ひとり旅 221231 日本所々(13) 承久の乱E  新古今和歌集冬歌 請戸小学校

 

 

 

 

隠岐新古今和歌集 冬歌末尾

 

右の歌のお題は「海辺歳暮」

冬と春が交替する年の暮れ

寄せては返す波に濡れ、涙とともに

過ぎゆく年を惜しみました

 

行く年を雄島の海人(あま)の濡れごろも重ねて袖に波やかくらむ  (藤原有家朝臣)

 

諸行無常は世の常、時は去り、人は老いてゆくわけですが、それはさておき素潜りファンとしてはちょっと気になるのです。正月元旦の朝、車の窓ガラスの霜を払い、お師匠さんにもらった頭部つなぎのウェットスーツに5㎏の鉛を腹巻してサンゴの海に潜ったことがあります。海水温が最も下がるのは3月なので正月の海は見た目ほど冷たくはないのですが、それでも冬は冬、お師匠さんから「低体温症に気をつけろ」とメールがありました。

 

黒潮洗う高知県でも寒いのだから宮城県は寒流域の12月に厚手のゴムではなく綿の「濡れ衣」で海に入り風に吹かれたらヤバイんちゃう? と体験的に思います。都で暮らす朝臣ともあろうお方が真冬の海でアワビ採りなんかするわけないのでこれも頭で描いた観念的な歌なんかなと…

 

 

福島県浪江町「震災遺構」として保存された請戸小学校 2022.07.31

 

隠岐新古今和歌集では省略されていますが

定家が編んだ新古今和歌集には

藤原有家につづき寂蓮法師の歌が置かれています

 

老いの波越えける身こそあはれなれ今年も今は末の松山  (寂蓮法師)

 

津波は「末の松山」に達し、年は暮れ、

人生の終わりも近づいた南無と暗い解釈をしておきます

(暗すぎるのが隠岐本で削除された理由かなと)

 

 

当日のまま保存された請戸小学校の教室 2022.07.31

 

歌を単体で詠めば31文字のなかに

意図するすべてを投入せねばなりませんが

本歌取り」してイメージを膨らませる技もあります

以下は、その本歌

 

きみを置きてあだし心をわが持たば末の松山なみも越えなむ (古今集東歌)

 

キミのこと大好きだよ 浮気なんかしないよ

そんなことしたら津波が「末の松山」を越えてしまうから

と男女の愛を明るく詠んだ素朴な歌です

 

 

請戸小学校に掲示されていた祈りの写真 2022.07.31

 

同じく「末の松山」に想を得た

定家好みのややこしい言い回しの歌が

百人一首42番に置かれています

 

契りきなかたみに袖を絞りつつ末の松山浪こさじとは  (清原元輔)

 

別れの涙で袖を絞って約束したよ

津波が来たって「末の松山」は越えないから

つまり浮気せんから心配すんなと言いくるめたわけですが

いきなり弁解がましいような気も^^!

 

新古今和歌集」「隠岐新古今和歌集」とも冬歌末尾は

定家の父「皇太后宮大夫俊成」の歌でしめられています

 

今日ごとに今日や限りと惜しめどもまたも今年に会ひにけるかな (藤原俊成)

 

日の暮れ、年の終わりは寂しいものですが

一夜あければ朝になり今年が始まるので

元気出して頑張ろうと

新たな年を言祝いだ歌です

 

みなさまには

良いお年をお迎えください

2022.12.31記 つづく