仕事を終えた帰宅の途中
川沿いの路上に何かがみえました
慌ててブレーキを踏むと狸でした
前照灯の強い光に曝された狸は
枯れ草の中から出たり入ったりしていましたが、
かれは自分の置かれた状況が分かっていないようです
世の中にはいろんな指標があるもので
わが高知県はタヌキの棲息率日本一^^! なのですが
人口?過密のゆえか道路であえなく昇天した狸も多く
気い付けなあかんでと心の中でつぶやいているうちに
「平成狸合戦ぽんぽこ」を思い出しました
そのむかし市民運動の仲間と自然保護を考えていたときジブリのアニメ「平成狸合戦ぽんぽこ」を見てガンとやられました。多摩ニュータウンの開発に追われた狸軍団は、得意の幻術で人間どもを追っ払おうとしますが、葉っぱをくわえてでんぐり返ったところで所詮は幻に過ぎません。圧倒的な機械力で森は伐られ、野は埋められ、狸の棲み家は見る見るコンクリートの大地となりました。追い詰められた狸は総力を挙げ、最高度の幻術をもって、かつての美しい森を復元し、人間どもに見せつけたあと儚いレジスタンスは終わります。
森がコンクリートの街となり、人間との共存を模索する中で、タヌキはヒトに化け、アパートに住み、電車で通勤するという寂しげな結末でした。アニメの終幕に、狸はヒトに化けられても「ウサギやイタチはどうなんですか?」という答えがひとつしかない疑念がだされました。ヒトとタヌキが土地争いをした際ほかにどのような手だてがあるのでしょう。ぼくらがやってきた自然保護運動もまた自然は護りたいが、ヒトの存在を否定することはできないので、結局答えはひとつしかないんだよなと悲しく思い出されました。
拙宅の狸くん 210128
焼物のふるさと滋賀県甲賀市の信楽に行くと道端に巨大狸が群れをなして居ます。ウチは中古住宅なので狸は前に住んでいたおばあちゃんの置き土産なのですが、それにしても編笠かぶって、徳利提げて、八畳敷きのナントカまで広げた狸だなんて凄い想像力です。ここまで情緒的に動物をデフォルメした日本人と狸の関係は何なのでしょう。
人間中心主義のキリスト教国ではまず考えられないし、ムスリム教徒は動物を絵に描くことさえ禁じられているのでヒトとタヌキを水平に置くことなどありえません。朝鮮半島ではどうなんだろ、そんな民話があるのでしょうか? China大陸には、旨いか不味いかの判断基準はありそうですが、狸が秋の葉っぱをお金にして晩酌のご相伴にあやかりたいだなんていう漢詩は見たことがありません。
鈴木寿雄「はいくのえほん」足立美術館 210128
戸をたたく狸と秋を惜しみけり (蕪村)
Lamenting the passing of autumn
together with a racoon dog
knocking at my door.
酔っぱらいの信楽狸を慕って来たのか、裏山の狸がわが家の庭に出没し、多い日には親子5匹が猫の餌を入れた丼鉢に首を突っ込んでいたことがあります。どういう訳かは知りませんが、俗にもりぐそと呼ばれ、狸は同じ場所にふんをする習性があります。夜な夜なおれの車の真ん前に忘れものをして帰るのでフン慨しながら出勤前にスコップで掬って庭の隅に埋めるのが朝の仕事でした。
だいぶ前のことになりますが、狸に感染症が入り、裏の渚に死骸がころがっていたり、住宅地でよろめいていたりしました。やがて車に撥ねられた狸を見ることもなくなり、狸の棲息率日本一は返上かなと思ったこともありますが、集団としての生きものはウィルスにやられて絶滅するほどヤワではないようです。今また復活してきました。
210128記 つづく