクリートから人へ」の民主党によって工事は停止されましたが、2020年の水害後、もしも川辺川ダムが建設されていたら人吉市はこれほどの被害は受けなかっただろうとの声が高まるなか、あるいは再びダム工事が始まるかもしれません。とすればここは湖の底に沈みます。

 

 

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橋の欄干に嵌め込まれた五木村の成人式 / 撮影年不明

 

五木村の人口は1959年の6299人から2018年現在1116人に激減しました。山間部の人口はどこも減少しているので必ずしもダム計画が原因とはいえませんが、もはや山間地の成人式にこれだけの若者が集まることはなく、村の昔を知る人は寂しいことでしょう。

 

 

 

 

 

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五木の子守唄歌碑 200901

 

その昔バブルで舞い上がった時代に友人と連れ立って「熊本アートポリス」なる建築群を訪ねました。新たな挑戦やよしとのこのこ出かけたことでしたが、少なくともぼくが見た建築は、奇をてらい、目立ちたがるばかりで、じっと見つめていると胸が悪くなるようなものでした。後味の悪さを引きずりながら人吉に宿を取り、夜遅くまで友人と語り合ったことでした。

 

そのとき球磨川で高知発の「近自然河川工法」が使われ、「五木の子守唄」で有名な川辺川上流でダム建設が進行していることを知りました。ダムはどこにでもありますが、五木の子守唄の里はここにしかありません。台風に追われながらも、あえてこの村を通り九州の森を横断したのは唄に惹かれたからだろうなと思っています。

 

幸せいっぱいの人には縁のない唄ですが、悲しみを背負った人は、どこか御詠歌を思わせる寂声に包まれ、目頭を押さえて、もう少しがんばろうかという気になるのかもしれません。貧しさゆえの哀しみを美の世界にまで昇華させた詩人と作曲家および歌い手さんに心より敬意を表します。

201107記 つづく

 

 

五木の子守唄 山崎ハコhttps://www.youtube.com/watch?v=nFvUhswter4

武田の子守唄 山本潤子 https://www.youtube.com/watch?v=Xg_QDpVLGH0

島原の子守唄 緑崎香澄https://www.youtube.com/watch?v=rktrk_jIkdU