230304 ひとり旅 日本所々(23) 承久の乱O 土御門天皇 土佐國の幡多といふ所 幸福の科学

 

 

 

 

 

高知県黒潮町白浜 2022.12.12

 

高知県西部の幡多地域は東京からの時間距離が日本一長い田舎です。そのむかし「東京サ出て」新聞配達し浪人し2年ぶりにお顔がアンパンマンみたいな新幹線に乗りました。土讃線でガタゴト揺られ黒潮町(旧佐賀町)白浜の海がひらけると「ああもんてきたぁ」と体が喜んだことを覚えています。鮭が故郷の川を知るようにヒトもまた生まれ育った土地に不思議な愛着をもちます。

 

 

黒潮町入野の浜のサーファーたち  2022.12.12

 

波に浮かぶ黒い影が見えるでしょうか?

太平洋にむけて両手をひろげた土佐湾

至る所に砂浜をつくり、波を呼び、ヒトを迎え

道の駅にはウェットスーツがぶら下がり

渚は年がら年中サーファーで賑わいます

 

 

高知県幡多郡下ノ加江布海岸 2013.12.19

 

高知県西部の布海岸もサーファーに人気の砂浜です

写真は12月、南国土佐でも冬は寒いのですが

沖に低気圧がある日は水鳥よろしく

善男善女の黒い影が波間に浮かびます

 

 

布海岸 2013.12.19

 

「いくわよォ」「やったねッ」て

かわいいやりとりが聞こえます^^

 

ぼくはサーフボードで横滑りしたことはありませんが、ボードに腹這いになって波を待つサーファーが、大波にふわりと持ち上げられ、かるくGを失って、頂点から落ちるときの感覚はわかります。機械仕掛けの失速とちがい生きものの背で揺られるような気がしますね。その海の巨龍を縦横にあやつり、砕ける波に追われてチューブをやってのけた日には病みつきになるやろなと…おれも若い頃やっときゃよかった。

 

ただし波乗りにも多少の危険はあり離岸流に巻き込まれるとアッという間に流されます。バイクを停め高いところから見ているとサーフボードの黒い影が凄い速さで沖へ引かれました。目を凝らしましたが戻ってくる気配はないので警察に電話しようかと迷ったころ両手を櫂にして陸へ向かう小さな影が見えました。▼離岸流は川のように細い流れだからヤバイくなったら直角に泳げというのがダイバーの鉄則です。が、紙のテストで丸をもらった理解が恐怖の現場で思い出せるかどうかは知りません。

 

そんなこんなで

海の傍で育った者には

海の見える土地がなつかしく

海のない都で育った土御門天皇とは

ちがう空間感覚をもつはずです

 

 

高知県四万十市蕨岡 土御門上皇蕨岡御所伝承地  2022.12.12

 

承久の乱後、父後鳥羽上皇隠岐島、弟順徳天皇佐渡島へ流されました。兄土御門天皇は謀議に加わっていなかったことから鎌倉から制裁を受けることはなかったのですが、親と弟が遠島に処されたにもかかわらず自分だけ都でのうのうと暮らすわけにはゆかず「のどかにて宮こにあらん事いと恐れありとおぼされ*」求めて配流された先は土佐の西の果て「幡多といふ所*」でした。(「神皇正統記・増鏡」日本古典文学大系p276)

 

 

高知県四万十市蕨岡「土御門上皇蕨岡御所伝承地」碑文  2022.12.12

 

ここは「御所」ながら「伝承地」であり

「~と伝えられている」と曖昧に記されています

 

 

高知県中村中学高等学校  2022.12.12

 

むかし中村高校いま中高連携校です

二階の教室で退屈した生徒が窓外に目をやると

道路を挟んで中村拘置支所が丸見えですこりゃ!

