ちょっと道草 201127 高知競馬(1) 射幸心を煽る

 

 

 

 

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高知競馬場入り口 201122

 

地方競馬場が四国にひとつ、九州は佐賀にひとつあります。島根県にもありましたが2002年に休止⇒今は場外「勝馬投票券」発売所となりました。カッコ付けても競馬は博打なんだから「馬券」売場でいいんじゃないのって思いますけど当節の競馬愛好家は「投票」するんですと^^! 福ちゃん新聞に赤ペンを入れたおっさんが投票所にならんでいました。

 

バイクで通りかかったついでに入場門をくぐると観客席に客の姿はまばらでした。島根競馬場が休止したころ高知競馬も経営危機にあったことだし今はコロナ禍で経営は大変なのだろうと思いきや意外なことに今年4月の段階で「年間売り上げが500億円を超え右肩上がりの高知競馬*」とあります。コロナの巣籠もりでネット需要が増えたそうです。

*高知新聞2020.04.04

 

 

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高知競馬場 出走前の顔見せ201122

 

高知市のまんなかに競輪場があり、仕事場へ行く途中に場外舟券売場があり、拙宅は競馬場の近くにあり、パチンコ店は数えきれず、土佐の高知は賭博のパラダイスです。が、どう考えても自分にギャンブルの才はなく、競馬場には夏の夕涼みか遠路おいでくださったお客さんをミニ観光にご案内するくらいのことです。

 

その昔パチンコに熱中していたころ先輩がパチンコ店を立ち上げ成功路線に乗せました。店の裏手に事務所があり戸を開けると山と積んだ千円札の束をせっせと数えていたので手伝ったことがあります。他人のカネを数えても嬉しいものではないし札束を動かすと風が鼻にさわって独特の臭いがするものです。銀行員の気持ちがちょっとだけわかりました。「ところで今ぼくは勝っちょうがよ。今月は5万円くらい稼いだぜ」てな話をすると先輩は手を止め、医者のように冷静な目でぼくを見上げて「ほんとに?」と低く呟きました。そのシチュエーションであの顔をされたら余程のばかでないかぎり言外の情報が読み取れます。その日を境にパチンコには興味を失いましたが、不思議なことにやめてしまうと憑物が落ちたように心が静かになり仕事が済んでも日が落ちてもそわそわすることはありません。障りのある譬えですが、その対象が何であれ宗教的熱狂から醒めた人はあの時の気分に似ているのではないかと思ったりします。

 

100万円が降って湧いた⇒学生のころ競馬好きの同級生がつまらなさそうな顔で寄って来て問わず語りに「おれさ昨日万馬券を当てたんだけど結局儲からねえんだよな」と話しかけてきました。バイトに明け暮れ小さなおカネをいただいていた自分は知らない世界がいきなり開けたように気がしたものです。「100円が100万円になるんだろ? すっげ!」と言ったら、その瞬間に至るまでの投資があるし、勝ったらまた勝ちそうな気がして次のレースに注ぎ込んだのでそんなに残っていないというようなことでした。だったら喋んなよと思うわけですが、自慢はしたい、人には聞いてもらいたかったようです。

 

宝籤1000万円が当たった⇒確率で考えてみろ、当たるわけねえだろ、あんな紙切れを買う奴は馬鹿だとぼくは今でも思う者ですが、確率論も仕事のうちの数学の教師と久しぶりに出会って、しょうもない話をしていると突然両手で口を塞ぎ「丸1年誰にも言わなかったんだけど今日はどうしても言いたい。実は、、」と瞳の奥に押さえ切れない喜びをひそめ「宝籤が、、」というから「よし分かった。話は聞いてやるから高めの飲み屋へ行こう」と誘い支払いはむこう持ちで、きらきらしいお店に入りました。いつものように高知市薊野の店で買った。長い数字をずっと追っていると仕舞いまで同じ数字が続くのでどきどきした。にわかに信じられなくて何度も確認した。当選番号と同じだった。「で不労所得の1000万円を手にしてまず何をした?」美味いものを食って飲み屋をはしごして車を替えた。「それで?」ハワイに行ってゴルフをした。「それで?」また当たりそうな気がしたので宝籤を買ったが当たらなかった。「あたりまえだろバカやろ、でそのあと?」あんまり残っていない、というようなことでした。

 

以上の事例は嘘偽りのない聞き書きです。この拙文を読んでくださった皆さまはある日突然税務署も知らないお金が100万円、1,000万円という単位で降ってきたらどうなさるのでしょうか?

 

 

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馬のふるさと北海道日高振興局 新冠町 151014

 

賭け麻雀、握りゴルフ、野球賭博は法の下に禁止されていますが、競輪、競馬、競艇、宝籤、サッカー籤、桁外れのカネが動くパチンコが合法というのもよくわからない話です。もとより人間は矛盾に満ちた存在であり、それを守る警察検察が法解釈の幅を広くとりたがるのは分からないでもありませんが、そこに恣意的解釈が入り込んだら大変なことになります。

 

賭博の罪の存在理由は「射幸心が煽られてしまうと怠惰で浪費な風潮が蔓延し、健康で文化的な勤労の美風を害するばかりでなく、暴行、脅迫、殺傷、窃盗、強盗等を誘発したり、国民経済の機能に重大な障害をあたえたりする恐れすらある」からだそうです。

 

が、この法文を文学系の文字感覚で読むと、人の息づかいが全く伝わって来ず、しらじらしい印象を受けます。索漠として抽象的な文言は官権のさじ加減でどうにでも解釈できるわけだし、法を挟んで検事と判事がやりあう法解釈において初めて人間くささが露になるのかな、法の面白さは判例を人間的(文学的)な視座をもって読むことから始まるのかなと思ったりします。比喩の達人三島由紀夫が大蔵省の上司に「お前は文章が下手だ」と言われて腐ったそうですが、なんか分かるような気がしますね。

 

 

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日高の牧場151014

 

で、射幸心を煽られ競馬にのめり込んだおっさんは哀れな末路をたどるほかないのかといえば競馬場には「公営競技ギャンブル依存症カウンセリングセンター」なる施設があり、ウチで面倒みるから安心してご投票くださいという親切ぶりです(~~、

 

 

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新冠町151014

 

オンロードバイクは道の先を見るマシンですが

オフロードなら背骨を立てて風景を愉しめます

どちらもバイクではありますが

目の高さが変わると風景は一変します

 

馬と連れ立ってパリを出ピレネー山脈を越え

スペインはサンチャゴの道を歩いた友人から

紅葉の石鎚山へ登るとの電話がありました

仕事がつかえて今次の合宿はパスしましたが

折りをみてじっくり馬の話を聴いてみます

馬の背の高さから見た風景ってどんなでしょう?

