250311 今田求仁生といふ人No 10 いのちの空間 東日本大震災

侵入禁止区域を回避し飯舘村へ向かう途中溝に足を取られて 2011.08.16
忘れもしない東日本大震災の日にNHKの遠距離カメラが福島第一原発の建屋が吹っ飛ぶ瞬間をとらえました。3月11日の日経には「廃炉ヘの道残る880トン」と題した特集が組まれ「初のデブリ取り出し0.7グラム」とあります。その原発作業員として働いていた知り合いが、電話の向こうで、新聞は「原子炉の傍で働いている僕たちにも注目してもらえんかな」とつぶやきました。かれこれ10年ほど除染作業に携わってきた彼と「そろそろ引いたら?」「...…」といったやり取りをしたことでした。

道路脇20メートルの草木を集めたフレコン 2014.11.02
以下、震災3年後に届いた今田求仁生さんからのメールです。
「ハワイイ大学、NOAAの海洋研究機関で、研究アドバイザーをする傍ら、水中文化財の調査などやっていました。丁度、日本に戻ってきていたとき東日本大震災。3月18日には現地で活動開始。その後特殊技術を買われ、津波で流された方々のご遺体捜索。更に流された文化財の水中捜索。地上では当初、支援物資の配送、救急の補助などやっていました。2年目からは、北上山地など過疎の独居老人の支援などに関わってきました。やっと、他の方々に委ねる事ができ、一端東北を離れ、さてこれからどうするかと休養しながら考えているところです」2013.06.16
文字に書けば簡単でも、例えば「津波で流された方々のご遺体捜索」とは具体的にどういうことか、プロダイバーを集めて水中作業するなかで「ご遺体とおぼしき尺骨を見つけた」とのメールも届きましたが、経験のない自分には想像力が追いつかないです。
2025.03.12記 つづく
250302 今田求仁生といふ人No 9 いのちの空間 魏志倭人伝

沖縄本島伊江島の弥生遺跡発掘現場クレーン下は今田さん 2013.09.15

そのむかし貝を食した弥生人がイモガイを円形に置きました。貝殻を並べて遊んだ古代人の美的行為にほっこりします。高知県宿毛市の縄文貝塚でも貝殻は出土しますが、多くは磯にひそむアサリ、ハマグリの類いであり海中深く潜らねばとれない大型の貝は見かけませんね。


攪乱放棄された遺跡脇の土石の中から失敬してきたシャコガイ 右は大型のウズガイ
3世紀の日本の風俗を描いた魏志倭人伝に「倭ノ水人ハ沈没シテ魚ヤ蛤ヲ捕ルコトヲ好ミ」という記述があります。MLBのスーパースターみたいに刺青ほりまくった水人が「沈没」し「魚蛤大魚水禽」を狙ったというから弥生期の素潜り漁師はたいしたものです。
古代の海は珍味にあふれ、サザエやアワビが食いたければ、干潮時に目をつむったまま潜り、ちょっとだけ目を開けて岩から貝を引っ剥がしたあと水上でぷはぁ〜ッとやったらなんぼでもゲット出来たのでしょう。
それを磯に陣取った家族が鍋を囲んで煮炊きしたのだろうか、あるいは邪馬台国の卑弥呼様は献上品の乾し鮑で極上スープを愉しんだのであろうかと空想しながらふと思いました。川で潜って水中で目を開けると景色がにじむ。海中だと塩分にやられて目が痛い。弥生時代に潜水用具などあろうはずもないけれど、水中眼鏡はどうなんだろ??
縄文期のハイテク技師は翡翠を磨いて大珠や勾玉をこさえている。ひょっとすると弥生のオタクも石英を磨いたり珪砂を溶かしたりして水中眼鏡をこさえたのかもしれんぞ…と思い「遺跡から水中眼鏡が出土したりしませんか?」と今田さんに問いました。下記その返信メールです。
私も、不可思議に思い、
各地の遺跡出土の貝類魚類の遺存体の精査分類のため
周辺の海に水中メガネを用いずに潜ってみました。
最も、現在では、内陸部になっている埼玉県内の古東京湾岸、縄文期には、山裾の海岸線であった現在の佐賀市郊外長崎道のインター付近などでは、貝塚などからの出土物から、想像を羽ばたかせるのみでしたが…又、南海、ニューカレドニアや、タヒチ、ハワイ諸島、バリ島などでは、水中メガネ無しの素潜りで、どのような潜り漁が出来るか、それでどのような貝や漁獲があるか、事情が許せば、地元の潜り漁師たちとも潜ってみました。
まずは、水中メガネ無しでも、海水中に水が湧き出している(例えば、ハワイ諸島や、バリ島周辺)の一種の“汽水域”では、水中視野にさして不便や不利は感じませんでした。だいぶ時代が下がりますが、江戸時代の海女を描いた浮世絵などでは、無論水中メガネなどは描かれていません。余談ですが、水中に真水が湧き出している水域では、魚種も貝の種類も多様で豊富です。
2023/09/12

