私事ながら実家で悲しい出来事があり
兄ともども途方に暮れています
どうしたものかと迷っていた矢先こんどは
知り合いの陶芸家が個展の開催前日に逝ってしまい
春爛漫の花のお屋敷で別れの挨拶をしてきました
悲しいときには悲しい歌が心をなぐさめてくれます
伊勢物語末尾の歌
むかし男わづらひて心地死ぬべく覚えければ
ついにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを (在原業平)
いずれは誰もが行く道であることは知っていても
今日の我が身とは思わない(思いたくない)のが人情です
この歌は「男」自身の無常を詠んだものですが
在原業平には他者の生を願う哀悼歌もあります
世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もと祈る人の子のため (在原業平)
それが避けられぬ別れであることは知っているけれど
愛する他者の幸福を祈り、千年も万年も
この世を愉しんでほしいという歌です
岩手県花巻市のとなり奥州市生まれの大谷翔平選手は「雨ニモ風ニモ雪ニモ夏ノ暑サニモ」に負けない丈夫な体をもち、途方もない収入を得ながら金銭には執着せず、ここ一番の勝負時には顔つきを変えるものの「決シテ瞋ラズ」「イツモ静カニ笑ツテ」います。
最愛の妹「とし子」を失った宮沢賢治は失意のうちに北海道を旅し、稚内から樺太へ渡りました。遺族にとって身内の死は生の一部をもぎ取られることであり、愛が深ければ深いほど悲しみも深まります。ヒトは他者との関係性のなかで生きており、宮沢賢治が説くように「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」わけです。
郷土詩人の言葉を受けたかどうか、ホームランバッターの大谷翔平が時にバントヒットを試みるのは、チームが「ぜんたい幸福になることを」を狙ってのことでしょう。個人記録の達成だけがショーヘイ選手の目標ではないからだと思われます。
親を思ふ心にまさる親ごころ今日のおとずれ何と聴くらむ (吉田松陰)
子の幸福を願う「親ごころ」を承知しつつ
今日この世と別れねばならぬ子の我を
親の立場から詠んだ歌です
死に際してなお
他者の目で自己を照らし
今の存在と次なる不在を
未来から読み取った29歳の若者とは何か
個は他者とともに在り
他者を含む我々は
共同体と共にあります
John Donne (1572-1631) ネットより
映画冒頭部に置かれたジョン・ダンの詩
なんぴとも一島嶼にてはあらず
なんぴともみずからにして全きはなし
人はみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ)
本土のひとひら
そのひとひらの土塊を
波の来たりて洗ひゆけば
洗われしだけ欧州の土の失せるは
さながらに岬の失せるなり
汝が友どちや汝(なれ)みずからの荘園(その)の失せるなり
なんぴとのみまかりゆくもこれに似て
みずからを殺ぐにひとし
そはわれもまた人類の一部なれば
ゆえに問うなかれ
そは汝がために鳴るなれば
その昔、北アフリカはモロッコ在住の友人から「上記の詩を全文正確に教えてくれ」との電話が入りました。書き物をしていて引用の必要があったようです。彼によると、
外国に赴任した人には概ね2つの種類がある
➀外国を肯定し日本を否定するタイプと
➁外国を否定し日本を礼賛するタイプだとのこと
外国で長く暮らすと否応なしに
国家を意識せざるを得ないようです
ただ、いずれの国家に帰属意識をもつにせよ
「人はみな大陸の一塊」すなわち
個人は集団の一部であり
他者の死は「みずからを殺ぐにひとしい」と言えます
言い替えれば、個の最小単位は2だとも言えます
2023.04.01記 つづく
For Whom the Bell Tolls
No man is an island, entire of itself;
every man is a piece of the continent,
a part of the main.
If a clod be washed away by the sea,
Europe is the less,
as well as if a promontorywere,
as well as if a manor of thy friend's or of thine own were:
any man's death diminishes me,
because I am involved in mankind,
and therefore never send to know
for whom the bells tolls;
it tolls for thee.
John Donne
Devotions upon
Emergent Occasions, no. 17
(Meditation)
1624 (published)