海事つれづれ五目めし200525 塩の道8 藻塩焼く

 

 

 

      (栴檀の写真)

 

浦戸湾の春を飾るひかえめな色合いの栴檀の花200513 

そのむかし九州太宰府に赴任した大伴旅人は豪快な酒飲みで「あな醜さかしらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む」と詠みました。「令和」の由来とされる大友旅人邸「梅花の宴」では筑紫歌壇の山上憶良を交えてたのしく盃を交わしたことでしょう。

 

         妹が見しあふち*の花は散りぬべし

                                我が泣く涙いまだ干なくに          憶良

 

太宰府の大友旅人邸にはあふち*栴檀の木があり、夏が近づくと写真のような花を咲かせるのを奥方は心待ちにしていたのでしょう。その妻が他界したとき旅人の悲しみに協和した山上憶良は「妻が好きだった栴檀の花は散ってしまったけれど俺の涙は止まらない」と詠みました。いかにも万葉的で飾り気のない感情の吐露であり、その詠み振りから山上憶良が垣間見た旅人夫妻の睦まじい様子が想像されます。

                                                * * *

その歌に「藻塩」を詠んだ恋の歌を重ね、さらにChina三大美人のひとり楊貴妃にご登場いただき、日本の恋とChinaの恋愛事情のちがいを考えた上で、塩シリーズの大団円としたかったのですが、ブログの容量制限300MBを超えて写真が載せられなくなり、文もだらだらと長引いてまとまりがつかなくなりました。そんな次第でいま真っ盛りの栴檀の花の写真は来月添付します。ブログも来月から再開します。

200525記

海事つれづれ五目めし200522 塩の道7  塩の道ウォーク(下

 

 

 

 

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この花をご存じでしょうか?

ヒントは叉が三つある和紙の原料です

 

 

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芭蕉

美しかった夏の蓮が枯れ沼で首を折る姿は破蓮ヤレハスとして秋の季語とされます。夏の栄華を知る芭蕉もまた秋になれば強い風に煽られ破れ傘のごとく葉を切り裂かれた破芭蕉ヤレバショウとして発句に荒涼たる景を添加します。春3月に無残な姿をさらす芭蕉を破芭蕉と呼んでよいかどうかやや疑問は残りますが、まあかたい話はなしにして、

 

 

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バナナリーフに雨蛙を乗せ「雨蛙芭蕉に乗りてそよぎけり」と長閑な夏の風景を詠んだのは其角です。同じ芭蕉松尾芭蕉の手にかかると

 

        芭蕉野分して盥に雨を聴く夜哉        

 

句はがらりと趣を変え、強いトルクで韻を折り、雨戸を鳴らすチェロの低音部の上でビオラとバイオリンが音の闘いをするようでもあります。野分の風が芭蕉の葉脈を切り裂く夜、盥に落ちる雨音を聴きながら孤独を味わったという句ですが、わずか17文字にこれだけの情報量を盛り込むワザは俳聖ならでは、漫画家ならこの一句でかなりのコマが稼げるのかも、やっぱ芭蕉って凄いワと脱帽です。

 

 

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山のお風呂は手で沸かす

 

 

 

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なかよしおばちゃん御一行

 

 

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終点が近づくと賑やかな色彩が迎えてくれます

 

 

 

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赤と黒はセレブの象徴ですが、紅白の組み合わせには庶民の華やいだ明るさがあります。式典に紅白幕は欠かせず雛祭りのお団子も紅白の組み合わせです。ダイヤモンド・プリンセス号が寄港した高知新港の近くには引きも切らず大型観光バスが出入りしていたお店があります。「おまんが焼きやワシが切っちゃる」というローカルな標語は鰹のタタキの宣伝文句、幸せを言祝ぐ大漁旗が水平線に昇る旭日とともにデザインされ、客足の遠のいた今も靡いています。

 

維新後の時代風潮を反映したものか、明治期のデザインはお皿ひとつ取っても見込みの中心から線が放射状に拡散するなど気合が入ったものが多いです。ところが紅白の組み合わせが円形に配されるとじめじめぐちぐちよく分からない議論をする人があらわれて取留めもない感情世界に連れて行かれます。道頓堀の巨大タラバガニさえイケナイかどうかは又の機会に、あれほんと疲れますわ。

 

 

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菜の花の向こうに紅白の雛壇160326

黒沢明監督「七人の侍」はモノクロならでは味を残しますが、色を手にしたクロサワが「夢」で桃畑の雛祭りを描いたら凄いことになりました。あの絵あの色は、ものの見方の問題なので、映像装置が進化したからといって誰にでも撮れるわけではないでしょう。

https://twitter.com/bpmas4wwhw89mip/status/1234765543283941376

とても画質がわるいです。探せば「狐の嫁入り」もあります。

 

 

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重力を中和させ空から降りてきたベジータ、左はブルマ、子どもはトランクス...^^

 

 

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色のない森の中をせっせと歩いて終点が近づくと紅白の桃が迎えてくれました。担当者の粋な計らいに感謝しながら、ひょっとすると「塩の道」をデザインした人はコース料理に詳しい人かもしれんなと思いました。

