ひとり旅 220624 Dragon Ballの人類学 (1 悟空とブルマ 鳥獣戯画 玉虫厨子 ショスターコービッチ

 

 

 

 

 

鳥山明ドラゴンボール」より 以下同じ

 

所詮は金属のかたまりでしかないバイクを

これほど情緒的に描ける漫画家が

鳥山明の他にいるのでしょうか?

 

このバイクは大型エンジンと機関銃二丁を搭載しているので、前部が長く、横にふくらむ砲弾型になっています。リボンが可愛いブルマが燃料タンクに顎をのせるとカウリングを伝った風は背中に沿って後方へ流れ、スロットルレバーを軽く回せば、爆音を残し、あっという間に点になりそうです。

 

シャツを肩までたくし上げたブルマの腕は、たくましいけれど女性特有の肉の柔らかさを予感させます。肘と手首の力が抜けているのは、バイクに乗り慣れているからでしょう。さりげなく描いていますが、ライダーの首筋から背骨、腰骨、大腿骨、爪先の小骨まで骨格はきっちり整っています。やや体を傾けて前方を見るブルマ、シッポでバランスをとりながら筋斗雲から振り返る悟空には、内面からわき出る表情があり、ペンで描いた精密なマシンと相まって独得の情緒をかもしています。 (この原画ほしいな)

 

 

同上

 

悟空をぶん投げた力は

腰に伝わり足で支えられ

デカい尻をもつ男の骨格が

きっちり描かれていることに驚きます

 

某編集長から届いたメールに鳥山明は「単に絵がうまいという次元じゃなく、そもそもモノの見え方とらえ方からして我々とは全然違うんでしょう」とありました。確かにフツーの「見え方とらえ方」ではないので「違う」ことはよく分かるのだけれど「モノの見え方」とは具体的に何か? それは光の反射を網膜で検知することのみならず、衣服にかくれた骨をCTスキャンするX線のような視覚のことではないでしょうか。

 

 

同上

 

衣服は肉に付き、肉は骨に付く

骨と間接の動きが重力と関係して

ヒトの動きを決定づけるので

そこを無理なく描かなければ

子どもの絵になります

 

と理屈を説くのは簡単でも

じゃ描いてみなって言われたら

常人にできることではありません

 

 

同上

 

直下にむかう重力はバイクの円運動による遠心力(向心力)と合成され複雑にベクトルを変えます。その関係式を勘で織り込み、上から下から横から斜めから自然な「とらえ方」ができる漫画家って鳥山明のほかに誰がいるのだろう?  怖い顔は描きやすくても笑顔はむずかしい。ボケをかましてなお生き生きとした人物画とともに情緒ゆたかな物語をつむいだ作家が鳥山明以前にいたのだろうか? 考えれば考えるほど凄いというか、凄さを感じさせないところがまた凄いというか、全コマ暗記したのにまだ飽きない絵画物語…もう面倒くさいから「天才」とくくっておきます。

 

漫画を横に広げて時間を与えると絵巻物になります。変身したランチちゃんが空を飛ぶ上記ページ5つのコマ割りを分離して横に並べると小さな絵巻になります。「ドラゴンボール」1巻ざっくり180ページとして×42巻⇒7560ベージを巨大トイレットペーパー絵巻にすれば、読者の頭の中で個々の絵が合成され長大なアニメーションが生まれます。漫画は静止画の集まりですけど、ぼくらの脳コンピュータに取り込まれ、動きのある映画が作られるワケです。

 

 

鳥獣戯画  ネットより

 

この絵に吹き出しを付け

「ことば入れ競争」をしたら面白いかも

漫画の文字は精米率60%の吟醸酒のようなものだから

俳句をひねるトレーニングになります

 

漫画のルーツをたどれば遠く平安時代の「鳥獣戯画」、飛鳥時代の「玉虫厨子」に行きつくそうです。ウサギやカエルが遊ぶ絵巻物は「異時同図法」という難しい言葉で説明されますが、要は一枚の静止画に異なる時間が織り込まれた時空融合図なわけです。吹き出しをつけて文字を入れたら文句なしの漫画、声優さんが頑張ればアニメーションになりますね。

 

 

玉虫厨子に描かれた捨身飼虎図  ネットより

 

聖徳太子飛鳥時代に描かれた「異時同図法」⇒お釈迦様の前世の一人・薩太子が飢えた虎の親子のために身を投げた一枚の絵ですが、その中に「構える」「飛ぶ」「喰われる」3通りの人物が描かれています。(手塚治虫の「ブッダ」にも好んで蛇に呑まれる聖者のシーンがあります)

 

このあたりを漫画のルーツとすれば

日本人は1500年もの昔から

漫画やアニメに親しんできたことになります

昨日今日のハナシではありません

2022.06.24記 つづく

 

 

 

 

< 2022年の現在史 >

前号ひとり旅220620で引用した「ショスターコービッチの証言」を追記します。本書は音楽家の生涯を口述筆記したものですが、およそ音楽とは関係のない以下の一文が挟まれています。四海にまもられ神道や仏教を信奉しつつ平和に暮らしてきたヤマトの民と、争いと争いの間に短い平和が挟まれる大陸の民とのちがいを際立たせる例にはなるかもしれません。

 

 

ショスターコービッチ CDの挿絵

 

「わが家では、1905年の革命のことが絶えず論議されていた。わたしが生まれたのは1906年で、あの革命のあとだったが、その話はわたしの想像力に深刻な影響を与えた。~中略~  おびただしい量の血が流されねばならなかった。1905年には、殺された子供たちがうずたかく橇に積まれて、運ばれた。少年たちが木に登り、兵士たちを眺めている。すると兵士はまるで面白半分のように少年たちに狙いを定めて射つ。つぎの瞬間、少年たちは橇に積まれ、運び去られる。少年たちの死体を積んだ橇。死んだ少年たちは笑いを浮かべている。不意に撃ち殺され、驚く暇さえなかった少年たち。一人の少年が銃剣でずたずたに引き裂かれた。少年が運び去られたとき、「武器を!」と群集は叫んだ。誰一人、武器の扱い方を知らなかったのに、ついに堪忍袋の緒が切れたのだ。ロシアの歴史の中では、多くのことが繰り返されているように思われる。もちろん、同じ事件が正確に二度繰り返されるわけではなく、相違もあるにちがいないが、それでも、多くのことがやはりくり返されている」

 

                                                                                 ソロモン・ヴォルフ編/水野忠夫

                                                                                   「ショスターコービッチの証言」

                                                                            中央公論社昭和55年(1980年)発行p20

 

ちなみに1905年は日露戦争の年であり、対馬沖の日本海海戦では、圧倒的優位と思われていたバルチック艦隊東郷平八郎ひきいる連合艦隊の前に完敗しました。東洋人が白人を打ち負かしたニュースは世界をめぐり、とりわけロシア周辺の被支配国の人々を勇気づけたことが容易に想像されます。陸戦を戦った乃木希典、後方攪乱のため諜報活動を展開した明石元二郎といった名とともに日露戦争ロシア革命に少なからぬ影響を与えました。

 

血の日曜日」を機に民衆が蜂起したロシア革命(1905~17年)の時代にショスターコービッチは幼少年期を送りました。音楽を、肉体をゆさぶる明るい音楽と、脳に浸透しものを考えさせる音楽に分ければ、ショスターコービッチの楽曲は明らかに後者です。真冬の深夜に耳を澄ませていると見たことのないシベリアの大地と人々の姿が思われます。みな薄い表情をしています。