ヤマネコ注意看板 170707
この角度この構図で森に棲むヤマネコの写真を撮るのは至難の業です。軽い望遠レンズを使っているようなので近場から狙った一枚すなわち保護されたイリオモテヤマネコを飼育場で撮った写真でしょう。
横塚眞己人氏が撮ったイリオモテヤマネコ
「日本遺産№25」2003年朝日新聞社発行の表紙
撮影 横塚眞己人
「日本遺産№25」p14より
被写界深度が浅いのは大砲みたいな望遠レンズのせい。ピントは瞳にジャンと合っています。ハブと蛭とマラリア蚊が守る太古の森を大砲と三脚を抱えて歩き回っただけでも恐れ入りますが、地元民さえ滅多に見ることのないヤマネコの居場所を突き止め、テントを張り、夜を徹してねばった一枚なのでしょう。丸い耳、白いアイシャドー、毛並みの色艶、肉体改造を終えた大谷翔平選手のようにたくましい腰まできっちり捉えています。
横塚眞己人氏が西表島に滞在したのは1985~1994年の間だからまだデジタルカメラは出回っていません。当節のデジカメはISO感度10万超というほとんど赤外線暗視装置のようなものまで発売されていますが、この写真が撮られたころのフィルム感度はISO1600あたりが限度ですから木の下闇でブレのない写真を撮ろうと思えばそれなりの設定が必要です。しかもチャンスは一度きり。プロは汗を見せないのが原則なので氏は撮影に関する説明も弁明もしませんが、「西表島ヤマネコ騒動記」小学館文庫を読めば、この一枚を撮るために費やした時間とエネルギーが想像されます。
「西表島フィールド図鑑」p72より
イエネコだって木に登る
ぼくもちょいちょい柿の木の上で
爪を研ぐハナちゃんを撮ります
が、どうやっても緊張感が乗りません
これは森で撮ったプロの絵
構図よしピント露出もドンピシャ
必要にして充分な条件が揃っています
若き横塚眞己人氏は西表島で写真集をつくろうと思い立ちます。思うだけなら誰でもできますが、宿は? 期間は? 費用は? 出版社と交渉し、ツレを説得する殺し文句を考え、村人の不作法な目に耐える強い精神を養い、成功した今なら何とでも言えるが海のものとも山のものとも付かない当時は、気の利いたピッピー程度にあしらわれたこともあったはず、まあ青春とはそのようなものであり、なればこその若い力で切り拓いた写真集なのだろうと拝察します。ヤマネコに限らず「西表島フィールド図鑑」に置かれた鳥、虫、樹木、草花の一枚一枚が、よくぞこの瞬間を、この光、この構図で捉えたものだと感心します。世によくある誰が撮ったとも知れない写真を欠伸しながら散らした図鑑とは一線を画しています。
「西表島フィールド図鑑」p70より
水に入ったヤマネコ
「日本遺産№25」p15より
イエネコは水を怖がりますが
ヤマネコは川を渡ります
浦内川観光船の船長さんによると、
この仕事を10年ほどやっているが
ヤマネコを見たのは1回きり
「子連れで泳いでいた」そうです
そのヤマネコが水に入る瞬間を狙って
シャッターを切った写真家の執念に敬服します
観光旅行でたまたまヤマネコに出会うことはあっても
偶然を定着させたプロの絵は別次元です
「西表島フィールド図鑑」p71より
尻がたくましく尾の長い
気配を察し振り向いた瞬間
上下の木部が緊張感をつくり
読者はヤマネコの瞳に誘導されます
ヒトとネコの視線がぶつかり
散った火花が芸術としたもの
写真に絵画性がなければパラパラめくってハイおしまい
じっくり目を止めて考える気にはならないでしょう
図鑑だから観察条件が揃えばよいとするのは
安物図鑑ないし学校教科書に見られる低い文化です
息を詰め、一瞬のチャンスに人指し指で反応した写真集をゆっくり捲っているうちにふと、写真ってレンズを透かした俳句だなと思い至りました。松尾芭蕉は、和歌も連歌も絵も茶も通底するところは同じ→「西行が和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり」と断じました。とすれば横塚眞己人は認識の道具としてカメラを追加したことになります。
横塚眞己人著「新装版イリオモテ島」p72より
新日本教育図書㏍2002年版
この仕種をみればイリオモテヤマネコも
ウチのネコと変わらんなと思いますネ
蛇足ですけど
2011年刊「西表島フィールド図鑑」はすげえ! と思いながら本棚から上記1987年初版の「新装版イリオモテ島」を取り出したところ意外にも素人っぽい写真が散らかっているので、あれッと思いました。プロ写真家だって初めは素人です。編集方法を含め横塚眞己人30歳の作品が若いのは当たり前かも知れません。(上の樹上で顔を洗うヤマネコは別ですが)
ヤマネコバッグとツーショット^^
ワケありで耳がげじげじの
ハナちゃんでした
210407記 つづく
どーでもよいことですが
2001年に買ったHondaのナンバーを51にしたら
知らない人が寄って来て野球話で盛り上がりました
いつしか年は過ぎ車も選手も世代交代し再び
はるか昔の歴史が掘り返されています
次のToyotaは17番にしようかなと…