 

全行程30㎞は四国遍路の1日分+αです。けっこうダレましたが、世の中には凄い人がいるもので、この山道でマラソンをやるトレールランという競技があるそうです。ぼくはトレールバイクでダートを走るのは好きですが、12000円も払って自分の足で山道を走り廻る元気はありません。

 

たまたま出会った隠岐島出身という自衛隊駐屯地のボランティアと並んで歩き、折りあらばと狙っていた隠岐島は島前の話を聞けたのも収穫でした。願かなって昨夏バイクで隠岐島に渡り、後鳥羽上皇の神社に参拝、バイクの機動性を活かして島前島後ともほぼ全ての道を踏破しました。とはいえビデオの早送りみたいにエンジン回してすっ飛ばしたからといって何が見えるというものでもありません。旅は歩くのが一番です。

 

塩の道パンフ☞「赤岡町でとれた塩を、物部の奥地に運んだ塩の道。この道は塩だけでなく生活必需品も運ばれた重要な産業道でもあり、当時の人々の生活に深く関わっていました。 コースの中には、当時の面影をしのばせるたくさんの歴史遺産も残っています。 山々に囲まれた香美市大栃から雄大な太平洋に面する香南市赤岡までの30キロを先人の思いと共に楽しく」歩かせてもらいました。つづく

200522記

 

 

 

おまけ

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200519

桂浜の渚で汲んだ海水500ccを鍋に入れ16分ほど火にかけたら

 

 

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鍋底に白いものが見えてきました

 

 

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ペットボトルの海水を蒸発させると3%の塩分15gと苦汁が残りました。苦汁入り天然塩は舐めたら舌が痺れます。その苦汁を豆乳に入れると豆腐になるはずなので実験結果に乞うご期待です。スマホは猫の金魚掬い…

200520記

 

 

 

海事つれづれ五目めし200519 塩の道6  塩の道ウォーク(上

 

 

 

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大栃の出発点近く160326

朝6時集合、2台のバスに分乗し、漫画家の青柳裕介が「川歌」を描いた物部川を遡ると永瀬ダムのある大栃へ着きます。ここを起点に山道を30㎞ほど歩き、そのむかし太平洋の渚で塩作りをした赤岡町までせっせと歩くのが「塩の道ウォーク」毎年3月末の桃の季節に行われます。

 

 

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追剥峠160326

塩の道ウォークは民間有志、役場観光課の職員、自衛隊駐屯地のボランティアに守られ、整備された山道を行く安全この上もない健康ウォーキングですが、日が落ちれば真っ暗闇の森の中なので馬と一緒に歩いた昔は良からぬ人物に出会うこともあったのでしょう。物騒な名の立て札を見て心細かったやろなと、、

 

 

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峠を越えると青い山が見えます

分け入っても

分け入っても

青い山

と詠んだのは種田山頭火ですが、詩人はなぜ遠くの山が青いのかという理屈っぽいことは考えなかったようです。古事記スサノオノミコトの如く「青山を枯れ山なす泣き枯らし」たら植物由来の化学物質が消滅し、青は消え、砂漠のように荒涼たる風景が現れることでしょう。地球儀をぐるりと回しても、暑からず寒からず、3カ月ひとまとめの四季どころか1年を24節気で分割すれば2週間ごとに景色の変化が目に見えるクニはそう多くないです。▼5月も中旬に入り向いの山からホトトギスの「忍び音」が届きました。高知はもう夏です。

 

 

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元はと言えば由緒ある建物のようですが、人が住まなくなればたちまち周辺の樹木が成長して影をつくり、柱は朽ち、瓦は落ちて廃墟になります。この手の建物を見るとつい裏へまわりたくなりますが、さすがにこの日は遠慮しました。

 

 

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鹿くんの好きな塩化カルシウムは冬場の融雪剤です

 

 

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道案内の「塩」の字が気になるのでネットを探ると異体字が山ほどありました。古文書には見慣れない字がいっぱい出てきて読めたものではありませんが、そもそも正しい漢字というものは存在しないのです。しかし異なる文字を好き勝手に使われると意思疎通に事欠き、統一国家とは言えなくなるので、文科省の役人が字体と読みに制限を設けたわけです。漢字のテストで罰点をもらう生徒は可哀相ですが、お蔭で日本中どこへ行っても字が読めるのだから若い子の皆さんは頑張らんといかんのです。

 

むかし社会科の授業で、木簡竹簡を焼きまくり、儒者を生き埋めにした秦の始皇帝はひでえ奴だと習いましたが、秦・シナ・Chinaが天下統一するとは、この国あの国に分散した様々な字体を一本化し、度量衡を共通化することでもありました。漢字は表意文字だから発音はどうでもよく、意味が取れれば用は足ります。文字を示せば共通認識が得られ、度量衡が統一されていれば貿易が出来ます。

 