ハワイでの清掃活動右から2人目が今田さん2006年 ネットより
さりげなく「ニューカレドニアや、タヒチ、ハワイ諸島、バリ島など」で「地元の潜り漁師たちと潜ってみました」と書いていますが、太平洋の島嶼を渡り歩くだけでも手間暇かかるのに「水中メガネ無しの素潜り」を各所で実践し、海を透かせて「浮世絵」を観察していたことに恐れ入ります。
返信メール末尾に
「こんな話をしていると今すぐにでも潜りに行きたくなりました。やっぱり本性は亀🐢さんですかな。ホヌ~」とあります。その4ヶ月後に(亀さんホヌーさん)今田求仁生さんは光になりました。合掌
2025.03.02
今田求仁生といふ人 いのちの空間 飽和潜水 No.8 250223

韓国セウオル号 2014.04.16
沖縄本島で何カ所か潜ったあと西表島へ渡り民宿のテレビを付けるとフェリーが傾いていました。韓国の修学旅行生を乗せた船がバランスを失って転覆し、乗員乗客および救出作業員476人中299人(内高校2年生325中242人)が犠牲になった悲惨な事故でした。原因は過積載とバラスト水の不足にあったようですが、驚くべきは船内放送で船室待機を命じた船長が真っ先に逃げ、指示に従い船室に残った高校生たちは30m下の海底で息絶えたという事故(事件?)です。
水中での窒息死は、極限まで活性化された生存本能が、逃れようのない死の恐怖と対峙する苦しい死に方です。引き揚げた遺体の指に骨折の跡が見られた。仲の良い男女生徒が互いに救命胴衣の紐を結んでいたという涙を誘う記事もありました。
やがてヘリが舞い、巨大なクレーン船が現れたりもしましたが、海底の船室に残存するわずかな空気と水圧を考えたとき生存可能性はないだろうと思いました。というのも10リットルのボンベを背負って水深30mまで潜ると滞在時間は15~30分程度、しかもダイバーは常に減圧症を意識しておかねばなりません。仮に救出に向かったダイバーが、たまたま空気の残っていた部屋で生存者を発見し(それが可能とはとても思えませんが)レギュレータを交互にくわえつつ闇の廊下から脱出できたとしても30m⇒4気圧の水圧に長時間さらされた肉体がいきなり浮上すると、体内に溶け込んだ窒素ガスが急激に気泡化し、いわゆる潜水病に見舞われます。水上で待ち構える船に減圧室があるかどうか。あったとしても収容人数はわずかであり、300人近い人たちを救えるわけもない。そもそもボンベを背負ったダイバーが入り組んだ廊下を遊泳すること自体が危険に満ちており、現実に探索作業のダイバー2人が死亡している。気の毒だけど救出可能性はないだろう…ダイビングのイロハを学んだ自分はそのようなことを考えながら高校生の海難事故を見たことでした。

北海道知床半島 2016.09.24
2022年4月23日に起こった知床遊覧船沈没事故では水深115mの海底から船体引き揚げ作業が行われました。事前に無人探査機で位置確認したはずですが、作業には人の目と手が要るので、特殊技術をもつ潜水士が長い時間をかけて飽和潜水を行なったはずです。ぼくの想像力など遙かに超える難事業であり、命がけの作業員に敬意を表す他ありません。

