ひとり旅 240209 日本所々(30) 幸福駅

 

 

 

 

 

 

北海道帯広市

 

 

2015.10.16 北海道帯広市幸福駅

 

もう9年も前のこと

様似町はアポイ岳から車を走らせ

(ホリエモン他が民間ロケットを飛ばす)

大樹町を越えて帯広市に入ると

記憶の片隅にあった幸福駅に出くわしました

 

 

北海道帯広市幸福駅  2015.10.16 

 

旅行カバンを曳く女性の後を行くと駅舎の壁に

「幸福ゆき」の切符が桜吹雪のごとく舞っていました

なんと言っても幸福駅なので訪れた人はみな

わが人生に幸あらんと祈るようです

 

 

壁に貼られた絵馬代わりの切符  2015.10.16 

 

神社の絵馬には合格祈願、病気平癒、家内安全が多く、ここでも

「受験に受かって将来有望な~幸せになりますように」

という合格⇒出世⇒幸せ願いもありますが

「10年後に自分の家族と一緒に来れますように」

「おじいちゃんおばあちゃんになるまで仲良しでいられますように」と

若い人たちが幸せな人生を願うパターンが多いようです

 

 

幸福駅の現代版”絵馬”   2015.10.16 

 

ちいさな幸せは結婚から始まるのでしょうか

駅舎にはこのような写真がどっさり貼られていました

よかったねケンカすんなよと年寄りの声が聞こえます^^

 

帯広市には愛国駅と幸福駅があり

切符には「愛国から幸福ゆき」と書かれています

人生はいろいろだから期待通りにはならんぞ

というシニカルな声もありましょうが

旅の土産に「幸福ゆき」の切符を求め

結婚前の女性に渡したところ

けっこううまくやっているようなので

それなりに御利益があるのかも…

 

 

駅舎内の展示写真より  2015.10.16 

 

これ以上シンプルな建築はないでしょう

開拓時代を髣髴させる駅舎です

 

 

駅舎内の展示写真より  2015.10.16 

 

「さよなら幸福駅1975年」とあるので

これが幸福駅に向かった最後のSLでしょう

見事な構図の写真です

 

 

駅舎内の展示写真より  2015.10.16 

 

春を愛する人は ♪

「四季の歌」で有名な芹洋子さん

1973年の写真です

 

1972年、日中国交回復 浅間山荘事件 沖縄返還 横井庄一軍曹グアム島より帰還

1973年、変動相場制移行 第一次石油ショック

1974年、小野田寛郎少尉が29年間滞在したルバング島より帰還

1975年、ベトナム戦争終結

 

1955年~1973年までの19年間は高度経済成長期にあたります

敗戦後の復興過程にあって明るい未来が見えた時代ではありました

 

▼昨秋より「特攻」とは何かと考えながら各所の軍事碑を訪ね、平和祈念館をまわり、図書館で借りた本をめくっているうちに梅が咲き桜の蕾が膨らみました。生まれて生きて滅ぶことは命ある存在の宿命ですが、滅びのかたちはヒトそれぞれです。病を得また寿命を迎え、いつとは知れぬ別れがあれば、特攻という名の確定した別れもあります。生存時間を限定された特攻空間には、意識を極限まで煮詰めた言葉の世界があるはず、彼らが遺した文言には検閲の壁を破ってにじみ出る意識が見え隠れします。

 

デジカメが世に現れて以来

パソコンに写真がどっさり溜まりました

事情で長い旅ができなくなったので

しばらくパソコンにタイムスリップする予定です

2024.02.09記 つづく