ひとり旅 211217 対馬沖海戦から(1) 平和 和平 憲法9条 台湾有事

 

 

 

f:id:sakaesukemura:20211217100200j:plain

バルチック艦隊の航路 ネットより

 

バルチック艦隊を発見した宮古島の漁師5名が、サバニで石垣島平久保にたどり着き「敵艦見ゆ」の電報を打ったのは、1904年(明治37年)5月23日のことでした。東郷平八郎率いる連合艦隊が、対馬沖海戦Battle of Tsushimaにおいてロシア太平洋艦隊に圧勝した経緯は1400万部も売れたという司馬遼太郎著「坂の上の雲」に詳述されています。

 

400字詰め原稿用紙換算5000枚を超える大著に描かれた秋山真之参謀とその周辺の人物絵巻は、日本人にとって小国日本が大国ロシアに刃向かって圧勝した胸のすく戦史ですが、ロシア人にとっては思い出したくない悪夢でしょう。             

 

 

f:id:sakaesukemura:20211217100232g:plain

アジア太平洋戦争時の戦域図 ネットより

 

それから38年後の1942年(昭和17年) ほぼ同等の戦力をもつ日米の空母機動部隊がミッドウェー海域で衝突し、日本軍は空母4隻および艦載機290機を失い、太平洋を挟んだ日米戦争における敗北への転換点になりました。

 

敗戦後の日本は、アメリカ圏の一員として経済の成功を得ましたが、国家存立の基盤たる防衛を米軍に丸投げし、国民は法制度とりわけ教育に仕掛けられた悪意によって武を削がれ、精神の深部において弱体化しました。

 

Peaceの訳語として造語された「平和」は、武力を排除したところに生れる静的な概念です。敵も味方もなく宗教的な安らぎさえ含むPeace⇒平和が違和感なく使われる国は希でしょう。

 

Weblioで「平和」を中国語に変換すると「和平」という訳語があらわれます。平和が静的な状態であることに対し和平は動的なニュアンスを含みます。Peace⇒和平は双方の武力が拮抗した状態を意味し、したがって和平工作という熟語は成立しますが、平和工作は言葉として成り立ちません。平和とは工作して作り出すものではないからです。

 

戦争と戦争の間に挟まれる束の間の安定がpeace=和平であり

双方とも武力を持たぬ絶対的安寧がPeace⇒平和であると捉えれば

世にも不思議な憲法9条「非戦」の論理?ないし情緒?が

説明できるのではないでしょうか

 

日本国憲法第9条

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

 

要するに、戦争はしない。戦力はもたない。戦争する権利すらないというのが憲法9条の骨です。それは人類共通の理想であり、ヒトと生れたかぎり殺し合いをするより楽しく生きる方がよいに決まっています。ただ不思議なことに憲法9条は、自国の戦争放棄を謳いながらも他国に武力放棄を求めない不思議な条文です。敵が攻めてきたらどうするのか?

 

日本国憲法前文には

「日本国民は ~ 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。

 

「平和を愛する諸国民」は「公正と信義」に満ちているから日本を襲う国はない。悪いのは日本だけだ。日本が武装しなければ世界は平和になるという片側の論理でつくられたのが、戦後GHQによって与えられた日本国憲法および憲法前文であり、敗戦国は、それをそのまま受け入れざるをえず、日本の官僚は、矛盾を承知で、翻訳作業を行ったにちがいありません。

 

江戸期260年の安寧を揺り動かしたのは

全世界を植民地化した欧米列強でした

薩摩長州で行われた英仏他との砲撃戦で

非力を悟った日本は方針転換をはかり

軍事国家に転換します

 

維新後わずか36年を経た

1894年に日清戦争

1904年に日露戦争

1937年に日中戦争とつづき

1940年に始まるアジア太平洋戦争⇒日米戦争において

大日本帝国は破滅します

 

豊かな町民文化を生んだ江戸期を「平和」の時代と呼ぶなら

明治以降は武力の拮抗による「和平」を求めた時代であり

憲法9条によって再び「平和」の時代にもどったと言えます

 

フツーに考えて憲法9条の条文は大いなる矛盾をはらみますが、振り返ってみれば20世紀後半はそれでよかったのです。第二次大戦によって世界中が疲弊し、反戦気分が蔓延し、憲法によって戦争を放棄した日本は国際紛争に巻き込まれることもなく経済に注力できました。お人好しのアメリカは、昨日までの敵国に惜しみなく技術を与え、市場を開放したので1980年代には日本一国で世界GDPの16%を叩き出すに至りました。負けた国が幸せになったのは人類史初の出来事でしょう。

 

しかし株価でいえば1989年を境に峠を越え

失われた10年」20年30年が今に続きます。

 

