ひとり旅 231010  神風特別攻撃隊第一号 関行雄大尉   ハマスvsイスラエル

 

 

 

 

愛媛県西条市より石鎚山方面を見る 2023.10.05

 

愛媛県西条市から石鎚山の登り口へ向かうと道が二手に別れ、日帰り登山のロープウェイ方面と麓で一泊し諏訪神社を経て登る旧道があります。旧道はスギ、ヒノキの植林に覆われた小道ですが、山の斜面に石組が残っていることから、かつてここには段々畑があり人の暮らしがあったことがわかります。

 

 

 段々畑の積み石   2023.10.05

 

積み石は層によって方向が異なり

行って戻るから「イッテコイ積み」なのだと

土建業の社長さんが教えてくれました

 

その石垣に樹齢50年は下らないと思われる杉の巨木が並ぶのは、村人が山里を捨てる前に植林したからでしょう。同じ植林でも手入れが行き届いた京都の北山杉は美しい景観をつくりますが、概して四国の山々は事後の手入れがなされておらず、植え捨てと言えば失礼ながら人工の森に踏み込むと荒れ放題です。森に暮らしがあったころ麦や芋が植わっていたはずの段々畑にスギの巨木がデンと坐って天に向かうと何かちぐはぐな感じがします。

 

 

石槌小中学校跡 2023.10.05

 

その道路脇に

小学校と中学校の門柱が残り

中央に立て札が置かれています

 

 

立て札 2023.10.05

 

立て札には

大東亜戦争時、特別攻撃隊第一号として

自らの生命を投げ出し、国を護られた西条市大町ご出身

関行雄大尉のご母堂サカエ様のご終焉の地…とあり

 

関行雄大尉のご母堂サカエ様は、大尉が海軍兵学校(士官学校)在学中にご主人を亡くし、大尉が23歳で特攻、散華なさると、孤独になられました。報道機関は戦意高揚のためサカエ様を「軍神の母」と賛美し、散々報道で利用しました。

 

 

息子の特攻後、弔問客を迎える母サカエ様

 

ところが敗戦が決定的になると、社会はその鬱憤をサカエ様に向け「戦争加担者」として迫害しました。さらに大尉までも、生命をかけて守り抜いた郷土の人たちから「戦争犯罪人」と汚名を着せられました。

 

サカエ様は海軍消滅で大尉の遺族年金が止まると、草餅を行商する困窮した生活を余儀なくされました。その様子を見かねた知人のつてで、ここ石槌中学校の用務員に採用され、55歳で一生を終えられました」...とあります

 

 

敷島隊の出撃  wikiより

 

敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花   (本居宣長)

 

江戸期の国学者本居宣長は、朱色の葉とともに咲く山桜に事寄せ、漢心(からごころ)に対する大和心を淡く美しく詠んだわけですが、戦意高揚のため大和心は「大和魂」となり軍歌として勇ましく歌われました。神風特別攻撃隊は「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」と別れ、上記のごとく関行雄大尉の「敷島隊」は出撃5日目にして敵艦隊と遭遇、低空から敵艦に迫ったあと高空へ舞い上がり250㎏爆弾を抱えたまま再び海上の一点を目指しました。

 

昭和19年10月19日 神風特別攻撃隊「敷島隊」の指揮官発令

昭和19年10月21日 出撃、敵機動部隊を発見できず帰投

昭和19年10月22日 出撃、敵機動部隊を発見できず帰投

昭和19年10月23日 出撃、敵機動部隊を発見できず帰投

昭和19年10月24日 出撃、敵機動部隊を発見できず帰投

昭和19年10月25日 出撃、米空母セント・ローに体当り散華(享年23歳)

 

 

敷島隊の突入で爆沈する護衛空母セントロー   wikiより

 

敷島隊10機(爆装6、直掩4)のうち1機はエンジン不調のため引き返したとあるので、5機の突入を4機の直掩隊が見届けたことになります。しかし命懸けの三次元空間においてどの機がどの艦に突入したかを目視するのは至難の業らしく空母セントローを撃沈したのが誰であったかは確定しがたいようです。ともあれ人類初の「人間爆弾」によって「空母1に2機命中撃沈確実、空母1に1機命中大火災、巡洋艦1に1機命中撃沈wiki」という大戦果を挙げたことは事実であり、それは関行雄大尉を隊長とする隊全体の戦果と捉えるべきでしょう。5名の特攻隊員と引き換えに149名の米兵が命を失いました。以下その経緯をwikiより抜粋します。

 

「そこに関が率いる敷島隊5機が急降下してきたが、各艦のレーダーには多数の機影が映っており、日本機の接近に気づくものはいなかった。敷島隊の先頭の1機が、戦艦の巨砲の命中でいくつもの傷口が開いていたカリニン・ベイめがけて突入し、飛行甲板に数個の穴をあけて火災多数を生じさせたが、搭載していた爆弾は不発であった。この最初にカリニン・ベイに突入した機が関の搭乗機であったという説もある。カリニン・ベイにはもう1機が海面突入寸前に至近で爆発して損害を与え、2機の突入により5名の戦死者と55名の負傷者が生じさせたが、カリニン・ベイは栗田艦隊との海戦で15発以上の命中弾を浴びていたにもかかわらず、沈没は免れた。