201127 つづく

 

 

 

# # #アメリカの今# # #

一日中テレビの前に張りついている93歳の母が「トランプ大統領はどもならん。奥さんが辞めれというのに、どひたち言うことを聞かん」と憤っていました。もう長いことテレビを見たことがないぼくは、あれはメディアのフェイクであり夫人の言葉はこれだという事実列挙の別ニュースをネットで見ました。

 

11月3日以来ずっと大統領選の行方を追っていますが、まだ決着は付いていません。バイデン候補は組閣を始めておりメディアもそれを当然のごとく報道しています。一方メディアの陰で女性弁護士シドニーパウエルが不正投票、ドミニオン投票システムといったキーワードで動き始めました。

 

情報があふれ何が正しくて何が嘘であるのか訳のわからない時代ですが、この選挙結果が日本に強い影響を与えることは間違いなく、成り行きによっては歴史の転換点になるだろうという恐ろしい思いで注視しています。

 

 

ひとり旅 201121 China 6  1984年の監視社会から2020年のスマホ社会へ

 

 

 

 

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北京駅にて 1984

 

北京のドミトリーで中国残留孤児と実の親との面会風景を撮りに来た写真家と出会い、駅前でぼろカメラを渡したときの一枚です。このボケようだと誰だかわからないのでホッとしますね。しかしここが北京駅であることは分かるので記念写真の役目は果たしています。おカオに自信のないヒトには程よいテクノロジーです^^!

 

今どきのChinaには億の単位で監視カメラが設置されています。「せ~の」で逃げる鬼と追う公安に分かれ、鬼ごっこみたいな実験をしたところ、大都市の人波に紛れた鬼さんはあっという間に位置特定されたというから恐ろしい社会になったものです。ソニーのレンズやNECの顔認証技術も使われているらしく、もはや都市の持つ匿名性は失せました。

 

 

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田舎の路地 1984

 

エンジン音が響かない細道には

たまに鶏や豚の鳴き声が聞こえます

車が入れない京都先斗町の路地の静謐を連想しました

 

奇しくもぼくが初めてChinaを歩いた1984年は、ジョージ・オーウェルBig brother is watching youというフレーズで監視社会を描いた「1984年」でした。1950年没の作家が予言した「独裁」「思想警察」、拷問と洗脳のための「101号室」、自分の考えと矛盾する思考の押しつけを受け入れて心の平衡をとる「二重思考」、思考の幅を狭くし人間をロボット化するために言葉を単純化した「ニュースピーク」等の支配の構図は20世紀の情況から導かれた管理思想といえるでしょう。恐ろしいのは21世紀に入って情報技術が急激に進展し、ジョージ・オーウェルにも架空できなかった管理社会が現実化したことです。「1984年」から36年後の今Chinaを筆頭別格として、どの国にも管理監視システムが造られました。

 

関空の入管は、飛行機を降りてだらだらと歩いているうちに顔認証を済ませるらしくディスプレイにパスポートを置くだけで通過させてくれます。台北バンコクの入管には愛想というものが全くない係官がいて、両手の人指し指で電子的に指紋を取られ、小さなカメラを指さしあっちを向けと言われてお終いです。

 

ぼくのiPhone6sは指紋認証ですが、ちかごろのiPhoneは開けた途端に人相チェックされるようです。便利といえば便利ですが、指紋や顔は警察も欲しがる個人情報だから、それがインターネットでApple本社へ届き、その気になればティム・クックは6sからオレの指紋を、(お店で触っているうちにだんだん欲しくなってきた)iPhone mini^^ から顔情報を抜き取れるのだろうか、そんなことが可能だとすれば、もしもヤツがオレの銀行預金に興味を持ったりすると危ねえぞと心配になって某氏に問い合わせたところ、

 

iPhone指紋認証、顔認証等のいわゆる生体認証は完全にiPhone内部で完結しております。時々勘違いされる人がいますけど、iPhoneは顔や指紋をそのまま画像データで保管してるのではなく、Appleが決めたいくつかのポイント(特徴点と言います)の位置を数値化してるだけですので、それが万一漏洩しても元の生体情報を復元することはできません。しかもその特徴点のデータはiPhone内のSecure Enclaveという特殊なチップに保持されており、外部に送信されないどころか、実はバックアップすらされておりません。この辺、AppleGoogleなんかに比べてかなり真面目にセキュリティ考えてるなと思ってます」という返信が届きました。

 

とはいえ「なんせAppleですから、自分とこで作ったデバイスに、その辺のヲタクごときには見破れない巧妙なバックドアを仕込んでても不思議ではありません。iPhoneの脱獄ツールを開発してるハッカーたちが、その腕を見込まれてよくAppleにスカウトされたりするのですが、これもある種の口封じととれなくもないですしね(笑)」とのこと。そういえば (野球の球筋ではないところの) バックドアという聞き慣れないプログラム用語を流布せしめたのはハーウェイを攻めたトランプ大統領でした。

 

さらに「私のiPhoneは脱獄してありますので、勝手に外部に情報を送信しようとすると通知が来るのですが、少なくとも写真、文書、生体認証等のパーソナルデータに関する限り(iCloudにあげてる場合は除いて)Appleがあやしい動きをしてる気配はない…ように思います。むしろ、FacebookInstagramなどのSNSアプリは、写真へのアクセスを許可した途端、ガバガバ抜き取ってるようなのでサードパーティの方を警戒するのが先決だなと思ったり」

 

「それでも現状ではファーウェイやサムスンAndroid軍団より、まだ多少は信用できると思ってます。どのみちスマホを捨てて、耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らすサリンジャーみたいな生き方は無理なので、ある程度のリスクは背負っていくしかないのかなとも思います」という現実的な結びも置かれていました。

 

 

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上海 1984

 

善男善女が朝な朝な表通りに繰り出し

太極拳で体をほぐします。それは期せずして

仲間意識がつくられる場でもあるのでしょう

他者との交渉の場を失った日本の街暮し

高知の団地住まいの孤独者には

なつかしくも羨ましい風景です

 

ぼくはiPhone3Gs 4s 5s 6sと4代持ちですが、5年前から機種変更が止まっています。スポーツの世界大会で選手の背中にChina資本の4G 広告が入り、情報端末が本格的にパソコン機能をもったころ時代は新たなステージに入りました。日本のみならず、たぶん世界の老若男女がバスの待合、電車の中、ときとして授業中の机の下で掌をすりすりしています。5Gの次は6Gだという声まで聞こえてきた今、端末とサーバーが結ぶ網の目は、仕事や遊びを超え、ヒトを支配する神の領域に入ったようにも見えます。もはやスマホは幸せを呼ぶ道具であるより、その暗部において技術の暴走であり、人間が監視社会の不幸に落ち込む折り返し点ではないかとさえ思われます。