2023年4月6日の宮古島沖陸自へり航空事故では自衛隊員10名が犠牲になりました。機体の発見現場は水深106m。ここでも海自隊員による飽和潜水が行なわれました。当初中国軍の関与も取り沙汰されましたが、どうやら2機あるエンジンがほぼ同時に停止したことが原因のようです。しかしなぜ停止したかについては不明とか。へりは翼がないのでローターが止まれば垂直に落下します。搭乗員はこの世に別れを告げる間もなかったことでしょう。ちなみに犠牲者のひとり伊与田雅一1等陸佐(53歳)は高知県四万十市の出身、土佐高校から防衛大へ進学しています。四万十市に伊与田姓は多いので、あるいはと思い知り合いの伊与田くんと伊与田さんに問い合わせましたが「うちの親戚にそのような方はいない」そうでした。同じく土佐高校⇒防衛大の中谷元防衛大臣も弔問に出向いたはず、見知らぬ人でも同じ郷土をもつと聞けば妙に気になるものです。
2025.02.23記 つづく
今田求仁生といふ人 いのちの空間(7)水の中 2025.02.16

ネットの観光案内より
沖縄の観光パンフには初心者でも気軽に楽しめるダイビングが明るく紹介されていますが、その陰で新聞の隅にはさりげなく海難事故が置かれ、想像力を働かせて読めばゾッとする話に出くわします。(確認のためネットを検索したところ)あるわあるわ素人からプロダイバーまで事故の山、“遊戯王”の作者・高橋和希氏が「海で流された少女の救助中~波にのみ込まれた」ことも今知りました。記事は主に死亡事故について伝えますが、浮上中に脳をやられ障がい者同然になった人も多く居るようです。しかるに新聞テレビは海の不幸を大きく扱うことはありません。観光産業を刺激したくないからでしょう。

嘉手納砂辺のダイビングスポット 2014.04.13
地上の人間がいきなり宇宙空間に放られたら「血液中の酸素が気化し、気泡となって血管を塞いでしまう」そうです。ダイバーが水深10mで息を止めたまま浮上すれば「肺胞が破裂し、気胸や空気塞栓といった重篤な状態を引き起こす」すなわち水面下10mの2気圧が1気圧に減衰し、地上と宇宙の気圧差を水の中で体験することになります。
幸いヒトは上をむくと喉が開くので浮上中に肺が封止することはありませんが、これが20m30mの深さになると別の問題が発生します。急激な気圧の変化によって血液中の窒素が気化し、血管を詰まらせ、いわゆる潜水病(減圧症)を引き起こします。深度と時間の関係式はダイビングの入門テストでも出されるので、ぼくも一応勉強しましたが、いざ水中に入ると浅はかな知識は吹っ飛びます。

嘉手納砂辺 2014.04.11
水中を横に泳ぐのは大変な作業ですが、落ちるのは簡単で、浮力の中和が破られると重力に引かれた体はあっという間に沈降します。気がつけば水深計は20mほどを指し、海の底でサンゴの町のお魚さんと遊んでいるうちにタンク容量が減りました。しかし20m⇒3気圧の海底からいきなり浮上すると窒素酔いの危険があり、海面までのわずかな距離に充分な時間をかけねばなりません。ゆっくり泳ぎながら天井までの距離を詰めるにはワザが要ります。お師匠さんは、そこにあったロープを使い、右手と左手を交互に握りながら上がれ、決して急ぐなと身振り手振りで諭してくれました。ボンベを背負い不慣れな計算をしながら水中をたのしむには慣れとアタマが要るもので、すべては師匠まかせの水の旅でした。
そのむかし海沿いの職場に勤務していたころ、友人に連れられ、水中銃を持って近場の海へ魚付きに行きました。水面で大きく息をし、肺に空気を取り込んで、深いところを目指したのですが、水深計で20mほどの深さに達したころ、肺一杯に取り込んだ空気がへこんでしまいました。胸のあたりが頼りなく、息苦しくなって上を見ると天井は恐ろしい高みにあるのでした。腰のベルトに鉛を巻いているので浮力に頼って上昇するわけにはいかず、足ヒレを動力に天を目指しましたが、空が明るくなったあたりでヤベエと思ったことを記憶しています。
スキンダイビングは肺の空気が、深いところで縮み、水面で元に戻るだけの話ですが、スキューバダイビングは、深度に合わせて機械が空気圧を調整してくれる代わりに一歩まちがうとえらいことになります。
2025.02.16記 つづく
今田求仁生といふ人(6)いのちの空間 上級ダイバー 2025.02.09

