ひとり旅 231015 特攻(2) 「人間爆弾」関行雄大尉 高知の掩体壕
大正10年生まれの関行雄大尉(23歳)は昭和19年5月渡辺満里子(22歳)と結婚、わずか5カ月後の10月25日にフィリピンはルソン島マバラカット基地から出撃し「世界最初の正式人間爆弾」として米空母に突入、散華しました。霞が関の予科練第42期飛行学生に宛てた遺書には「教え子は散れ山櫻 われの如くに」とあります。
石鎚小中学校跡の立て札には特攻後「軍神」と呼ばれて称賛を浴びたが、敗戦後は「戦争犯罪人」の汚名を着せられ海軍消滅により母への「遺族年金」も止まったとあります。▼大正7年生まれのぼくの父は朝鮮北部(今の北朝鮮)の鉄工所で働いており招集されて満洲はハルビンの西方チチハルで従軍し引揚げ後76歳で逝去しました。しかし現在95歳の母は今も軍人恩給を受け取っていることから陸軍だって消滅したのになぜという疑念がなくもありません。それはさておき、
軍神から戦争犯罪人へ転落したのはなぜか?
鹿児島の特攻基地であった鹿屋、知覧、万世の平和資料館を訪ね
確定した死と向き合う若者の心を思ったことでした
「この掩体は、旧高知海軍航空隊所属の飛行機を攻撃から守るための格納庫である。昭和16年から20年の終戦直前まで飛行場からの誘導線に沿って、鉄筋コンクリートのものが9基、木や竹、土のものがいくつか造られた。現在コンクリートのものが7基残っている」
掩体壕の解説看板 2021.10.18
「ここは予科練(飛行予科練習生)卒業者のうち偵察搭乗員の実技教育をする飛練(飛行術偵察専修練習生)本科の練習航空隊であった。その練習機が『白菊』である。昭和20年5月から白菊に爆弾を2個のせて『神風特別攻撃隊菊水部隊白菊隊』として沖縄へ悲劇の出撃をするのである」とあります。
訓練を終えた練習生は高知の空から
鹿児島県の鹿屋、知覧、万世あるいは
台湾、フィリピンへ渡り水盃を交わしたのでしょう
知覧特攻平和会館には全国から参集した特攻兵の中に
高知出身者が(たしか)2名おりました
(撮影禁止のため記憶曖昧)
ちなみに令和の今「白菊」は仙頭酒造
「菊水」は菊水酒造の銘柄となり
われわれは平時の盃を愉しんでいますが
たまには幸せの意味を振り返ることも必要かと…
水盃で出撃 左から三人目が関行男大尉 ネットより
敷島隊の出撃 ネットより
腹に抱いた250㎏爆弾もろとも
敵艦に突っ込むという壮烈な死です
敷島隊の出撃 ネットより
出撃、未発見、帰還を繰り返した5日目の
10月25日にエンジン不調の1機を残し、敷島隊は
死と引き換えの大戦果を挙げました
関行男大尉の両親への遺書
父上様、母上様
西条の母上には幼時より御苦労ばかりおかけ致し、不幸の段御許し下さいませ
今回帝国勝敗の岐路に立ち、身を以って君恩に報ずる覚悟です。武人の本懐此れにすぐるものはありません。鎌倉の御両親に於かれましては、本当に心から可愛がっていただき 其の御恩に報ゆる事も出来ずに行く事を御許し下さいませ
本日 帝国のため 身を以って母艦に体当たりを行い 君恩に報ずる覚悟です
皆様御体大切に
妻・満里子(新婚三カ月)宛の遺書
満里子様
何もしてやる事も出来ず 散り行く事はお前に対して誠に済まぬと思っている
何も云わずとも 武人の妻の覚悟は充分出来て居ると思ふ 御両親に孝養を専一と心掛け生活して行く様 色々思出をたどりながら出発前に記す
恵美ちゃん坊主も元気でやれ
むろん検閲を経た遺書であり、去りゆく者の心象を
はばからず描いたものではありませんが、むしろ
そのことが読み手の想像力を刺激します
2023.10.15記 つづく