 

2020年現在の技術でヒトは十二分に管理され、監視され、特定の価値に向けて誘導されています。それが露に見えたのが今次アメリカ大統領選におけるメディアの異様な振る舞いでした。今の世にはハーメルンの笛吹き男と愚かなネズミ集団の二者が居り、笛吹き男は神になろうとしてコンピュータ室に座り、ネズミ集団たる大衆はひとりひとりが自由意思を持つかのように錯覚してスマホ歩きしています。ひょっとするとぼくらは気付かぬうちに崖ッぷちへ連れて来られた悲しいネズミなのかもしれません。

201121記 つづく

 

 

 

 

# # # 高知の今 # # #

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御畳瀬 201111

 

♪みませ見せましょ浦戸を開けて♫ と唄われる土佐の高知のカーニバル⇒よさこい鳴子踊りは戦後復興を目論んで気合付けに作られた祭りだそうです。「よさこい⇒夜は早よう来い」どこへ?「飲み屋に決まってるじゃない」と飲み屋の女将が教えてくれましたが、私などもっと色っぽい解釈をした方が情緒があってよろしいかと思う者です。ということはどうでもよくて、

 

「月の名所は桂浜」と唄われる港町の賑わいは今となっては歴史の彼方、少子高齢化という行政用語も何やら白々しく、自転車でやっとすり抜けられるほど狭くジジババと猫しかいない路地をCanon M6+22㎜の単レンズを提げて散歩していると、おっとこれがたまるかと腰を抜かすほど美しい櫺子窓に出くわしました。たまたま当家の奥様が水に漬けたブラシで年輪に沿って丁寧に磨いているところだったので話を持ちかけると、このお屋敷は150年ほど経っているらしく「代々受け継がれて私の代になり手間隙かかるけれどやめるわけにもいかないし」とやや愚痴っぽく呟きながらも言葉の端々に深い愛着が感じられました。

 

かりに1代30年として5代遡った150年前は幕末から明治にあたります。少年時代の坂本龍馬鏡川で泳ぎ、1867年33歳の年に京都近江屋で斬られたころの話なので、それから5代も続いた水拭き作業はたいしたものです。中には手抜きの誘惑にとらわれた奥様もいたのではなかろうかと、いらんことを考えながら了解をもらってシャッターを切り、磨き抜いた年輪に触れると指紋のあたりにほどよい抵抗が残りました。この窓を切り抜いて京都の町屋に置いたら都人さえ喜ばしめるかも、、

 

 

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御畳瀬 201111

よく見かける花?葉?に

夕日がドンピシャ

 

 

201115 ひとり旅 China 5  1984年の北京から1986年の北京へ

 

 

 

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天安門広場に続く道 1984

 

ベンツもレクサスも見えない1984年の天安門周辺は丸っこいバスと自転車の道でした。それから36年が過ぎ、当時20歳の若者は今56歳になります。過去と今を知る世代は、この風景を見て何を思うのでしょう。摩天楼が林立した北京の街を見て幸福感にひたり、貧しかった過去を全否定するのでしょうか、それとも今と比べれば貧しくはあったが、PM2.5のない空は青く、誰もが似たような暮しをしていたから取り立てて隣人を羨むこともなかった時代を懐かしく回顧するのでしょうか、本音のところを尋ねてみたいものです。

 

その2年後の1986年夏ふたたび北京を訪ねました。日本で知り合った中国人留学生が夏休みに帰国しており「北京に着いたら電話してね」という約束だったのでレトロな電話器を回し彼女の名を呼びました。悲しいことに使える言葉は、鶴鳴フーミンという彼女の名とニーハオだけなので、なかなか意図が通じません。日本語を使っても仕方がないし、オレの英語は中学生にも劣るレベルであるし、そもそも英語が通じる気配もなかったので、ひたすら「ニーハオ、フーミン」を繰り返しましたが、無駄でした。

 

日本で再会したとき彼女は「受話器をとったのは母であり、相手が何かを伝えようとしていることは分かったが、意味がわからないまま切れてしまった」とのこと、家族の間でフーミンという日本語の発音が話題になったと笑っていました。そこで連絡がとれていたら彼女の案内で北京を歩けたのですが、惜しいことをしたものです。後日その話を別の留学生にするとやや表情を落とし「自宅に電話があるのは党幹部だけです」と教えてくれました。

 

 

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西安?北京? 1984

 

東南アジアでは4人乗りのバイクは珍しくありませんが

4人乗りの自転車を見たのは初めてでした

人力で走る自転車は環境性能において突出した乗り物です

皮肉でも嫌味でもなくChinaを歩いて心底羨ましく思ったのは

ヒトと家畜の共同作業たる土木、農業、流通、、、

何といっても天安門広場を流れる自転車の洪水でした

 

途方もない人口が労働を分配し、

環境と共生していたところへ

西洋由来の技術が持ち込まれ

「すごいね」「立派だね」と嬉しがっているうちに

独裁と組んだ電子技術は異様な進展を遂げ

Chinaマネーは世界に浸透し

巻き添えを喰らった国々は2020年の今

未来を明るく描けなくなりました

 

 

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重慶? 列車の窓から 1984

 

1980年代の中国人留学生にとって日本の物価は想像を絶するものではなかったかと思われます。たまに日本人学生が中国人留学生を交えて宴会をひらいたものですが、あるとき「会費5,000円は中国庶民の月収に近いのではないだろうか。国費留学生だからそれなりの奨学金は貰っているのだろうが、酒を飲んで月給全部吐き出すとなるとオレなら遠慮するわ」という尤もな提案があり日本人で割り勘したこともありました。

 

 

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農村風景/場所不明 1984

今のChinaは知りませんが

ラオス国境が近いベトナムの奥地

ディエンビエンフーの農村が思いだされます

 

ひと口に留学生と言っても各人各様です。来日した段階で日本語ぺらぺらの学生もいれば、そうでもない学生もいました。日本語ぺらぺら氏に初めて出会ったときは、発音にまったく癖がないのでむしろ不自然な感じがして「クニはどこか、関東か関西か」と訊いたくらいです。上海の自宅でラジオを聞きながら勉強したそうですが、自国で独学してこれだけの日本語があやつれるなんて凄い。おれの英語なんか話にもならんと反省させられたものです。世の中には発音はきれいでも中身がなくて退屈なヒトもいますが、ぺらぺら氏は暇さえあれば図書館で日本の新聞を読んでいたので込み入った時事にも通じていました。彼とは今も年賀のやりとりをしています。一方、北京で電話した彼女はどちらかといえばアカデミズムに熱い思いを持つタイプではなかったようですが、聞けば留学生を決定する段階で党幹部の子女は優位に立てるとのこと、古今変わらぬChinaの慣習ではあります。