まじめな生徒は字面にやられ、焚書といえば大事な書物を焼いてしまうこと、坑儒といえば罪もない学者を殺してしまうことだと思い込んでいます。なにせ古代社会の話だから荒っぽいこともあったであろうし、そのメンタリティーは今なお大陸や半島からびんびん伝わってくるので、日本の道徳が全てじゃないぞと世界の広さに目を向ける必要はありますが、焚書坑儒の背景には文字と度量衡の共通化があったことにも意を置くべきではないでしょうか。

 

かくて秦の周辺国は文字と交易でつながり、それから1500年ほど経ったモンゴルの時代には馬に乗ったチンギス・ハンの軍勢がアジア一帯を襲い、中東から西洋まで世界地図を塗り替えました。馬の時代にこの広さを本当に領有できたのか、俄かに信じられないことではありますが、世界史の色分け地図を見るかぎり、当時のユーラシア大陸はモンゴルの支配下にあったと言えます。支配とは何か、それは武力による制圧か、あるいは交易ネットワークの構築かといった具体的な内容も問われますが、

 

そのモンゴル=元にChinaの漢人は支配され、13世紀の日本は元と配下の高麗軍に攻め込まれてヤバかったわけです。もしも太宰府が突破され大陸+半島の軍勢が日本列島を縦断していたらどうなったか、「もういちど読む山川日本史」はそのあたりの空想的検証には触れず、16世紀に豊臣秀吉が明を目指した半島出兵については従軍兵の日記まで持ち出し戦争の悲惨をリアルに描いています。歴史にifはないと言いますが、歴史の境は偶然の産物でもあり、恐れることなくifで描いた日本史を「もういちど」読みたいものだと常々思っています。

 

閑話休題、自社の社名を当たり前の文字で書いたのでは面白くないからかどうか高知新聞朝日新聞、読売新聞、日経新聞、、は社名に堂々と異体字を使っています。あれ文科省が睨みを利かす漢字のテストなら全部ペケですが、ということはどうでもよくて、

 

案内板のお馬さんは、サングラスの亀仙人が馬に変装したのではありません。土佐山田に事務所を置くデザイナー梅原真氏によるものです。四万十川沈下橋を残せと自治体に物申すため外野の声では力が弱いことから地元へ移住したり、「漁師が釣って漁師が焼いた」佐賀の鰹の藁焼きタタキを大宣伝した功労者でもあります。

 

 

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案内所の壁に貼ってあった写真の写真

この小馬がサングラスをかけたのでしょう^^ 塩袋を背負って細い山道を行くには小さな体が有利です。

 

 

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北海道日高の牧場151014

拙宅の近くに競馬場があります。馬券の買い方を知らないので夏の夕涼みに寄るだけですが、走ることに特化された競走馬の流線型は美しく、ゴール前を疾走する蹄の音は観る者の心を揺さぶります。藤田菜七子が高知競馬で走ってくれたらパチンコ台の前で辛気臭い顔したおっちゃんたちが観覧席を埋めるかもしれません。ぼくも行きます。

 

 

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北海道新冠ハイセイコー151014

むかし高知競馬にハルウララという駄馬がいました。名前からして弱そうでしたが、むしろそのことが大衆の共感を呼んだとみえ、えらく人気が出て写真集まで出版されました。ぼくの車にはハルウララの尻尾の毛を包んだお守りを入れてあります。走っても勝てない。買っても当たらない。当たらないから交通安全という三段論法で、 残念ながら赤い棒で招いてくれるお巡りさんにはちょくちょく当たりますが、大きな事故は一度も起こしていません。つづく

200519記 

海事つれづれ五目めし200516 塩の道5 藻塩焼く

 

 

 

 

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新潟県笹川流れの塩工房「藻塩」の廃材の壁130516

海水の塩分濃度を3%*として灯油のポリタンク20ℓを濃縮すると凡そ600gの塩が取れます。家庭用の風呂桶がざっくり200ℓとしてお風呂で海水浴するには6㎏の塩が要ります。浮き袋がなくても浮いてしまう死海の塩分濃度は何と30%もあるので風呂桶に60㎏の塩をぶちこんだ計算になります。大分県佐伯市の道の駅「やよい」に寄ったとき「死海の湯」を見付けました。これは凄いとまっしぐらに向いましたが、残念ながら入浴日が男女交互に分けられており当日は男子禁制でした。又の機会があれば必ず試します。(*海水の塩分濃度は場所によって異なり3.1~3.8%)

 

中型の寸胴に15ℓほどの水を張り、台所のガスコンロで沸騰させ、短く切った水道のパイプ2000本を曲げる作業をしたことがあります。たかが寸胴の水量でも弱い火力では沸騰させるだけでかなりの時間がかかるのでした。風呂の水200ℓを瞬間湯沸器で43℃に沸かすのは簡単でも、これを蒸発させるとなれば大ごとで、そこから生れた塩をガス代+人件費他を加えて値決めすればえらいことになります。

 

 

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廃材の壁130516

だから塩づくりはいかに効率よく海水を濃縮するかに掛かっており、昔の人は藻(ホンダワラ)を使って「藻塩」を焼き、得られた鹹水カンスイを土器で煮詰めて塩としたようです。

 

