ひとり旅 220217 China編(7 インド ベトナム

 

 

 

この段「峠」でつなぐChina編です

紆余曲折しますがインド、ベトナムをだらだら描いて

Chinaに戻る予定です^^!

 

土地の者が旅行者に近づくのは胸に一物秘めているからで、それは分かっているのだけれど不逞のやからを無闇に拒否すると旅は貧しくなる。引き際を心得た上でお付き合いするのがディープな旅のコツなのだろうと、、

 

インド

1993年の夏ニューデリーの街を歩いていると靴先に異物を感じました。○○コではないけれど野菜をすりつぶしたウグイスの餌みたいなのものがくっついており、いや困ったどうしようと思っていると痩せて顔の黒いおっさんが現れ親切にも雑巾で拭いてくれました。えらく手回しがよいなと訝しみつつ「サンキュー」を言うとおっさんは物乞いの姿勢で掌を差し出しました。それで分かりました。これは2人で組んだ芝居だ。どっかに隠れていたヤツがおれの靴を汚し、次のヤツが親切めかしてカネを取る連携プレーなのだ。ふざけんなと思いながら「そんなカネあるわけねえだろ」と両手を広げて拒否すると、仕掛けがバレちまったおっさんは、だけど「まあ怒んなよ」というような顔をつくり子どもでも分かる英語で「おまえは飛行機でここへ来た。飛行機に乗れるのだからカネはある。だから」と手を伸ばしたままです。やれやれと思ったことですが、その後どうしたかは忘れました。芝居の見物料ないし参加料としてちょっとだけ渡したような気もします。

 

ニューデリーからさほど遠くないアーグラーの食堂で同行の友人と飯を食っていると兄ちゃんがふたり寄ってきました。カタコトの日本語で仲よくなり、どこに行きたいかと問うので「大学」と言ったら親指でバイクの後部座席を指しました。2台のバイクに分乗しフツーの旅人にはなかなか行けない場所を転々として日も暮れ掛かったころ兄ちゃんは「お店」へ行こうと切り出しました。ピンと来ました。ここから先へ行けばたのしい旅がおじゃんになる。事態を察知した友人が拒否の目配せをしたので、ぼくはポケットから小銭を取り出し、嫌がる彼にむりやり掴ませ、すたこらさっさと逃げ出しました。ぼくらを見送る彼の瞳には微妙な影がありました。

 

後日、高知新聞の論説員とインドの話で盛り上がったとき「いやあぼくはね」と切り出した氏は「インドで仲よくなった人たちと公園で酒盛りした。目が醒めたら財布がなかった。酒に睡眠薬が入っていたようだ~~!」パスポートと航空券がどうであったかは聞きそこねましたが「すってんてんにされて路頭に迷い地元の新聞社に相談し…」と笑い話はつづきましたが、それは振り返って言えることであって、ボケットをさぐったときの氏の顔がどんなであったかは容易に想像できます。

 

ベトナム

詐欺師とバイクには妙なとりあわせがあるらしく、2019年の夏ハノイの街を歩いているとバイクタクシーの運ちゃんが寄ってきました。彼は英単語を少しだけ知っており、語彙が尽きると身振り手振りの肉体言語で付きまといます。「ノーサンキュウ」にもめげずしつこく食い下がるので、ついに根負けし値段交渉すると日本円で1200円ほどを呈示しました。「おいおい冗談じゃねえよ」って渋い顔をしたら1000円になりました。それでも高いので「じゃ、またな」と手を振ると700円になりました。心の中でしめしめと思いながら、しゃあねえ行くかとバイクにまたがり、左手で彼の腹部を押さえ、右手で座席シートをしっかり掴んで旧市街の名所旧跡を回りました。

 

ハノイの街角バイクの洪水2019.10.16

 

