ちょっと道草 210616  写真で Go to西表島19   戦争マラリア a

 

 

 

 

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波照間島ニシ浜から見た西表島 170712

 何も知らずにやってきたニシ浜は美しい海でした。

 

南の島にはどこにでも浜があり好きなところで泳げるだろうと思いがちですが、いわゆるビーチと呼べる場は少なく、波照間島よりずっと大きい西表島でも子連れで海水浴が愉しめる浜は北部にしかありません。文句なしの条件を備えた砂浜があれば、目ざとい観光資本が手を伸ばし、大型バスでツーリストを呼び込む仕掛けが置かれ、1泊3000円の民宿から1日1000円の貸しバイクに跨がってとことこ走るケチな旅人はお呼びじゃないって感じです。

 

もちろん旅の流儀は人それぞれだから、一生に一度しかない卒業旅行の若い子や仕事の合間を縫ってきた現役バリの人たちがリゾートホテルで寛ぐことに何の異論もありません。外国暮しが長い友人によると「おしっこして戻るだけでもよいから若者は旅に出よ」とのこと、賛成です。五感を総動員した体の記憶は必要に応じて取り出せます。

 

そんなワケで若くない自分もまたキビ畑を渡る風に吹かれて自転車を漕いでいると波照間小学校の青い塀に出くわしました。手前の緑が波照間島、背後の青い影は西表島?  空も海も水色の下地に白い文字で詩が書かれています。

 

 

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波照間小学校の塀に描かれた詩 170712

 

星になった子どもたち

作詩/波照間小学校全児童及び職員

 

(一)

南十字星

波照間恋しいと

星になった

みたまたち

ガタガタふるえる

マラリア

ひとりふたりと星になる

 

苦しいよさむいよ

お母さん

帰りたい

帰りたい

波照間へ

 

詩の背景はざっくり以下のようなことです。

戦争末期の1945年2月ころ波照間島の青年学校に山下虎雄なる教師が赴任してきました。当初は寄宿先の家人に優しく、子どもには人気教師であり、若い女性が心をときめかす好男子でもあったようです。

 

ところが3月に入り山下虎雄は、突如として軍服を着用し、軍刀を振りかざして島民を威嚇、全島民1,590名に西表島への移住を命じました。教師は借りの姿であり実際は陸軍中野学校出身「離島残置諜者」の酒井喜代輔(または酒井清)軍曹25歳でした。フィリピン・ルバング島に戦後30年に渡って潜伏した小野田寛郎少尉もまた中野学校の出身です。

 

 

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山下虎雄軍曹の似顔絵

少年長編叙事詩「ハテルマシキナ―よみがえりの島・波照間―」

桜井信夫(文)・津田櫓冬(絵)共著 かど創房 1998年刊

画家・津田櫓冬氏の挿絵より引用

 

書籍末尾に「許可なく作曲・放送・転載・複写複製を禁じます」との注意書きがあります。この似顔は文でも写真でも表せない山下軍曹の内面を一筆で抉った何かが感じられ、あえて転載させてもらいますが、問題があれば直ちに削除します。

 

山下軍曹が目論んだ工作は「米軍の情報収集と上陸した場合の遊撃戦*」であり「~地形をよく知っている土地の人を使って、弾薬や食糧の集積場所に時限爆弾や延焼剤を仕掛けること*」のようでもあります。住民が捕虜になると「アメリカに協力するのではないか」という疑念から住民を監視する役割もあったのではないかとも言われます。同時に軍の食糧確保のため島にいた「牛750頭、馬130頭、豚240頭、山羊550頭、鶏5,000羽」すべてが処理され「家畜は解体し、肉は塩漬けや簡易的な燻製にし、島外に搬送した」とあるので後年、山下軍曹が記者に来島の目的を問われ「死んでも答えられない」とした任務は単純なものではなかったのでしょう。

*「沖縄戦マラリア事件」

毎日新聞特別報道取材班1994年刊P113

「 」はネットより

 

