ひとり旅 220323 ロシア編(3 伊藤栄樹 人は死んでも生きている

 

 

 

 

 

「人は死ねばゴミになる」という間抜けな標題の本を書いた検事総長がいます。ぼくは火葬、土葬、仏式、神式、無宗教とさまざまな形の葬儀に参列してきましたが、別れの儀式は最善を尽くすのがこの世の決まり、花に包まれた棺を前に参列者は厳粛な振る舞いを求められます。滅びた肉体が「ゴミ」なら焼却場へ送ればよいわけですが、火葬場へ向かうのは肉体がまだ人間であるからでしょう。

 

 

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ひとは、この世とあの世、肉体と霊魂の二元論で語られます。しかるに検事総長ともあろう者が、怪しげな宗教にとりこまれ、ヒトに霊が宿り、肉体を離れた魂が死後も浮遊するなどと考えることには問題があるからかどうか、あるいは職業上みずからの肉体を「ゴミ」という唯物論で縛り、あの世は「ない」とした方が合理的であったからかどうか、伊藤栄検事総長遠藤周作の「眠れぬ夜に読む本」から、死後のもうひとつの世界の存在を示唆したキューブラ・ロス女医の「蘇生者」(医師による死の宣告後、息を吹き返した人たち)の言葉を孫引きし、

 

「キューブラ・ロス女医は『我々に先だって死んだ愛する者と死によって再会できるという希望は、大きな悦びになるはずだ』としておられるが、私には、乱暴な言い方をすれば、死んだ後までこの世を引きずられてはかなわんなあ、という気さえする。キリスト者である遠藤周作氏と無宗教者の朴念仁・私との感覚の差というべきか」 (伊藤栄樹著「人は死ねばゴミになる」新潮社p55)

 

と、生死の堺を明確に分けておられたようですが、なんと浅い人間理解だろうと呆れます。死した肉体が焼却されCO2と化しても、人が生きた記憶は後世に伝わります。肉体は「ゴミ」になっても検事総長の足跡は後輩に引き継がれ、意識として残存するわけだから、人は死んでも生きているのです。そのような意味で「検事総長さん、あんたまだ生きとんのよ、どっかで怪しい思想を吹き込まれたんちゃう?」と申し上げたいわけです。

 

以上、全文通読せずに意見を吐くのは気が引けたので図書館で本を借りて読みました。かつて本屋に積まれた「ゴミ」なる標題を初めて見た瞬間ぼくは目をそむけた記憶をもっていますが、今にしてまじまじと活字を追ったところ「私のがんとの闘い」という副題をもつ本書は、死期を悟った検事総長が、ロッキード事件他の職務上付き合った人々に別れの言葉を述べ、愛する妻への労をねぎらう真摯な書であることが分かりました。

 

伊藤氏は「死んでいく当人は、ゴミに帰するだけだなどとのんきなことをいえるのだが、生きてこの世に残る人たちの立場は、全く別である。僕だって、身近な人、親しい人がなくなれば、ほんとうに悲しく、心から冥福を祈らずにはいられない」(同書p54) とする当たり前の人間感覚の持ち主でした。思いますに「ゴミ」なる標題は、上記引用部の「ゴミ」をヒントにした出版社の創作かも知れません。

 

書いた本人の意図より販路拡大を上位に置く出版業界ではよくあることらしく、とりわけ本屋のビジネス書コーナーには、おっとこれがたまるかというほど下品なテーマが並びますが、手にとって活字を追えば至って真面目な論文であったりします。検事総長さんは、無神論者を装っていますが、そもそも神とは何かとフツーに考えたとき氏にとっての神は、仕事を共有した仲間であったり、優しい妻であったりするのではないでしょうか。

 

プーチンロシア正教の敬虔な信者であり、習近平文革をひきつぐ無神論者です。そもそも神とは何かと誰も見たことのない存在を尋ねたとき議論は永遠につづく他ないので、単純に考えてぼくは、宗教とは神の前に「集まること」だと思っています。集まった人々を集票マシンに転用する独裁国もありますが、集まった人々が謀叛を起こすと大変だから、宗教の教徒であれ、芸能人のファンであれ、ヒトが参集することを禁止する国もあります。コロナは人々の分断をはかる好材料でした。

 

そこへいくと八百万の神々は選び放題、政治的発言をしても当局に睨まれるおそれはなく、若い女性がほろ酔い機嫌で夜の街を歩いてさえ不安がない日本はわるい国ではないと思うのですけれど、甘言を弄して日本を壊そうとする人たちがいることに深い疑念を覚えます。

2022.03.23記 つづく

 

 

 

付記

3月23日現在ウクライナ軍は、当初の劣勢予想をくつがえし開戦後27日間に渡って持ちこたえています。スマホの自撮りやウェブカメラという新手法で撮られた光景がネットを駆けめぐっていますが、所詮はレンズという節穴から覗いた映像にすぎません。強調したいところを局所拡大し、撮り手の意図にない視野は消されるのが報道の限界でもあります。絵と音は伝えても、爆音や震動がヒトの肉体に与える現場の緊張が伝わるかといえば疑問です。だから報道番組は警戒して見るのですが、

 

英語を聞かされても分からないし、芝居がかった日本語のナレーションは鬱陶しいので、音を消し絵だけ見ているとドローンが、Uターンした車を映し出しました。遠方の黒い影の動きだから理由は分かりませんが、乗用車から降りた人物が両手を挙げた瞬間、撃たれ、崩れ落ちました。日本向けの映像なら閲覧注意かカットされる場面でしょう。芝居の演技ではないのでリアルな死が胸に迫ります。

 

3月23日ロシアのノーベル平和賞受賞者ドミトリー・ムラトフ氏が、ノーベル賞のメダルをウクライナ難民のために寄付すると明らかにしました。3月14日にはロシアのニュース番組の生中継中に反戦ポスターを掲げた女性もいます。両者とも自身と家族の危険を省みない行為です。様々な考えの人がいることにホッとします。