実はこの塩の道シリーズは、藤原定家百人一首「焼くや藻塩の身もこがれつつ」をどう解釈したものかと考えているうちにだらだらと長くなった次第ですが、いくらネットを調べても海辺で拾った藻を具体的にどう使い、どういうプロセスを経て塩を作ったかが曖昧です。なんせ昔の話だから証拠ビデオが残っているわけじゃなし、確定したレシピがあるわけでもないから古代版「藻塩」の復元を試みるみなさんは「焼く」という文字にそれぞれの経験を当てはめて愉しんでいるようです。

 

論より証拠、暇ができたら今は裏の渚で寝ているゴムボートに鍋釜積んで離島へ渡り、枯れ木を拾って「塩竈」の煙を立て「浦こぐ舟のつなでかなしも」と洒落込んでみます。声をかけたら乗ってきそうな友人が一人だけいるので仕事が一段落つきアレも落ち着くであろう夏場に挑戦します。ちなみに奴と一緒に宿毛湾から足摺岬をぐるりと廻って観光客には教えたくない美しい渚でコーヒーを飲もうとしたらペットボトルを忘れたことに気付きました。しゃあねえ海水で淹れようってことになり薪を拾って火をおこしフィルターの上から熱海水を落としましたが、塩分3%の珈琲は飲めたものではないです。

 

 

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塩づくりの作業所兼お店130516

さて「藻塩」製塩所では、海水を何らかの形で濃縮した鹹水カンスイを使っているのか、それとも原水をそのまま煮沸させているのかが分からず、ネットを渡り歩きました。下記ビデオに「15時間かけて」とありますから、やはり汲んだ海水をそのまま熱し、塩と苦汁を取りだしているようです。とすれば強い火力と膨大な薪が必要で「藻塩」のおじさんが猫車を押す薪の壁はそのための熱源でしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=IRnh0Hw9mMU

塩の値段はまちまちですが、こんな作り方をしていた日には高くて当たり前、というより塩という単一の言葉をもって古代方式の藻塩、天日塩、煮沸塩、イオン交換膜利用塩、輸入岩塩等を十把一絡げに括ってしまうのは間違いではないかという気もします。 

 

スーパーに並ぶ家庭塩の大半は、メキシコないしオーストラリアの天日塩を輸入し、それを「日本の海水」で溶解し、不純物を取り去ったあと再び結晶させています。台湾ウナギを浜名湖で一週間泳がせたら日本ウナギになるというマジックに似ていますが、今どきの日本には天日が使える広い塩田などどこにもなく、輸入すれば日墨・日濠友好のためにもなるわけだから、いささかの矛盾にこだわっても仕方がないでしょう。その成分はNaCl +諸々のミネラル入りであるところに昔のお塩の美徳が復元されているわけです。

 

それにしてもスーパーに陳列された輸入天日塩改日本産自然塩の値段に目が慣れた人には、「藻塩」や「佐賀」の手作り塩はびっくりするほど高いです。その脇で電気エネルギーを使いイオン交換膜+真空蒸発缶でじゃんじゃん作った日本海水の並塩が1㎏/100円弱という気の毒なほどの安値で売られています。塩の味なんて宣伝文句ほどはっきりわかるものではないので安ければよろしいのかも、しかし、、

 

世の中には不思議な商売が成り立つもので、価格均衡の原則を超越し、値は高いほど売れる。客は待たせるほど喜ぶという常識を逸脱したチャレンジャーが高知県田野町にいます。お会いしたことのない方なのでURLを添付するのは控えますが、ご感心の向きにはネットを探ってください。今日の野菜相場はなんぼやろと細々と農を営む者には俄かに信じられないことですが、1㎏100万円! というこだわりの手作り塩がばんばん売れるらしくバブル時代に戻ったような紹介文が置かれています。日本海水「並塩」製造所の職員が見たらのけ反りそうな話ではありますが、アレでじめじめした世の中に一陣の清風を送ってくれます。塩はいろいろ値段もいろいろでした。(つづく)

200516記

海事つれづれ五目めし 200513 塩の道4 融雪剤

 

 

愛媛県伯方の塩」の自社広告から抜粋した塩の用途を列挙します。▼浴剤洗剤として塩を使えば排水パイプのぬめりが取れる。▼塩水で陶器を煮ると割れにくい。▼塩はタンニンと結びついて茶渋を落す。▼俎板、食器、鍋、薬罐は塩で洗え。▼鍋に緑青が発生したら酢に塩を混ぜてこすれ。▼家具、調度、竹細工、籐の家具はバケツに塩を入れ雑巾をかたく絞って拭くと良い。▼日本で使われている塩の80%が一般工業用として合成繊維、革製品、ガラス、合成ゴム、石けんなどに使われる。▼塩は鉱物(ミネラル)だから賞味期限がない。▼100年以上も前に漬けられ今でも食べられる梅干しには塩がたっぷり使われている。▼飽和状態の塩は-21.3℃まで凍らないので道路の凍結防止剤=融雪剤として使われる。

 

 

