ちょっと道草 210326 写真で Go to西表島(10  猪 牛 鷺 蛇 青鳩からシルクロードへ  

 

 

 

 

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リュウキュウイノシシ 140420

 

ヒトの気配を察した猪は、一定の距離を置き

体を真っ直ぐこちらへ向けてジッと見つめます

相手が敵対するものであると認知すれば、こちらが

安全圏を超えたところで森の中に逃げ込みますが

 

 

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40㎜マクロの標準レンズを使用 140420

 

惜しむらくは

リュウキュウイノシシは

逃げ足が鈍臭いのです

 

四国の山中で出会った鹿の成獣は、バイクの前を

映画で見るスローモーションのように跳び

駆け込んだ森の樹木の隙間から

丸い胴体の上にすらりと細い頸を伸ばし

ふたつの集音マイクが付いた小さな頭をこちらに向け

バイクを停めたぼくにピントを合わせました

こちらも鹿と眼を離さず

懐に忍ばせたカメラの電源を入れ

取り出そうとしたところで姿が消えました

 

北海道は夕暮れのサロベツ原野で

エゾシカの群れが先を急ぐ姿もまた

強い腰のバネがつくる半円の影を残して優雅でした

煎餅をねだる奈良の鹿とは

まるで違う野性そのものです

 

猪にも種類があるようでデカいのもいます

岡山県山中の民家近くで深夜に出会った猪は子牛ほどもありました

愛媛県佐田岬で車の前照灯に浮かび上がった猪は

振り向きざま憎々しげな瞳をこちらに向け

「なんでえこの野郎!」とでも言わんばかりのツラで睨み

たくましい尻を見せて茂みに消えました

 

五島列島の森の中を走っていたとき突然

目の前を大きな黒い影がよぎりました

もしもあれがバイクにぶつかっていたら

誰も通らない道で転倒し足の骨でも折って

えらい目に遭ったはずです

 

シシのモモ肉を丸ごともらって

煮て食ったことがありますけど

堅いの何の! この肉があの瞬発力を生むのかと

顎が痛くなる思いでした

 

 

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囚われのシシ 140420

 

リュウキュウイノシシは小振りながら

西表島では最大体型の野生獣です

もちろん愛玩用に飼っているのではなく

シシ君は遠からず厳しい人生に直面することになります

そのことを知ってか知らずか

間近に見る獣の眼は敵対的でした

ふと「もののけ姫」を思い出しました

 

 

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肥育牛とサギ 140426

 

土を掘り返すトラクターや

牛の後に付いて行ったら

おこぼれにあずかれるらしく

ウシとサギが織りなす長閑な風景です

今は仕合わせな黒牛でした

 

 

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南風見田の海岸近く140421

 

長さが分からない写真で恐縮です

1メートル半ほどありました

将棋名人と同じ名をもつ三角頭の蛇は危険ですが

こいつは人畜無害の森の捕食者です

 

 

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アオバト 140426

 

ミドリ色でもアオ信号とは?これ如何に

青鳩の羽毛は緑色です

四国にも棲息しているようですが

見たことはありません

でも食べたことはあります

 

美味しんぼ」に触発されたか、折に触れ仲間を集め

自作料理を振る舞ってくれるセミプロの友人がいます

どこで手に入れたのかは知りませんが

山海の珍味を並べた中にアオバトがありました^^!

 

トリと聞いてスーパーの精肉売場を連想する人は

野鳥の肉の歯ごたえを知らない人でしょう

今は様々な規制が入って窮屈な世の中になりましたが

昔の子どもは裏山に「クビッチョ」をかけて遊んだものです

羽をむしって火にかけたら野鳥の肉は小さな塊になります

みんなで囲めば一口でおしまい

コリコリしとったなという印象しか残りません

 

鳩を食うとは何事かというご意見もありましょう

白鳩と平和を結びつけたのはピカソのようであり

娘にパロマ(鳩)という名を付けた鳩好きでもあります

しかし鳩と平和の間に取り立てて因果関係はないようです

 

白地に赤丸は戦争の象徴

オリーブの枝をくわえた白鳩は平和の象徴

とぼくら日本人は戦後教育の中で刷り込まれたので

鳩を狩猟の対象とは考えません、のみならず

鳩の名をもつ元日本国首相は友愛の海を標榜しました

その海域が今どうなっているかは中学生でも知っています

 

イギリスから来た青年と雑談したときハトの話題になり

日本人は鳩が好き、豆をやると幸せが寄ってくる

というような話をしたところ、彼は

鳩は撃って毟って焼いて食うものだと

身振り手振りで教えてくれました

齧っていると散弾が歯に当たる

それをペペッと飛ばして食ったら旨いぞ

と親指を立ててニヤと笑った顔が

ぼくの脳味噌写真館に残っています

 

大英帝国の末裔は戦争についても

われわれ日本人とは違う概念をもっていました

しどろもどろの英語で聞いた話なので

深いところは分かりませんが

米英が有り余る力のやり場を探して

中東に無理やりつくったような戦争に関し

「あれってどうなの?」と問うたら

「ノープロブレム。文明はそのようにして融合し進化する」

と肯定的に捉えていました

帰国後は入隊すると言っていたから

そう考えなければやって行けないのかも知れませんが

談笑後ひとりでじっくり考えているうちに

彼の言葉はリアルな戦争理論であることに気付きました

 

平和ボケと言われる日本人もわずか76年前には

似たような理論をもって世界展開したわけです

ところが昭和20年8月15日を境に

その理論は対極に振れ、武を捨てた日本人は

平和空間の内部で平和を唱える不思議な思考に陥りました

 