 

 

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バスの窓から北京?1984

 人と自転車の道は

広場のように清々しい

 

ぺらぺら氏と出会ったのは1986年だから文化大革命終結した10年後になります。能天気な自分は、Chinaの現在を知るべく折りあるごとに水を向けましたが、彼は決して不用意な発言をすることはなかったです。批判という言葉を日本語で発してもさしたる重みはありませんが、それは文革の用語でもあり、彼にとって批判ピーパンは恐怖を想起させる言葉のようでした。具体的なことは憶測の域を越えませんが、触れてはならない闇を絶え間なく意識していたかと思われます。そこには結構な数の中国人留学生がいたものの皆が一致団結しているようでもなかったので、ひょっとすると留学生は互いに牽制しつつ言葉の地雷源を歩いていたのではなかったかと、、何を言おうと身の危険はなく、むしろ政権批判することがカッコいいとされる平和ボケ日本を振り返る良い機会ではありました。

201115記 つづく

 

 

 

         ### 高知の今###

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高知市春野201030

ススキvsセイタカアワダチソウ

 

一時は日本の秋を制覇するかと見えたセイタカアワダチソウですが、この北米原産の帰化植物に対抗し日本古来のススキはよく闘っています。

 

 

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高知市春野201109

 

動物が生存領域を争うように植物もまた根っこから化学物質を出したり、高く伸びて相手を影で覆ったり、相手が嫌がる微生物をおびき寄せたり、あの手この手で争っているのだそうです。

 

 

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高知市春野201109

 

若い人はどうか知りませんが、トシを重ねて記憶が積るとやはり月見は団子に芒という取り合わせでないとピンとこないのです。芒がんばれ! 外来種に負けんじゃねえぞと心の中で応援している自分が見えました。

 

 

ちょっと道草 201107  ウルトラマラソンの周辺5  球磨川から川辺川へ

 

 

 

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本年7月洪水時の人吉市中心部

西日本新聞201104よりてんさい(--!

 

 

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熊本県人吉市の鉄橋 200901

 

7月の線上降水帯による豪雨で堤防が決壊した人吉市。向かいの鉄路には9月になってもまだ濁流で押し流された木屑が引っかかっていました。木屑の高さを水平に広げて街を覆うと上記写真のようになります。

 

 

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球磨川堤防近くの民家 200901

 

堤防脇の民家には屋根に浮遊物が残されており、水没家屋の周辺では今なお多くの人がゴミの撤収作業に当たっていました。濁水が家屋に浸入すると家電製品を含め家財道具の一切が使い物にならず、粗大ゴミとして学校の校庭や空き地に積み上げられます。その量たるや凄まじく、これだけの物量をいったいどこへ運ぶのだろうと恐ろしくなります。加えて人吉では多くの死者を出し、その経緯は新聞テレビで大きく報道されました。

 

ただし映像は真実を伝えるかと考えたとき難しい問題が残ります。四次元世界を一枚の静止画に押し込めることは原理的に無理です。無理を承知で撮るのだから、撮り手は極端な部分を狙い、映像は視聴者に過大な印象を与えがちです。ビデオはもう少しマシですが、管の先からものを見ることに変わりはありません。見られてなんぼの映像は、そのあたりを差し引いて考えなければ全体像を見誤ることでしょう。

 

忘れもしない東日本大震災津波の爪痕を映像で見るかぎり東北沿岸部は壊滅したかのような印象を受けました。現場を歩くと、なるほど津波が舐めた海岸沿いは写真やビデオで見たとおりの地獄絵でしたが、振り返って国道を隔てた西側にはいつもと変わらぬ日常が続いているのでした。津波が街の隅々まで及んだわけではないので被害を受けなかった地域があって当然ですが、報道写真は日常を好まず、絵は極端に作られます。恐ろしい光景の傍らに普通の暮らしがあることに妙な違和感を覚えたものです。

 

 

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人吉市中心街より少し離れた球磨川沿いの制水工 200901

 

右側の出っ張りはまず間違いなく「近自然河川工法」による制水工⇒川に淀みをつくり、魚類の棲み家を担保する古くて新しい土木工法です。この上を豪雨時の濁流が流れましたが、形と機能は失われていないはず、実はこの近自然工法の跡が気になって、ここまでバイクを走らせたので、ちょっとした感激がありました。

 

その発案者である故福留脩文氏が講演会で、コンクリート三面張り工事のスライドを映写し「昔は水の流れを遮る大きな岩があると、発破をかけて砕き、川床を平らにして納入したものです」と苦笑したことを覚えています。川とは大いなる自然の一部であって、そこに強い力で人為が介入するとおかしなことになります。水が最短距離で海へ向かう道は水路であって川ではありません。

 

 

 

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五木村にむかう新設道路 200901

テレビクルーが橋詰から川辺川の渓谷を望む

 

 

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川辺川ダム湖に水没するはずだった谷間 200901

 

谷間の向こうの深い森で道に迷い、日は暮れる雨は降る、Google mapは使えない、巨大迷路を行ったり来たりして散々な目に遭いました。

 

 

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五木村 200901

 

左は高台に移転が終わった五木村。川沿いの中央部は村外の子どもたちを迎える林間学校のような施設です。川辺川ダム建設が進行中の2009年「コンクリートから人へ」の民主党によって工事は停止されましたが、2020年の水害後、もしも川辺川ダムが建設されていたら人吉市はこれほどの被害は受けなかっただろうとの声が高まるなか、あるいは再びダム工事が始まるかもしれません。とすればここは湖の底に沈みます。

 

 

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橋の欄干に嵌め込まれた五木村の成人式 / 撮影年不明

 

五木村の人口は1959年の6299人から2018年現在1116人に激減しました。山間部の人口はどこも減少しているので必ずしもダム計画が原因とはいえませんが、もはや山間地の成人式にこれだけの若者が集まることはなく、村の昔を知る人は寂しいことでしょう。

 

 

 

 

 

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五木の子守唄歌碑 200901

 

