ちょっと道草 201202  高知競馬(2) 山本寛斎

 

 

 

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高知競馬 201122

 

高知競馬には女性ジョッキーが2人います。へぇと思って出走前のおカオを拝見すると確かに女性でしたが、残念ながらレース結果はどん尻でした。人気の藤田菜々子が走ってくれたらリアル現場、ネット投票とも盛り上がるだろうにと、馬券の買い方も知らない者が、いらんことを考えながら人影のまばらな観客席を見上げ、振り返ると砂を蹴るサラブレッドが僅差の勝負でゴールに向かうところでした。

 

むかし釜山の裏町を歩いていたらゲンゴロウ賭博をやっている夜店がありました。金魚すくいほどの水槽に競馬のゲートみたいな枠があり、客から「投票券」が集まったころ一斉に扉が開かれ水路の先に向かってスタートが切られます。言ってみればゴキブリを泳がしたようなものだから真っ直ぐ行くどうかはゲンゴロウの気分次第です。世の中には足の速いゲンゴロウと鈍くさいゲンゴロウがいるはずで、そのさびわけができる炯眼の士は常勝まちがいなしですけどまあ常人には分かりません。ぼくもポケットを探って小銭を賭けましたがよく分からないままゲームは終わりました。

 

馬とゲンゴロウに通底する原則は生きものの動きをゲームに仕立てたところにあります。カネの遣り取りをするだけなら無機的な装置でもよいわけですが、そこに生命系の息づかいがあればヒトの心はわくわくします。結果は偶然だから恨みっこなしよというのが生きもの賭博の面白さかなと考えました。

 

 

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北海道日高151014

 

むかし高知競馬にハルウララという長閑な名前の勝てない馬がいました。あまりの弱さが馬好きの哀れを誘ったか、百戦連敗記録で有名になり、写真集まで出版された迷馬です。駄馬が客を呼ぶというのも不思議な現象で、ついにはハルウララの尻尾の毛を包んだお守りまで売られたから、ぼくも買って車に置きました。走っても勝てない⇒買っても当たらない⇒当たらないから交通安全という狐につままれたような三段論法です。おかげで交通事故は一度も起こしていませんが、赤い棒のおまわりさんには何度も呼び止められ免許証は青いままです。300円のお守りで過大な御利益を期待した自分が馬かなのでしょう(~~、

 

 

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鼻差で勝負 201122

 

先のブログで、よさこい⇒夜は早よ来い⇒飲み屋へ来いと書きましたが、高知競馬は「夜さ恋ナイター」をやっており、恋人とおぼしき二人連れがいれば、子連れの家族もいます。競馬は真昼にやるものという社会通念を崩し、馬が夜走ってもいいじゃないかという逆転の発想をした人は大したアイデアマンです。が、田舎競馬の悲しさでキラリと光る花がなく集客力に弱いという恨みが残ります。

 

むかし大ちゃんこと橋本大二郎高知県知事をしていたころ山本寛斎と対談した中で「高知競馬場で武者行列をやってはどうか」という提案がありました。なるほど世界を駆けた服飾デザイナーともなると大胆な発案をするものだと畏れました。福島県には相馬野馬追い祭りがあります。野馬ならぬアラブやサラブレッドに跨がった騎馬武者が弓を引き、流鏑馬など見せてくれんろうか、フィナーレに菜々子のような美人騎手が疾駆し観覧席にむけて手を振ってくれたら盛り上がるやろなとあれこれ空想します。とはいえ裏方の苦労を考えた日にはおいそれとはいかないでしょうね。祭りやイベントを客として楽しむ分には「面白かったね」で済みますが、実行部隊はへとへとです。

 

 

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山本寛斎の作品 ネットより

 

目立たない色合いを好むパリの服飾界に

浮世絵のクニのデザイナーが

強烈な原色を持ち込みました

大きく開いた両足からはどことなく

縄文時代の出土品が連想されます

 