平和と戦争は二項対立の関係式でしか捉えられません

中国語に「和平」はあっても「平和」という熟語はないそうです

力と力が拮抗した状態が束の間の安定であって

武力均衡が崩れたとき戦争が起こります

 

しかるに恐らく世界で唯一日本人だけが

平和の中で平和を希求するという

(たぶん)数学的にも物理学的にも

ありえない理論を信じたわけです

 

たまたま世界が、戦争をやりまくってダレこけ

非戦の方向を向いたので

日本的おとぼけ平和理論の矛盾が

鋭く指摘されることはなかったのですが

よくよく考えれば大戦後も戦争は延々と続き

米ソ冷戦は1991年をもって途絶したものの

それから30年後の今ふたたび

米中冷戦が危ぶまれています

 

ぼくがChinaを歩いた1980年代に

あの貧乏な中国経済がここまで進展するとは思いもしませんでした

いずれ民主化するから今は堪えてくれ

と騙すようにして西側の技術と市場を取り込み

西側がルールとする競争原理に従うことなく

国内市場を統制し「世界の工場」として猛進したわけです

 

かくて人類史上最速の足どりで経済発展したChinaは

中華民族の偉大な復興」を称揚し軍事力を強化させ

ここに来て態度を豹変させました

 

その突然の変貌ぶりが何を意味するか

武漢発コロナ禍を経て西側諸国はやっと気付きましたが

すでに欧米アジアのみならず世界全域の政治経済に深く浸透した

Chinaとの関係が今後どう展開するかは予断を許しません

 

旅行者は言葉が分からない代わりに

五感を研ぎ澄まして歩きます

見る側の主観→思い入れの問題ではありますが

社会主義の中国、ラオスベトナムの人々の表情には

自由主義のタイや台湾で見た無防備な笑顔が

少なかったような気がします

 

日本はどうかと言えば

かつては原発、防衛、天皇制あたりが3大タブーでした

タブーと言っても喋ってはいけないということではなく

言論の自由は過剰なほど保障されていました

が、ここに来て微妙に変容した感があります

 

自分の表情は相手がつくります

自国の態度は他国がつくります

 

ネットの書き込みに

朝鮮半島南北の悪口は書き放題ですが

China Russiaの記述はひどく少なく

報道されて然るべき事実さえ伏されています

それをぼくらはテレビや紙新聞ではないところの媒体で

かろうじて知ることができるわけですが

忖度したか隠したか、伝えるべきことを伝えない

日本メディアに不信がつのります

牙を剥いて振り向くことのない弱者の私生活は暴いても

ヤバイ相手のことには触れない新聞テレビ雑誌って何だろう?

彼らは何を恐れているのか?

 

と思いながら昨秋来の米大統領選を追いかけました

Chinaが日本メディアに深く浸透していることは

メディアが何に触れなかったかを想像すればすぐにも分かることです

昨秋来の米大統領選挙を通じ、あのアメリカにおいても

民主党共和党の報道バランスが崩れ、間接的に影響する

China不利の報道をしないことに驚き恐れました

民主主義の総本山たるアメリカが必ずしも

原理原則にのっとった立派な国ではないことが露にされ

恐らくは世界の多くの人々と同じようにぼくの心も冷えました

 

自由主義はカネのジャングルです

社会主義は人間の理想です

 

経済絶頂期の日本では、行政が規制をかけながら

両者のバランスを取ってきました

日本を訪問したRussiaの高官が

これは我々が理想とする状態だと発言したのは

まんざら冗談でもリップサービスでもなかったはずです

しかし社会主義と背中合わせの独裁主義はどうなのか?

 

あくまで自分なりの直感ですが、

ジョージ・オーウェルが描いた「1984年」から37年後の今

監視カメラとスーパーコンピュータを武器とする

独裁社会が完成し、世界を覆い、やがて西側の人々は

屈託ない笑顔を失うのではないかと恐れます

LINE問題はその破片的一部でしょう

 

蛇足ながら

3/25日付け日経新聞「春秋」に「シルクロード」の平山郁夫と夫人が訪ねた新疆ウイグル自治区の記述があります。そこから「言論弾圧」「強制収容」「強制労働」を導き(さすがにその次に来るおぞましい話題は避けていますが)  EUによる「制裁」アメリカが主張する「ジェノサイド」といった言葉が置かれ、末尾は「画伯の描いたウイグルの人々の風貌が、深い悲しみを宿して見える」と情緒的に結ばれています。

 

奈良の薬師寺には平山郁夫のためのごっつい立派なコーナーが特設され入館者の目前に「シルクロード」が広がります。これを完成させるには大変な労力が必要であったろうことは想像できますが、予断を排して絵に向かっても、ガンと来る芸術の力を感じないのです。絵のうまさや活力感でいえば鳥山明が描いた漫画のひとこまの方が上等だ、と言えば叱られるかも知れませんが、ぼくは芸術という取り止めもない価値を読むのは自分の感性以外にないと信ずる者ゆえ、いつかの号でピカソが鳥山センセと出会ったら弟子入りを願うかもと書きました。ぼくはだいぶ前からシンセサイザー喜多郎平山郁夫は政治利用されたのであろうと思っています。絵にも音楽にも、そこにあるのは砂漠の観念的な美しさであり、醜の部分が丁寧に除去されているからです。影をもたない光は光ですらありません。

 

生きものシリーズが

あらぬ方向に来てしまいました

次回イリオモテヤマネコに戻ります

210326記 つづく