その昔バブルで舞い上がった時代に友人と連れ立って「熊本アートポリス」なる建築群を訪ねました。新たな挑戦やよしとのこのこ出かけたことでしたが、少なくともぼくが見た建築は、奇をてらい、目立ちたがるばかりで、じっと見つめていると胸が悪くなるようなものでした。後味の悪さを引きずりながら人吉に宿を取り、夜遅くまで友人と語り合ったことでした。

 

そのとき球磨川で高知発の「近自然河川工法」が使われ、「五木の子守唄」で有名な川辺川上流でダム建設が進行していることを知りました。ダムはどこにでもありますが、五木の子守唄の里はここにしかありません。台風に追われながらも、あえてこの村を通り九州の森を横断したのは唄に惹かれたからだろうなと思っています。

 

幸せいっぱいの人には縁のない唄ですが、悲しみを背負った人は、どこか御詠歌を思わせる寂声に包まれ、目頭を押さえて、もう少しがんばろうかという気になるのかもしれません。貧しさゆえの哀しみを美の世界にまで昇華させた詩人と作曲家および歌い手さんに心より敬意を表します。

201107記 つづく

 

 

五木の子守唄 山崎ハコhttps://www.youtube.com/watch?v=nFvUhswter4

武田の子守唄 山本潤子 https://www.youtube.com/watch?v=Xg_QDpVLGH0

島原の子守唄 緑崎香澄https://www.youtube.com/watch?v=rktrk_jIkdU

 

 

ちょっと道草 201103 ウルトラマラソン周辺4 四万十川から球磨川へ

 

 

 

戦後復興が始まった1950年代は「ダムの時代」と呼べるかも知れません。インフラ整備の基幹は電力確保にあり、電力は水力が主役の時代でした。全国の川という川に無数のダム計画が持ち上がり、四万十川流域には既存のダムを含めて13のダムが予定されました。行政としては一定の割合で反対運動につぶされることも想定したはず、反対、撤退を含めてのダム計画ではあったのでしょう。電気がなければ暮らしは成り立ちませんが、他人の暮らしを豊かにするために「はいどうぞ」と家も土地も提供できるかといえば、冗談ではありません。

 

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釧路湿原160926

 

むかし静岡県浜松市からダムを数えながらバイクで天竜川を遡ったことがあります。またあった、ここにもあったと指を折りながら源流の長野県諏訪湖にたどり着いたころには数が分からなくなりました。ネットで調べると2016年現在天竜川には本流に8基、支流を含めると22基ものダムがあります。細切れにされた水が農業、工業、生活用水にまわされ、落差で電気をつくるうちに川は痩せます。その意味で無傷とはいえないにせよ川の原形を保ち、カヌー好きが真っ先に指摘するところの釧路川四万十川は、今となっては特別な存在のようです。

 

美しくも悲しく「最後の清流」と呼ばれる四万十川を元高知県知事の橋本大二郎さんは、川を愛する人たちが集う講演会で「最後の清流か清流の最後か」と駄洒落を飛ばしましたが、笑えぬ冗談でした。支流の梼原川に本格的な津賀ダムがどんと座り、本流には分類上ダムではなく堰であるところの家地川ダムが水を湛えています。

 

ダムがなければ川は自然なままであるかといえば、ことはそれほど単純ではありません。山があり豊かな森が残っての清流ですから植林率実質日本一の高知の山は河川環境として十全とはいえません。四万十川の名に惹かれてやって来た県外客が、周辺の山々がどこまでもスギ・ヒノキの畑であることに気づいてさっさと帰ってしまったという話もあります。今となっては贅沢な願望かもしれませんが、保水力の弱い針葉樹の単層林ではなく、しっかり根を下ろした樹木が土をつかみ、水をたくわえていれば、大雨の日も日照りの日も川の水量が大きく変わることはなく、嵐の日に斜面の崩落を招くこともありません。山は「樹あるを以て貴しとなす」わけで、厚い年輪をもつ樹木で賑わう森が理想の森であり、天然のダムです。

 

そうは言っても平地に産業がなければ、人は山に入らざるをえません。かつては鬱蒼たる原生林であった森で炭を焼き、巨樹は筏で流し、河口の下田から全国へ運びました。(森の樹木+ヒトの暮らし)÷2=二次林がつくる里山になります。ヒトと自然の関係に現実的な折り合いを求めて生まれたのが「トトロの森」の雑木林なのでしょう。ヒトの匂いがのこる農山村を散策するのはよいもので、ぼくなど都市のきらびやかな人工物にはすっかり関心が失せ、棚田や段々畑を渡る風に「おもひでぽろぽろ」になったりします。

 

 

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熊本県瀬戸石ダム 180723

 

熊本県人吉市から球磨川を下ると瀬戸石ダムが見えます。ダムは高い所につくり、低いところへ水を導いて発電するものと思い込んでいましたが、ここではダムサイトに発電所が置かれ、わずか17mの落差で水車を回し、最大20,000Kw(通常3,000Kw)も発電するのだそうです。

 

 

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ダムサイトの壁に描かれた発電図 180723

 

それが何であれ動きさえあれば電気はつくれますが、このような発電方式があることを初めて知りました。1958年の竣工というから戦後復興におけるインフラ整備の一環なのでしょう。何がなんでも電気が欲しいという時代の執念が伝わってきます。

 

 

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撤去後の荒瀬ダム180723

 

瀬戸石ダムから少し下ったところに荒瀬ダム跡があります。何も知らずに道を走ればきれいな川にコンクリートの出っ張りが残ってら、くらいに思って通り過ぎるところですが、実はこのダム跡が見たくて来たのだから車を停めて歩きました。

 

 

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案内板の一部180723

ダム撤去の経緯は下記サイトが詳しい

 

https://www.youtube.com/watch?v=5WbN2U6qgaA

荒瀬ダム門柱爆破 3分ほど

 

https://www.youtube.com/watch?v=dFBCSGsJg1E&t=41s

荒瀬ダムの撤去 15分版 ⇦おすすめです

 

https://www.youtube.com/watch?v=MDjsu2wFQjY

荒瀬ダムの撤去 30分版

 

 

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四万十川源流 201002

 

まだ使えるダムをなぜ壊したのか?「清流を取り戻すためだ」と言ってしまえばそれまでですが、では「清流さえあればヒトは幸福に暮らせるのか?」と問い返された時どう応えるかは難しい問題です。

 

四万十川がなぜ清流を保てたのか?「田舎だから僻地だから」という言葉あそびもありますが、本当のところは暮らしの根幹たる土地を奪われたのでは生きていけないと地元住民が切迫した危機を覚えたからでしょう。高知県では1950年代からダム設置推進・反対運動が繰り返され、家族の暮らしがかかる地元民のみならず地域の存亡を賭けた首長連合が反対運動を展開しました。