ネットや書籍を探るかぎり、山もなければ川もなく海に皿を伏せたような小島にヒト1,590人+家畜1,670+鶏5,000羽が共存していたことになります。波照間島を自転車でぐるりと回った実感として、あの小島の面積で、それほど多くのヒトと生きものの食と餌がまかなえるものかどうか、ぼくには俄かに信じられないのですが、ともあれ弱冠25歳の青年が軍刀ひとつで全島民を支配し、西表島への移住に際して牛馬をつぶし、ゆがき、ほし、いぶし、カツオの加工場で燻製にした肉の大半は石垣島の軍へ送りました。燻製肉の一部は、本来の所有主である島民の食糧として移住先で使われたようですが、それで十分な栄養が摂れるわけもなく、体力が落ちた島民は、マラリア病原虫を媒介するハマダラ蚊の攻撃にさらされました。

 

以上、学校の歴史教科書のように文字と数字を編年体で並べれば、まあそれだけのことですが、もう一歩想像力を働かせ、たとえば牛馬豚山羊鶏を「処理」することの意味を尋ねたときスーパーの精肉コーナーでは気付かない風景が見えてきます。当然のごとく「永年わが子同様にして飼育した飼い主にしてみると、とても殺すに忍びない。『なんとか処分をたのみます』ともちこまれて ~やむなく密林に連れこんで、銃殺したり、撲殺したり、絞め殺したり**」という生々しい状況があらわれました。命あるものから命をいただく行為は、見るか見ぬかを別として、昔も今も変わらぬ生きものの宿命ではありますが、家畜に「わが子」のごとく情が移った飼い主の「忍びない」心がどうであったか、子どもの頃から牛と一緒に暮らしたぼくには分からないでもありません。

**「もうひとつの沖縄戦-戦争マラリア波照間島

石原ゼミナール戦争体験記録研究会編

おきなわ文庫キンドル版 №530~593/1891

 

ともあれ山下軍曹は、たった一人で島民1,590人もの人心を支配し、彼らに家屋、農地、家畜養鶏の全財産を捨てさせ、その大人数をカツオ船で波照間港から西表島に運ばせました。西表島強制移住させられた島民の多くは、切り立つ山と遠浅の海に挟まれた南風見田ハエミダの砂浜=マラリアの有病地でキャンプ生活を強いられ、およそ半年を送ることになります。波照間小学校の塀に書かれた詩の悲劇はここから始まります。

2021.06.16記 つづく

 

 

 

# # #高知の今# # #

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春野の梨農園 2021.05.30

 

 

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摘果後の梨 2021.05.30

 

ピンポン玉より小さいかなという感じですが

表面につぶつぶが浮いて梨らしくなりました

 

 

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生姜畑 2021.05.30

 

剥き出しの土に葉がまばら

やがて緑で覆われ地下茎が太り

秋には収穫できます

 

 

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田んぼ 2021.05.30

 

この稲は立派に育っていますが

周辺の田んぼにはジャンボタニシ

(スクミリンゴガイ)が繁殖して

無残なことになっています

 

ジャンボタニシは食用のため輸入し

養殖させたものの全然売れず、やがて

猛烈な繁殖力でのさばった困りものです

 

そこへ岐阜県の小学6年生が

タニシ撃退ワナのアイデアを出して

市長賞をもらいました

がんばれ小学生^^!

という書き込みが山ほどあります

ご興味の方はどうぞ

https://news.yahoo.co.jp/articles/96ef4fcd8b0c2cfcaabdad732f8310497069a45f

 

 

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この花の名がわかったヒトには

農業検定3級あげます^^   2021.05.30

答は末尾に

 

 

 

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ニラ  2021.05.30

 

ニラは根元から刈り取れば

新たに芽を吹き何度でも収穫できます

高知はニラの大産地です

行きつけのスーパーで

「高知家」のマークを見つけたら

思い出してやってください

 

ウチの隣のニラハウスでは

ベトナムの研修生が5人ほど働いており

日もとっぷり暮れたころKonbanwa

Oyasumiと怪しげな発音を残し

チャリで仲よく帰って行きます

 

 

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枇杷が最盛期  2021.05.30

 

とはいえ撮影時から2週間も過ぎたので

ぽちぽち終わりでしょう

時の経つのが早すぎて

騙されたような毎日です

 

答/ 馬鈴薯 じゃが芋 ジャガイモ

魚も植物もみな立派な漢字名をもちますが

ぜんぶカタカナ表記されるのが残念です