喜多方から西会津へ向かう山中で
小町塚に出くわしました、案内板には
「歌風は情熱的で奔放また美人で有名である」
「年老いて出羽に赴く途中、病のためここで没した」
と記されています
誰が決めたか世界三大美女は
小野小町は秋田の生まれ⇒秋田といえば
秋田美人⇒八郎潟の田んぼには
「アキタコマチを食べて美人になろう」
という幟がはためいていました
小町伝説にあやかった
ちゃっかり商法です
その小町塚は福島のみならず
京都、滋賀、愛知にもあるそうですから
死してなお美人はひっぱり蛸です
しかしそもそも美女とは何か?
美は独立して存在することはできず
美女とオトコは互いに関係しあって存立するワケだから
美女をつくるのはオトコの視線ないし幻想といえます
小野小町 ネットより
いとせめて恋しきときはむばたまの夜の衣をかえしてぞ着る
(恋しい人の夢を見るため夜着の裏表を返して寝よう)
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
(やっと逢えたのに夢なら覚めないでね)
かぎりなき思ひのままに夜も来む夢路をさへに人は咎めじ
(まさか夢の中の逢瀬まで咎める人はいないだろう)
恋する乙女の「情熱的で奔放」な歌い振りではありますが、歌われたのは、かなわぬ恋、人目を忍ぶ恋であり、空想で組み立てた夢の恋ではあります。というより逢瀬が実現したのであれば歌う理由もないわけで、手を伸ばしても届かぬところに切ない橋を架けるのが恋の歌ともいえるでしょう。
小町塚 2022.08.01
今はとてわが身しぐれにふりぬれば言の葉さへに移ろいにけり
(きれいだねかわいいねって言ってくれた彼の心はいつしか変わり)
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
(花はうつろい、時はながれ、老いは迫り)
謡曲「卒塔婆小町」は、若さと老い、美と醜をことさらに対比させる中で、往時をなつかしみ、今を嘆く能舞台です。美貌を誇る若き日の小町を慕い「深草少将は、小町に恋心を打ち明けたのですが、小町は百夜私のもとに通ってきたら、あなたの恋を受け入れましょうと言い、毎夜通わせました。深草少将は九十九夜まで通いましたが、最後の一夜を通う前に死んでしまい*」その怨霊に取り憑つかれた小町は老いさらばえた今も苦しむという話です。*ネットより
卒塔婆小町 ネットより
ほぼ動きのないシテと
笛と鼓の繰り返しで始まる能舞台は
何度打ち込んでもシュートが決まらず
応援席にストレスが溜まるサッカーに似ています
そこをこらえてねばっていると同点弾
逆転弾にお目にかかれます^^
https://www.youtube.com/watch?v=Ql39akncC5s
若いころはとりたてて関心のない話でしたが
幼なじみの同級生が逝き、家族のネコとも別れたこの年
逃れられないリアリティーをもって迫ります
2022.12.07記 つづく
追記
マイケル・ジャクソンがお忍びで来日し
能を観劇したさいシテの水平の動きに感ずるものがあり
そこからムーンウォーカーが生まれた…
というのはぼくの勝手な空想ですが^^!
であったらば愉しい話ではありますネ
https://www.youtube.com/watch?v=Hxgo-Qu-ZZE&t=8s