 

「十和村の人々は1932年と1937年の満州開拓で悲劇を体験し、それ以来国に対する不信感が強い*」とのこと、当時の反対運動は死地を潜った者がもつ迫力があったようです。

田淵直樹「家地川ダム撤去運動への視点*」水資源・環境研究vol22 (2009)

 

 

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四万十川源流 湖底に沈むはずだった大野見久万秋周辺 201002

 

昭和36年(1961年)、知事の認可により再び測量が強行された。ダム反対期成同盟は故郷と清流守るため、実力で建設に反対することを宣言、体制の強化を図った。各部落から集まった人々は腰にノコギリ、手に鎌を持ち、目をギラギラさせていた。建設省の測点に火の手があがり、打たれた杭はいつの間にか煙となり、引かれる巻き尺もみるみるうちに寸断された。このかつて太平洋戦争の戦場で生き残った者のゲリラ戦を見て、村人達も笑いをこらえられなかったという*」

桑名隆一郎「永遠なる四万十川*」リヨン社p83

 

今の若い人は知らないでしょうが、日経平均株価が38,957円を記録した1989年をバブル経済の頂点とすれば、1990年代は「失われた10年」に向かいながらも経済は好調であり「1億総中流」という言葉がまんざら嘘でもなかった時代です。1991年のソ連崩壊によって世界の軍事情勢は安定し、Chinaは改革開放路線が緒についたばかりで大人しく、韓半島南は民主化路線に乗って目を輝かし、朝鮮半島北はひっそりと「この世の楽園」を謳歌していました。

 

社会が安定し、暮らしの不安が解消されるとヒトは豊かな文化を追い始めます。その最たるテーマが環境保護運動ではなかったでしょうか。野の草木に愛を送り、山も川も美しくあれかしと願う自然保護論者の心は文化的に高い位置にあります。そこを否定し経済一元論で突き進んだ日にはヒトは何のために生きているのか分からなくなるでしょう。闘争に破れ、あるいは誘致運動に成功し、田んぼも畑も、世代を通じて培った人間関係も、先祖の墓も何もかも失った。見たこともないカネを手にしたが、さてこれからどうやって生きて行こうと途方に暮れた人々も多かったのではないでしょうか。

 

荒っぽく言ってしまえば、食うや食わずの時代には、アユやウナギの心配をするより我が身の命をつなぐことで精一杯だから、川の水が塞き止められようが、曲げられようが、それが明日の飯と直結した問題でないかぎり誰も関心を持たないでしょう。ざっくり言ってそれが人間というものであり、世界の趨勢であり、開発途上国と呼ばれる国の現実なわけです。

 

江戸期の平穏は260年も続きましたが、石油エネルギーが解放され、Windows95が通信概念をガラリと変えたあたりで人類史は急速に回転を増し、2020年の今は、かつての100年が10年に圧縮されたかのようです。日本海東シナ海を挟んだ近隣諸国の変貌ぶりを見るにつけ、日本列島という特殊な風土が生んだ柔らかい文化は急速に失われ、荒々しい文明に取り込まれて消えるのではないかとさえ思われます。11月3日のアメリカ大統領選は日本の歴史にとっても大きな岐路になるでしょう。

 

 

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あえて残した荒瀬ダム東岸 180723

 

ざっくりそのような文脈で四万十川の水問題を捉え、その目で日本初のダム撤去をやってしまった荒瀬ダムを見に来ました。20世紀末は文化と文明が対決した時代であったと捉えることもありかと思います。通常、荒々しい文明とやわらかい文化が対立したとき、文明が文化を捩じ伏せることになりますが、バブルの1990年代は札びらが飛び交う狂乱の時代ではあったものの、社会も経済も安定し、人々が希望をもって未来を見つめた文化の時代であったともいえます。清流を取り戻すためにダムを撤去せよ論と、ふざけんなまだ使えるのに勿体ない残せ論を文化と文明の対立の構図で説くことも可能かと思います。

 

今朝こんな夢を見て目が覚めました。

外国人科学者が講演を終えたあと慰労の酒席に2人の日本人と自分がいました。賑やかな談笑にひと区切りつき場が静まったところで質問しました。「科学と技術を極限まで追求することは人間の夢ではありますが、近代科学は個別のテーマを深く掘り下げる他なく、そのことよって見失ったものは多い。たとえば原発の専門家なんていません。巨大技術は微細な専門領域の集積であり、みんなが細部を追求した結果、水力の何十倍、何百倍もの出力をもつ発電機をつくりあげましたが、機械があまりにも大き過ぎて全体が見えなくなりました。その後スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマと各国交代で爆弾回しが行われ、次はどの国で事故が起こるのか誰も知りません。

 

自分は小さなダムというか堰堤を見るのが趣味です。高知には野中兼山という江戸期の土木家がいて川にゆるやかな曲線をもつ堰を残してくれました。堰とは川に石を置いただけと冷たく言ってのけるムキもありますが、むかしの技術が退屈かといえばそうでもなく、人に教えられてよくよく目を凝らせば、複雑で美しい技術が各所に使われています。それで利水の目的は充分に果たし、かつ川の自然を痛めることは全くありません。堰は電気をつくりませんが、電気がなくてもヒトは生きられたわけだし、江戸期260年は21世紀のわれわれが想像もできないほど豊かな文化をつくり上げても来ました。たんなる懐古趣味ではなく、そこには現代土木が失った豊かなテクノロジーが残されているように思うのですが、、」

 

というようなことを語ったら3人は、否定はしなかったものの場の空気がシンとしたところで目が覚めました。夏目漱石の顰みに倣って「夢十夜」ならぬ夢の朝でした。

201103記 つづく

 

 

 

高知の今

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山雀 201031

 

毎朝やってくるヤマガラのご夫婦には、それぞれ個性があって、こいつはやたら人懐っこく軒先に吊るした小籠にヒマワリの種がないと新聞紙を揺らしたり、手に持ったiPhoneにとまったりして請求します。

 

 

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201031

 

その相方は臆病で、近づいたところで一声鳴いては方向転換します。むかし祭りの金魚すくいで取ってきた(餌キンと可哀相な名で呼ばれる)金魚にもヒトの気配を察して寄ってくるのがいれば、いつまで経っても懐かないのがいました。姿かたちは同じでも生きものにはみな個性があるようです。

ちょっと道草 201027 四万十川ウルトラマラソンの周辺3 家地川ダムの水争い

 

 

 

 

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家地川ダムを撤去する会の看板201004

 