ネットで山本寛斎を検索したところ「幼少期に両親が離婚、3人兄弟で父方に引き取られ高知県に移る。しかし父親の育児放棄により児童相談所に収容され~高知や大阪などで10数回の転校を繰り返す」等々の記述がありました。なるほどその縁あって高知県知事と対談したのかと今にして気がつきました。

 

建築をやりたくて工業高校に通ったが「挫折」し、紆余曲折しながら服飾デザイナーとして世界を股にかけた山本寛斎の人生は、工業高校卒⇒ボクサー上がり⇒プリツカー賞というユニークな経歴を持つ建築家安藤忠雄と重なります。高知で安藤忠雄の講演を聴きました。日本の大工は2番を大きく引き離してダントツの腕前なんだけどその割りに給料が安いといった話題が、テンポよく切り替わり、大阪弁でつながれ、会場は笑いと納得の渦でした。

 

山本寛斎、建築、高知と類推してひょっと氏の進学先は高知工業高校ではなかったかと思いました。1944年、戦時中に生まれた山本少年が入学したころの工業高校は貧しくとも優秀な人材が集まった時代です。近くに土佐高校という高知で一番の進学校がありますが、当時を知る人から「昔はウチに来たいと言われてもお前はちょっとな、あっちへ行けやと追い返した時代もあるんだぜ」と懐かしげに回顧するOBの声を聞いたことがあります。若い才能が偏差値で分断される前のおおらかな時代でした。

 

しかしWikiをよく見ると山本少年の進学先は岐阜県の工業高校だったようで、ちょっとガッカリですが、まあ当時はどこも似たようなものでしょう。身体頑健、頭脳優秀な人物はどんな育ち方をしてもチャンスを見つけて才能を発揮するものです。山本少年の苦難は「自由奔放で女性関係にだらしない」父親に原因があったとされますが、その苦しみこそ才能ある者を乗せた飛躍の踏み台であったと捉えれば納得できます。むしろ若い才能をまぜこぜにした戦後の混乱期には、社会の隅々まで秩序が行き渡った今の若者にはない自由があったにちがいありません。

 

山本寛斎氏は本年7月27日に逝去されました。

享年76歳でした。合掌

201202つづく

 

 

 

# # #アメリカの今# # #

米大統領選が単にUSAの出来事なら日本人には関係のない話ですが、中立を謳うアメリカおよび日本の新聞テレビがあれほど偏った報道をすることには深い背景があるのだろうと憶測する他ありません。ネットを丹念に(といっても海の底を素潜りで探るようなものですが)見ていると、投票集計機ドミニオンの関係者が逃げた。激戦区のジョージア州知事と州務長官が「国家反逆罪」で提訴された等おそるべき記事が置かれています。ことの真偽はさておき選挙が遠隔操作されたら民主主義は終わりです。

 

移民の国アメリカの原則は「公平」「公正」「上昇のチャンス」にあり、用意ドンでスタートした小さな会社がGAFAに化けても、それはルールに則って競争を勝ち抜いた結果だから起業家は称賛されます。しかし進行中の政治問題はその「公正」が疑われたところにあります。もしも今次選挙が操作されていたとすれば、誰が大統領になるのか、勝つのは民主党なのか共和党なのかといった国内論を超え、影響は人類史をゆるがすものになるでしょう。軍事と経済の中心にあるアメリカが、自由を守るのか、独裁に向けて崩れ落ちるのかという綱渡りをしているように見えます。

 

報道の「公平」とは、発言時間、記述の文言を両者に等しく分配するところにありますが、今やその公平性が失われ数日前から、それは「陰謀論」だよと冷笑する記述が増えてきたように思います。何が真実か分からないので思考の幅を広げたらハナから陰謀論者にされ冷やかに笑いとばされてはたまったものではありません。

 

虚実織りまぜた二次情報の海を泳ぎながら、何がなんだか分からんぞワッハッハと大人のごとく振る舞うヒトもおりますが、やがて潮が満ちれば政治の現実に引き戻されます。そのとき昨日までの幸せが幻だったということにならないことを祈らざるをえません。12月8日、12月14日、1月20日の節目を経て米選の結果は確定します。