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石鎚山1982m 130806

バイクで山に入るとたまに鹿と出会います。目と目が合うと一瞬の状況判断のあと後足のバネを使いスローモーションのように駆ける姿が優美です。足は風車のごとく必死カッパの形相で疾走する短距離選手とちがい、鹿は涼しげに跳ね一足で相当な歩幅を稼ぎます。何かの拍子にオリンピック100m決勝に紛れ込んだりすると夢のようなレースになるでしょう。鹿の足がつくるアーチの中をジェット桐生が駆け抜けたら面白かろうなと、、

 

鹿はいったん森の中に逃げこむと足を止め、体をこちらに向けて、木々の間からじっと見つめます。敵対する者の姿形をインプットしているのでしょう。角のない牝鹿の体を真正面から見ると腹部の大きさに比べ首が細く、頭部が小さく、耳ばかり強調されたアニメ世界に迷い込んだような錯覚にとらわれます。バイクに跨がったままエンジンを止め、鹿から目を離さずに、そっとカメラを取りだしたときには茂みの向こうに消えていました。

 

       奥山にもみぢ踏み分けなく鹿の

                   声きくときぞ秋はかなしき(百人一首

誰が発明したのか知りませんが花札には萩に猪、紅葉に鹿、牡丹に蝶の取り合わせでイノシカチョウの役があります。子どものころ不良っぽいお兄ちゃんたちが集まって畳みにメンコみたいな花札を投げていたものです。日本のヤクザは博打が大好きオッシャもろたと出したカードに紅葉の森で恋人を呼ぶ牡鹿が哀しく描かれていたりするとマフィアの皆さんはどのような感想を抱かれるのでしょうか^^

 

 

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石鎚山頂130806

その野鹿が増えすぎて今や駆除の対象となりました。剣山山系では鹿の食害が凄く、草はむしられ、樹の根元は鹿の背丈までぐるりと剥がれて枯れ木が目立ちます。さいわい石槌山系に鹿はいませんが「山道に置かれた融雪剤を鹿が舐めて塩分補給し四国山地を伝ってこちらへ向かっている」という話を山に住む方から聞きました。石槌山麓の原生的な森は四国最後の緑の砦なのでここに鹿が入るとマズいのです。

 

そのむかし狩猟を事とした縄文人は弓矢で動物を追いヤキニクにして動物の体に含まれる塩分を取り込みました。ところが弥生期に入り農耕生活が主体になると、穀物には塩分が含まれないので、塩分を海から持ち込む他ありません。やがてヒトは奥へ奥へと生活域を広げ塩の道ができました。長野県塩尻はここらへんが塩の道のどんづまりかなということで名付けられたそうです。日本各地に藻塩の道、干物の道、漬け物の道とかができたのだろうと思われます。

 

子どものころ農家はどこでも牛を飼っており、ヒトの住居と同じ棟に牛小屋が続き、牛は家族同然の扱いを受けていました。餌場の脇に砥石みたいな塩の固まりが置かれ、あの長い舌で朝な夕な舐められているうちに中心が窪んだものです。肉食動物は動物から塩分をとりこめるので、とりたてて塩分補給をしなくても問題ないのですが、草食動物には塩が必要です。鹿は強力な消化器の持ち主ですが、なんせ草食なので動物の体液や血液に含まれる塩分を取り込むことはできません。そこで元はといえばプレート活動の付加帯として海底が盛り上がった岩や土を舐め、塩分や微量ミネラルを取り込んできました。目に見えない塩の檻に囲まれ、かろうじて鹿は一定数の個体を維持してきたとも言えます。そこに人間が入り深山幽谷にまでコンクリートの構造物を配したことから、コンクリートから滲み出る塩分を摂取して生息域を広げたとも言われます。さらに車の通り道に融雪剤という名の塩化カルシウムが置かれてあったら、、敵に塩を送ってヒトがおろおろというワケです。

 

剣山につらなる三嶺の樹林に分け入るとかつて下草で覆われていた場所に土が露出しています。たまに青い花が咲いていたりするので地元の人に「あれは食べないのか?」と尋ねると「毒草だ」と。三嶺の麓にある大木には鹿が後ろ足で立っても届かない高さまでプラスチックのネットが張られています。それも半端な数ではないので地方行政にとってはけっこうな物入りでしょう。巨樹のまわりの下草は、若木を含め、きれいさっぱり食べられてしまうので次世代が育たず、やがて今ある木が朽ちれば山は禿げ山になります。

 

鹿の身にしてみれば生れたから生きているだけですが、ヒトの目には増えすぎた鹿は存在そのものが悪と映り、ジビエ料理にして喰っちまえという動きがあります。それはよしとして猟友会が高齢化した今、誰が森に入り、猟をし、鹿を担いで険しい山道を運ぶのか?「あれは重いよ」と難問山積です。

 

 

 

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北海道幌延町トナカイ観光牧場151009

高レベル放射性廃棄物の深地層研究センターに隣接してなぜかトナカイの牧場がありました。トナカイは鹿です。日本では牡鹿が角を持ち、牝鹿はかわいい耳を広げています。ところがトナカイは牡牝ともに角が生え、牡鹿の角は冬になると落ち、牝鹿の角は残るそうです。だから立派な角を振りかざしサンタさんを乗せて雪の中で橇を引くのは牝鹿ですね。(ネットは何でも教えてくれます)