 

 

護衛空母ホワイト・プレインズに迫る敷島隊の零戦  wikiより

 

護衛空母ホワイト・プレインズに向かって急降下していた零戦1機がホワイト・プレインズの対空機銃が命中し損傷したため、目標をセント・ローに変更し、セント・ローの艦尾1,000mに迫ると、そこから高度30mまで下げてまるで着艦でもするような態勢で急接近してきた。セント・ローの乗組員たちは搭載していたMk.IV20mm機関砲とボフォース 40mm機関砲で応戦したが、零戦はそのまま発見1分後に、飛行甲板中央に命中した。零戦が命中した瞬間に航空燃料が爆発して、猛烈な火炎が飛行甲板を覆い、搭載していた250kg爆弾は飛行甲板を貫通して格納庫で爆発した。その爆発で格納庫内の高オクタンの航空燃料が誘爆し、連鎖的に 爆弾や弾薬が次々と誘爆した。手が付けられないと判断したフランシス・J・マッケンナ艦長は特攻機が命中したわずか2-3分後の10時56分に総員退艦を命じ、その後も何度も大爆発を繰り返して30分後に沈没した。114名が戦死もしくは行方不明になり、救助された784名の半数が負傷したり火傷を負っていたが、そのうち30名が後日死亡した。このセント・ローを仕留めた零戦が関の搭乗機だという説が広く認知されているが、このセント・ローに突入した零戦の製造プレートは沈没直前に回収されており、製造番号2968、製品番号9306の表示が刻印してあるが、これが関機のものであったかは不明である。

 

他にも護衛空母キトカン・ベイに1機が突入し、艦橋を掠めて飛行甲板外の通路に命中したが、爆弾が艦を貫通して海上で爆発したため大きな被害は与えることができなかった。このキトカン・ベイに突入したのが関の搭乗機であるという主張もあるが、いずれにしても、敷島隊のどの機がどの空母に突入したかを特定するのは困難である。さらに、ホワイト・プレインズ直上で特攻機が爆発して同艦に火災を生じさせた。

 

この様子は直援機の「ラバウルの魔王」とも呼ばれたエース・パイロットの西沢広義曹長によって確認された。西沢は関らの突入を見届けたのち、12時20分ごろにセブ島に帰還した」以下略(wiki他に長文の関連記事あり) 戦争終結10カ月前の出来事でした

2023.10.10記 つづく

 

 

 

< 2023年の現在史 >

かつてイスラエルの首都テルアビブに居をかまえ

ヨルダン川西岸のパレスチナで仕事をした友人に下記の

メールを送ったところ長文の返信が届きました

 

ハマスイスラエルがあのようなことです。今ごろガザ地区は大反撃を喰らって死屍累々ではないでしょうか。ぼくの頭にある図式では、大戦後パレスチナ人の住処にユダヤ人が侵入した。パレスチナの先住民が土地を返せと物申すのは当たり前だ。しかし戦後は78年目に入った。イスラエルにも言い分はある...程度のことしか考えられません。テルアビブでのご経験から今次の争いをどのように見ますか? 

2023年10月9日(月) 6:06

 

返信の要点

今次の攻撃は南部ガザ地区武装集団「ハマスが独断でやっており、ヨルダン川西岸のファタハパレスチナ政府)は”あの野郎、何やっているんだ”と罵声を上げているかもしれない」「ファタハイスラエルは裏で繋がっている」

 

この争いを「ハマスイスラエルの関係だけで見ることはできない」「アメリカ、ロシア、中国、ヨーロッパ、そしてサウジアラビア、イランと繋げていかなけれは理解できない」

 

アメリカはサウジとイスラエルのつながりを強くするために躍起だ」「サウジを取り込めばインド・サウジのラインを強くし、中国の一帯一路に歯止めをかけられる」

 

「(一方で)ハマスを支援するイランの存在がある」「(イランが)資金だけでなくミサイルの技術供与や軍事訓練などを積極的に行っているのは(イランと)仲の悪いアメリカ、サウジ、イスラエルが密になること断ち切りたいからかもしれない」

 

「今回のハマスの攻撃にはイランの意向があったのではないか」今後ハマスは「人質を盾に(イスラエルと)交渉していくだろう」しかし「(イスラエルの)ネタニヤフ首相は人質すなわちユダヤ同胞の犠牲を払ってでも攻撃する可能性は十分ある」

 

つづめて言えば

「大国の意向で世界が動いている」

ことになります

 

2023年10月9日(月) 着のメール一部抜粋

要約の文責はもちろん私にあります