ハノイには路面電車も地下鉄もなく移動はもっぱらバイクに依存します。信号は交通渋滞のもとだから大きな交差点で見かけるだけ、表通りも裏通りも洪水のごとくバイクが流れ、止むことがありません。そのバイクの群に身を任せ、ライダーと気配のやりとりをしながら道を渡れるまでにはかなりの修練を要しました。

 

詐欺師があやつる英単語には片寄りがあり、少ないボキャブラリーの大半は卑猥な英語なのでした。単語を使い果たすと指ランゲジで不謹慎なしぐさを見せます。道行く女性を見て後部座席のぼくを振り返り「オンナが(なぜかオンナは日本語なのでした)どうしたこうした」といやらしく笑い、ついには道端にバイクを停め、スマホを探ってとんでもない画像をさらしました。客たるぼくを喜ばせようとした一心なのでしょうが、真っ昼間にそんなもん見てどうすんの呆れた野郎だぜと思いながらも、いつしか電子ネットは世界を覆い、男の興味は普遍化し、スマホを持たなければ商売も猥談もできない時代であることを知りました。今や地球のどこに居ようとメールが届きます。月へ行っても火星へ逃げても電波は追い掛けてきます。恐ろしい時代になったものです。

 

その詐欺師に「じつはディエンビエンフーに行きたいのだが、どこで切符を買えばよいか分からない」と相談すると彼の目がキラリと光り「バスより飛行機の方がよい。オレが買ってやる」ということで旅行代理店に連れて行かれました。その間の微妙な精神劇を端折り、結論だけ言うと彼は、ぼくから1万円札とパスポートを掠め取るように受け取って外に出、バイクに乗りました。カネとパスポートは命の次に大切な旅人の宝です。ベトナムで1万円は安くないカネだし、パスポートは偽造できるかもしれない。奴が戻って来なかったらどうしようかと不安に駆られ、みずからの不明を恥じました。

 

結論をいえば、小さな代理店では円が使えない⇒銀行でドンに両替するにはパスポートが要る⇒だから円とパスボートをもって出た⇒戻ってきた彼は代理店の窓口にドンとパスポートを差し出し、無事ディエンビエンフー行きの航空券が手に入ったという経緯でした。

 

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ディエンビエンフー空港 20019.10.17

山の向こうはラオス

 

なぜ見も知らぬ彼を詐欺師と呼ぶかといえば1万円のお釣りがもどって来なかったからです。後日ハノイディエンビエンフー間の正規料金? を調べたところ1万円近い値段ではありましたが、航空料金は絶え間なく変動するものだし、事情を知る地元民が高い値段で買うわけもなく、したがってその差額は結構なものであったはずですが、そこを追求すると作り笑いで逃げられました。このヤロと思いながらも旅が破綻するほどのカネではなし、パスポートは返ってきたことだし、苦笑いして別れました。その後サギシとは英語⇒機械翻訳でメールのやりとりをし、いつかまた会おうと約束したことでした。

 

 

以下たまたま出てきた内陸の田舎町

ディエンビエンフーでの料金日記です

滞在費はざっくり以下のごとくでした

 

ホテルは広々としたお部屋にダブルベットがでんと坐った快適な空間です。朝食付きで2500円ほど。東京でこの値段だと場末のドミトリーでも厳しいでしょう。▼今日は道端で買った茹でピーナッツ、チマキ、サトウキビ、締めて200円のお弁当を700円/日で借りたバイクのハンドルにぶら下げて標高1000mほどの峠を越えました。晩飯は食堂でチャーハン+野菜炒め+スープ=200円。対仏激戦地の遺跡の入場券が70円⇒3670円の一日でした。▼あすは標高1500mのサパに行きます。Booking comで宿を探していたら1泊290円朝食付きというドミトリーがありました。いくらなんでも290円で朝メシ出していいの?と思うので覗いてみます。▼フツーにベトナムを歩いて宿代2〜3000円+飯代1000円+足代1000円=5000円/日くらいのものですね。2019.10.20

 

2022.02.17記 つづく