 

 

 

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トナカイの親子? 151009

奈良公園で煎餅をねだったり、人目も避けず草を食むトナカイはどう撮ってもシマらないのが残念です。このあとサロベツ原野の夕暮れ時にエゾシカの群れが先を急ぐ姿を見ました。あれは野性味があってカッコよかったです。

 

 

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北海道知床半島160924

車には慣れっこのエゾシカ

 

 

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北海道知床半島160924

逃げる鹿を追いかけて撃つことは出来ても、野性とはいえ車を見ても逃げないほど人馴れした鹿を狙うとなれば猟師にも迷いが出るのではないでしょうか。猿に銃を向けると手を合わせて拝むから撃てないというウソかホントか分からない話を聞いたことがあります。

 

かつて高知市五台山「鹿の段」には公認の鹿が棲息していました。奈良公園みたいなもので観光客を見ると寄ってきて愛想を振っていましたが、ある年シカの結核が広がり、それは人間にも感染するとかで全頭処分されました。旧葉山村で本業とは全く別の養鹿事業に挑戦した社長がいます。漢方薬の鹿茸ロクジョウをとるためでしたが、これまたシカの肺炎にやられて事業は終りました。塩もいろいろ鹿もいろいろです。(つづく)

200513記

 

 

海事つれづれ五目めし200510 塩の道(3

 

 

 

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日露戦争wiki

子どものころ沢庵を漬ける塩の袋に塩化ナトリウム99..%と書かれていました。9がいくつも並ぶ純度の高い塩だから高級品にちがいないと信じて疑わなかったのですが、工業用の塩とヒトの体が求めるお塩は別ものらしく、今どきの量販店塩コーナーにNaClの純度を謳う文句はありません。逆にミネラル含有を強調した自然塩が百花繚乱で、それにはワケがあります。

 

1894年に日清戦争で勝利を収めた日本は、1904~5年の日露戦争で勝つには勝ったものの借入れした戦費は当時の国家予算の「5倍とか7倍ともいわれる膨大な戦費にのぼった*」というから戦後は、戦費返済における官僚の智恵と国民のフトコロの争いになったとまあ言えるでしょう。2020年の国家予算がざっくり100兆円×7年=700兆円と言われてもピンと来ませんが、東京都の予算が7.3兆円だから、これまたざっくり東京都民に100年間がんばってもらう計算になります。 *櫻井良治「日露戦争公債発行と返済のための相続税導入」

 

ふざけんなと言われても借金は返さねばならず「翌1906年からイギリス銀行団とユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフに戦費の借金返済を始め、すべて完了したのが1986年だった」(麻生太郎財務大臣談のネット孫引き)というから何と80年もかけて我々の税金はイギリスとユダヤに吸い取られたことになります。われら日本人は何がなんでも借りたカネは返す。泥棒してでも借金は返すという不思議なタチの民族ですが、明治期の貧乏国が国家の存亡を賭けて借り受けた戦費をどうやって返済したのか?

 

先方から塩で払えというプランを提示されたそうです。生きるために必須の塩を専売制とし税金代りに国民のフトコロからカネを抜き取る仕掛けです。むろん所得税増税、地租(固定資産)大増税、タバコの専売等も含めての話であろうし、金持ちには大問題の相続税も元はといえば日露戦争の戦費調達財源として創設されたというから、いつの時代も庶民は「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」なわけです。ちなみに石川啄木日露戦争の7年後1912年に27歳で逝去しています。

 

その国際借金を払い終えたのが1986年というから自分の青年期が支払い末期に当たります。あの頃は給料袋に入れられた現ナマを事務室でうやうやしく頂戴したものです。あらためて振り返ると初めての給料は8枚+だったように記憶しています。物価が安かったかと言えばそうでもなくて100均もない時代だから靴下1枚買うカネも惜しくビールを毎晩1本飲んだら1週間でパンクするような始末でした。ボーナスで「扇風機と自転車を買ったら無くなった」とぼやく同僚もいたりして、それはそれで青年期の貴重な経験ではありました。

 

1986年はアジア太平洋戦争の戦後41年目に当たります。援助だ協力だという美名のもとに敗戦国には戦後賠償がのしかかり、庶民の与り知らないところで日本国の富は流出したにちがいありません。勝利の代償+敗北の代償は相当なはずですが、麻生閣下の講話ではこの辺りの事情は伏せられたかと--! 

