西表島舟浮の御獄(ウタキ)140423
御獄はヤマトの神社ではなく
沖縄・先島特有の信仰の場です
ここに侵入禁止の看板はありませんが
よそ者が立ち入るのは憚られる
聖域ではあるのでしょう
御獄の聖空間 140423
鳥居をくぐり中に入ると
亜熱帯の樹木に囲まれた聖地が
しんと静まり返っています
島の南北をつなぐ道 140423
集落の反対側にイダの浜があります
亜熱帯の野鳥の澄んだ歌声を聴きながら
ほの暗い緑のトンネルを抜けると
光のまぶしい海が広がっていました
イダの浜 140424
この贅沢な海水浴場は
ひとときの桃源郷です
してみれば緑のトンネルは
現世と他界をつなぎ
東方浄土ニライカナイへいざなう
道のようでもあるのかなと、、
巨岩がつくる奇しき場によそ者は
立ち入ってはならないはずですが
ここは観光客に開放されています
斎場御獄から遥拝される久高島 130928
12年ごとに行われる奇祭「イザイホー」は
後継者不足のため1978年を最期に失われたようですが
久高島は今も神の島です
久高島フボー御獄へ向かう道 030929
立ち入り禁止区域外より撮影
「神代の昔から琉球王府と久高島の人々が大事に守ってきた」フボー御獄には「何人(なんぴと)なりとも出入りを禁じます」との立て札が置かれています。かりに不届き者が立て札を無視して中に入ったとしても、そこにあるのは岩と肉厚の葉をもつ巨樹の空間に過ぎず、聖地を物理的に汚すわけではないでしょう。しかし神の島の御獄は、御霊をまつり祈りを捧げる場であり、よそ者が目と足で穢してはならないのです。
久高島の東の端 130929
四国霊場第38番札所、足摺岬にある金剛福寺の御詠歌に「普陀落やここは岬の船の棹とるも捨つるも法の蹉陀山」とあります。蹉陀岬(足摺岬)の向こうには観音さまが住む普陀落の山がある。そこへたどり着けば仕合わせになれるという信仰のもと、小舟にわずかな水と食糧を積み、ひとりで沖へ漕ぎだす「普陀落渡海」が、かつて和歌山の那智、高知の室戸岬・足摺岬で行われたそうです。那智勝浦には今も普陀落山神社があります。
井上靖の小説「普陀落渡海記」は、衆生の期待を一身に受けて出立せざるをえなくなった住職金光坊が、ついに渡海の日を迎え、小舟で海に追いやられる物語です。どの宗教も来世を美しく描きますが、天国や極楽を見た人はおらず、したがって理想世界は空想世界でしかありません。空想が現実を支配できるかといえば、人によりけりでしょうが、来世の幸せを確信できない金光坊は、目前の恐怖を追い払うことができず、小舟から脱出し、一命を取り留めました。しかし成り行き上役人は、陸に上がった金光坊を信徒の前に連れ戻すことはできず、憐れな住職の命乞いの言葉も耳に入らなかったことにして、再び海の彼方に送り出しました。
展示されている渡海舟のレプリカ
パソコンの写真を探しましたが
どうしても見つからないので
*ネットより拝借しました
金光坊は望んで渡海したわけではなく
いわば人身御供として
この小舟に閉じ込められたのでしょう
四万十川に浮かぶ屋形船ほどの大きさです
その経緯をカネがすべての経済学で冷たく分析すれば、姨捨山の海洋版のごとく砂をかむような話になるのでしょうが、人の行為がカネ一元論で説明できるわけもありません。この世の生にケリを付けた人間が、理想世界を架空し、海と空の境にむけて旅立つことはあり得ない話ではないでしょう。ひょっとするとそれは横に延びた鉄路や途方もない高さのコンクリートを想起するよりずっと豊かな行為であるのかも知れません。
竹富島の御獄 130920
あちらの世界からたまたま戻って来られた人たちが臨死体験を語ります。長いトンネルの向こうに光が見える。天使のシルエットが浮かび音楽が流れる。人生の中で最も穏やかで静かな瞬間だった。死はひとつの人生から次の人生へ移行するだけ。お金も地位も名誉もなく思惟だけが人生を振り返る、、以上はネットから断片的に拾ったものですが、たしか立花隆の「臨死体験」にも似たような記述がありました。トンネルと光は圧迫と解放の象徴かと思われます。