この看板はどういう意味かといえば少し説明が要ります。むかし椎名誠倉本聡野田知佑といった有名人が中流域にカヌーを浮かべて四万十川の宣伝をしてくれました。四万十川にはダムがないから上流から河口までカヌーで下れるというのがウリでしたが、寡聞にして彼らが上流の水問題に目を向けたという話は聞きません。

 

 

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家地川ダム⇒家地川堰堤⇒佐賀取水堰180429

 

実を言うと四万十川の支流と呼ばれる梼原川には立派な津賀「ダム」があり、大きく蛇行して旧窪川町(いま四万十町)につながる本流には家地川「堰堤」があります。ダムと堰堤のちがいは堤の高さが15mあるかないかで区別されるので、背の低い家地川ダムは分類上堰堤とされ、したがって四万十川の本流にダムはないというマジックが成立します。

 

 

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家地川堰堤の湖水 180429

 

その家地川堰堤にたくわえられた水は、導水トンネルを伝って別水系の伊尾木川に落とされ、わずかな電力と引き換えに佐賀の海へ「棄て」られます。だから四万十川本流の水量が絞られ、アユの生息域は狭められ、流域住民は面白くないというわけです。

 

 

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伊尾木川 180429

 

発電を終えた水が

別水系に「棄て」られ

佐賀の海へ向かう

 

そこで立ち上がった川好きの医師センセイが「永遠なる四万十川」と題した写真集を出版しました。元環境庁長官鯨岡兵輔の賛も寄せられ、手間隙かけて撮った写真には愛情一杯の説明文がおかれています。末尾の論文には川と人のあるべき姿が冷静な目で描かれ、結論を短く言えば家地川堰堤を「撤去」せよというものでした。出版パーティーに招かれて話を聴いたところセンセイの戦略はとてもユニークでした。

 

四国電力に対抗するには多数を巻き込んだ撤去運動が必要だ。そのためにはカネが要る。幸い自分は皮膚科の医師である。皮膚の延長線上に髪があり、髪の不足で悩む人は世に多い。じつはねと小声になって、いま毛生え薬を開発している。これが成功したら資金ができる。それを使って四万十川の水を取り戻すのだという三段論法なのでした。

 

へぇ~皮膚と髪は関係があるのか。その話がホントだったらいいな。早いとこ頼むぜと半信半疑で期待しつつ、ある日別件で氏の診察室を尋ねたところ髪の話になり、ついでにオレの頭も見てもらうことになりました。センセイはちらと一瞥をくれた後やおらカメラを取り出し高いところからシャッターを切っては考え込んでいましたが、目はどこか自信がなさそうでした。育毛剤といっても効能は人によりけりだそうです。後日その話を九州から遊びにきてくれた友人にすると呵々大笑し「高知の人は面白いね」とばかにされました。

 

 

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家地川ダムの魚道 180429

 

ところがどっこい瓢箪から駒といえば失礼ですが、医学博士の創出した育毛剤は製薬会社が様々な名を付けて売り出したから、いささかの疑念を抱いた自分は反省せねばなりません。ヒトさまの財布を覗く趣味など毛頭ありませんが、あれだけ宣伝したからにはきっと資金もできたであろう。だから皆して「さあやるぞ」と旗を振ったかと言えば、そうでもなく家地川ダム撤去の話はいつしか立ち消えとなりました。それは決して四国電力という大組織に少数が立ち向かったところで勝てるものではないという年寄りくさい思考に陥ったわけではなく、環境保護とは別の事情があったようです。そのような次第で大河は、川好き鮎好きの悲しみを乗せ、時は流れて今に至ります。が話はもう少し続きます。

 

 

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家地川ダム下流側 180429

 

一昨年、家地川ダムを訪ねて職員に訊くと「規則どおり一定の流量は川下に流しています」とのことでした。踏み込んで確認したわけではありませんが、逆にいえば「規則」のない昔、水はダムで完全遮断され、写真の河原は魚道の手前まで広がっていたはずです。

 

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家地川ダム=佐賀取水堰の地図と河川維持流量の立て札180429

 

とすれば「撤去」せよというセンセイと流域漁協の声は無駄に消えたわけではなく、その幾ばくかは四国電力に届き、結果として写真の河川維持水量が放水されることになったのかもしれません。であるなら 家地川ダム=佐賀取水堰で分断された伊尾木川=四国電力vs四万十川=流域住民の水争いは痛み分けというか7対3くらいで四国電力のカチなのでしょう。が、まあ世の中こんなものかと。ちなみに既存のダム撤去日本初の栄誉(?)は熊本県に取られました。その経緯は次号で触れます。201021記

 

 

追記

どうも気になるので家地川ダム⇒佐賀取水堰の担当者に電話で問い合わせたところ写真の看板にある河川維持流量は、昭和63年(1988年)旧建設省が策定した法律に沿い、平成13年(2001年)の水利権更新年に合わせて放流量を増したとのことです。それまでは「魚道に水を流すだけ」だったから堰堤下流は干上がっていたはずですが、今では佐賀取水堰から津賀ダム下流域まで水が流れ、それなりに川が復活したことはGoogle mapでも確認できます。

 

 

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「永遠なる四万十川」p95 に置かれた古い写真 撮影年不明

 

写真は家地川ダムの下流

魚道に水はない

涸れ川はここから始まる

 

さて、国の方針に沿って規定量を放流していることは分かりましたが、国が全国すべてのダムに事細かな指令を出すわけもなく、実際の流量設定は現場が行うはずです。その「放流量を具体的に設定する際、かつてダム撤去まで訴えた流域住民の声はどう反映されたのですか?」と担当者に問うたところ「流域漁協のお声はしっかり聴かせていただきました」「すると住民の声は反映されているのですね?」「住民のご意見には誠意をもって対応させてもらいましたが、その声が流量と関係があるかというと、あるとはいえません」「すると住民の声は無視されたのですか?」「いやそういうわけではありません」「、、、?」と概ねそのような埒の明かない話がつづきました。

 

電話の向こうのやや苦しそうな声から、反対住民に善意と笑顔で対応せねばならない担当者のつらい胸の内が想像されましたが、別段えぐい話を持ち込んでいるわけじゃねえんだから構えなくてもいいんじゃないのと思うものの、どこの馬の骨かわからない相手に言質を取られてはかなわんという相手方の気持ちもよく分かり、しつこく追うことはやめました。それにしても20年も前の小規模ダムの放流量ていどの質問に言葉を選ばねばならない立場ってつらいやろな、でも立場のしんどさは働く人なら誰でも経験があることだし、攻めと守りの関係は、言ってみればお気楽野党が問題点をつまみ食いして与党を責める図みたいなもので、生産的な議論にはならず、傍から見るとバカにかわらんので、お互いが傷つかないうちに長い電話を終えました。

