ひとり旅 210203 China17  韓国銀行 タヒチのゴーギャン  

 

 

 

 

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韓国銀行貨幣金融博物館(旧朝鮮銀行) 190822

 

ソウル駅から青瓦台方面に向け

とりたてて目的もなく歩いていると

石造りの立派な建物が見えました

東京駅を設計した辰野金吾のデザインです

 

 

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韓国銀行(旧朝鮮銀行) 190822

 

背後のビルと道行く車を取り払えば

1910~1945年の朝鮮併合時代が目に浮かびます

力車を牽きながら見上げた車夫の目に

豪壮な石の建築はどう映ったのでしょうか

 

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韓国銀行(旧朝鮮銀行) 190822

 

石柱の高さはヒトの背丈の何倍あるのか

この柱が1階天井部にあたる銀行空間の業務とは何か

預金を回してこんなに儲けました^^と自慢するわけではなく

銀行建築にはカネとは別の企図があることになります

 

 

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韓国銀行(旧朝鮮銀行)の石の壁190822

 

これだけ豪華な壁は東京の街を隈なく探しても容易にはみつからないでしょう、と言えば「はて?ウチの会社は石の壁だが」「貝の化石が浮きでた壁もあるぜ?」とおっしゃる声も聞こえます。そのことに間違いはありませんが、今は石を合板のように薄く切る技術が生まれたので、ちょっと贅沢すれば本物の石材で仕上げることもできます。ただし壁が力を受けるわけではないので化粧美人って感じがしないでもありません。

 

 

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韓国銀行(旧朝鮮銀行)の石材190822

 

深いところでマグマがゆっくり固まった花崗岩は嘘偽りのない石の壁です。当時の技術でこれだけの細工を施し、山と並べた石材を図面通りに積み上げた労力は大変なものでしょう。ダイヤモンドカッターでしゃしゃっと切ってクレーンで吊り上げるワケにはいかないのです。

 

5軸加工機を操り石でも鉄でもどんな形にでも切って見せる現代の技術者が、タイムマシンから降りて、この石材を加工する現場を見たら何を思うのでしょう。レクサスのオーナーが馬の尻をひっぱたいて大八車を牽かせるようなものかも知れません。現代人が目にする事物は、もはや日用品になったスマートホンから光の速さで20分もかかる宇宙の彼方の小さな星を往復した”はやぶさ”まで、その尽くがハイテクの結晶であり、凄いといえば凄い時代なのですが、しかし、

 

機械系の生産物が芸術系に持ち込まれてなお人間を感動させるかと言えば、それはまた別の話になります。巨大な東京都庁は石の外壁を持ち、入り口ホールを見上げると豪華なシャンデリアが田舎者を驚かせます。あの建築の大きさ、高さ、突っ込んだカネの凄さに比べれば韓国銀行なんてかわいいものかもしれません。にもかかわらず人の心がどちらに惹かれるかは簡単に言えないところがあります。機械力で突き進む文明にはどこかよそよそしさが残りますが、人間の意志が詰まった文化は軽々と時代を飛び越えて心に響くものがあります。

 

 

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ポール・ゴーギャン「我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか」  *ネットより

 

ヒトは過去から未来へ向けて流れる時間軸のどこかに位置しています。タヒチ島ゴーギャンが「我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか」と絵をもって自らに問うたように、ぼくらもまた歴史を訪ねて自分を確認しています。遺跡を発掘して民族のルーツを探り、お墓参りをしてご先祖さまに手を合わせるのも自分探しの一種でしょう。遺跡やお墓は形に残された記憶であり、記憶が消えたら自分が何者か分からなくなるからです。どの国も自国の歴史的建造物を大切にするのは後世にむけた無言の教育でもあるからでしょう。

 

 

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朝鮮総督府 *ネットより

 