資格の流れ図
中学生のとき柔道の昇級試験で4級だか5級だかにパスしました。帯を半分だけ緑色に染めて来なさいと言われて素直に従いましたが、白と緑のまだら帯はカッコわるく、先輩の茶帯がまぶしかったです。30過ぎに少林寺拳法をひやかしたとき、これまた4級だか5級だかの認定を受けましたが、そこで分かったことは、級が下がり、段で折り返すたびにお金が要ることです。誰が発明したのか知りませんが書道も算盤も(たぶん宗教も)同じ集金システムを持っています。上昇する快感にマネーが付帯するのは組織存続の必須条件なのでしょう…という無駄話はさておき、潜る条件を細かく設定したの流れ図において今田さんは右下どん詰まりの高資格を持っているのでした。すなわちダイバー世界ではえらいヒトなのですが、地位には責任が付きまといます。

沖縄県嘉手納砂辺 2014.04.11
若い女性インストラクターの案内で高知県柏島の海に潜ったとき小舟から降ろした錨が、波に揺られて上下し、ミドリイシのテーブルを傷めていることに気づきました。水深10mから舟底を見上げ、サンゴを見に来た舟がサンゴを壊してどうすんだと思ったことですが、オカに上がって雑談していると今田(上級ダイバー)は「それはまずいよ。ぼくには不良インストラクターを指導する義務がある…」と面倒くさそうな顔でつぶやきました。故意に仕出かしたわけではないし、咎めることはなかったのですが、場合によっては彼女の資格に傷が付いたかも知れません。帰りの舟上で彼女はぼくを「初めて潜ったにしてはお上手です。水泳がお好きなんですね」としきりにホメてくれたのは密かな思惑があってのことかも^^!

手前の男たちはウエットスーツを着ていますが、水着の女性は肌も露わなスキンダイビングを始めるようです。真栄田岬は刺々しい琉球石灰岩の磯で、波にもまれて打ち付けられると怪我はまぬがれません。その様子を渋い顔で見下ろした今田さんは、海は日差しがきつい。毒をもつ危険生物もいる。せめてラッシュガードくらい付けてはどうかと言いたそうでした。「でも彼女たちあれでいいってんだから…」「いや、ぼくには事故を見たら救助する義務があるのです」とのこと。PADIの上級ダイバーには「道徳的責任として可能な範囲で救助活動を行う」という不文律があります。要するに「見たら飛び込め」という掟なのですが、「では見なければ?」「見なかったことまで責任はもてない」という次第で、ぼくらはさっさと退散しました。見知らぬ人に対し「指導」だ「救助」だと立場が上がると厄介な話です。類似した責任論はちがう場所でも何度か耳にしました。
2025.02.09記 つづく
今田求仁生といふ人 いのちの空間(5) 2025.02.02

沖縄は北谷チャタンから米軍基地のある嘉手納カデナをぬけて読谷村ヨミタンソンを行くと“青の洞窟”で有名な恩納村オンナソンにたどり着きます。▼北海道と沖縄の地名は通常の国語表記を突き抜けて無茶苦茶⇒日が昇る東がアガリ、沈む西はイリ、したがって台北より南に位置する西表島イリオモテジマ…なんて誰にも読めません^^

沖縄県恩納村真栄田“青の洞窟”内部より 2013.09.14
その真栄田岬を今田求仁生さんに案内してもらったのは12年も前のことになりますが、意識は、記憶の幅をすっ飛ばして過去に到達するらしく、昨日のことのようです。