201027記 つづく

ちょっと道草 201022 四万十川ウルトラマラソンの周辺2  沈下橋 ジップライン

 

 

 

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旧大正町(いま四万十町)の沈下橋 201004

 

画面を広げると川に体を半分沈めたヒトの姿が見えます。アユ竿を振って川面を見つめていると「川がおのれか己が川か」わからない忘我の境に達するそうですが、釣具屋に置かれた軽くて美しい鮎竿には小さな値札に恐ろしい数字が書かれているから要注意です。まあアユだけ欲しければ買えばよいので釣り師の目的はちがうところにあるのでしょう。

 

 

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西土佐 半家沈下橋 201004

 

川の荒ぶる姿が見たい観光客の皆さまには、ぜひ台風が通過する大雨の日においでください。降った雨が川に集まり見る見る増水して沈下橋の橋桁に達したころハンドルを握って向こう岸まで渡り切ったら非常な達成感が得られるかと思います。ただし橋と直角に流れる濁水が目に錯覚を起こすこともあるからご用心^^

 

昔の川は大雨のあともささ濁りの水が、ゆるやかに上がったり下がったりしたものですが、森のダムが失われた今は水流も水質も変わりました。年間降雨量日本一の高知県では、森に降った雨がスギ・ヒノキの植林を滑り落ち、川の水嵩を増したかと思えば、あっという間に引き、引いた後は増水時の高さを示すかのようにビニールごみが木の枝に引っかかってシュールな風景をつくります。それでもカヌー好きに「好きな川は?」と訊けば、ただちに釧路川四万十川が挙げられるから川沿いを100㎞も走るウルトラランナーは元気です、とはいえ今年はコロナで中止に追いやられましたが(--

 

 

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四万十町十和の第一三島沈下橋 201004

 

この沈下橋は今も現役の道路なのですが、釣り客がふたり橋の上に寝っころがって竿の下を覗いていました^^!  洪水時の水の抵抗を下げるため橋桁の縁は丸められており、酔っぱらって月見なんかしていると危険です。が、まあ落ちたって泳げばいいじゃんというヒトには沈下橋ならではのスリルが味わえます。深夜に川面から首を出して見る月は兼好法師の説く「配所の月」にもまさる美を見せてくれることでしょう。

 

夏場は地元の中学生なんかが橋からジャンプしてはしゃいでいますが、彼らは川の怖さをよく知っているから楽しく遊べるのであって、天候、水量、安全な場所が読めない県外客がプールのノリで飛び込むとそのまま浮き上がってこないことがあります。事故に遭った人はもとより、仕事をなぐれて捜索に駆り出される消防隊員も大変です。

 

何年か前ゴムボートで2日かけて川下りした経験から言うと、さして水量もない夏の日でも川には至るところに魔の仕掛けが置かれていました。水と一緒にゆったり流れていても川幅が急に狭まるとボートは制御できないほどの速さになり、その勢いで曲がりの淵に差しかかると、水は渦巻き、かたわらで不気味に盛り上がった水が波紋を広げています。そんなところへ川に不慣れな人が落ち込んだら、急流の横圧で水中の岩肌に張り付けられるかもしれず、濁水にまぎれて上下感覚を失うかもしれません。パニックを起こしたら残された時間はわずかです。

 

そうは言ってもせっかく四万十川までやって来たのだからという元気者は、中学生と一緒に飛び込むのが賢い遊び方ですね。泳ぐのはちょっとなというジジババは、屋形舟に乗って川岸の風景をたのしみながらエビやウナギのお弁当をあけるのもよろしいかと。川にはうねりがないので平底の川船で七輪を使うこともできます。舟によっては投網のエキシビジョンを見せてくれることもありますが、客の前でちょっと投げたくらいで成果を期待されると船頭はつらいでしょう。

 

 

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四万十町十和  予土線第4四万十橋梁のトラス橋  201004

 

かつて鉄道は物流を促し生産性を上げるための投資でしたが、いまは鉄道本来の目的から大きく外れ、観光客を楽しませるトロッコ列車を曳くようになりました。ミッキーちゃんの東京ディズニーみたいにちんけな遊び場ではなく、ここは高知と愛媛にまたがる巨大テーマパークなのです。ウソ偽りのない川が流れ、魚が泳ぎ、いささかの入漁料を払えばアユが釣れ、子どもは川遊びができます。二人連れでサイクリングしたり、川辺で石切りしたり、黒ずくめの集団がハーレーダビッドソンでドコドコ走ったり、ここにはテーマパークが構築する擬似的な自然空間が昔から只であります。もしも豊島園の経営者が四万十川に目を付けていたらコロナで倒産はなかったろうにと、ついいらんことを、、

 

気がつけば30年も昔の話になりましたが、日本経済が絶頂期のころカネは唸るほどあってもモノの生産にむけた投資先がないという時代に「遊びが経済を回す」というイミフな概念が持ち込まれました。生産と消費の関係式からヒトの幸福がつくられていたところへ遊びが割り込んできたので、ぼくなどびっくりしたものですが、あれよあれよという間に世は移り、いつしか国が国民にカネを配って遊べ、泊まれ、メシを食えだなんてことになりました。21世紀のぼくらは資本主義も社会主義も突き抜けた、まだ名前のない経済の中に放られています。

 

 

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四万十町十和 201004

 

向かいはジップラインの発進地、手前の川岸は舟で上陸する遊客です。川はあちらとこちらを分断する場ですが、ここでは舟にのって時間をかけ目的地へ着く前に胸の高まりをつくる水の道になっています。神社仏閣の参道みたいなものです。

 

 

 

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ふたりでGo!

大声で叫ぶ間もなく対岸へ

いま大人気です

 

これは誰の発案かと訊いたら「地元の議員さんがどこかで仕入れてきた」とのこと。県外にはけっこうある遊びのようですが、噂の四万十川をジップラインで渡ったヒトはそれなりのステイタスをゲットできるのかも。むかし橋本大二郎さんが県知事をやっていたころ高知に名所をつくろうというフォーラムで高知大学の学生が「足摺岬バンジージャンプ」という大胆な提案をしました。あの岬で恐怖をたのしむのは若い者にまかせ、ワイヤーに吊られて川を渡るくらいならぼくにも出来そうだから折りをみて一度と思っています。四万十川は別名「渡川」とも言います。空中を渡りながら見る川の風景ってどんなでしょう、やってみるまで分かりません。

 

 

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栗が最盛期です 201004

 

201022 記 つづく