ひとり旅 201224 China 10   鳥山ドラゴンからゲルニカへ

 

 

 

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国立故宮博物院所蔵 范寛の山水図 *ネットより

 

漫画「ドラゴンボール」は孫悟空が育て親のじいちゃんとChina風の屋敷に住み、10世紀の范寛が描いた山水画のような風景の中で、三蔵法師ご一行ならぬ豚のウーロン、じゃじゃ馬娘のブルマと連れ立って長い旅が始まります。ドラゴンボール42巻すべてのコマを暗記しているぼくは、成長した悟空が宇宙の悪者と闘いを繰りひろげる後半部より、修行時代の悟空クリリン亀仙人ランチちゃんたちが織りなす詩情ゆたかな物語に惹かれます。鳥山先生のフツーじゃない絵のうまさとよく練られた吹き出しの文句が、コマをつなぎ、脳内アニメ劇場をつくってくれます。

 

 

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修行時代の悟空とクリリン *ネットより

 

漢字は漫画でおぼえます

罰点もらって泣きながら

勉強するものではありません

 

詩のことばも漫画でおぼえます

小さな吹き出しに意味を詰め込んでいると

俳句のトレーニングになります

 

漫画の吹き出しに句読点はなく

漢字カタカナひらがなが結ばれて音になり

目から耳に入ってきます

 

巻物の文字をよく見ると

太い線が細くなったり切れたりして

昔っぽい雰囲気をかもしています

 

ティーブジョブスは若いころ

字体の勉強もしたとか

Apple信者はフォントにもこだわるそうです

 

 

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亀仙人の青空教室 *ネットより

 

まとめて言えば漫画家は

映画監督をやりながらひとりで

雑用をこなしているようなもの

 

某編集長によると

やっと描き終えた原稿をもったまま

バス停で気絶した作家さんもいるとか

気の毒だけど笑っちゃいました

 

ちなみにこのコマの次にくる

こくごの授業はとてもユニークです

 

 

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これだけ迫力あるドラゴンを描いたChinese作家がいたかどうか、いなかったのではないかという疑念から本段を書き始めたのですが、それはまた   *ネットより

 

鳥山ドラゴンが4つの爪で水晶球を掴むところまではChina由来ですが、ボールを7つ集めるとどんな願いごとも叶い、死人も生き返ってしまう驚天動地の着想が宇宙の果てまで飛んで行きます。そんなことありえんやろ「ばっかみたい」と言われても「漫画だから」と反撃できるところが漫画の強さであり、しかもそれが人々を勇気づけ、経済を回し、ときとして荒唐無稽な空想が実現することもあれば、海賊版が流布する諸外国においてはクールな日本文化の伝導者ともなります。

 

 

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*ネットより

 

ベジータが片目に付けたスカウターは、眼鏡のウェアラブルコンピュータとして実現しました。高知県四万十市ではカメラ付き眼鏡コンピュータを5Gにつなげ茄子栽培に役立てる実証実験が始まったとの日経記事を見ましたけど、あれって鳥山センセの発明ではなかったか!?

 

そのむかし麻生太郎が総理大臣に就任したとき漫画業界の株があがりました。大の漫画ファンである麻生閣下はしばしばインドを往復しておりクールジャパンの一環として日本漫画をインドに売り込んだのかも⇒経済成長が続くインドでは「巨人の星」を換骨奪胎し、クリケットの星「スーラジ ザ ライジングスター」が作られたそうです。努力すれば報われる。がんばろうインディアンといったところでしょう。

 

ドラゴンボール」が描かれたのは1984~1995の11年間です。1989年に日経平均が38,957円を付けたバブル期、一億総中流の平和と安定に支えられ、伸び伸びと空想を広げられた時代でした。いいトシをした友人が仕事ほっぽらかして体をよじり両の掌を合わせて「かめはめ波を撃つのか撃たないのか、それが問題だ」とマジ顔で笑わせてくれたり~~! 

 

1955年生まれの鳥山センセは29~40歳の間ピーク時には少年ジャンプ653万部の読者を抱えて休むことなく描きつづけ、ついに精根尽き果てたようです。コミック本1ページに5枚のコマがあるとして各巻平均170ページ×5コマ×42巻=35,700コマ! これを11年×365日で割ると1日あたり9枚の絵を描いた計算になり⇒1日サボったら翌日は18枚描かされるハメになります。かくてセンセの魂は灰になり最終巻末には背中を丸めたお詫びの絵がありました。

 

が、悟空の闘いは世界中でつづき今も集英社の稼ぎ頭だそうです。台湾の路地裏の塀には雲の上のお釈迦様の掌の前で孫悟空と仲間たちが繰り広げる闘いの図が長々と描かれていました。ヒトが歩きながら壁絵をスクロールせねばならんのでホネが折れます。南米ペルーだかでは生まれた子どもにキャラクターの名前を付けるのが流行っているそうです。「ゴハンちゃん、ご飯よ~」てなことかも、、それにしても鳥山センセは人物画がうまい!