今田さんを知る多くの人は“杜の案内人”をイメージするのではないでしょうか。ぼくもまた氏と出会った1984年から21世紀に至るまで、巨木を仰いで両手を開く“杜の人”だと思っていましたが、氏と一緒に
高知県大月町柏島を訪れたとき初めて今田さんが“海の人”でもあることを知りました。海にまつわる話がやたら詳しく、幅広く、体験から導いた深い言葉がぽんぽん飛び出すことに驚きましたが、残念なのは、ぼくの知識が浅すぎて、ぼんやり相槌を打つことしかできなかったことです。
その柏島で初めて空気ボンベを背負いインストラクターに連れられて10mの深さまで潜りました。水の中で普通に息ができるのはスキュ―バダイビングならでは…この深度なら光が届くので色も見えます。砂地のうえで遊ぶ小魚と戯れているうちに(素人は無駄に空気を消費し)ボンベの空気がヤバくなって午前の部はお仕舞い。充分な休養を取ったあと日に2回許可される午後の部ではサンゴの森を訪ねました。そのとき船から下ろした錨が波に揺られて上下しミドリイシの枝を傷つけているのを見ました。インストラクターの不注意ですが、これについては次回触れます。
一方、今田さんはダイビングショップの上級インストラクターと連れ立って30mの深みに潜ってきたとか。30m(4気圧の世界)がどういう意味をもつかは沖縄でPADIの初級ライセンス(Imada氏認定)をもらって分かりました。
2025.02.02記 つづく
追記
昨年Window10がぶっ壊れ11に替えたら40年来使って脳と指が完全に一致した「親指シフト」キーボ-ドが使えなくなりました。泣く泣くローマ字入力で書いていますが、このトシになってこんな仕打ちを受けるとは…1月7日今田求仁生さんの命日に再開したブログは(誰に頼まれたわけでもないのだけれど)日曜日にアップすることに決めたので本日とりあえず出します。仕事が忙しく日に12時間働くこともあって何が何だかわからないうちに週が回り季節が変わり乱筆御免です。
今田求仁生といふ人 いのちの空間(4) 2025.01.26

小豆島にて2019.11.29
鎌倉大仏に近い「かがやきの森」をGoogle mapで見ると、照葉樹が樹冠を広げ、緑の中に民家が埋まっています。人里離れた奥深い森ではなく、車の道があり、人の散歩道もある「杜」です。木原財団のある横浜と鎌倉は電車ですぐそこなので恐らく今田さんは暇を見つけてはこの杜に通い、巨樹の前で両手を広げ、鳥の声に耳を傾けたにちがいありません。いつしか氏を慕って人が集まり、全国各地に小グループが生まれ、照葉樹が茂る「気」のよい場所で「観気行」が行なわれました。愛媛県久万高原町にある岩屋寺近くで、ぼくが裏方をつとめたときには十数人の参加者を迎えました。
杜で雑談しているとき何かの拍子に近藤誠の名が上がりました。氏はふと目を止め記憶をたどる顔をして「その方には杜で出会ったことがある」とのこと。おそらく近藤医師は散歩の途中で不思議な集団に出くわし興味を持ったのでしょう。“弟子にしてもらえないか”と頼まれたらしいのですが、それ以上のことは訊かなかったので空想で書くことは控えます。
ぼくの本棚には近藤誠の「医者に殺されない47の心得」「がん放置療法のすすめ」「余命3ヶ月のウソ」「がん専門医よ、真実を語れ」という刺激的な標題の書が並んでいます。およそ医者にあるまじきテーマを堂々と論じた近藤医師の度胸には恐れ入りますが、書かれた内容は至ってノーマルです。たとえば「風邪をひくと、体はセキや鼻水によってウイルスやその死骸を追い出し、体温を上げて、外敵と闘う白血球を活発に働かせようとします」したがって「せっかくのセキや熱を薬でおさえたら病気との闘いに水をさす*」と人体が恒常性を保つメカニズムと、そこに医薬が介在するとどうなるかについて分りやすく説明しています。がんについても同様です。