死とは何かという大問題は、この世にあらわれた全ての人間に突きつけられた謎です。山形県酒田市の海向寺には即身成仏したミイラが安置されています。生きたまま地の下で自らを滅する行為は、修行の極致であり、常人の想像を超えます。それはいったい何のため? 誰のため? と考えたとき少なくとも自分のために地下で食を絶つことはありえません。何が幸せかは人それぞれであるにせよ通常は、他者の尊敬を受け、希望をもって、健康に生きることが幸福の原則としたものです。海向寺の住職が私的幸福の原則を実現していたと仮定し、敢えて彼は何のために地の底で果てたのか?と問うとき、 それは「他者」のため「衆生」のためと応える他ないのではないでしょうか。
全国で確認されている即身仏
16体中8体が山形県にあります
堂内撮影は禁止です
1755年(宝暦5年)の忠海上人、1822年(文政5年)の円明海上人の即身仏(ミイラ仏)は今も海向寺に祀られています。入館料を払い案内されて私も両上人の即身仏が鎮座する仏堂にひとりで小一時間立ち尽くしました。木の実を食べて命をつなぐ「木食修行」を経、生きたまま地下3mのたて穴に入り、断食し、経を読み、鈴を鳴らす「土中入定」を終えると「特別なことをしなくても即身仏として御身体が残った」そうです。
寺でもらった説明書きには「会う体験は体で学ぶこと」「即身仏は、その人にとって大切なことを伝えられるように江戸時代の昔からすわり続けています」「両上人は、人々の苦しみを救い、願いごとをかなえるためには、木食行者となり、お姿を残す即身仏となる他はないと決意され、厳しい修行の旅に出ました」とあります。
堂にまします両上人は、頭蓋骨に皮が張りつき、眼窩は深く窪み、両の手の骨は細く長く前に垂れ、全身ほぼ骸骨が鮮やかな法衣をまとって無言の教えを説いてくれました。その教えをどう解釈するかは自身の心のあり方によりますが、この恐るべき修行者のお姿には、百万言の言葉を超えた何かがあります。人は「他者」のためなら頑張れるということです。
そう考えたとき金光坊は、自分の幸福追求を願ったにもかかわらず、意に反して出航させられ、死の恐怖に怯えたと考えられます。もしも金光坊が、みずからの死と引き換えに「他者」の幸福を確信できたなら彼は勇気をもって渡海に臨めたのかも知れません。
貧しい姉が身を粉にして働いたお金を弟に仕送りし、弟は必死で勉学に励んだという姉弟愛が人を泣かせる理由はそこにあります。がんばって働いた姉は預金残高を増やしたとさ、では文学にならないのです。
2102328記 つづく
# # #日本の今# # #
過去2回ご紹介した井上正康医師のコロナ関連対談の新作がYouTubeでアップされました。Q&A方式で簡潔に整理されていましたが、時間をおいて再度アクセスすると黒画面に「この動画はYouTube利用規約違反のため削除されました」とそっけない表示があらわれました。誰が何のためにいかなる権限をもってどの部分を「違反」と断定したのか、理由説明はありません。
米大統領選挙におけるトランプ大統領はYouTube、Facebook、TwitterといったSNSから排除され発言を封じられました。およそ公平性に欠けるCNN他の米大メディアの偏向ぶりに驚き、それを日本メディアが無批判にコピーして流す従属報道にも呆れましたが、Google傘下のYouTubeは、あらためて日本で情報統制をやるのかと空恐ろしくなりました。
万人に開放されたYouTubeとはいえ公序良俗に反するものは削除すべきです。が、井上正康医師のどの発言がいけないのだろうとメモを見ながら考えていると削除された動画が「ニコニコ動画」に無料でアップされていることに気付きました。骨ある志士が日本メディアにも隠れているようです。
以下個人メモ
遺伝子ワクチンの結果が見えるまでには長い時間がかかる
血圧には個人差があり平均値に押し込めることには問題がある
欧州人はペスト耐性があり、東洋人にはコロナ耐性がある
ウィルスは小腸に集まる⇒消毒液はトイレに置け。
たとえて言えばマスクは鳥小屋のケージみたいなもの
唾の飛散は防げてもウィルスは蚊ほど小さい
子どものマスクは充分な酸素が供給されないので夏場は危険だ
みんなが富嶽にビビらされた
井上医師はマスクを付けず新幹線に乗った
この辺の発言にキレて通報した人がいるのかなと、、
よく分からないハナシですがどこか利権の臭いがします
ご関心の方は早めにどうぞ。