だから歴史的建造物は残せという命題が成り立つわけですが、恨ハンの国の思考回路は日本とちがうところがあり一筋縄では説明できません。小中華を標榜する韓国人の頭には中国⇒朝鮮⇒日本という落差の構図があります。上位の朝鮮に下位の日本が残したところの悔しいけど立派な朝鮮総督府をどうするかと悩んだ末もったいなくも1995年、金永三政権は撤去命令を出しました。

 

景福宮の真ん前にデンと立ち上がった支配の象徴が誇り高い両班ヤンバンの心をいかに傷つけたかは想像に難くありません。が、一方で同じように立派な旧ソウル駅舎や韓国銀行(旧朝鮮銀行)は博物館として残し、それが「日帝残滓」だ「敵産家屋」だという強い声は聞こえないことから彼らの思考回路はとても複雑です。それは矛盾しているだろ? 「壊すなら全部壊せよと」キレて言える日本人は朝鮮半島が置かれた地政学上のアンビバレントを経験したことがない仕合わせなお坊ちゃんです。

 

China親方には頭が上がらないけれど小中華の思想をもって日本をへこますことはできる。それがChina発の文化であっても朝鮮半島を中継し日本に「教えてやった」とは言える。だから韓国は兄であり日本は弟である。弟の分際で「天皇」を戴き兄に歯向かうとはとんでもない野郎だとまあ朝鮮儒教はざっくりそのような原理に基づくとぼくは概括しています。姜昌一カンチャンイル新駐日大使はかつて天皇を「日王」と呼びました。今次あえて天皇という言葉を使ったのは政治的配慮に他ならず、朝鮮半島の人々にとって「皇と王」の間には越えがたい序列の壁があるのです。

 

そのむかし日本をよく知る韓国の友人がいつになく真面目な顔で「日本人は触れてはいけない国に触れてしまった」と呟いたことが思い出されます。流暢な日本語をあやつる彼は、日本語を話すときの自分に違う人格を覚えるらしく、頭の中で韓国と日本を行きつ戻りつしながら政治を語るのは苦痛だそうです。

 

1998年に韓国の大学生十数名を引率して高知大学元学長立川涼先生のご講演を頂きました。幼少期にソウルの「租界」で成長し、敗戦後に「引揚げ」た先生と学長室で打ち合わせしたとき、私が「ではありますが戦後生まれのわれわれに朝鮮併合の責任を求められても」と発言したことに対し「いや日本人は原罪として忘れてはならないことです」と笑顔で返してくれたことが思い出されます。「原罪とは具体的に何ですか? 」と問い返す機会を逸しましたが、とかく過激になりがちな日韓問題を考えるときぼくの心の座標に置かれた「原罪」という言葉が息を吹き返します。

 

当時のぼくにとって韓国とは「近くて遠い国」に過ぎず、夏場に大学生を迎えてどんちゃん騒ぎするのが面白かっただけでした。テレビや新聞で韓国が取り上げられることは稀であり、1997年タイに始まった通貨危機で韓国はひどいことになっているぞと薄々は知っていたものの所詮は外国の出来事でした。仕事は忙しく、わずかに残されたリソースを歴史の勉強に振り向ける余力がなかったことは多分、多くの人達と同じだったのでしょう。韓国はまだ日本人の中で小さな面積を占めているにすぎない国でした、、という弁解の言葉を置いた上で、立川少年は「租界」と「引揚げ」の現場で何を見、何を考えたのか、その思索の過程を伺うべきであったと返す返す残念です。

210203記 つづく

 

 

 

 

  # # #日本の今# # #

201231号で紹介した井上正康医師がコロナに関し

新たに分かりやすい説明をしています。

https://www.youtube.com/watch?v=ZF0EyTafiOA

 

日本人は既に抗体をもっている

PCR検査には問題がある

鎖国をしても何の効果もない

風邪とインフルエンザはどこへ行ったのか

外食産業は濡れ衣を着せられた

人類が初めて経験する遺伝子ワクチンは様子を見るべし

感染症指定2類を5類に落とせば医療崩壊はただちに解消する等々

ぼくは氏の説を正しいと考える者ですが

みなさまはどのように思われるのでしょう?