文芸春秋2011年1月臨時増刊号
立花隆と近藤誠が2011年に文芸春秋で対談しています。2007年に取材で東大病院を訪ね (よせばよいのに) 好奇心に駆られてがん検査し膀胱がんを見つけられた立花隆が、がんに異説を吐く近藤誠医師にインタビューしました。
治るがん
立花隆の「抗がん剤は効かないのか」という疑念に対し、近藤誠は「急性白血病や悪性リンパ腫などの“血液のがん”の大部分と固形がん(塊を作るがん)の中の子宮の絨毛がん、睾丸のがん、そして子どものがんなどでは抗がん剤が第一に選ばれるべき治療法です。しかし、これらを除くがんは、抗がん剤ではまず効かない。それが最終見解です」といきなり結論を置きます。▼東京オリンピックを控えた2019年、水泳の池江璃花子が突然の不調を訴えたときは驚きましたが、急性白血病に「抗がん剤」他の治療法が功を奏し彼女は見事に復活しました。がんには治るがん(がんもどき)と治らない(進行性の)がんがあるようです。
寿命
「治らなくても寿命が延びればいいのではないか」という立花隆の問いに対し、近藤誠は「寿命は延びない、あるいは寿命が延びたという証拠はない」と言い切ります。「長生きしているように見えるのは~昔に比べるとより小さなときに転移を見つけられるようになり、転移がんの発見時期が10ヶ月とか20ヶ月とか前倒しになった、その分だけ長生きしているように見えるだけ。今の専門家たちは、それを抗がん剤の効果というふうにすり替えているのです」とけんもほろろの応対です。ヒトには寿命がある。いのちは人為的に操作できないという運命論であり、がんという不思議な病気と対峙する医者の本音でしょう。
縮命
「抗がん剤を使ったために命を縮めた人ってのが少なからずいるはずですよね~筑紫哲也さんも抗がん剤で命を縮めたんじゃないか~そのことは相当数のお医者さんが知っていて、内心忸怩たるものがあるにもかかわらず、やっぱり口に出しては言わない…」という立花隆の問いかけに対し、近藤誠は「従来の抗がん剤ですと、腎臓や心臓がやられたり、あるいは神経障害や肺障害も多かった。ところが、最近の分子標的薬は、皮膚障害や腸の障害が多く、それがクオリティー・オブ・ライフ(QOL)を非常に下げている」と身も蓋もない発言をします。この世とあの世の境にいる患者は“だったら何のための医療かよ”と嘆きたくなりますが、医療システムにどっぷり取り込まれた現代人が逃れるすべはないでしょう。
がんもどき
近藤理論によると、治るがん(がんもどき)は悪さをしないので放っておけばよい。治らないがんは治療しても無駄だと要約されます。それを受けて立花隆は「僕の場合は、もしかしたら先生のおっしゃるところの(がんもどき)の部類で、あのまま放っておいてもよかったのかもしれないですけどね…」と、隙あらば近藤理論に対抗すべく始めた取材がトーンダウンします。
検診
とはいえ検診で何かが見つかったら「放って置くことは難しい」という立花隆のつぶやきに対し、近藤誠は「恐怖が先に立って、治療を受けないという判断は難しい。だからこそ無症状のときに検診やドックという、がん発見のための検査を受けるかどうかが肝心になります…」医療技術が進展したことにより、選択肢が広がり、患者にとっては厄介な時代になりました。医者とて治らないがんを治せといわれても打つ手はなく、最終的には自己責任でどうぞという次第です。
黒魔術
科学の原理は再現性にあります。同じ対象に同じ条件を置けば同じ結果が導かれるのが科学の原則ですが、同じ人は二人といないので条件を揃えて治験することはできません。そこを突破するため医学は統計処理するわけですが、統計の好範囲に個のいのちがピタリと収まることは、あるかも知れないし、ないかも知れない。「だからどこまで行っても医は黒魔術にすぎないんだよ」と今田求仁生さんが自らのがんについて語りつつ遠い目をして呟いたことを覚えています。
立花隆氏は2021年急性冠症候群で逝去81歳
近藤誠氏は2022年にタクシーの中で急変し逝去74歳
今田求仁生氏は2024年にがんで逝去76歳 合掌
2025.01.26記 つづく
*「医者に殺されない47の心得」p73
他の「」は文芸春秋2011年1月臨時増刊号」より