代わって台頭したのが、いずれ民主化するからと嘘をついて2001年にWTO加入を許されたChinaでした。あの貧しい国が「世界の工場」として富を蓄え、2008年の北京オリンピックで存在感を増し、2012年の反日暴動あたりから顔つきを変えて今に至ります。わずかな期間に貧困から金満国へ脱皮したChinaの特権階級はみずからのパワーに酔い痴れたかのごとく振る舞い始めました。

 

1989年の天安門事件の余韻もさめやらぬころ、1991年の湾岸戦争を解説した軍事評論家江畑謙介氏は1993年に執筆した「中国が空母をもつ日」でChinaの軍事的台頭を予告しました。はて、中国4000年の歴史は、内輪もめの歴史であり、欧米白人国のごとく波を蹴立てて外洋へ侵攻したことはない⇒中国が空母をもってどうすんだ? と眉に唾をつけながら読んだことでしたが、浮かぶ賭博場にすると偽ってロシアから買った空母を「遼寧」と名付け建造技術を得た2021年のいま次々と新空母を完成させようとしています。米空母のアドバンテージは航空機を発進させるカタパルトにあると言われますが、その技術をChina軍が獲得するのも時間の問題でしょう。

 

2013年6月、訪米した習近平主席はオバマ大統領に「太平洋には中国と米国を受け入れる充分な空間がある」と伝えました。ありていに言えば太平洋を中国とアメリカで半分わけしないかという提案であり、するとその間に挟まれた日本他の国々はどうなる? ふざけんなと怒りを覚えたことでした。むろんオバマ大統領は相手にせず、逆に南シナ海における「航行の自由作戦」を展開したわけですが、民主主義の本質に大いなる疑問を残したバイデンvsトランプの大統領選を経た2021年現在から振り返るかぎり、意外にもアメリカは社会主義と親和性が強く、自由を標榜する国家として磐石ではないように思われます。2009年に他界した江畑謙介氏には、政治を背後から支えるところの軍事的経緯を解説してもらいたいところでした。

 

 

f:id:sakaesukemura:20211217100251p:plain

1942年頃の最大版図  ネットより

 

1945年の日本軍の勢力地図を見ていると習オバマ会談における太平洋二分論に妙な既視感を覚えます。かつてのアジアで欧米列強の支配を受けなかった国はタイと日本だけでした。タイは自国を守っただけですが、上掲地図のごとく日本帝国は欧米列強の植民地主義を真似て極東を赤色に染めました。してみれば、この図は太平洋を日米で分けた状態ではなかったか⇒習近平主席が就任時に発したところの「中華民族の偉大なる復興」とは、この図を更に地球規模で拡大せんとしたのではなかったか、ここ10年のChinaの動きは日本帝国の足どりに似ているように思われてなりません。

 

いつしかAIIB(アジアインフラ投資銀行)という言葉は聞こえなくなり「一帯一路」は頓挫したかのように伝えられますが、Chinaによる密かな侵略Silent invasionは世界を覆う勢いです。「債務の罠」によって港湾を奪われた国もあります。かつては人力でスパイ行為をやっていましたが今はインターネットが瞬時に情報を運んでくれます。国民にスマホを持たせ、スーパーコンピュータに顔認証技術を埋め込めば、人々の時間と空間を支配できます。相手メディアを押さえれば、他国の人心操作も思いのままというわけで、第三次世界大戦は静かに進行していると考えざるをえません。

 

2021年10月26日、中ロ合同軍がこれ見よがしに津軽海峡大隅海峡を抜けましたが、日本メディアはとりたてて騒ぐ風もありません。野党は小事にこだわり、与党も大局を語らず、われら高知1区選出の中谷元内閣総理大臣補佐官(国際人権問題担当)は就任後も沈黙をつづけたままです。岸田文雄総理大臣は昨日やっと「オリンピックに参加予定はない」と言明しました。一方でプーチン大統領は参加を表明したので、文在寅大統領を含め、かつて北京の軍事パレードの壇上に立ったメンバーは冬季オリンピックに参集することでしょう。大会後の台湾・尖閣がどうなるか、安倍晋三元総理は「台湾有事は日本の有事、日米同盟の有事でもある」と発言し、習近平主席の名を挙げて警告しました。その辺りのニュースをネットで検索すると各社の思惑が手にとるようにわかります。日本メディアも深く傷ついています。

2021.12.17記 つづく

 

 

 

追記

私事ながら秋から仕事が忙しく

深夜に帰宅する日がつづいています

土日も休めないのでかれこれ2カ月ぶっ続け(~~

ものを考えるにはだらだらとした時間が要り

こんなハズではなかったがと反省しきりのこの頃です

南の島の椰子の木陰でランチちゃんと遊ぶ

亀仙人がうらやましいです