「よそ見しよったらいかんろ」

と叱られて生徒は良い子に育つのだそうです^^

 

 

2022.12.12

 

その拘置支所脇に

奥御前神社があります

 

 

2022.12.12

 

土御門上皇「行在所跡」と記されていますが

文末「~といわれています」の

弱々しい文言が気になります。

 

増鏡には「土佐國の幡多といふ所にわたらせ給ぬ*」とあり

土御門天皇の配流先はこの一文を根拠にしたものでしょうから

地元の者には天皇という貴種流離の行在所が

幡多のどこにあったか気にかかります。

 

そこで幡多在住の友人に

土御門天皇が幡多に滞在した証拠はあるのか?

と尋ねたところ郷土史家に問い合わせてくれました、結論は

「土御門は土佐の香美郡まで流されたことは確かだが、幡多までは確証がない」

「奥御前神社に祀られているのは土御門ではなく牛頭天王だと思う」

とやや残念なメールが戻ってきました

 

増鏡に「土佐國の幡多」とあっても

作者が現場まで付き添ったわけではないし

紙に書かれた記述が必ずしも

歴史事実を伝えるわけではないでしょう

 

800年前の大して有名でもない天皇がおれんちの近くに居たかもしれないし居なかったかもしれないことはオレとはなんも関係がないのですけども、当時の流刑地のひとつに土佐があり、その土佐も西の果てとなれば「土佐日記」の紀貫之が滞在した南国市から杣道、遍路道を歩いていったい何日かかるやら。都で悪さし連れて来られて捨てられた罪人の溜まり場がすなわちオレらの故郷だったでは嬉しくない⇒そこで隠岐島佐渡島には天皇を含む有名人が名をつらね、碑が立てられ、地元identityのよすがとして教育の中で若い子に貴種流離の物語が伝承されます。

 

探せば日本中どのクニにも偉人有名人は存在します。わが幡多郡宿毛市には早稲田大学創設にかかわった小野梓、コマツの創業者竹内綱、あるいは父竹内綱の故郷が宿毛だったという理由から何となく宿毛市出身と思われている(東京生まれの)吉田茂がいたりします。故郷って何だとマジメに考える時どうだっていい理由もまた必要なんかなと…

 

お隣の幡多郡四万十市にはなんと合同庁舎の一角に「大逆事件」で有名な幸徳秋水が故郷の偉人として祀られ? (大きなポスターが張られ)ています。その時代のその政治的意図をどう読むかはヒトにより状況によるので政治的左右の単純な二元論で説明できるわけもありませんが、四万十市民には、貴種の頂点たる土御門天皇が滞在したかも知れない(だったらいいな)という右の願望と明治天皇の暗殺計画に関与した嫌疑のもと死刑判決を受けた無政府主義者幸徳秋水を誇りに思う左の気持ちが矛盾なく同居しています。

 

ちなみに幸徳秋水は旧制中村中学校(現中村中高連携校)に進学するも事情で退学、中江兆民の学僕となり、板垣退助の「自由新聞」に勤め、田中正造足尾鉱毒事件について明治天皇に直訴したときの書状は「まず秋水が書き」等々わずか40年の生ながら派手な人生を送りました。▼彼が求めたのは「自由」であって左翼思想に溺れたわけではないのだろうと思いますが、深いところは知りません。地元の四万十市には幸徳秋水研究会があり友人も参加しているようです。

2023.03.04記 つづく

 

 

 

 

< 2023年の現在史 >

3月2日「幸福の科学」総裁にして釈迦よりキリストより上位に立つと自称するエルカンターレ(本尊地球神)こと大川隆法氏が身罷りました。神様が死んだらいかんろという筋の通った揶揄を含めネットには口さがない書き込みが山ほど掲示されています。総裁の逝去をよすがに思い出すことなど…

 

 

秋田県田沢湖  2022.07.28

 

奥羽山脈中にあるカルデラ

海抜249mなのに水深423mという不思議な湖です

透明度は摩周湖に次ぎ道路上から湖底の石がくっきり見えました

 