 

借金返済80年の過程において塩作りの技術は揚浜式、入浜式、流下式と変遷し、イオン交換膜+真空蒸発缶方式によって現在の製塩技術が確立しました。その結果1971年に施行された塩業近代化臨時措置法によって、昔ながらの塩田は廃止され、塩というより塩化ナトリウムと呼んだ方が正しい食塩が出回り、漬け物は不味くなりました。イオン交換膜は生命活動に必須の鉄、銅、マンガン、クロム、亜鉛といった微量元素を遮断します。たとえば塩化ナトリウムに湿気どめの炭酸マグネシウムをコーティングしさらさら感を出したのが食卓塩であり、製塩技術の進展とともにミネラル分は減少しました。その頃を境にアトピーや喘息という昔はなかった病気が流行したと言う人もいます。

 

やがて「伯方の塩」の伯方島をもつ愛媛県では「自然塩を守る会」が発足し、伊豆大島では天日と平釜を利用した伝統的な自然塩をつくる国家公認の「研究」が続きました。そのころ黒潮町佐賀のO氏は伊豆大島の研究グループと一緒に働きながら学んだのでしょう。クニに戻って佐賀で製塩を始めた当時、海水を濃縮するタワーはブロックを積み上げて風を通す仕組みでした。今は青い膜に換わりましたが、ブロックが造る円筒形のタワーには何か人の心をわくわくさせるものがありました。あれは伊豆大島のやり方を踏襲したものだったのでしょう。

 

日露戦争の戦費支払いが終わった1986年以降も塩の専売はだらだらと続きましたが、1997年にやっと塩専売法は廃止され、やや間を置いて2002年に塩の製造、販売、輸入が自由化されました。そのような過程を経て量販店塩コーナーの賑わいにつながるというワケです。(つづく)

200510記

 

 

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浦戸湾西200430

この拙ブログを眺めてくださる方に高知出身の方がおいでるようなので浦戸湾の春を添付します。仕事でダレたときにでも、、土佐日記紀貫之が55日もかけて都へ帰った出航地です。古地図を見ると昔の海はかなり奥まで侵入しており、高知市周辺に小津、潮江、船戸と海にちなんだ名があるのも納得できます。高知の市街地が続く南国市に29番札所の国分寺があり、Google Mapの書き込み欄には、写真どっさり、ほのぼのとした感想が載せられています。貫之さんはこの辺りで高知県知事の任期を終えたのでしょう。別れの日には仕事仲間が集まって飲んで騒いで「潮海のほとりにてあざれあへり」とあるから酒の勢いで言い合いになったりゲロ吐いたりしたにちがいありません。1086年後の今も違和感のない風景です^^!

 

 

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潮が引くと島の間は砂嘴でつながります200430

あちこち周りましたが、かろうじて原生的な森が残るのは小さな無人の島ではないかと思うに至りました。小島研究会とかつくって木の専門家、花の専門家、地質の専門家とかの案内で島めぐりをしたら愉しかろうといつも思います。

 

 

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誰にも邪魔されないヒミツ基地200430

渚で昼寝してたら藪蚊がすごくて退散しました

 

 

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花の名は知りませんが沈丁花みたいな香りがします200426

 

 

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今年最後の櫻が一輪二輪 200430

 

 

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何の実でしょう? 200430

 

 

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春ですが秋みたいです200430

 

 

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浦戸湾東には造船所があります200508

 

 

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片側がもがれたヒミツ基地の鳥居200426

おしまい

海事つれづれ五目めし200507 塩の道(2

 

 

 

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伊勢物語

「かきつばた」を織り込んだ伊勢物語東下り」は全国の高校生が学びます。

   から衣着つつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

折り句、枕詞、序詞、縁語、係り結びと呆れるほどの技巧を凝らした和歌で、これと勝負できるのは「いろは歌」くらいのものでしょう。「東下り」は都の女を思い出しては、はらはらと涙をこぼす平安優男の歌物語ですが、それにしてもYouは何しに関東へ?

 

写真左の頁は、

   時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿子まだらに雪の降るらん

雪の残る富士山が「塩尻のようになんありける」と円錐形の塩田に似ていることを連想した段です。恋をするにも先立つものは要るわけで男どもは「塩尻」から連想される製塩業で一儲け企んだのではないかというユニークな説があります。根拠はありません。

 

 

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新潟県笹川流れの塩工房「藻塩」130516

山と積まれた薪にご注目ください!

 

 

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「藻塩」の平釜130516

 

 

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製塩容器は底が平らになっています。蒸発させやすく、かき混ぜやすく、作った熱は逃がさないというコンセプトから生れた合理的な形なのでしょう。それが何であれ使い込まれた道具には意味があり見ていて飽きません。

 

ウチはトマト農家なのでワレが入って商品にならないトマトが山のように出ます。棄てるのは勿体ないので知人に回し、冷蔵庫に詰め込み、傷んだものから仕方なく廃棄します。一念発起してパスタ用のトマトソースに挑戦したのですが、トマトを刻んで寸胴に入れ、ガスが勿体ないほど時間をかけても煮詰まらないので困惑していたところ「寸胴ではだめだ。中華鍋を使いなさい」と教えられました。やってみると熱効率がまるで違うことに感動しました。ぼくはChinaの歴史を盲目的に解釈することに疑問符を持つ者ですが、と大袈裟な前提を置いた上で^^、中華鍋の曲線には敬服せざるを得ません。あの単純にして合理的な流線型には食に対するヒトの執念が詰まっています。

 

当節の厨房では電磁調理器が流行ですが、惜しむらくは中華鍋が使えないことです。日本の電気はぴたりと100ボルトで安定し余程のことがないかぎり停電しない優れモノです。その高品質の電気を熱に変えるのは愚かな行為だ。電気はモーターを回すのが一番だよと聞いたことがあります。以来ぼくはホットカーペットを使うことさえためらいがあり、エアコンも遠慮して夏場は扇風機5台でやっつけます。

