謹んで
安倍晋三元総理大臣の
ご冥福をお祈り申し上げます
ネットより
「ドナルド」「シンゾー」と呼び合った
米前大統領は7月8日の銃撃後、真っ先に
「彼は私にとって、そして米国にとって真の友人」
「我々はみな、晋三と彼の家族のために祈っている」
と心のこもったメッセージを届けてくれました
2016年の米大統領において当選確実と言われたクリントン候補が破れ、トランプ大統領が就任した直後、安倍総理はワシントンへ飛び、祝いの言葉とともに個人的関係を結びました。あまりの変わり身の速さに政治的意図が透けて見え、ひとりの日本国民として恥ずかしさすら覚えましたが、8年つづいたオバマの民主党からトランプの共和党へと交替した直後、公人としての総理は、なりふりかまわずアメリカの保守と日本の保守が手を握るきっかけを狙ったにちがいありません。
ネットより
間を置かず
プーチン大統領から
以下のメッセージ(全文)が届きました。
「尊敬する安倍洋子様
尊敬する安倍昭恵様
あなたの御子息で、夫である安倍晋三氏の御逝去に対して深甚ある弔意を表明いたします。 犯罪者の手によって、日本政府を長期間率いてロ日国家間の善隣関係の発展に多くの業績を残した傑出した政治家の命が奪われました。私は晋三と定期的に接触していました。そこでは安倍氏の素晴らしい個人的ならびに専門家的資質が開花していました。この素晴らしい人物についての記憶は、彼を知る全ての人の心に永遠に残るでしょう。
尊敬の気持ちを込めて ウラジーミル・プーチン」 (佐藤優訳)
「ウラジーミル」「シンゾー」と互いに名を呼び政治と経済を語った両者は、都合27回も会見しており、プーチン大統領は安倍総理の故郷山口県に滞在したこともあります。その交遊から導かれた感情の言葉から、ウクライナ侵攻を命じた恐ろしげな顔とは、別の表情がうかがえます。人の心は読めませんが、外側から推察することはできるでしょう。読書家のプーチンはドストエフスキー、トルストイ、プーシキン等のロシア文学に親しんだそうです。KGB出身の冷えきった瞳の持ち主と、書を片手に窓際でもの思いにふける人格が、ひとり人物の中に同居し、かつ矛盾をもたないのが人間としたものです。
ネットより
やや遅れて
メッセージが届きました。
「安倍元首相は在任期間中に中日関係の改善に努力し、有益な貢献を行った。私はかつて安倍元首相と新しい時代の要請にふさわしい中日関係の構築について重要な共通認識に至った。安倍元首相の突然の逝去に哀惜の念に堪えない」
人民網日本語版2022年07月09日
習近平と安倍晋三は、メシを食ったりゴルフをしたりの仲ではありません。そもそも中国人は華夷秩序の思念で頭が一杯であり、日本国総理大臣といっても北京から遠く離れた島の王が皇帝のもとへ朝貢に参ったくらいに(思う)(思いたい)(思うべき)なので、どこか学校の先生が生徒を評価するような冷たい文面です。
独裁者が原理の虜となったとき正論を無視して主義主張がひとり歩きします。一旦ゼロコロナを命じたかぎり撤回することはならず、どう考えても医学的に矛盾する都市封鎖を今なお続けていることも中華的原理主義のひとつの証左でしょう。独裁は時として効率的ですが、方向を誤ると修正が利かないようです。
中華とは北京を中心とする支配の構造を意味します。ピラミッドの頂点に皇帝が座し、その支配域は皇帝が意識する範囲に及ぶので、地球がネットワークで結ばれた今は国境などなく、人類全てが序列下位に置かれたことになります。(ふざけんなとまあ思いますけどネ) 習近平が国家主席に就任したあと発せられた「中華民族の偉大な復興」は、強大な軍事力を背景に形をとりつつあり、紆余曲折はあるにせよ「一帯一路」という名の世界統一思想は動いています。煽りを喰らってスリランカは財政破綻し大統領は逃亡しました。ラオス、ビルマ他、南太平洋、アフリカ諸国も風前の灯火ではないでしょうか。
トップの首をいつでもすげ替えられる制度が民主主義であるなら、独裁主義はトップの人格が国民の人生を方向づけする強圧的制度と呼べるでしょう。それでも独裁者プーチンはドイツ語にも堪能でゲーテやハイネの詩を好んだらしく、いくらか救われますが、不幸なことに青年期の習近平を取り巻く読書環境には毛語録しかなかったようです。
ぼくはプーチン・習近平と同年齢なので、自分史を基準に中露の現代史をながめられて便利です。「農業は大寨に学べ」というスローガンを高知新聞で見たのは中学生か高校生のころでした。子ども心に「なんか変やな」と思ったことを記憶しています。高校を卒業し埼玉県で読売新聞の配達員をやっていたときモンゴルで墜落死した「林彪の逃亡未遂事件」が一面に踊りました。配達仲間は「権力闘争」を話題にしていましたが、ぼくは意味がわからず、読売本紙+報知新聞⇒270部ほどを自転車に積んで出かけたことでした。
学生運動の残り火がくすぶっていたころ露店の棚に赤い毛語録が並べられていました。中国現代史が専門の教授が「富農と貧農」という対立構造をもって進行中の文化大革命の内実を得々と語っていましたが、文化を革命するとどうなるかについては教えてくれなかったように思います。新宿駅にたむろする若い活動家たちに囲まれ、当時流行りの語尾をはね上げる口調で「体制内的人間はア 間接的戦争加担者でありイ」と大いなる理想に陶酔した演説を一方的に聞かされたこともあります。大学の教室で同級生女子に声をかけられました。ひょっとしてオレにと怪しい感情が湧きかけたころ「成田へ行きません?」と誘われて醒めました。彼女がより魅惑的な女性であったらオルグされていたかもしれません^^
じゃあねと別れてがっかりし新聞配達をしていたころ知り合った若い警察官を思い出しました。機動隊として成田で勤務し、交替した直後に「死亡事件が起こった」そうです。彼と一緒に「浅間山荘事件」のテレビを見たこともあります。同じ報道に接しても、新聞配達員とちがい、見る目に緊張感が漂っていました。
その「成田闘争」「浅間山荘事件」をNHKが再放送しました。見事な映像を延々とつなぎ視聴者を引っぱりますが、なぜ成田に空港をつくってはいかんのか? なぜ山荘でドンパチやらんといかんのか? がどうしても分かりません。現象を描いて本質を隠すのがNHKの使命と見た今は、大谷翔平の生中継しか興味がありません。▼今から9勝目を賭けたアストロズ戦です!
2022.07.14記 つづく