かつて海がよいか山がよいかととりとめもないことを論じていたとき「山がえい、登山者はかしこそうにみえる」とうまいことを言った奴がいます。磯でオキアミ(当時は使用可)のにおいをぷんつかせ目をギラギラさせて浮きをにらむ釣り師には知性を感じないというのが論拠でした。額田王の春秋優劣論のごとく、まあどっちでもよい話ですが、八幡平国立公園に連なる田沢湖はしんと静かで湖畔で水遊びする人たちの声も森の緑に吸われて気になりません。

 

 

田沢湖畔のHappy Science  2022.07.28

 

その田沢湖畔に「幸福の科学」正心館がありました

高知では見かけない洋風の建物なので思わずバイクを停め

正門周辺を歩きました

 

 

Happy Science  田沢湖正心館 2022.07.28

 

半円形の繰り返しはロマネスク様式と言ってよいのでしょう

曲線のやわらかさと平面的なつくりにほっとします

ちかごろウチの仕事場近くに出現した創価学会会館も

高さを押さえた二階建て、屋根の色も似ていますが

四角を基調としたつくりが堅苦しくやや距離感を覚えます

拙宅近くのキリスト教会は民家を改造した簡素なつくりです

エホバの証人も建築より布教に力を入れているやに見えます

 

今となっては昔の話になりますが、知り合いの女性が大川隆法著「太陽の法」をプレゼントしてくれました。若く賢く美しく性格は申し分のない看護師さんで、当時ターミナルケアで末期のがん患者を担当していました。話を聞いているうちにおれも別れのときには彼女のような人のお世話になりたいものだ。やさしく知的な瞳で手当してもらったら静かに逝けそうな気がするとずっと思って今に至ります。

 

その彼女がなんでおれのような者を訪ねて来てくれたかと言えば…大川隆法の講話を聴きに後楽園球場へ出向いた。会場を聴衆が埋め尽くした。講話に耳を傾け、一生懸命ノートをとった。涙があふれた。そこで買った本を差し上げますと感動のお裾分けに来てくれたのでした。買ってください入信してくださいと言われたわけではありませんが、美しい女性に潤んだ瞳で見つめられると心は動きますね。現場でメモったノートも見せてくれました。文字面から読み取れる大川隆法の発言にはピンと来ませんでしたが、それは現場を知らない者が文字から意味だけ抽出したからであり、彼女にとって師の言葉は後楽園球場に立ち上がるオーラとともにあったはず、現場を知らない第三者にたやすく理解できるものではないでしょう。

 

昔むかし学生のころ教室の隅でぼくの名を読んだ同級の女子学生に「成田へ行きません?」と誘われたことがあります。いわゆる成田闘争の残り火がくすぶっていたころです。なぜ成田へ行きメットかぶって石なげて空港建設に反対せねばならないのか、ぼくにはよく分からない争いでした。彼女にとって反対理由は、自明の理であり、説明するまでもないことのようでしたが、どこまで理論武装しての行動であったかは謎です。土地収容された農民の悲しみは分からぬでもありませんが、やがて成田に国際空港が建設された今、人々はその矛盾に胸を痛めることなく海外へ散って行きます。ひょっとすると彼女も成田から飛んだことがあるのではないだろうか? とすれば機上の彼女は過去の彼女をどう説明するのだろうと思ったりもします。

 

静かな空間で文字を組み合わせて考えたところで、現場の熱狂が伝わってくるものではありません。声と文字は意思疎通のひとつの手段にすぎず、語り手と聴き手の間に共通理解がなければ、感動は伝わりません。

 

その熱狂をわずかに伝える文字情報から

宗教行為を揶揄し否定することには問題があります

高いところから宗教家の矛盾を指摘すれば

書いた当人はさぞ気持ちがよいことでしょうけれど、じつは

当人自身が高いところで怪しげな「神」に変貌したのかもしれません

 

宗教行為も政治運動もアプリのひとつにすぎず

アブリの背後にはヒトの思考を方向づける生物的OS、すなわち

肉体の本能が隠されているのではないかと思うこのごろです