海事つれづれ五目めし200326  横波桜丸初出航

 

 

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須崎市浦ノ内の山桜200322

東京都が封鎖されようかという日に花見などしている場合かとお叱りを受けそうな気もしますが、かといってぼく個人にはどうすることもできず、刻々と伝えられる世界のコロナ禍に対し我が国会に於いて真っ当な論戦が展開されんことを祈るばかりです。

 

 

 

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桜には無数の種類があり余程の専門家でなければ一目で名を言える人はいないでしょう。ぼくはソメイヨシノvs山桜という単純な2分法で、白い花が雪のように積もるのが染井吉野、葉の新芽とともに咲くのが山桜と決めています。山桜には、葉の色ひとつ取っても赤あり緑あり、早咲き遅咲き、八重桜に枝垂れ桜と様々です。

 

パッと咲いてパッと散る桜は、能や歌舞伎の格好の舞台装置であり、そこに生れた無常観がやがて軍国主義に転用され、生と死を分かつ「同期の桜」として歌われもしました。昭和46年に高校を卒業し埼玉県は浦和市の読売新聞配達所、株式会社ユースに就職したぼくは、男所帯の酒の場で飲んで騒いだものですが、ひとしきり春歌が回ると締めは「同期の桜」の替え歌なのでした。北は北海道、南は沖縄からやってきた有象無象どもが肩を組み「貴様とオレとはユースの桜」だなんて大声で歌って隣近所に迷惑をかけたものです。あの替え歌は思い出しても恥ずかしいのですが19の歳に覚えた文句は忘れようがありません。

 

 

 

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ゴムボートは膨らませて浮かべるから近ごろはインフレータブルボートとも呼びます。だらしなく寝そべったゴムの袋にパイプを差し込み、足の裏で鞴を踏んづけること400回、ダレて勘弁してくれんかなと思い始めたころふにゃふにゃのゴムはインフレを起こしてピンと立ち上がります。お金を出せば電動ポンプも売っていますが値が張るし荷物は増やしたくないしで当面は人力注入でやる他ありません。左右の足を何度も入れ換え、えっさほっさとやっているうちにふと車の排気ガスを使ってはどうかというアイデアが浮かんだので後日やってみます。煙が逆流して窒息死するかも~~!

 

 

 

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船外機としては最小型のHONDA空冷式2馬力エンジンは片手で持ち運べます。ボートの長さが3m未満で出力が2馬力以下のエンジンなら船舶免許は要りませんが、ゴムボートの宿命で水の抵抗が大きく、非力なエンジンではオールで漕ぐよりマシかなという程度です。若者が太い腕で漕ぎまくる競技用カヤックにはとてもかないません。

 

向かいのボートにはYAMAHA水冷式175馬力の船外機が舟よ傾けとばかりに搭載されています。オレのエンジン86台分のパワーで走ると船首が浮き、もう一段出力を上げたらバック転しそうな勢いでぶっ飛びます。それほど急がなくてもと思うのですが、海でも陸でもスピードには人を酔わせる何かがあるようです。

 

 

 

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赤い躑躅アケボノツツジだろうと思いますが、よく見かける紫の躑躅の名前はわかりません。桜と同じく躑躅にもやたらと種類があり分類の罠に掛かったら大変なことになるのでツツジツツジでええじゃんかというのがぼく式分類法です。

 

初めて自分の手で操船し海側から見た春の森は、車から見る道路脇の風景とどこか違いますね。ダイビングの途中で水面から見上げたり、フェリーのデッキから遠望する風景とも違います。この写真を撮った日からはや3日がすぎて今日は3月25日です。三日見ぬ間の桜と躑躅がどうなっているか、天気の関係で今日が最後のチャンスになりそうだから今から出かけます。サボった後の仕事は夜中までかかりますが、野菜市場は24時間開いているので便利です。

 

 

 

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細い水路で太平洋とつながる浦ノ内の入り江に日本庭園の池亭を思わせる屋敷がありました。調べたわけではありませんが、おそらくは日本経済が絶頂期のころ何かで儲けたお大尽が、小島を石垣で囲い、寄棟の屋根で東屋をこさえたのでしょう。今となっては次の台風でどうなるか分からない廃屋ですが、石組みは立派に残されています。

 

 

 

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ぼくの父は農閑期の石工だったから石垣を見るたびに講釈を聞かされたものです。要約すれば築石は隙間がないことをもって美とするらしく、もしも父がカミソリも入らないという天空の都市マチュピチュの石組みを見たとすれば、職人の目で講釈するのだろうか、それとも

恐れ入って沈黙したかと亡父を思い出しあれこれ空想したことでした。

 

しかし石の隙間は生きものの棲家でもあるわけで、この石組みは人工と自然がほどほどに調和した形と言ってよいのでしょう。コンクリートをペタ~っと張ったら面白いことは何もありません。それにしても海の真ん中によくぞこのような家を、、、石組み左面の対角線は石段になっており中央部に出っ張りがあります。

 

 

 

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この石は何だろうと思ったらもやいの為の出っ張りでした。近ごろ覚えたもやい結びでボートをもやい、足を濡らさぬよう用心して上陸すると今しも崩れそうな廃屋が荒れるに任せて残存しているのでした。都の粋人は池に小舟を浮かべて客人をもてなしたわけですが、ここは天然自然の入り江であり、舐めれば塩っぱい海の東屋です。主人は畳に障子の私設料亭に人を呼び、飲めや歌えの宴会を催したに違いありません。つわものどもが夢の跡でした。

 

 

 

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アケボノツツジと山桜200322

 

敷島のやまとごころを人問はば朝日に匂ふ山桜ばな

と詠んだ本居宣長は無類の桜好きで、オレの墓には枝振りのよい山桜を植えよと生前から指示しています。大和心→大和魂と言えば歯を食いしばった「同期の桜」を連想しますが、江戸中期の国学者である本居宣長は、漢意(からごころ)に対する大和心を提唱しただけのこと、軍国主義などあるわけもなく、桜にも宣長にも戦争責任はありません。仕事を終えれば二階の書斎に上がり、梯子を外して家人から逃れ、ひたすら国学を追求した宣長は、日本文化の象徴として朝日に映える山桜を讃えたわけです。

 

ところが幕末に黒船が来襲し、アジアの国々が軒並み植民地化されるのを見た日本は、軍事国家を選択し、日清日露と大勝した後、アジア太平洋戦争において自爆テロの源流とも言える特攻隊を考案しました。考案者の大西瀧治郎宣長の桜讃歌を軍事転用し「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」を発進させたのは、芝居の舞台が現実と結ばれたようにも見えます。儚さの象徴ともいえる桜が荒々しい軍事と重ねられて矛盾がないのは、いかにも日本的な感性によるものでしょう。

 

 

 

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「特攻前日の航空兵」万世特攻平和祈念館にて180721

 

鹿児島県の「知覧特攻平和会館」「万世特攻平和祈念会館」には、国家が滅びに至った理由ではなく、特定の座標に乗せた説明でもなく、ただそこで行われた事実が置かれています。若い兵士は信念をもって特攻機に乗ったのか、逃げようもなく乗せられたのか、それは国のためであったのか、故郷のため、家族のため、もはや逢うことのない恋人のためであったのか、あるいは時代の成り行きにすぎなかったのか、俄かに判断はできません。その行為を特定の思想ないし吹き込まれた思想で解釈し得々と言葉に直す人は少なくともこの平和祈念館にはいませんでした。生が死と直結した空間に置かれると人は言葉を失うようです、、、ゴムボートに乗ってとんでもない所までやって来ました。

200326記