タイ北部の旧都チェンライでバイクを借り北へ向けて60㎞ほど走った。この辺りはゴールデントライアングルと呼ばれるかつての麻薬地帯だが、同時にタイ、ラオス、ミャンマーが国境を接するお米の三角形でもある。
雨期とはいえ日本の梅雨のように一日中じめじめしているわけではなく、夕立の親方みたいなのが雷と一緒に大粒の雨を落としたら、大喧嘩が済んで綺麗さっぱり仲直りしたような青空が広がる。内陸のせいか文明の汚染が少ないからか、澄んだ大気を透かして強い日差しが降り注ぐ。広い農地に稲が揺れ、遠方で山の稜線が複雑な線を描く。なぜか無性に懐かしかった。
そのむかし埼玉県は浦和市で新聞配達をしていた頃むしゃくしゃする日はバイクを飛ばして郊外に出た。田んぼに稲穂が揺れ、子どもがザリガニを釣って遊ぶのを見ていると妙に心が落ち着くのであった。ぼくは農家の伜だから稲の記憶が染みついている。中国南部を含め、ざっくりこの辺りが稲作文化の発祥の地のはず、記憶の片隅にある原風景なのかもしれない。
チェンマイでは外国人客に田植えをさせる観光農業がある。麦文化の彼らに水田の記憶はなくても足の裏に艶かしく大地を感じる原始の悦びは残存しているのだろう。白人の若者も裸足で田んぼに入って嬉しそうだ。
高知の山奥、四万十川の上流で棚田の一角を借り、にわか農業にいそしんだことがある。四万十川だから年会費4万10円という根拠があるようなないような数字を大阪の新聞社で働く友人と割って2万5円を出し合った。田植えと稲刈りには同僚を連れて手伝いにきた。編集を担当していた一人 が「この写真は一面ですよ!」とおだててくれた一枚である。
標高500mの山の斜面に田んぼがある。言ってしまえばそれまでだが、かつては鬱蒼たる原始の森で、そこに機械と化学肥料が入ったのはごく最近の出来事だ。木は鋸で伐り、石を集めて法面を補強し、牛と一緒に耕した長い歴史が形として残る。その一角を借りてぼくらは観光農業を愉しんだ。参加者の労力を経費として算入し、大阪往復の高速料金も含め一切合切を収穫したお米で割ったら一握り1万円ほどの計算になった。「あんたら大事な休暇とおカネを使ってこんなとこで稲刈りして何が嬉しいの?」と問うたら元々口は達者な人たちだから、それなりの返答は戻ってくるのだが、今ひとつ言葉に実感がない。言葉は目と頭で組み立てるものだが、田植えや稲刈りは骨と筋肉の労働だから微妙なところは言葉に直せないのだろう。
お米には細長いインディカ米と丸くて太いジャポニカ米がある。アユタヤAyuttayaの遺跡を廻っていたらチェンライTiang Raiにいる友人から「遺跡の煉瓦には強度を上げるために籾殻が混じっているはずだ。それはインディカ米かジャポニカ米か確認してくれ」という不思議なメールが届いた。へぇ~遺跡にはそんな見方もあるんだと思いながら塔の欠け目や道端に転がっている破片を探った。
お米が人口をつくり、人口が権力と建築を生んだ。広々とした大地で土を捏ね、自然の素材を限界まで積み上げて得た高さには威厳がある。同時に塔の丸みが人を優しく迎える。
仏像は砂岩を何体かに分割して彫り、設置時に組み立てる方式のようだ。
象の背中から見た街の風景。角度を付けて見下ろすとえらくなったような気がする。これ以上の高さを求める人はキリンの首にぶら下がる他ない。象の背中でこの一枚を撮るのは難しかった。
観光客を乗せたときは、あっちへ傾きこっちへ傾きしながらゆっくり歩いてくれるが、急ぎ足だとけっこう速い。トップスピードは200m後半のウサインボルトと同じ100m/9.2秒というから相当なものだ。軍事用の象が戦闘状態に入ったら地べたの兵隊は怖いやろな、、お米が作ったタイ文化というところに無理やり遺跡を引っかけてこの段おしまい(^^
181102記