ひとり旅 220407 ロシア編(7 堺事件 森鴎外 高知県西部の配所 世界人口 窒素固定技術

 

 

 

 



 

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堺事件「堺表土佐藩士攘夷記」 ネットより

 

左側に仏側の軍人が並び

右側の屋根の下で切腹が行われている

南国市県立歴史民俗資料館蔵

 

江戸と明治が交差した1868年、フランス人水兵11人を殺傷した「堺事件」において土佐藩兵20名が切腹を命じられました。立ち会ったフランス人の前で次々と自刃する中、11人目を終えたときフランス公使が席を立ち、切腹という名の処刑は中断されたと伝えられます。覚悟を決めて死に臨んだ12番目の人物は、いきなり死世界から光降る世に連れ戻され爾後、仲間の墓を護りつつあの世とこの世の境を行き来したようです。土佐といえば司馬遼太郎が歴史の片隅から表舞台へ引き揚げた坂本龍馬が有名ですけれど、作家という名のタイムマシンに出逢わなかった無数の若者の魂魄は今なお草葉の蔭に漂っていることでしょう。

 

堺事件の6年前に生れた森鴎外は、事件後46年目52歳の年に小説「堺事件」を描きました。日清・日露に従軍し、のちに軍医総監となる森林太郎は、一切の感情を交えぬ筆で切腹の経緯を外科医のごとく描いています。このような文を恣意的に引用するのは失礼なので、やや長くなりますが自決部を転載します。

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元六番歩兵隊長箕浦猪之吉は、源姓、名は元章、仙山と号している。土佐の国土佐郡潮江村に住んで五人扶持、十五石を受ける扈従格の家に、弘化元年十一月十一日に生れた。当時二十五歳である。

~中略~

呼び出しの役人が「箕浦猪之吉」と読み上げた。寺の内外は水を打ったように鎮まった。箕浦は黒羅紗の羽織に小袴を着して、切腹の座に着いた。介錯人馬場は三尺隔てて背後に立った。総裁宮以下の諸官に一礼した箕浦は、世話役の出す白木の四方を引き寄せて、短刀を右手(めて)に取った。忽ち雷のような声が響き渡った。

「フランス人ども聴け。己は汝等(うぬら)のためには死なぬ。皇国のために死ぬる。日本男子の切腹を好く見て置け」と云ったのである。

箕浦は衣服をくつろげ、短刀を逆手に取って、左の脇腹へ深く突きたて、三寸切り下げ、右へ引き廻して、又三寸切り上げた。刃が深く入ったので、創口は広く開いた。箕浦は短刀を棄てて、右手を創に差し込んで、大網を摑んで引き出しつつ、フランス人を睨み付けた。

馬場が刀を抜いて項(うなじ)を切ったが、浅かった。

「馬場君。どうした。静かに遣れ」と、箕浦が叫んだ。

馬場の二の太刀は頸椎を断って、かっと音がした。

箕浦は又大声を放って、

「まだ死なんぞ、もっと切れ」と叫んだ。

この声は今までより大きく三丁位響いたのである。

 初めから箕浦の挙動を見ていたフランス公使は、次第に驚がいと畏怖とに襲われた。そして座席に安んぜなくなっていたのに、この意外に大きい声を、意外な時に聞いた公使は、とうとう立ち上がって、手足の措所(おきどころ)に迷った。

 馬場は三度目にようよう箕浦の首を墜した。

森鴎外著「堺事件」青空文庫キンドル版69%

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そのようにして次々と切腹が続き、殺害されたフランス人11名と同数が自害し、12番目の橋詰愛平が「衣服をくつろげて、短刀を腹に立てようとした」とき、立ち会っていたフランス人が退席したことにより切腹は中断され、橋詰は納得のいかない一命をとりとめたと綴られます。

 

 

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堺事件 wiki

 

切腹とは何か?

フランス人水兵を射撃、殺害した咎をもって「下手人二十人差し出すよう仰せ付けられた」土佐藩兵は「死刑」になるより「フランス軍艦に切り込んで死のう」「一同刺し違えて死のう」と死のかたちを案じた結果「死ぬるのは構わぬ。それは兵卒になって国を立った日から覚悟している。しかし恥辱を受けて死んではならぬ。そこで是非切腹させて貰おうと云うことに、衆議一致した」(同書)そうです。

 

死には様々なかたちがありますが「切腹」となれば通常の自殺とはちがう強い意志が試されます。かくも恐るべき自害法が他国にあるかどうか寡聞にしてぼくは知りません。「恥辱を受けて死んではならぬ」ことから名誉のために切腹を選んだことが堺事件の本質であり、森鴎外はまさしくそこに注目したのでありましょう。

 

名誉とは何か?