 

むかし予備校にいたとき芸大志望生のデッサン力は凄いものだと知りました。ピカソが16歳のときに描いた上半身裸の老人画もこれが高校1年生の絵かよとびっくりさせられます。が、静止した人物デッサンはある意味描きやすく、動きまわる人間を上から下から縦横無尽にこなして涼しい顔の鳥山マンガは別格ではないかと思うわけです。さらにはヒトの頸に犬や熊や猪をのせ不自然でないキメラを描ける作家って他にいるのだろうか? ペン先ひとつで、骨があり筋肉があり、血液が運ぶ体温さえ感じさせる人物を描いた作家は、江戸期の浮世絵師にもいないとぼくの主観^^! が主張します。そのドラゴンボールが世界中でいかなる数字を残したかは*wikiに膨大なデータがあります。スクロールしているとぶっ倒れそうになるので、ご注意ください。

 

さて、高知県立美術館には1200点ものシャガールの絵が収蔵されており、空中浮遊する女性や馬の絵が展示されています。が、ぼくの目にはどれも同じに見えて代わり映えがしません。あの絵の何が面白いのか、神道と仏教のクニの住人にはわからない背後理由が隠されているようだから滅多なことは言えませんが、98歳没の画家シャガールは生涯をかけて似たような絵を描いたとは言えます。

 

一方ピカソは終生変化を求め、青の時代、薔薇色の時代、アフリカ彫刻の時代、キュービズムシュールレアリスムと次々に様式を変え、陶芸にも手を出したという多彩な芸術家です。昨日と違うことをしなければ生きた気がしない性分だったのでしょう。

 

 

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拙宅倉庫の壁のゲルニカ 201211

 

むかしマドリードの美術館で「ゲルニカ」を見ました。入り口通路にハンカチをくわえ顔をくしゃくしゃにした「泣く女」が置かれている他は何もなく、特別室の壁一杯にドイツ空軍による無差別爆撃下のゲルニカが専有していました。色もなければ奥行きもない地下室で牛や馬や人間が泣き叫ぶ光景をピカソは線で描きました。殺戮に向けた憎悪がテーマだから明るさも笑いもなく、広い展示場はしんとしていました。が、その問題意識を脇に置き、純粋に絵として見れば、線画、平面、モノクロという共通項で鳥山コミックと重なります。

 

ピカソがあと20年ほど長生きしたら(112歳になり)、彼はドラゴンボールと出会えました。「おれが描いたゲルニカは一枚の絵だけどこいつは動くじゃないか。しかも線に命が吹き込まれてやがる。吹き出しのなかは日本文字か? するとこれは絵物語なのか? トリヤマって誰だ? なに北斎のクニの絵師!? よし会いに行こ」ってことになったかも、、

 

編集者に連れられ締め切り前の仕事部屋を訪ねるとMr.トリヤマは違う世界から振り返ったような目でこちらを向いた。積み上げられた原画は欧州では見たことのない線で描かれていた。その意味をひと目で見切ったピカソは、嫌がるトリヤマを拝み倒して来る日も来る日も仕事場に通った。

 

やがてスペインに戻り、かつてアフリカの彫刻から想を得たように鳥山マンガに刺激されたピカソは新たな挑戦を始めた。スタジオジブリも応援してくれた。青の時代、薔薇色の時代の人間が歩き始め、世界はまた驚かされた。

 

猫のカリン様に超神水をもらったピカソは、さらに30年の寿命延長を得て2020年に142歳となった。若いころ手がけたキュービズムが仮想現実と手を組み、構成単位に分割されたパーツは電子的に再構築され、ゴーグルを付けて美術館を散策する人々は「アビニヨンの娘たち」と一緒にシュールな空間を歩けるようになったとさてなことになったら愉しいです。

 

パブロピカソより5年前に生まれ

ピカソと同じ1973年に逝去した

パブロカザルスが

ホワイトハウスで弾いた「鳥の歌」

https://www.youtube.com/watch?v=qKoX01170l0

201224記 つづく

 

 

 

      # # #高知の今# # #

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高知県中土佐町から横波三里を臨む 20091

 

子どものころ海は広いな大きいなと歌で習った

いま同じ風景を見て はやぶさ2号が

宇宙から撮った青い地球を思い出す

ひとりの人生の中で世界観が宇宙観に変わった !