 

元はといえば原発の深夜電力をどうするかという悩みに発し、電気温水器に始まってオール電化未来社会に入ったものの3.11のフクシマで日本人は目が醒めました。だからといって急に暮らしを変えるわけにもいかず、当面は火力発電で凌ぐ他ないのでしょう。山のてっぺんで風車を回し、美しい広葉樹の森を無残に剥いでソーラーパネルを敷きまくっても主力が火力であることに違いはありません。原発が復活したにせよ、そもそも原発は石油がなければ造れず、動かせず、廃炉後の管理もできません。長い目で見ればエネルギーの本命は石油であり、文明とは石油に浮かんだ楼閣です。21世紀の庶民は平安貴族も知らない贅沢三昧の食卓を囲んでいますが、ウチのトマトも含め、肉や魚を石油換算したら絶句し、食べ散らかすのはいかがなものかとまあ誰でも思うでしょうね。そのような遣り取りをしながら友人に「文明って何だろう?」と尋ねたら彼は「これって文明と呼べるのかね」と独りごちて横を向きました。

 

昔は反原発運動といっても生真面目な大学教授を囲み超長期で倫理道徳を問う場だったからまさか自分が生きている間にこの日本で事故があるとは誰も想定していなかったのではないか。集会ではお祭り騒ぎをやらかす連中もいましたが、そんなヤツらも事故はありえないことを前提に安定した社会に寄り掛かるハグレ者みたいなところがありました。1979年アメリカのスリーマイル島原発は間一髪で大事故をまぬがれましたが、忘れもしない1986年旧ソ連チェルノブイリ原発は炉心が曝露され、2011年のフクシマを迎えます。核事故は回り持ちみたいなところがあります。

 

韓国には4地域21基の原発があり、今の大統領は原発を止めると明言しましたが、それはまだ稼働しています。3.11のあとメディアに煽られた学校では休校措置がとられました。地域が放射能に覆われることと学校を休みにすることの間にどのような因果関係があるのか、ぼくにはよく分かりませんが、煽りやすく煽られやすい国の住民はパニックを起こしたようです。日本在住の外国人が続々と帰国していた当時、無理からぬことではありますが、それにしてもお前ら偏西風を知らんのか、風はこっちに向けて吹くんだぜと言いたかったですね、あの時は。China大陸、Korea半島、Russia沿海州と続く海岸線で核事故があればどうなるか。Chinaは原発を100基ほど増設するそうです。仮にコトがあったとして風向きを考えればコロナどころ騒ぎでは済まないかもしれません。

 

原発自然保護運動に首を突っ込んでいるとどうしたって思考が暗くなります。自然塩に関わっている人たちは、理屈っぽく語るか、体で感じるかの違いはあっても心のどこかで文明のあり方に疑念を抱き、別の生き方を模索しているように思われます。カネだけが目的なら仕事は他にもあるわけです。閑話休題、話が逸れました。

 

 

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稲藁の先から苦汁を落として塩と分離する130516

苦汁(塩化マグネシウム)は豆腐の凝固剤として使えます。それはラーメンを作るかんすい(炭酸ナトリウム)とは違うけれども似ているらしく苦汁で麺を打つこともできるそうだからラーメンファンの方は実験されてはいかがでしょう。ネットを渡り歩くうちに、うどんとラーメンの違いに気付き、腰の弱い沖縄そばにはガジュマルの灰が使われることまで知って目から鱗が落ちました。

 

平打ち太めの縮れ麺=喜多方ラーメン、豚骨スープとストレートの細麺=博多ラーメン。ぼくが中学生のころ木造校舎の修理手伝いをした日には必ず技術家庭の先生がお昼に出前を取ってくれた高知県宿毛市来々軒」のラーメンは半世紀を経て味も形もまったく変わらず客足も止まりません。ラーメンの本質とは何か、それは小麦のグルテン含有量なのか、かんすいなのか、水なのかよく分かりませんけどもB級料理とナメられながら鳥取県にはミシュランに登録されたラーメン屋があり、新横浜には世界初のフードアミューズメント「ラーメン博物館」まであるのだそうです。

 

こだわり始めたら塩であれ麺であれここまでやるかと呆れるくらい熱中するのがヤマト民族の特徴で、それは恐らく江戸260年の平和が生んだ町民文化に由来するだろうとニラんでいます。ぼくの興味はそこにあるのですが、真っ直ぐ江戸に向ったら学者という名の江戸オタクが徹底的に調べ上げているので書くより読んだがマシです。で、その周辺をうろうろしているうちに何かが見えるかもしれず、したがって話題は各所に散らばってしまいますが、ジョルジュ・スーラの点描画のように離れて見れば意味を持つ作文であればよいなと、、コロナが終息したら、とりあえずPeach石垣島に飛び、豚のスペアリブをどかんと乗せた沖縄ソーキそば屋に駆け込みます。(つづく)

200507記