自分より家族⇒仲間⇒ムラ⇒マチ⇒国家共同体の存続を願う気持ちは(じつは)誰もがもっています。寄り添う共同体のために命を捧げ、共同体から尊敬を得れば、死したのちも故人の名誉は存続します。名誉は時間軸のなかに在るわけです。堺事件の20名が「死刑」でも「切り込み」でも」「刺し違え」でもなく「切腹」を選んだのは、死の空間において個の恨みを晴らすのではなく、名誉をもって大いなる存在に寄り添ったからでしょう。

 

そういった思考の延長線上で大戦末期に「特別攻撃」が着想され、飛行機、高速艇、潜水艇が使われ、あるいは「万歳突撃」といった自滅作戦が展開されました。退路を断って死に向かう「特攻」は日本人の発明であり、(おそらく)その特攻にヒントを得、自死を覚悟の上で他者を巻き込む中東の自爆攻撃が展開されたのであろうと思われます。死をふたつに分けるとすれば、恨みを晴らす個人の死と、共同体に寄り添う名誉の死があります。

 

 

▼以下、高知県西部の地理に詳しい人のために

覚悟した死から生還した9人は「浦戸の港に着いた」「松が鼻から西、帯屋町までの道筋は、堺事件の人達を見に出た群集で一ぱいになっている」「南会所では目付けの出座があって、下横目が三箇条の達しをした。扶切米召し放され、渡川限西へ流罪仰せ付けられる」「実子のないものは配所に於いて介補として二人扶持を下し置かれ、幡多中村の蔵から渡し遣わされる」「九人のものは流人として先例のない袴着帯刀の姿で出立したが、久しく蟄居して体が疲れていたので、土佐郡朝倉村に着いてから、一同足痛を申し立てて駕籠に乗った。配所は幡多郡入田村である」「横田一人は西へ三里隔たった有岡村の法華宗真静寺の住職が、俗縁があるので引き取った」「入田村は夏から秋にかけて時疫の流行する土地である。八月になって川谷、横田、土居の三人が発熱した。土居の妻は香美郡夜須村から、昼夜兼行で看病に来た」

 

上記、「浦戸」湾は拙宅の裏手に開け、ぼくは「帯屋街」から「宝珠院」脇を抜け「夜須」の手前の仕事場へ通っています。「朝倉」には高知大学があり、四万十市と改名された幡多「中村」の「入田」村は四万十川沿いにあります。四万十市宿毛市の境の「有岡」に真静寺があると知ったので帰省の際は寄ってみます。「妙国寺で死んだ十一人のためには、土佐藩で宝珠院に十一基の石碑を建てた。箕浦を頭に柳瀬までの碑が一列に並んでいる」とあるので先日28番札所大日寺入口にある宝珠院を訪ねましたが、それらしい碑は見当たらず、問うにも人影はなく、清められた札所がひっそりと佇んでいるばかりでした。

 

罪人が向かう遠流の地は「伊豆、安房佐渡隠岐、土佐」が代表格?です。鎌倉時代承久の乱において、敗れた後鳥羽上皇隠岐島順徳上皇佐渡島土御門上皇はみずから望んで土佐の西の果ての幡多郡に配流されました。

 

島根県生まれの森鴎外は高知に来たことはないはずなのに土地の人さえよく知らぬ地名を事細かく記述したものです。評論家の小林秀雄が「晩年の鴎外は考証家に堕したのではない。彼は歴史の魂に推参したのである(記憶曖昧)」というようなことを(いつものように)高いところから下す文体で断定していますが、なるほど集めた資料を腑分けし淡々と並べた「堺事件」は鬼気せまるものがあります。

2022.04.07記 つづく

 

 

 

<2022年の現在史>

ロシア・ウクライナ戦争の影響でGold が高値に昇りつめました。

有事となれば「円買い」のはずが4.07現在1ドル123円と低迷しています。

人口1.4億のロシアは人口0.5億の韓国ほどのGDPしかなく、国民の平均所得は7万円/月ていどだろうと言われます。軍事産業のみ突出したロシアは、スマホも車も西側から輸入しているようであり、農業資源と地下資源がロシア経済を支えていると伝えられます。西側の一員たる日本政府はロシアに対し各種制裁を課しましたが、ロシアとの合弁事業である樺太天然ガス開発「サハリン2」は今後もつづけることを決めました。

 

あっと驚いたのはウクライナ侵攻後に暴落したルーブルが今ほぼ元の位置に立ち返ったことです。ロシアの武器を使うインドがロシア産石油の輸入を決めたことが大きな要因らしいです。西と東の両面作戦をとる人口14億のインド、人口13億?の親ロシア中国、およびアフリカ、南米他を合わせ、西側に対抗する新たな冷戦構造がつくられつつあるようです。世界は再び核を突きつけていがみ合うのでしょうか。

 

ぼくが生れたころ世界人口は25億ほどでした。それが2000年に61億、2022年の今はなんと78億!  2050年には97億に達し、2100年に110億で頭打ちになると予測されます。わずか一世代のうちに人口が3倍にふくれるなんて信じがたいことですが、1972年にローマクラブが「成長の限界」で予測した人口推移とだいたい同じ形のグラフを描いたことに改めて驚きます。

 

人口増加を可能にした理由をひとつだけ挙げよと言われたら「石油」と答える他ないでしょう。燃料と化学製品が文明を支えていることは疑いようもありません。食糧生産を可能にした理由をひとつだけ挙げよと言われたら、1906年にドイツのハーパーとボッシュが空中の窒素固定技術を開発したことに起因すると農業関係者は言います。

 

ウチはトマト農家です。China産の肥料袋をほどいてタンクにぶち込み、仕上げに劇物の硝酸液(触れたら大火傷)を入れるのですが、窒素リン酸カリの三要素を水に溶かして根に送るとあら不思議、真っ赤なトマトが実を付けます。これって鉱物を使った化学実験みないたものですが、その向こうに生命体のヒトがいます。合成肥料がどんどん人口を増やし、かくて地球はヒトで満杯になり、土地をめぐっていがみ合い、ウクライナ(のみならず世界各地で)争いが絶えません。もしも地球が木星くらいデカければ100億が200億になってもどってことないのになと思ったりします。